ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

理系っぽい題名なんですが、

私、大学も仕事も理系なんです(^^;

 

理系なので、

流体力学は大学で習いました。

だいぶ忘れてますが。

 

流体力学というのは、

水とか空気のような液体とか気体に特有な挙動とか法則性を扱うものです。

(今でも仕事で使っています。)

 

それで、

何故流体力学かなんですが、

話は10年以上前にさかのぼります。

 

私は、10年くらい前までは

喫煙者でした。

 

そして、

吸っていない時にタバコから

立ちのぼる煙を見ていて、

ずっと感じていることがありました。

 

それは、

 

「美しいビブラートの音程の振幅の変化」と、

 

「タバコから煙が立ち昇る時に流れが乱れていく現象」

 

が似ている。

 

ということです。

 

タバコの煙は

最初はまっすぐ昇ります。

 

そしてあるところから小さい渦が出来始めます。

 

その後渦は大きくなっていき、最後は完全に流れが乱れて、

煙は昇っていきます。

 

流体力学では、

1.層流: まっすぐな流れ

 

2.境界層: 渦が周期的に出来始める

 

3.乱流: 乱れた流れ

 

っていう名前がついていて、

 

どういう時にその現象がでるのか、

流体力学から、

レイノルズ数っていう数値を計算して割り出せます。

 

 

一方、音楽のビブラートの方も、

 

1.音の始まりは音程が静止しており(層流)、

 

2.音程が周期的に上下し始め、増幅し(境界層)、

 

3.音程の上下が最大化した状態となる(乱流)。

 

と、

 

流体力学の現象によく当てはまります。

そして、この現象に当てはまるビブラートはきれいなんですよね。

 

アマチュア弦楽器奏者によくある、

手をこわばらせて振動する、

通称ちりめんビブラートとかは、

人工的なので「NO」。

やはり美しくはないです。

 

流体力学の例を上げましたが、

自然現象に相似なものは、

美しく、人間の心に訴えかけるのでしょう。

 

音楽は時間芸術なので、

時間と共に変化する自然現象のなかに、

他にも音楽のヒントになる宝物が隠されているのではないでしょうか。

 

毎日の生活の中でそういう宝物探しをしていくと、

楽しいです。

 

最後に、

流体力学的ビブラート、

なかなかお勧めです!

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

今回は、いつもと変わって

フッションに関係した話題です。

(たまにはそういう話題も提供します!)

 

中年男性のファッションカリスマである、

干場義雅さん、ってご存知でしょうか?

レオンという雑誌で「ちょい不良(ワル)オヤジ」

とかいうフレーズを生み出したのもこの方です。

 

スーツの仕立て屋の家に生まれて、

小さいころから本物の服育を受けて育ち、

日本の男性を自分がお洒落にするんだ!

という壮大なチャレンジをしつつ、

茶目っ気があってソフトなキャラクターで、

とても魅力的な方です。

 

その干場義雅さんの著作で書かれていたんですが、

(本を買うくらいのファンなんです)

自分身に付けるものは8色に限っている

というんです。

その8色は、

ネイビー、グレー、ブラウン、白、水色、ベージュ、黒、デニム、です。

 

しかも一回に着る服で選ぶ色は、

この中の3色までとしているそうです。

 

名付けて「干場8色」と呼び、

こういうコーディネート方法を提唱されています。

 

 

自分もつい影響を受けて、

選ぶ色は自体は違うものの、

同じ考え方で服の色を選ぶようになりました。

確かにそうしてみると、統一感と個性がでるんですよね。

 

ポイントは、

色をあえて限定する事と、

その組み合わせもたくさん選ばず、

ある程度レシピの様に決めておくことです。

 

そして、いつも通りですが、

この考え方、手法が演奏に使えないか、

考えてみました。

(世の中の法則化されたものを、

 音楽に転用できないか考えるのが好きなので)

 

自分の演奏の場合、

まず、結果として音に色々個性を持たせながら、

その音の個性に名前を付けないで、

なんとなく演奏していることに気づきました。

 

服を着るときは、

白のズボンにグレーの上着で、

茶色の靴みたいに、

色に名前を付けて意識的に選択して組み合わせています。

 

しかし音楽の場合、

フレーズ全体の個性、

曲全体の雰囲気、

音の大きさ、速度

くらいまでは名前を付けます。

 

しかし、服の色に相当するであろう、

音色とか

ビブラートとか、

発音とか、

減衰の仕方の様なものに、

名前を付けてちゃんとセレクトしてコーディネートできているかというと、

結構疑問です。

 

音の色にはどんな名前負が付けられるんでしょうか。

 

硬い、柔らかい、暖かい、冷たい、豊かな、透明感のある、甘い、という情緒的な形容詞と、

短い、長い、テヌート、減衰が早い、減衰が遅いなど、物質の性質を表す様な形容詞

の2種類が考えられます。

 

これ、やはり、できるだけ全部の音に2種類の形容詞で

事前にちゃんと付けておいた方がよさそうです。

 

しかも名付けるだけではなくて、

自分の個性を良く表す、

「干場8色」の様に数を厳選した「持ち音」を用意し、

「持ち音」を練習で磨くことと、

実際の演奏で、できるだけ限られた持ち音で勝負することによって、

音楽の切れ味が増すんじゃないかと思います。

 

そして、こういうふうに名前を付けられ、

コントロールされた音の上に、

「音楽」という物語を持ってくるほうが、

「音楽」がより伝わりやすくなるのではないでしょうか。

 

という、提案でした。

 

ただ、自分もまだこれからです。

「ひでちぇろ8色」をバッハの無伴奏チェロ組曲でも弾きながら、

練って作っていきたいと考えています。

 

それでは。

 

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今回は、

作曲家のグスタフ・マーラーについて

ユングとフロイトのことも交えながら、

書いていきます。

 

話が少々マニアックで、

飛躍気味になるかもしれませんが、

ご容赦下さい。

 

 

いきなり人生の最後からですが

マーラーは、51歳で亡くなりました。

 

今の私とちょうど同い年です。

 

そういう年齢でこの文章を書いているのも、

何かの縁を感じます。

 

で、

マーラーが死を強く意識して書いたのが、

交響曲第9番です。

副題に「死」とつけてもいいくらいです。

 

ベートーベン、ブルックナー、ドヴォルザーク、

シューベルト(旧番号)等、

多くの有名な作曲家が9番を書いた後に亡くなったことから、

マーラー本人も意識していた9番のジンクスというのもあり、

「死」に因縁付けられた曲です。

 

世の中の評価では「死について」書かれた曲ですが、

死にたくない、「生きたい」という感じもします。

 

そして9番の後、

10番の作曲に取り掛かります。

その10番のテーマですが、

 

「死」と「性」が共に大きなテーマです。

 

この頃、妻アルマの前に、

 

年の離れた夫に比べて魅力的な男性である、

グロビウスという人が現れます。

 

マーラーは、自分とグロビウスの好きな方を選べと言い、

結局アルマはマーラーの元に残ったのですが、

 

この後、

アルマを失う、または精神面では失った、

という恐怖や喪失感を味わいます。

 

特定の異「性」に対する強い感情があったわけです。

 

実際、

草稿の楽譜のあちこちにアルマの名前を書き込んでいます。

 

この時期には心臓病の診断も下されていて、

「死」もリアルに目の前にある状態でした。

 

という、

本当に追い詰められた状態にあったので、

「狂気」についても表現されています。

1楽章と5楽章で現れる、最大音響での不協和音がまさにそれです。

 

 

ということで

9番、10番では、

「性」、「死」、(生、狂気)

という、

 

否定されがちな、

ネガティブな感情がテーマとなっています。

 

ただ、たとえば「性」について少し考えると、

「性」→種の保存→生命の創造→神の領域→「聖」

と、少し乱暴ながら、

「聖」なるものに繋がります。

 

また、「性」の次に、

「死」ですが、

 

ちょっと異質ながら、インドの神を登場させてみます。

 

創造の神(Generator)、ブラフマー

維持の神(Operator)、ヴィシュヌ

破壊の神(Destroyer)、シヴァ

 

と3つの神

(頭文字を取ってGODという説も)

の中の、

破壊の神の領分が「死」とです。

 

この3つの神は、

長い目で見て、

人類を成長させるために

必要な3要素なのかもしれません。

 

マーラーは、

この3要素のこの中でも、

抑圧されやすい、

 

「性」=「創造」、

「死」=「破壊の神」

 

をテーマとし、

 

私たちの中にある、

嘘偽りのない欲求であり、

抑圧されやすいが人類を成長させるための神の要素でもある、

「性」と「死」について

ストレートに表現してくれたのだと感じます。

 

ここで同時代の心理学者の話を書きます。

 

まず、

同じユダヤ人で、

マーラーを診断したこともある、

フロイトです。

 

彼の理論を少々乱暴ながら要約すると、

心の病は、すべて性欲を抑圧したせいだ、

というものです。

 

「性」を根源的な生(「死」の裏返し)の動機として位置付けています。

 

一方、一時期フロイトの弟子だったユングは、

すべてを「性」だけに還元するのはおかしい。

 

成長しようという欲求とか、

人類共通の 宗教的な聖なるもの、

彼岸のものを求めることこそ根源的なものと考えました。

 

ここで、マーラーの音楽とユングの理論を見比べてみると、

 

個性的なキャラクターの様な音楽→元型(アーキタイプ)

命がけの成長ストーリー→個性化、自己

包まれるような緩徐楽章→グレイトマザー

 

という感じで、

ユング心理学のキーワードが良く合います。

 

しかし、譜面の書き込み等、

入り口が「性」と「死」なところは、

フロイトを連想させます。

 

結果として、

作曲のスタートが「性」と「死」で、

アウトプットの音楽は「聖」となっています。

 

つまり、マーラーを通して

「性」、「死」、「聖」

は皆、一直線上にあったんたということが解ります。

 

フロイトの理論もユングの理論も、

マーラーの交響曲から見れば、

人生で起きている同じ一つのことだったと言えます。

 

マーラーは、

人生をかけて、

自分の中にある目を背けがちな欲望を

音楽としてアウトプットしてくれたのです。

 

そして、聖なるものにつながったんだと思います。

 

自分も

音楽を通じて、

人生を通じて、

自分の中にあるものから目を背けず、

聖なるものに繋がる旅をしたいです。

 

それでは。

 

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自分の痛みと快楽を突き詰める。

 

演奏によって自分を表現する上でも、

人生を生きる上でも、

自分の性質を知ることは大切ですね!

ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

今回は、

「コンテクスト」と「普遍性」

というテーマで書いていきます。

 

 

コンテクストとは、ですが、

 

音楽で言うと、

例えばビバルディ作曲「四季」の春

のコンテクストは、

 

イタリア人のヴィヴァルディが作曲した、

バロック時代音楽で、四季の中の春という名前のついた、

バイオリン協奏曲で、

クラシック音楽の中でも特にメジャーな曲。

 

といったところです。

 

ウィキペディアに書いて有りそうな内容ですね。

 

こういう、

背景情報のことをコンテキストと言います。

 

春の季節感とかも入るかもしれません。

 

 

このコンテキスト、

一見これが無くても音楽として成り立ちそうですが、

 

どんな音楽を聴いても、

なんらかの背景情報や文脈に影響されるので、

純粋に前提条件無し、

 

つまりコンテキストから自由になるのは、

ほぼ不可能です。

 

 

一方、普遍性の方ですが、

 

音楽で見ると、

 

長調で明るい、短調で暗いとか、

 

音楽の構成要素が

リズム、音階、和音だとか、

 

言語が分からなくても通じる部分とか、

 

宗教の儀式に使われる等

崇高、深淵なものを皆で共に感じる部分、

 

などが普遍性です。

 

真、善、美に国境なしという感じなのが普遍性ですね。

 

 

ここで、

いつものごとく演奏についてです。

 

自分の個性とか、

曲の位置づけとか、

コンテクストも大切ですが、

 

音程とかリズムとか、

メロディが歌えるかという

普遍性につながっていく部分がまず大事です。

 

アマチュアだからかもしれませんが、

そこをおろそかにして

コンテクスト部分にばかりフォーカスする人が

周りに多い気がしますし、

自分も気を付けなければと思います。

 

 

また少し違った見方をすると、

 

普遍性は、

音楽の構造やストーリーにかかわるもので、

「自分の内側」から神に近づくもの

とも言えます。

 

また、

コンテクストは、

これまでの歴史とか

今の世の中の流れの様な

「自分の外部」から来るものと言えます。

 

このコンテクストと普遍性、

外部と内部を

統合して音楽作っているのだと思います。

 

そして、普遍性にもコンテクストにも

謙虚な態度で接する、

という切り口で自分の中にある情報を整理して

音楽を作っていくと、

また新しいものが見えてくるかもしれません。

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

分かりやすさとか、

シンプルであることの大切さについてです。

 

好きとかは別して(好きですが)、

私がもっともレベル高いと思っている作曲家は、

バッハとモーツアルトです。

 

この2人のうち、

特に分かりやすいのが

モーツアルトです。

 

私生活については色々書かれていますが、

音楽に関しては

聴き手のことを考え、立場に立っているのだと思います。

 

つまり愛情があるんですね。

 

また、分かりやすいとは、

受け手の幅が広いということです。

 

この分かりやすさを満たしながらも、

神を感じさせる高みに到達しているのが凄いところです。

 

分かりやすさと高みの両立が素晴らしいです。

 

 

宗教家で例えると、

 

例えば仏教で、

ブッダ本人の言葉を原始仏典なんかで読むと、

言葉が凄くシンプルです。

 

真理でありしかも分かりやすい。

(違う方向に行きそうなので引用は控えます)

 

で、後の世代に行くほど、

どんどん複雑で分かりづらくなります。

 

インドから遠く離れて、

しかも2000年以上後の日本では、

もう、お経とか意味不明ですし。

(関係者の方々、すみません。。。)

 

 

と、ここで演奏についてです。

 

分かりやすさということで言うと、

メッセージをシンプルにすると良いです。

 

曲に対して、いろいろな感情は湧きますし、

自分の人生と対比するとさらに色々と言いたくなります。

 

しかし、

単位の小さい部分まで含めて、

このシンプルなメッセージを作って、

それに従う方が良いです。

 

例えば、

バッハの無伴奏チェロ組曲1番のプレリュード、

2~3分くらいの曲ですが、

 

変に、ちょっとずつ音量の差をつけたり、

テンポを揺らしたりすると、

非常に醜く、

分かりづらくなってしまいます。

 

曲全体が一小節だ、くらいの気持ちで、

シンプルなメッセージ(具体的には皆さんにお任せします)

を込めて一気に弾いた方が、

 

統一感や一貫性が出ますし、

何より、聴き手にメッセージが伝わります。

 

そして、メッセージがしっかり伝わるからこそ、

曲の持つ高みが聴き手の中で再生される訳です。

 

と、

ここで自分のことを振り返ると、

書くのは簡単ですが、

思っていてもなかなかうまくは弾けません。

 

目標を持つことが大切ということで、

今日からも試行錯誤で練習ですね。

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

呼吸って、とても神秘的だと思います。

 

意識的にコントロールできるし、

無意識にもゆだねることができて不思議です。

 

瞑想でも呼吸を意識してコントロール

することで、

心の深い部分と表面的な意識が接続されたりします。

 

呼吸は、

意識と無意識の扉として

使うことができます。

 

 

次に思考です。

 

思考は地上で生き延びる為に獲得されたもので、

現実に物事を成立させるのに役立ちます。

 

呼吸が、意識よりさらに内側との扉だとすると、

思考は、意識より外の外界や他社と関わる為に、

獲得したものです。

 

 

音楽においては当然ながら両方が大事です。

 

音楽を演奏する時に、

呼吸に意識を向けるとどうなるでしょうか。

 

吸う、吐くという動作によって

刻々と変化する身体の感触が感じられます。

 

まさに生きて肉体をもっている感触です。

 

この感触こそが、

感情の源泉でもあり、

それを連続的に感じることになります。

 

この体感を音に乗せて演奏するのが、

音楽での呼吸の意味と、

私は捉えています。

 

音楽に合わせて呼吸する場合、

 

フレーズの前の一拍(アウフタクト)

で吸ってあとは吐き続けます。

息が足りない時は息継ぎします。

 

この音楽に合わせた呼吸を感じて、

体感を音楽に乗せようとするだけで、

音楽にまさに生命力が加わります!

 

しかし、呼吸にも欠点はあります。

 

自分の呼吸にフォーカスしすぎると、

クローズドな感じになって、

周囲に対してオープンでなくなります。

 

また、体感は高次な神の領域だけでなく、

原始的な欲求、太古的な欲求にも繋がるので、

最悪の場合、

野性的で独りよがりな演奏になってしまいます。

 

しかもその状態が気持ちいいので、

それが正しいと勘違いしてしまいます。

(若い頃の私です。。。)

 

結局、呼吸だけだと

自律的なコントロールができません。

 

 

ここで思考が登場します。

 

場面に応じて何にフォーカスするかとか、

外部の情報を受け取って判断したりしているのは思考です。

 

ここはオープンマインドでとか、

ここは体感に従ってとか、

音楽の構造とか、指揮者の意図はとか、

外部からのインプット情報を料理しつつ、

自分欲求だけに頼らないで演奏をコントロールするのが、

思考です。

 

車の運転で言えば、

呼吸はアクセル、

思考はハンドルとかブレーキでしょうか。

 

私の場合、

20代~30代前半は呼吸重視でした。

たぶんわがままだったけど、

個性的でエネルギッシュでもあったと思います。

 

30代中盤~40代は、

思考がより優勢になり、

状況見て弾くことが増えました。

 

今後は自分の演奏で、

何が優勢になっていくでしょうか。

 

呼吸も思考も両方がちょっとずつ成長するので、

今後どうなるか分りませんが、

今後は少し呼吸重視で行ってみたいと思います。

 

と、

ここで弾き合いに出したいのが、

もっとも尊敬し、かつ憧れのチェリスト、

「ヨーヨーマ」さんです。

 

いつも曲が始まってすぐ、

呼吸の世界に入り込んだ表情をしています。

 

しかし、必ず共演者を見で相手の情報を受け取ったり、

非常に正確な演奏をしたり、計算された表現だったりと

思考の冴えも素晴らしいです。

 

私の中ではあれが理想のバランスです。

 

理想の地点もイメージしつつ、

呼吸と思考の両方を使って表現することを

今後も楽しんでいきたいと思います。

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでチェロブログへ!!

 

 

現在長崎への転勤で休止していますが、

 

アマチュアオーケストラでの

チェロトップ(首席奏者)についてです。

 

私がいたオーケストラでは、

チェロトップは音楽だけでなく、

 

メンバーを集めたり、

事務連絡をしたり、

譜面をコピーして郵送したりと、

飲み会幹事的なお仕事も兼務します。

 

音楽では、

弓順(どこで上げ弓、下げ弓にするか)を決めたり、

出だしで合図を出しながら、

見本になる演奏をして、

ソロパートを弾いたりします。

 

チェロトップは、

8~12人くらいで構成される

チェロパートの音を作り上げる、

トータルコーディネーター的存在です。

 

 

結構大変な事もあります。

 

PDFを共有ホルダに置くとかできなかった頃は、

大量のコピーを取って、

郵便局に持って行ってみんなに郵送するとか、

半日仕事で結構大変でした。

 

また、

なかなか人が集まらずに、

知り合いの知り合いを通じたりして

いろんな人を勧誘したりして、

人を集めるのも大変です。

 

 

音楽面では、

 

オケの初回練習にはほとんど弾けて当たり前

の世界なので、

前日の練習が半徹夜になったりとか、

 

出張や仕事の合間にスコア(総譜)を読んだりとか、

 

他のパートに厳しい人が一人はいて、

矢面立ってクレーム対応したりとか。

いろいろ、苦労する面もあります。

 

しかし、多少軋轢等もありつつ、

演奏会で皆を巻き込んで、

ちゃんと表現が完結したとき、

安堵感と共に、やっぱり幸せだなあ

と感じるんですよね。

 

結局、いくら個人で音楽と向き合っても、

山に籠った仙人状態で、

傷つくリスクはないものの、

幸せもあまり感じられないんでしょうね。

 

多くの人とかかわって、

多くの音楽を吸収して、

自分でたくさん動き回って、

「幅が広くてオープンな愛」に基づいて作る音楽が

楽しいんですよね。

 

俺様的態度のトップとかもいますが、

皆からエネルギーを吸い取って自分の小さい自我の満足だけで、

喜びが小さいんじゃないかと思います。

 

皆が喜んでくれて、

自分もうれしい方が、幸せ感が大きいですよね。

 

「幅が広くてオープンな愛」

に基づいて表現できるオーケストラ。

やめられないし体力が続く限り続けたいです。

 

関東に戻れたら、チェロトップを再開

できるといいなと思います。

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

 

弦楽器の方は概ねご存知なテーマかと思いますが、

 

「ピリオド奏法」の方が正しい!

とか、

正しくない!

 

っていう議論をネット、雑誌、本でよく見かけます。

 

私の理解ですが、

ピリオド奏法は

作曲家が作曲した当時の楽器と様式で音楽作ることです。

 

バッハならバッハの時代の

楽器と様式で演奏することです。

 

表現のパターンとしては、

・音が必ず減衰する

・小節の中での強拍が明確

(強拍が高貴な音でそれ以外普通の音)

・ビブラートをほとんどかけない

・弦楽器は少し形の違う楽器と弓を使い、

 ガット弦を張る

・音程少し低い

 

等です。

 

だいたい100年くらい前からは、

現代のビブラートを多用した様な奏法になってきているみたいです、

映像が残っているので分かる様です。

 

それ以前のことは文章しか残っていないので、

正確なことは分からない状況です。

 

 

このピリオド奏法、

食べ物で例えてみると。

 

江戸時代の農法で作った米を使い、

江戸時代の握り方で作ったピリオドおにぎりとか、

 

意味が分からないですし、

おにぎりに何が求められているか

ということとズレています。

 

結局、

誰が誰に発信して、

誰に良く受け取ってもらいたいか。

 

その相手は人間なのか神なのか。

という前提がまず大切。

 

つまり、相手を思う「愛」が大事です。

 

ピリオド奏法って、

 

教会で祈りを捧げる時とか、

 

貴族に囲われた楽団と作曲家が、

ごく少数の富裕層に向けて演奏していた時

のやり方だと思うんですよね、時代的に。

 

そして時代が進んで、

一般市民が封建的な教会や貴族から開放されて、

神や権威から開放されて、

音楽を楽しめる様になったんですよね、

ハイドン、モーツアルト辺りで。

 

そこから個人の感情なども

やっと大事にされる様になって音楽に取り入れられて、

それに合わせて、

現代奏法もビブラートをたくさんかける様になっていったんですよね。

 

正しいか正しくないかっていうのは、

教会と貴族と学者に言わせておいて、

僕らは音楽の真理を自由に追求すればいいんじゃないかと感じます。

 

じゃあ、音楽の真理とは、っていうと、

私の定義では、

「個人を通して集合的無意識や神の領域を共有できること。愛をもって。」

 

です。

 

その為に、今どんな表現方法が最適か、っていうのをセレクトすることが

大切だと思います。

 

去年の4月に、

鈴木優人さん指揮、神奈川フィルのハイドン「時計」を聴きに行きました。

鈴木さんはバリバリのチェンバロ奏者でバロックの大家なので、

いったいどうなるのか面白そうと思って聴きに行きました。

 

実際に演奏を聴いてみると、

ハーモニーが大切なところはノンビブラートで、

メロディを歌いこんだり、盛り上がるところは

しっかりビブラートをかけたりと変幻自在でした。

 

ビブラートってこうやって使うのかと目から鱗でした。

 

ピリオド奏法そのものが斬新だった時代は終わり、

何が正しいかではなく、

 

特定の相手に伝えるには、どの表現が最適か、を、

常に考え続けなければならない、

大変だけれども面白い時代が来たんだなと感じました。

 

少し、話が発散してしまいましたが、

ピリオド奏法も現代の奏法も、

目的をしっかり考えて選んでいくのが、

皆が幸せになれる道なのではないでしょうか。

 

それでは。

 

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