ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

 

弦楽器の方は概ねご存知なテーマかと思いますが、

 

「ピリオド奏法」の方が正しい!

とか、

正しくない!

 

っていう議論をネット、雑誌、本でよく見かけます。

 

私の理解ですが、

ピリオド奏法は

作曲家が作曲した当時の楽器と様式で音楽作ることです。

 

バッハならバッハの時代の

楽器と様式で演奏することです。

 

表現のパターンとしては、

・音が必ず減衰する

・小節の中での強拍が明確

(強拍が高貴な音でそれ以外普通の音)

・ビブラートをほとんどかけない

・弦楽器は少し形の違う楽器と弓を使い、

 ガット弦を張る

・音程少し低い

 

等です。

 

だいたい100年くらい前からは、

現代のビブラートを多用した様な奏法になってきているみたいです、

映像が残っているので分かる様です。

 

それ以前のことは文章しか残っていないので、

正確なことは分からない状況です。

 

 

このピリオド奏法、

食べ物で例えてみると。

 

江戸時代の農法で作った米を使い、

江戸時代の握り方で作ったピリオドおにぎりとか、

 

意味が分からないですし、

おにぎりに何が求められているか

ということとズレています。

 

結局、

誰が誰に発信して、

誰に良く受け取ってもらいたいか。

 

その相手は人間なのか神なのか。

という前提がまず大切。

 

つまり、相手を思う「愛」が大事です。

 

ピリオド奏法って、

 

教会で祈りを捧げる時とか、

 

貴族に囲われた楽団と作曲家が、

ごく少数の富裕層に向けて演奏していた時

のやり方だと思うんですよね、時代的に。

 

そして時代が進んで、

一般市民が封建的な教会や貴族から開放されて、

神や権威から開放されて、

音楽を楽しめる様になったんですよね、

ハイドン、モーツアルト辺りで。

 

そこから個人の感情なども

やっと大事にされる様になって音楽に取り入れられて、

それに合わせて、

現代奏法もビブラートをたくさんかける様になっていったんですよね。

 

正しいか正しくないかっていうのは、

教会と貴族と学者に言わせておいて、

僕らは音楽の真理を自由に追求すればいいんじゃないかと感じます。

 

じゃあ、音楽の真理とは、っていうと、

私の定義では、

「個人を通して集合的無意識や神の領域を共有できること。愛をもって。」

 

です。

 

その為に、今どんな表現方法が最適か、っていうのをセレクトすることが

大切だと思います。

 

去年の4月に、

鈴木優人さん指揮、神奈川フィルのハイドン「時計」を聴きに行きました。

鈴木さんはバリバリのチェンバロ奏者でバロックの大家なので、

いったいどうなるのか面白そうと思って聴きに行きました。

 

実際に演奏を聴いてみると、

ハーモニーが大切なところはノンビブラートで、

メロディを歌いこんだり、盛り上がるところは

しっかりビブラートをかけたりと変幻自在でした。

 

ビブラートってこうやって使うのかと目から鱗でした。

 

ピリオド奏法そのものが斬新だった時代は終わり、

何が正しいかではなく、

 

特定の相手に伝えるには、どの表現が最適か、を、

常に考え続けなければならない、

大変だけれども面白い時代が来たんだなと感じました。

 

少し、話が発散してしまいましたが、

ピリオド奏法も現代の奏法も、

目的をしっかり考えて選んでいくのが、

皆が幸せになれる道なのではないでしょうか。

 

それでは。

 

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