ようこそ、ひでえちぇろブログへ!!!

 

身体感覚のゲシュタルトという題ですが、

ゲシュタルトが分かりづらいかもしれませんね。

 

ひとつのまとまった全体で初めてできる意味、

みたいな意味合いです。

 

皆さん普段の生活で、

身体感覚をどう扱っていますか?

 

立つ、

歩く、

水を飲む

 

みたいな動きは、

しようとおもえば、

あまり意識せずにできますよね。

 

これは、

たくさんの筋肉の動きとか

平衡感覚とかを

一つにまとめて、

 

つまり、身体感覚のゲシュタルトを作って、

そのゲシュタルトを一つの

ハンドルとかボタンとかレバーみたいに統合しつつ、

個別の動きは自動化して動作している結果です。

 

楽器を弾く場合も、

ある程度はこれが出来ないと弾けません。

音階とかをやるのに、関節の一つ一つを

常に意識していたら演奏できません。

 

だから、教則本を繰り返し練習して

身体に覚え込ませます。

 

ここまでは、当たり前ですが、

 

ゲシュタルトを作るのを難しいのが

指揮者がいて、他にたくさんの奏者がいる

オーケストラで演奏する時です。

 

譜面を見ながら楽器を弾く動作と同時に、

 

指揮者の求める音楽とか、

テンポの感じ方の違う他の楽器とか、

弦楽器なら、コンマスとかトップ奏者とか隣の人とか、

とにかく、入力情報が多すぎます。

 

だいたい、インプット過剰になります。

 

なので、

事前の練習では、

楽器を弾く動作をまとめて

ひとつの身体感覚の様に扱える様なるまで繰り返し弾きます。

 

各動作がほとんど無意識でできるくらいまでにもっていかないと、

うまく弾けません。

譜面が目に入った瞬間に動作イメージができるくらいですね。

 

また、動作だけでなく、

スコア(総譜)で他の楽器がなにをやってるか

ある程度頭にいれて、

それに追従するのも含めて、

一括して、身体感覚に含めてやる。

 

そういう全てを含んで、

あまり意識に頼らなくてもできるようになると

オーケストラ演奏における

身体感覚のゲシュタルトの下地ができます。

 

そこまでいけば、

指揮者のやり合いことに敏感に反応できるし、

余裕ができるので他の奏者に共感したりできます。

 

また、お客さんのことも考えられるようになります。

 

この、身体感覚のゲシュタルトがいかに早く作れるかが勝負ですね。

 

自分はアマチュアなので、

オーケストラの全体練習が10回前後なのに合わせて、

自分の練習が30~50時間は必要な感じです。

 

プロはオケの練習3回くらいで、

個人の練習も、

もっと短いんでしょうけれど、

高度な身体感覚のゲシュタルト作り上げているのではと思います。

 

人間の意識には限界があるので、

自分はいつもできるだけ早く、

身体感覚のゲシュタルトを作ることを目指します。

やみくもでなく、できるだけ目標をもって計画的に。

 

短く言えば、しっかり練習と予習をしようということですね。

 

私もまだまだ修行は続く感じです。

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ

 

 

昨日は、

久しぶりのオーケストラでの演奏会に出演し、

みんなとお酒も飲んできました。

 

そして、今日は久々の横浜でショッピングして、

その後飛行機で長崎に帰ってきました。

 

この感覚を忘れていたんですが、

 

演奏会が終わった後の翌日って、

つねに、心のどこかが満たされて

幸せ感が持続するんですよね。

 

類似の体験が無いので表現が難しいんですが、

 

何かからものすごく愛情を受け取った

翌日みたいなのがあるとすれば、

そんな感じです。

 

やっぱり、

たくさんのお客さんと

音楽を感じる「演奏会」っていうのが、

自分の人生ですごく大事だなと思いました。

 

私自身の人生を大事にするっていうことは、

やはり、いかに早く関東に帰れるかっていうことですね。

 

真剣に神奈川か東京に戻るべく、

頑張ります。

 

 

それでは(^ー^)

 

 

 

 

 

演奏会終了しました!
色々失敗もありましたが、
すごく楽しかったです!!!
左端が私です。


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前日の通し練習が終わりました!

ドビュッシーの「映像」と、
リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」

というプログラムです。

両方難しいですが、
特に「映像」が難しいです。

メロディが明確でなく、
捉えどころのない箇所とか、
脈絡のない箇所が
多いからかもしれませんね。

ぼんやりしてて
ppで不思議な和音みたいな
ところが多いんですが、

たまにリズムとか、
メロディが鮮やかになって
強烈に魅力的だったりして、

ドイツ系にはない
魅惑的、神秘的なところが、
面白いです。

リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」は、

英雄だけあってカッコいいところが多く、
中間部で色々紆余曲折あって、

晩年に功績を振返る
雄大な部分が感動的です。

弾いていて泣きそうになります。

今回の演奏会では、
9月に一回練習参加のあとは、
前日からの参加なので、
演奏上は厳しいです。

しかし、
周りのみんなも温かく迎えくれたので、
明日は楽しんで弾けそうです。

それでは。


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今日は、
日曜日の演奏会に出演するため、
長崎から東京に来ています。
今は、ホールの近くのホテルです。

リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」がメイン曲なんですが、
高い音への跳躍が多くなかなか難しい曲です。

しかし、すごくカッコ良くて、いい曲ですし、
オーケストラ自体の久しぶりなので、
すごく楽しみです!

まずは、明日は全日の通し練習です。

久々にオーケストラで自己表現したら、
どう感じるか、
またこちらに書いていきますね。

今日は短いですが、
これで失礼します。
それでは。

自分を満たす努力って、

大事ですよね。

自分を幸福にする努力を怠っていたら、

人のことなんか幸せにはできませんね。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!!!

 

今日は演奏での無意識の使い方についてです。

 

普段意識に上らない情報とのつきあい方の話です。

 

どういうことかというと、

身体に働きかけて普段意識されていない無意識の部分を活性化させて、

そこで得られた情報を演奏に生かそうというものです。

 

身体に働きかける方法は3つあって、

姿勢、呼吸、動作です。

 

姿勢については、

 

本当に

姿勢を良く保つと、

うまい表現がないのですが、

上の方と繋がる感じになります。

 

より、高次というか、

抽象度が高いというか、

俯瞰的な感じです。

 

極論すれば、

ずっと先の方で神につながっている感じです。

 

次に呼吸です。

 

積極的に呼吸をすると、

個人の無意識につながり、

肉体と繋がった深い部分の意識に接続される感じになります。

 

下の方の深いところと繋がるっていう雰囲気です。

 

神とか、俯瞰的とかではなく、

深い感情とか、生きるエネルギーとか、

どちらかというと現世的な強いエネルギーです。

 

最後に動作。

 

ここでは音楽的な身体の動きを示します。

 

動作は無意識の要素はそれほど大きくはなく、

むしろ無意識が先で、

後に動作が来ている感じです。

 

なので、

動作をしたがる自分を感じ取り、

その感覚を観察することで、

無意識を自分なりに感じ取り、

逆にコントロールしていける場合があります。

 

 

私自身の話になりますが、

20代~30代前半の若い時は、

呼吸と音楽的動作ばかり意識して、

オーバーアクションで視野が狭く、

周りの音は一応聴いても、

配慮があまりできない演奏をしていたと思います。

 

俯瞰的な視点に欠けていたので、

視野が狭くて自己満足優先であったと思います。

 

実際にそれで満足してしまっていました。

 

しかし、それだとコミュニケーションが成り立っていないので、

だんだんとつまらなくなるんですよね。

 

その後色々試した末に、

 

現在は、

まず姿勢を重視しています。

 

しっかり姿勢を作って、

上からの俯瞰的情報を受け取りつつ、

 

その枠内で呼吸と動作をする感じです。

 

これで、だいぶ周りが見える様になったと思います。

(まわりからどう見られているか分かりませんが。。。)

 

例えば以前であれば、

今フルート奏者はこんなメッセージを投げかけてきたな、

っていうだけでいままでは終わっていたのが、

 

一緒にそのメッセージを味わって共感して

目頭が熱くなったりと、

 

共感度がすごく上がりました。

なんというか、オーケストラで演奏しながら、

愛情を感じる場面がすごく増えました。

 

一見して派手さはありませんが、

 

まず、演奏中は姿勢よく。

 

それができてから

呼吸と動きは多少控えめあたりが

ちょうどよい加減かと思います。

 

それでは。

 

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私はアマチュアのチェロ弾きですが、

オーケストラで演奏活動をやっていると、

必ずやってくるのが、

苦手なというか好きではない曲の演奏です。

 

多分、プロの方も同じではないかと思います。

 

どんな曲だったかあげてみます。

 

以前チェロの首席をやっていたオケで演奏した曲で

特に思い出すのが、

 

ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」

 

です。

 

始終不気味な雰囲気で、

不規則なテンポだらけ。

 

意味も分からないし、

嫌だなーと思っていました。

練習を始めるまでは。

 

練習開始当初、

あまりに難しいので、

スコアを見ながら、

何度も何度も繰り返し聴いて、

曲を身体に叩き込みました。

 

すると、これまで見たことのなかった景色が

広がっていきました。

 

曲のストーリーは、

いくつもの儀式が有った後に、

うら若い女性がいけにえとして殺されるという、

凄惨なものなのですが、

 

なにか、

身体の奥にある原始的な欲求のようなものを

刺激されるというか思い出させるというか、

いままでのクラシックにはなかった、

強烈なメッセージを感じました。

 

不規則なテンポにも、

太古の野生の様な何かを感じさせる

必然性が宿っているんだなと思えました。

 

という感じで、

苦手と思っていた曲でしたが、

聴くだけでなく、

演奏することで始めて理解できたんです。

 

この経験は今でも財産です。

 

最初は好きでもない曲もやってみて、

始めて自分の音楽の幅が広がるんだなと、

分かった体験でした。

 

その後も、

バルトーク作曲「中国の不思議な役人」

とか、

 

メシアン作曲「 トゥーランガリラ交響曲」

 

あたりも、

実際に演奏してみて初めて分かる凄さがありました。

 

 

苦手曲っていうのは、

自分の感性があまり育っていない部分を

表現してくれているのかもしれませんね。

人生の時間には限りがあるとはいえ、

たまに幅を拡げる経験も有意義です。

 

(まれに、最後まで共感できなかった曲も

ごく一部ありましたが。。。)

 

 

最後に、

逆に、

人生で今までで一番弾いてよかったと思えた曲ですが、

それは、

がマーラー作曲 交響曲第3番です!!

2017年の11月に演奏会が有りました。

実は、前の月に母が亡くなっていて、

そのすぐ後のことでした。

 

終曲の6楽章神(当初の副が神が私に語ること)の

最後に何故か青空のイメージが見え、

それが、母の見ているあちらの世界のように感じられました。

 

思わず舞台上で涙ぐんでしまいましたが、

 

あれが今のところ最高かと思います。

(好きな曲でも色々いい思い出が有ります。。。)

苦手曲も含めて演奏して、

自分の音楽性の幅を広げていたから

より深く味わえたマーラーの3番だったと感じています。

 

やはり、好きも苦手も色々経験すると、

あとで必ず役に立つんですね。

 

今日はそんなところです。

それでは。

 

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量子力学というと、

全く馴染み無いという方の方が多いと思います。

非常に小さい小さい世界の事を科学したものですね。

 

光は波と粒子の性質を同時に持っているとか、

観察した瞬間に粒子の位置が決まるとか、

 

それまでの科学とは一線を画した、

常識の通じない世界です。

 

その中でも一番常識から外れているのが、

 

観察するまで、粒子の位置は決まらない。

位置は、いろんな可能性が存在することしか言えない。

そして、人が観察した瞬間に突如位置が決まる

というやつです。

 

数式とか実験結果でもそのようになるそうです。

 

そして、こういうとらえ方を

コペンハーゲン解釈といいます。

 

解釈というと一部の人が言っているみたいですが、

ハイゼンベルクとかボーアとか、

創始者レベル、

ノーベル賞受賞者レベルの方々が言っているので、

影響力のある見方なのです。

 

しかし、

これを認めると、

人間の意識が粒子の位置を決定している、

つまり、観察という行為で

意識が物理現象に影響を与えることになる、

ひいては、人間が神の性質を持つことになる、

それを認められない科学者もいます。

一番の大物はアインシュタインでしょうか。

 

アインシュタイン曰く。

「神はサイコロをふらない」と言って、

この解釈を絶対受け入れなかった様です。

結局は議論には負けたようですが。

 

そんな風に、議論の的となっている、

観察で粒子の位置が決まる現象。

 

音楽にも似た現象があるでしょうか?

 

私は、演奏においてそれがあると思っています。

 

それは、演奏中に

「楽譜を見た瞬間に音楽が決まる」

という現象です。

 

演奏会で譜面を見ながら演奏しているとして、

我々は、脳内で譜面を音楽に変換しています。

その時間、一小節辺り0.2~0.3秒くらいかなと思います。

 

奏者が一瞥するまでは、

無限の可能性をもつ潜在的な存在である楽譜が、

 

奏者が一瞬見た瞬間に、

脳内で音楽となります。

 

そして、そこで作られた音楽を

再生するのが演奏というわけです。

 

そして、

見た瞬間音楽が決められる様になるためと、

脳内で決めた音楽に追従できるようにするため、

繰り返し練習するという感じでしょうか。

 

若干強引ですが、

 

観察した瞬間に音楽を創造しているんだということに、

自覚的になった方が、

 

いかに自分が演奏で創造的な行為を行っているか、

自覚できて、

良いのではないかと思います。

 

量子力学の観察による創造と、

演奏での音楽を創造をかけ合わせて

考えてみました。

 

すこしでも演奏のヒントになれば幸いです。

 

それでは。

 

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今日は、メタファーと音楽についてです。

 

「メタファー」って、普段使わない言葉ですよね。

 

人文系で哲学とか心理学の本を読んでいると、

たまに出てきますが、

日常的にはまず使いませんよね。

 

ただ、何らかのストーリー性があるものを

発信しているとしたら(音楽とかブログとか)、

役に立つ考えだと思い、

話題にしました。

 

まず、

「メタファー」っていったい何?

というところからですが、

 

「比喩」と比較すると分かりやすいです。

 

明確な例えが「比喩」で、

はっきり例えだと言わないのが「メタファー」です。

日本語では「暗喩」とか「隠喩」といいます。

 

「あなたは華のようにきれいだ。」

と言えば、「のように」の部分が明らかに例えなので、

「比喩」ですが、

 

「女性は華だ。」

というと、例えであることを明確にしない言い方なので、

「メタファー」になります。

 

また、文章だけでなく、

 

小説や映画でいうと、

 

一つのシーン全体とか、

物語全体も、

「メタファー」となります。 

 

物語でいうと、

 

オオカミ少年は、

なんどもオオカミが来たと嘘をついた少年が、

本当にオオカミが来た時に信じてもらえず、

オオカミに襲われるみたいな話ですが、

 

これは、嘘をつくと結果として損をするよ、

っていうのを「メタファー」として伝えたものです。

 

 

また、音楽でいうと、

ベートーベンの運命は、

つらくとも耐えて努力すれば勝利に至る(自分の勝手な解釈です)

とか、

 

同じベートーベンの田園では、

田園の美しさ、気候のドラマチック、すばらしさを、

 

交響曲という「メタファー」、

明確でない例えで伝えています。

 

と、ここまでは、

ある意味他人事なのですが、

 

「メタファー」ということで私が言いたいのは、

 

音楽なりブログで文章を書いたりと、

表現して発信しているということは、

 

「わたしたち自身をメタファーで表現している」

 

ということです。

 

なにかのジャンルとか、

音楽なら楽譜とか楽器や共演者や聴き手の力を

借りていても、

 

自分というフィルターを通せば必ず、

唯一無二の「わたしのメタファー」

を表現していることになります。

 

音楽であれば、

いままで生きてきた人生が

メタファーとして、演奏した音楽に含まれて、

それが聴いている人に伝わります。

 

そして、

なぜかこれには、

快感が伴うんですよね。

 

ここから、ちょっとスピリチュアル系ですが、

 

生まれる前には、

みんな心が繋がっていたのではないでしょうか。

 

そして少しでも、

メタファーで心が繋がると、

その時の幸せな気持ちが思い出されて、

快感を感じるのではないかと。

 

だから、

みんな表現したがるのではないでしょうか。

 

昔繋がっていた一体感を感じるために。

 

アリストテレス大先生も2000年以上前に

 

「もっとも偉大なのはメタファーの達人である。

通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。

我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」

 

とおっしゃられてます。

 

皆さん、

ぜひ自分のメタファーを追求しましょう!!

 

それでは。

 

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