ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

 

よく感じるんですが、

受け手が明確でない発信って多いと思います。

 

例えばカラオケ。

 

人に聞かせたいのか、

自分が満足したいのか

実は歌ってる人の中では

受け手の定義が結構あいまいかと思います。

 

ただカラオケは楽しければいいので、

特に問題はないんですが。

 

 

現代音楽。

 

私の個人的感想ですが、

この難解な曲は一体誰に向かって書いたのか、

謎だなと感じるものが多いです。

 

実は作曲者である自分と、

ごく一部の業界の人向けなんでしょうか?

(好きな人すいません。。。)

結構そこらへんが謎です。

 

 

プロのオーケストラ奏者や、

ソロ活動されている方は、

 

発信する相手が非常に明確かと思います。

お客さん一人一人に音楽を発信するということになりますから。

 

 

アマチュアの奏者の場合、

人によりあいまいです。

 

お客さんに発信するよりも

自分の為に演奏会している、

自己満足系の人を多く見かけます。

 

自分でお金を払って演奏しているケースがほとんどなので、

そうなりやすいのかもしれません。

 

確かにそれほど他の人に迷惑は掛かっていませんが、

そこだけでとどまっていると、

少しもったいない気がします。

 

やはり、お客さんおにいい音楽を届けるんだ!

としっかりと発信先を明確化すること。

 

受け手、聴き手が誰かはっきりさせておくことが

大切だと思います。

 

さらに、

可能であれば、

聴き手を具体的にイメージできると良いと思います。

 

普段の基礎練習、エチュードから、

オーケストラの合奏まで、

常に聴き手を意識した方が、

演奏のレベルを上げられると思います。

 

私自身の話で恐縮ですが、

その昔、大学OBオーケストラで、

10分くらいのチェロ独奏曲のソロパートを

弾かせてもらったことがありますが、

 

練習中からいつも

客席に並ぶお客さんの顔をイメージして

練習しました。

 

そして、

本番当日にソロ奏者の席に座って、

客席を見た時に、

やっと出会えたなっていう感じがして、

音楽を届けやすかったです。

 

受け手、聴き手を明確にして、

常に意識することって大事だと思います。

 

 

相手が人でない場合もあります。

「神」の場合です。

 

宗教曲で音楽と共に祈りを届ける場合、

受け手(聴き手?)は「神」です。

 

西洋音楽の場合、キリスト教の「神」ですね。

西洋音楽は教会から発展していって、

 

ある時点で音楽が

神から人間の方を向く様になったんでしょうね。

 

古典派で神から人間の方を向き始め

ロマン派で人間の心のなかにある理想を追及するようになったんでしょう。

 

しかし、人間の理想を探求し続けて、

現代音楽で袋小路に入り込んでいいる気がします。

 

それも必然でさらにその先に何かがあるのではないかと思っています。

 

と、少し話がそれましたが、

 

神にしろ人間にしろ

どこに向かって発信するのか定めることが大切だと思います。

自己満足だけというのは一番避けたいですね。

 

と、

自分にも言い聞かせつつ、

今後もアマチュアの音楽活動を続けたいと思います。

 

それでは。

 

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こんばんは、
出張先の佐賀県から、
ひでちぇろです!!

自分の本当にやりたいことは何かっていう、
一筋縄では解けない問いに答える上で、

自分が「どういう感情を味わいたい」のか
感じることと、

それを「受け入れて」あげる、

っていうことがすごく大切だと思います。

自己観察と
自己受容、

言い換えると
客観的に見て、
受け入れてあげることが
大切なんだと思います。


音楽も全く同じで、
自分の音楽を客観的に聴いて、
受け入れる、
ってことが大切なんだと思います。

自分の音楽の一番の聴き手は自分ですし。
自分の音楽の良い聞き手になりましょう!
(主に自分に言ってます)

気付きになったブログをリブログします。

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!!!

 

 

何故この題名になったかですが、

現状の音楽心理学は、

幅が非常に限定されているじゃないか?

ということです。

 

〇〇心理学なるものはたくさんありますが、

単なる「心理学」は

数値化でき、表から観察できるもの、

科学的なものを対象としています。

 

なので、

音楽の「心理学」でんある音楽心理学も、

同じく表から観察できるものが対象です。

 

要するに、人間を動物と見なして、

実験室で音楽を聞かせて反応を見る感じです。

 

私も最初は、

「心理学」っていうくらいだから

人生の真理が分かるんじゃないかと思っていましたが、

実際に「心理学」の本を見て幻滅したのを覚えてます。

 

同じく、音楽「心理学」も、

科学的で学会で発表できる学問の側からみて、

音楽について分かることだけに限定されています。

 

音楽の真理というものがあるなら、

ずいぶん中心から大きく離れたところにあると思います。

 

「心理学」と音楽ってそれほど相性は良くないかもしれません。

 

同じ心理学でも、

ユングの「分析心理学」は相性がよさそうです。

 

集合的無意識で目に見えない人類の繋りについてしたり、

個性化で人の心の成長を神話に例えてストーリーでとらえたりと、

非常に親和性が高いです。

 

哲学の分野では、

丸山真男が中野雄と対談した本がありますが、

「音楽を真剣に聴くとは一体どうゆうことか?」

みたいな命題について語られていたりして、

これも真実に迫ろうとしている感じです。

 

私の中では、

音楽について最も深く、鋭く切り込んで、

かつ実践もしたのが、

ほぼ100年前に生きたルドルフ・シュタイナーです。

 

音楽の真理について、

学問としても精神世界的な面から見ても、

他にここまでの物はなく、光を放っています。

 

私も、

今後一生かけて

演奏の技術、表現の技術と共に、

音楽の真理について探求していきたいと考えています。

 

それでは。

 

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「トラウマ」というネガティブな言葉を

題名に持ってきてしまいましたが、

 

人生の底をどれだけ経験したかが

そのまま音楽表現にもつながる

というお話です。

 

クラシック音楽を聴いていると、

(他のジャンルもですが)

 

素のままの自分

→障害に出会う

→乗り越え

→元の自分が一段成長

 

みたいな「成長ストーリー」が

バロック以降、古典、ロマン派、近代と

メインテーマになっています。

 

 

一番の最小単位で言うと、

一つのフレーズの中での、

 

トニック(ド、ミ、ソの和音)

→サブドミナント(ファ、ラ、ドの和音)

→ドミナント(ソ、シ、レの和音)

→トニック(ド、ミ、ソの和音)

 

という定型的な和音の動きとか、

 

 

曲の構成として一つ大きく見ると、

 

提示部

→展開部(主題=素の自分)

→再現部(紆余曲折、苦労)

→コーダ(主題、後半は転調=成長した自分)

 

みたいな曲の構成も、

「成長ストーリー」です。

 

 

一人の作曲者の作品でも、

 

若々しい作品から始まり、

紆余曲折を経て、

晩年期の作品で完成を見るというような

「成長ストーリー」があります。

 

すべての単位でこれが出てきます。

 

この「成長ストーリー」を細かいフレーズ単位でも、

曲全体でもいかにうまく表現できるか。

当たり前ですが大切なことです。

 

ここで注目すべきなのが、

演奏者は「自分の経験という物差し」で共感して表現する

ということです。

 

この物差しが小さいと、

それだけの表現しかできないことになります。

 

問題は、それが心とか人格の問題なので、

一見練習で鍛えることが難しいということです。

 

しかし、苦労の少ない君には分からんだろうが的

な話ではないです。

 

生きていて、

苦と楽が交互にやってくる。

これは生まれてからすぐだれでも経験していることです。

 

これを毎回味わっていることが

そのまま音楽表現の栄養になっているのです。

 

そしてその栄養には

かならず自分にしか出せない味があります。

それが音楽の個性になります。

 

つまり、

人生と音楽はそういう風につながっているので、

自分のなかの栄養分をちゃんと観察して受け入れて、

みんなとシェアすることを楽しむことが

人生と音楽の両方を楽しむことになるのだと

思います。

 

私の場合ですが、

 

6年ほど前に会社でのパワハラで、

うつになり休職しました。

 

あの時は、生きていること自体が苦痛で、

死んだら楽になるんじゃないかという状態まで行きました。

 

その時はめちゃくちゃつらかったんですが、

 

その人生の底から、

復職後にいい上司にであったり、

ジムで身体を鍛える様になったりして、

ちょっとずつ回復して、

新たに成長して今の自分があります。

 

この体験があるだけで、

クラシック音楽の中で繰り広げられる

紆余曲折が、より身近というか、

 

凄いこととか高みとかいうより、

誰にでもあるよね~、

みたいな受け取り方ができる様になりました。

 

結局、うつを通過して、

いままで以上に音楽を楽しめています。

(ちょっと命がけですが)

 

 

ということで、

音楽表現に携わることで

人生を2倍、3倍楽しみましょう、

 

というお話でした。

 

それでは。

 

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先日東京に行った時に

日本橋のデパートで

妻が非常に良くできた造花を

買ってきました。

 

その造花が

玄関に飾ってあったんですが

気づかず通過してしまっていました。

 

造花が有るよって、

あとで言われて見たところ、

 

たしかにすごく良くできていてきれいなんですが、

 

なにかが足りない感じがしました。

 

 

一方、

同じく東京に行った時に、

室内用の葉っぱだけの鉢植えも

2つ買って来たんですが、

 

いかにも頑張って生きている、

成長しているっていう

臨場感、緊張感があって、

すごく魅力的でした。

 

 

そしてこれらを見たときに、

はっ、と気づきました。

 

音楽の美しさってこれだな、と。

 

音楽は時間芸術ですが、

人生というか、命も時間ですよね

 

生きた時間の積み重ねが人生であり、命ですから。

 

いつか命には終わりがありますが、

音楽も同じです。

 

 

ここで、

オーケストラの演奏会に例えてみます。

 

指揮者が棒を振り下ろして、

音が鳴り始めたところが、

誕生。

 

何十分かの人生が有って、

 

最後の曲の終わりが死。

 

そのあと、

生きた人生に対して、

客席からの割れんばかりの拍手!

 

そして、

演奏者たちは舞台の外に戻っていく。

 

次の演奏会(人生)はまた一年後。

 

 

みたいな感じですね。

 

こう考えると、

命の時間も貴重だけれど、

それ以外の時間も結構楽しそうですね。

 

一瞬で終わってしまう演奏会(人生)

の美しさがあり、

 

それ以外の準備期間や(人生と人生の間)、

舞台に上らない存在など(先祖、精霊、神等)

の存在も考えられます。

 

舞台の上の音楽を命だと考えると、

 

音楽の美しさそのものだけでなく、

それがどう成り立っているかも含めて、

 

音楽の美しさ=命の美しさだと考えると、

いろいろ得られるものがありそうですね。

 

それでは。

 

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今日は、ちょっとスピリチュアル系っぽい

題名ですが、主に音楽の話です。

 

 

皆さんは、こういう経験がありますでしょうか。

 

音楽を聴いたり演奏していて、

あたかも、

大きくて偉大な存在に包まれた感じとか、

触れたり繋がったり

というようなこと感じたことが。

 

私自身で言うと、

特にオーケストラで規模の大きい曲を弾いたり、聴いたり、

小編成だとバッハなんかでそういう風に感じることがあります。

 

私の好きなドイツ、オーストリア系の作曲家で

偉大な存在遭遇率の筆頭は

ブルックナーです。

 

曲が始まってすぐに、

雄大な大自然に抱かれた感じがします。

 

次は、マーラーでしょうか。

マーラーの場合はネガティブなものもたくさん

表現されていて、

紆余曲折を経て、

偉大な存在に邂逅し包まれる感じです。

 

この偉大な存在は一体何なんでしょう。

 

音楽と一緒に何かの存在が来る訳ではないですよね。

 

考えてみましたが、

 

結局人間はみんな、

元々こういう偉大なものと繋がっているのかなと思います。

 

通常時はフィルターでこういう情報は遮蔽していますが、

 

音楽を聴いて、無意識に変化が起こると

勝手にフィルターが外れて偉大な存在と繋がっていることを、

思い出すという感じでしょう。

 

そしてこれは元来から音楽に備わった機能なのだと思います。

 

最初はそれが分からない人でも、

多少回数をかさねれば誰でも繋がれるのだと思います。

人によってどういう曲が繋がりやすいかの違うだけでしょう。

 

偉大な奏者、指揮者、作曲家の

一般人との違いも、

この偉大な存在のことを

翻訳する能力に長けているかどうかだと思われます。

 

例えば難しい英語を平易できれいな日本語

に翻訳できるような感じで。

 

これは、努力でどうにかできることなのでしょうか?

 

それとも天賦の才能なのでしょうか。

 

結論は出ませんが、

翻訳だったら、才能もあるかもしれませんが、

センスは磨けば上がるでしょう。

 

物理的なテクニックと合わせて

このセンスの向上についても「努力」したいと思います。

 

それが「表現」を磨くということだと思います。

 

まずは、

自分の感じる偉大な存在をただ受け身でなく、

積極的に受け入れて、

理解するところから始めたいと思います。

 

それでは。

 

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自分が魅了されたことを続けると、
やがて点と点がつながって
自分の人生の物語の線になる、

っていうジョブズの伝説のスピーチ。
いいですよね~。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

 

いきなり変わった題名にしてしまいました。

 

人も情報も音楽も、

すべてつながりあって影響しあって存在してるっていう

お話です。

 

人間って、

一人で生きるはすごく難しいですよね。

家庭、職場、ご近所の知り合い、

同じ趣味の仲間、学生時代からの友達、

 

など、

たくさんの人と人間関係を持っていますよね。

 

また、

食べ物、服、家、自転車、

水、電気、ガス

など、

 

みんな誰かが作ったものを使っていますよね。

 

作ってくれた人も含めて、

人と人とのつながりだとして、

その相手も他の人とつながって、

 

全体としては70億人の複雑につながり合う

縁起の網の目の中に自分がいることになります。

 

そしてその網の目があって

自分が存在できるんですよね。

 

オーケストラなどでも同じ様に考えられます。

 

作曲者が曲を書き、

それを何世代も受け継いだ人がいて、

自分以外にもたくさんの奏者がいて、

人数分の楽器を作った人がいて、

ホールをつくった人がいて、

コンサートをマネージする人がいて、

お客さんが来て

 

と、たくさんの人が関わって演奏が成り立ちます。

 

自分が演奏者のうちの一人だとして、

一回の演奏会に出るだけでも、

 

たくさんの人とつながり、

本当に複雑なつながりの

網の目の中にいる感じになります。

 

そして、ここで言いたいことは、

 

演奏して音楽を発信する我々は、

単なる受動的な網の目の一端ではないということです。

 

作曲であれ、演奏であれ

音楽をゼロからつくる創造行為です。

 

また、関係の網の目は、

幸せも不幸もその網の目を伝って、

伝達してしまうものだと考えられます。

 

ということは、

音楽を発信すれば、

網の目につながる

たくさんの人たちを幸せにできる

チャンスがあるということです。

 

みんなで音楽を作って

自分がつながる網の目に接する

すべての人を幸せにするっていう気持ちで

音楽を作ってみてはいかがでしょうか!

 

つまり、微力ながらも音楽で、

人類全体の幸福に貢献するっていうことです。

 

偉大な作曲者、演奏家でなくとも、

目の前にいる人を少しでも幸せにできれば、

人類全体を少しだけ幸せにできたっていうことになります。

 

自分はアマチュアですが、

そういう可能性と自信と責任感をもって、

演奏できたらと思います。

 

こういう考え方、

いかがですか?

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

以前、
ネットビジネスの教材の課題で、

人の文章を写すと文章力アップがアップする、っていうのがあって、
実際にやってみたことがあります。

その時は、
A4で50ページくらいの
ネットビジネスのレターを写してみました。

実際に写してみると、
色々得られました。

どういう意図で単語や言い回しを選んだり
しているのかが、
写していくとよく分かります。

丸々コピーしてみるっていうのは、
役に立つんだなというのを
実感できました。

その昔、千利休さんは、
「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」、
と言う歌を歌われています。

これを略して「守破離」と言ったりします。

もう少し説明すると、
芸事を習う場合、

最初は「守」で師匠のコピー。

次に「破」で
師匠のコピーから一旦離れて
自分の本当に感じることと比較してみる。

最後に「離」で、
自分が真実だと思うところに従う

という、
上達の段階を踏むんだよということを示しています。

まずスキルを磨き、
その上で自分の真実に従うということですね。

結局、自分で身につけた、
借り物ではない
自分にとっての真実が最後は大事になるのです。

楽器も同じですね。
先生に言われることを
行動してやってみて理解した上で、
自分がこれはという表現ができると良いのでしょうね。

しかも「守破離」は一度で
終わらず、
何段階も続くものかと思います。

また、上達してきたら
師匠につかなくとも
一流の音楽家の真似、コピーも
やってみる価値はあるかと思います。

文章を写すのと同じように。

やらないと分からなかったこと
が分かるようになります。

なぜかここでテンポ落とすのかとか、
どこで一番美しい音使っているかとか、
いろいろ分かるのではないでしょうか。

そっくりまではできなくても、
「守」を試すだけでもレベルアップにつながります。

最近はメディアの発達でいくらでもネタあり、色々試せます。

どの段階でどういう「守破離」をするのか
自覚的に練習できれば、
限られた人生の時間を有効に使って
効率的に上達できるのではないでしょうか。

それでは