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今回はドイツのチェロ奏者で作曲家のベルンハルト・ロンベルク(1767-1841年)です。

 

 

ボッケリーニやデュポール兄弟の築いた音楽を継承し、チェロの音楽を古典派からロマン派へつなぐ橋渡し役を担いつつ、ベートーベンの3つ年上の良き先輩でもあったドイツチェロ界の総元締め的存在です。

 

 

では彼の人生を見ていきます。

 

1767年、オルデンブルグというドイツ北部の都市に生まれます。

 

幼少時は同じドイツ北部のミュンスターという街で過ごします。

 

生まれたのは父がファゴット奏者、叔父がクラリネット奏者で聖楽隊長と、音楽に恵まれた家でした。

 

最初は父から、後にシュリックというチェリストからチェロを教わります。

また、小さい時から、当時ウィーンで活躍したバイオリン奏者からも指導を受けていた様です。

 

同い年のいとこが優秀なバイオリン奏者で、7歳の頃から二人でミュンスターの聴衆の前で演奏していました。

 

8歳からは国外にツアーにも出かけます。

 

16歳の頃にはパリのサロン「コンサート スピリチュエル」というところでも成功しました。

パリでは、当時最高のバイオリニストの一人、ヴィオッティに紹介されたり、デュポールの名人芸に触れたりと、パリに出られたことは彼にとって大きい経験になった様です。

 

2人は一度ミュンスターに戻ってオーケストラで演奏しながら、数年間演奏の勉強を続けます。

 

22歳の頃ケルン大司教がミュンスターを通りがかり、演奏聴いて感激してボンの礼拝堂に招かれました。そこで、ベートーベンと出会います。

 

ボンの礼拝堂では、ベートーベンをビオラとして弦楽四重奏を結成しました。

ファーストバイオリンが、ボンにいたリーズ、セカンドバイオリンがいとこのアンドレアス、チェロがロンベルクというメンバーでした。

頻繁に演奏会を開き、自作のチェロ曲も演奏したりしました。

 

ボンではベートーベンがロンベルクを音楽家として、また良き先輩として尊敬していた様です。

 

ボンは、フランス革命につながる進歩的な考え方の影響を受けた町で、ロンベルグもその影響を受けた様です。

 

そして、ロンベルク25歳の頃、フランス軍がドイツに侵攻してきた為、ボンを離れてハンブルクに戻ります。

 

28歳、イタリアツアーの帰りのウィーンでハイドンに会い、ベートーベンにも会います。ここでベートーベン作曲のチェロソナタを演奏しました。

 

しばらくハンブルクにいた後、32歳でパリでの演奏にまた成功します。

当時のフランスでの最高のチェリストはデュポールでしたが、ロンベルクも同格であることを示しました。

33歳からそのままパリ音楽院の教授を務めましたが、これは合わなかったらしく2年で辞めてしまいました。

 

37歳には、ベルリン礼拝堂でデュポールと何度も共演しました。共演だけでなくソロの演奏でも、作曲家としても成功しました。

 

39歳、フランスとの講和条約でドイツの地位が低下し、ドイツ国内の状況が悪化した為、一時的にロシアに移り、6年間住むことになります。

ロシアではサンクトぺテルブルグやモスクワそして地方で大絶賛を受けます。このころが演奏技術のピークだった様です。ロシアは相当相性が良かった様です。

 

51歳、ロンベルクはロシアからベルリンを経て、またハンブルクに定住します。

 

54歳、チェロの息子と歌手の娘と共にウィーンへのツアーに出かけ、ベートーベンと再開します。

この時すでにベートーベンは著名な作曲家でしたが、耳の病が悪化しはじめていました。

 

66歳、ウィーンでのコンサートでは「すべてのチェリストの王、ロンベルク」と呼ばれました。まさにチェロ界の頂点に君臨していました。

 

最晩年の71歳にはチェロの教則本を出版しました。

 

そして73歳、ハンブルグで亡くなります。

 

 

 

 

ロンベルクの人となりですが、

 

ベートーベンからチェロ協奏曲を作曲しようと申し入れがありながら、自分で作曲するからいらないと断るなど、なかなか、自己主張が強めの性格であった様です。

 

しかし、ベートーベンからは生涯にわたって頼れる良き先輩音楽家として、親しみと共に尊敬されていた様です。

 

近しい人には兄貴肌だったのかもしれません。

 

 

音楽面も見てみます。

 

チェロソナタ第1番聴くと、ベートーベンなどと比べるとさすがに佳作という感じですが、曲の中に明確に「歌」があります。

歌詞付きの気品のあるメロディーで歌手が訴えかけてくる感じです。

それまでの器楽曲っていう感じと明確に一線を画した音楽です。

 

デュポール兄弟や、ボッケリーニが作り上げた高度なチェロの技術に、さらに歌の要素を取り入れたのが、ロンベルクと思われます。

 

これが後のブラームスのチェロソナタ等に繋がって行く感じでしょうか。

 

また、ロマン派以降の作曲家の交響曲では、よくチェロに歌うメロディが与えられていますが、これもロンベルクがチェロに「歌」という役割を与えたおかげということもあり得ます。

 

 

 

ロンベルクは、チェロという楽器の改良にも寄与しています。

 

一番低い弦であるC線の部分の指板を削って弦の高さを確保して力強い表現を可能にし、指板を長くして、ボディから距離を離して高音を弾きやすくするなど、技術の幅を広げる様な改良を施し、それは現代でもそのまま採用されています。

 

 

 

オケで気持ちのいいメロディを弾たり、高い音を弾いたり、低い音を強く弾いたりするときにロンベルクの功績の恩恵に浴していることが実感できます。

 

 

 

こう見ると、

 

自己主張が強そうな性格も、

音楽、テクニック、楽器等、自分の中に確固たる理想像が有って、理想に従ったり、理想を守ったりしていただけかもしれません。

また、だからこそ、べートーベンに頼られる程の存在だったのかもしれません。

 

 

 

 

ドイツのチェロ界の総元締め的存在のロンベルク。

 

チェロを弾く人間として、その人生を祝福し感謝しつつ記憶に留めておきたいと思います。

 

それでは。