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オーケストラの練習で、

「ここどう弾けばいいですか?」

「ここは、まるで〇〇かの様に弾いて下さい。」

という様な会話があったとします。

 

この、〇〇が例えばモーツアルトだったとすると、

それは、どう弾くというより、

モーツァルトで「在る」かのように弾くという意味になるかと思われます。

 

つまり、

弾き方というよりも、

自分の「在り方」から弾き方が出来て演奏になるということです。

 

この「在る」というのが非常に大事です。

 

どう弾くの前に、どう「在る」があるということです。

(西洋音楽の語法をある程度習得した上での話です。)

 

指揮者から、

ブラームスなんだから、

もっとこう弾いてと言われた時に、

 

なんとなーく、

ブラームスっぽい雰囲気で重厚な感じで弾こうかな

とかだと、

あくまで他人事で「在る」にはならない、

という感じです。

 

あたかも、

自分がブラームスになりきったくらい、

つまり、ブラームスで「在る」状態。

になって初めて音楽としてのメッセージが

伝わっていくのかと思います。

 

しかし、

この在るはなかなか維持するのが大変です。

 

私の場合ですが、

 

例えばヨーヨーマになったつもりでバッハ無伴奏弾いた場合、

10小節くらい弾くと、

いつの間にかいつもの自分に戻っていたりします。

 

人間は生命維持の為に、

常に自分のことに気が向く様になっているからかもしれません。

 

人の話を聴いていても、

つい「自分」が何を言うか考えてしまいます。

 

相手の立場になって話を聴くだけで、

心理療法の技法(傾聴)になるくらいです。

 

なので、

「在る」をコントロールするのは、

生命維持プログラムに逆らっていて、

楽ではないのでしょう。

 

自我から離れて、

「自我を観察する自分」レベルを維持する必要があります。

 

と、ここまで大変という話しをしましたが、

皆さん逆に、

どんな「在る」で弾きたいでしょうか?

 

そう考えた方が楽しいですよね?

 

まずは、

自分が目指したい奏者で「在る」

が良いかと思います。

 

自分の目指す奏者で「在ろう」と

することを続けていく中で、

 

自分の個性が分かって来て、

まさに「自分」で「在る」状態で音楽を奏でられる状態に

近づけるのかもしれません。

 

私の場合?

まだ、「自分」を探し中かもしれません。

 

それでは。

 

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禅問答の様な題名ですが、

演奏は自分で聴こえているのと、

傍から聴いているのでは大きく違うという話です。

 

オーケストラで弾いていると、

よく「走る」人がいます。

自分もやってしまうことがあります。

 

「走る」というのは、

一人で速いテンポで弾いてしまうことです。

 

アマチュアオーケストラではありがちで、

指揮者の方に指摘されやすいところです。

 

この、

「走る」原因をネットで調べると、

 

・興奮、緊張すると走りやすい。

・人と合わせると、一人で弾いているより走りやすい

・テンポの感じ方が一拍ずつで小刻みすぎて

 メロディー全体で感じていないので走りやすい

 

等々の原因がある様です。

 

テンポだけでなく、音色や音程の方でも、

 

・心地よい音色のつもりが自分に酔っただらしない音色となっている

・ビブラートが不適切

・完璧と思った音程がすごくいい加減

 

という感じで、細かく挙げていくときりが無さそうです。

 

結局、

レッスンを受けて分かっている人に指摘してもらったり、

録音して自分で聴いてみるしか

修正の方法はありません。

 

そして、それで終わらずに、

「自分の演奏は客観的にどう聴こえているか」、

という思考回路を常に自分の中に持つことが大切です。

 

そして、その思考回路を常に修正して育てていくことも大事です。

 

 

私の事になりますが、

 

20代後半に、バッハ作曲無伴奏チェロ組曲の1~6番の全曲

を録音してみたことがあります。

(当時はカセットテープでした)

 

また、オーケストラの練習録音を、チェロのトップの立場で

よく聴いていました。

 

この録音を聴く経験で、

自分の演奏の至らなさを本当に痛感しました。

 

特ににバッハの場合、

 

自分の録音と、

ヨーヨーマさん、ビルスマさんなどのCDと交互に聴く

という苦行をやってみましたが、

 

自分の音を聴いていて気持ち悪くなるくらい、

現実を突きつけられます。

(やりすぎに注意ですね)

 

オーケストラの方は少しましですが、

現場で思っていたよりもだいぶひどくて、

やはり落ち込みました。

 

しかし、

そうやって録音を聴くと、

 

弾いている時の感じと

傍で聴いている時の感じが、

だんだんリンクしてきます。

 

そして、

だんだん客観的に聴く自分が育ってきます。

 

これが有る程度できた上で、

少し離れた所にいる自分を想定し、

その自分が聴いている音を最適にする様に

イメージして演奏するとよいと思います。

 

 

とにかく、今ここにで体の中にいる

自分が感じていることよりも、

もっと意識を拡張すること。

そして、それを常に続けることが大切です。

 

客観的な自分を育てることは、

少々抽象的ですし、

ノウハウもあまり有りませんが、

 

それも含めた音楽の個性ですし

自分で切り開いていくのが良いと思います。

 

それでは。

 

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人の心には常に何かの考えが浮かびます。

 

今回は、

演奏中にそれとどう付き合うかについて、

考えてみます。

 

私は、

心に浮かぶ考えには、

3種類あると考えています。

 

それぞれ説明していきます。

 

1つ目は、

勝手に浮かぶ考えで、

「自我」起因のものです。

 

自我からは

考えが勝手に流れてきてしまいますが

この理由は、

 

生命維持の為の危険予知や、

種の保存といった目的です。

 

つい、

嫌な人のことや仕事のつらいことを考えてみたり、

というのは、

生命維持の為の危険予知です。

 

気づくと気になる異性のことを

考えてしまうのも、

種の保存の為に働きです。

 

つい考えてしまう、

「どこかから」くる考えは、

生命維持や種の保存の為の装置として、

生命体として自我が持つ自動プログラミングです。

 

2つ目ですが、

これは、

「天」からの情報です。

(実際に天からは別として)

 

演奏中であれば、

何かそれに従ったらうまくいった、

とか、

大きいものに包み込まれて、

っていう感覚です。

 

ユング心理学であれば、

集合的無意識の領域から来るものです。

 

これは、意識してもなかなか得られるものではないのですが、

巨匠と言われる方々は、

これに容易にアクセスしているのかもしれません。

 

また、演奏する曲によっては、

そういうものを多くの人が感じられる場合がかもしれません。

 

3つ目が、

自分で作ったイメージです。

考えをコントロールし、

能動的に作っていくものです。

 

私の場合の例ですが、

 

チェロのソロパートの様に

絶対間違ってはいけないシチュエーションで、

弾きながら、

ちょっと先の小節を完璧に弾きこなすイメージを並行して持つというやり方で、

不安を避けたりしています。

 

人間は一度に一つの事しか考えられないので、

これが意外と効果的です。

 

これら、

3つの考えとのつきあい方ですが、

 

1つ目の「自我」の考えは

できるだけ客観的に観察して流して、

影響を最小限とすることです。

 

自動生命維持プログラムの奴隷にならない様にするということです。

 

2つ目の「天」からの考え。

確かに、いいんですが、

現実世界で進行している音楽とマッチするとは限りません。

妄信して付いていくと何をしでかすか分からないです。

ですので、

理性というか、1つ目で出てきた「客観的に観察する自分」、

による制御が大事です。

 

最後3つ目の「能動的イメージ」。

これは、大事なところで「自我」のネガティブさに囚われない様、

随所に上手くいく為の仕掛けとして

あらかじめ仕込んでおくと良いです。

 

というふうな感じで、、

ちゃんとした練習による準備とセットで、

気持ちの方も準備していけば、

 

大きく後悔することなく、

演奏会後のおいしいビールが飲める可能性が高まるかと思います。

 

ご参考としていただければ幸いです。

 

それでは。

 

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最近、ベルリンフィルデジタルコンサートホール

というものに契約したので、

オケだけでなく、

ベルリンフィル12人のチェリストの映像も見てみました。

曲はプーランク作曲、人間の顔という作品でした。

 

これを見ていて驚いたんですが、

あるチェリストが弾いていたメロディを

他のチェリストが受け継ぐところで、

 

あたかも、全く同じ人が弾いているかの様に、

人が変わっても弾けるんですね。

 

そういう箇所があちこちに有って、

ベルリンフィルのチェリスト達の

レベルの高さを違った意味で体験できました。

 

おそらく、あの方々は音楽のキャラクターを

自在に弾き分けられるんでしょうね。

 

そして、

その後、オーケストラでブルックナーを演奏する映像を見ました。

 

チェロパートの音を聴くと、

音色だけでなく、

全員のキャラクターが

高い次元でピタッと一つに合わさって、

一つのメロディラインを奏でていることが良く分かりました。

 

そして、そのチェロパートの音のそのなんと美しいこと!

 

こういう音は、

なんとなく妥協して相手に追従するだけでは、

絶対出ないのでしょう。

 

生き生きとそのキャラクターを

強い共感性を持って、弾く(演じる)

ことも必要なのだと思われます。

 

重要なのは「主体性」、

音に責任を持つ「責任感」、

そして、「共感性」

だと感じました。

 

責任感をもって、

主体的積極的に相手に共感して、

その結果によって演奏する。

 

自分の感性に蓋をしての同調ではなく。

 

結局、音楽に限らず、

何事も基本は同じようなところにあるのかもしれません。

 

とここで、

私の様な、

日本のアマチュアプレーヤーが

参考にできることはあるのでしょうか。

 

私はあると思っています。

 

「主体性」と「責任感」

とそれを満たした上での「共感性」。

 

まずは、なんとなく合わせたり、

なんとなく弾いたりするのをやめることからでしょうか。

 

そして、

ちゃんとスコア見て、自分の役割を把握し、

ちゃんとさらって、責任感果たせる様にし、

ちゃんと相手の音を聞いて、メッセージを受け取って共感し、

 

と考えると、

実は、当たり前のことを手を抜かずに

突き詰めていった結果、

ベルリンフィルの方々はあのように

素晴らしい演奏ができる様になったんでしょうね。

 

つまり、ものすごく遠いけれども延長戦上にあるのかもしれません。

 

ということで、

普段の真面目な努力も無駄ではないと思われます。

皆さん、共にがんばりましょう。

 

それでは。

 

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アメブロで相互フォロー

させていただいている方の記事で、

 

「老人ホームで演奏すると涙を流して聴いてくれる」

 

ということが書いてありました。

 

少し違いますが、

 

私の妹の義理のお母さんで、

がんの闘病中だったのですが、

 

私のオーケストラの演奏会を聴いた後、

同じく、泣いて喜んでもらえた経験が有ります。

 

こういう現象に対して、

以前の私は、

 

普段音楽を聴いていないからとか、

音楽をまだ良く理解できてないのでは?

などと上から目線な考えを持っていました。

 

しかし最近、実際はこれとは

全く逆なのかなと思うようになりました。

 

いずれも人生の残り時間が短い、

っていう状況に置かれた方々ですよね。

 

時間の大切さは人より分かっているし、

時間の感じ方の密度も濃いのではないでしょうか。

 

そして、残り時間が少ないからこそ、

この世界の美しさ、

一瞬ごとの時間の貴重さを味わえるのでしょう。

 

時間芸術を創造している

音楽家以上に、

 

時間の本質、価値を理解されているのでしょう。

 

命がかかった分だけ。

 

演奏家でも、

70歳を越えてた演奏の方には、

そういう円熟が感じられるなと

思うことがあります。

 

しかし、高齢で演奏するのは、

肉体的パフォーマンス低下との戦いです。

 

私も、もし可能であれば、

90歳を超えて、時間感覚に成熟し、

時間芸術の真理に近づいた状態で、

チェリストの青木十良さんみたいに、

個人の演奏会でもできるといいなと思います。

 

ということで、

健康維持で通っているジムでの筋トレと有酸素運動、

あと20年くらい継続しなくちゃいけませんね。

 

それでは。

 

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アマチュアオーケストラで良く見かけるのが、

義務的に弾いていたりとか、

正しく弾くために弾くという方々です。

 

これは、周りの人に迷惑をかけないという意味では、

まったく正解なんですが、

 

せっかく演奏できる場があるのに、

もったいないなと思います。

(精一杯やられているとは思います)

 

今回は、

演奏の「抜き差しならない動機」という題名にしましたが、

 

このは動機いったい何者なんでしょうか。

 

動機といえば、

心理学者のマズローさんですね。

 

欲求5段階説で、定次元の欲求が満たされると、

欲求の次元が上がっていって、

最後が、自己実現の欲求。

 

っていうやつです。

 

演奏に関して言うと、最初はやはり、

 

皆に認められたい、

すごいと思われたい、

モテたい、

 

みたいな、承認欲求(上から2番目)

で演奏していることが多いのではないでしょうか。

 

そして、それが満たされると、

自己実現の欲求(1番上)で、

 

自分のやりたいことをやる=社会に貢献

という状態になるのかと思われます。

 

客観的に見た感じではこうです。

 

ただ、実際は、

「自分という存在が表現を求めるので演奏する」

 

という感じかと思います。

 

自分を見ても、周りを見ても。

「表現という行為」=「抜き差しならない動機」

 

ですね。

 

たとえば、命の危険があった時に、

「死にたくない、生きたい」

と思うのと似ていて、根源的です。

 

シンプルかつ、強い欲求ですね。

 

結果として、世の中の皆さんに喜ばれて、

自己実現になったりとかもあり得ますが、

それはまた別、って感じですね。

 

自分でこういうブログを書いていることと矛盾しますが、

難しく考えすぎずに、

シンプルで根源的なものに従うってことも大切かもしれません。

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ!!!

 

 

インターネットマーケティングの先駆者で、

本田晃一さんという方がいらっしゃいます。

笑顔がとても魅力的で

話が面白く、楽しい方です。

もちろんビジネスでも成功されてい方です。

 

本田さんが動画の中で

面白いことをおっしゃられてました。

 

お金をたくさん儲けている人には、

世の中の大きなお金の流れが見えている。

 

お金をたくさん稼ぐ人は

そのお流れの一部をちょこっと自分経由にするだけ。

 

なんだそうです。

 

また、

お金は自分の目の前の流れだけ見ていると、

ちょっと出ていく度に、

すぐに稼いですぐにためないと!

となりお金の奴隷になりやすい。

 

これが、

大きい流れ全体が見えていると、

自分もその中に入ってお金(幸せ)を流すだけ。

となる。

 

らしいです。

 

音楽もお金の様に、

世の中をそうやって流れているんでしょうか?

 

音楽こそ、

悠久の古代文明の時代から、

歌い継がれ、弾き継がれ、語り継がれて

いろいろな形態で世の中を流れてきたのでしょう。

 

現代なら、

作曲されて、演奏されて、聴かれて、

それに影響されてまた作曲しと、

どんどん循環し、流れていきます。

 

また、お金の流れとインターネットのスピードと相まって、

ものすごい勢いで世の中を駆け巡り始めています。

 

人類の中で、

何百年、何千年と流れ続けてきた音楽を、

また自分達で演奏して、流れていく。

 

一つ一つの音楽がみんな

そのリッチで大きな流れの中にあるんでしょうね。

 

音楽という大河の流れの中で、

ほんの一部(一滴)として存在する自分達の演奏。

 

と考えると、

 

真剣に取り組みつつも、

懐の深さや豊かさが自分の心の中に生まれます。

 

お金の流れをつかんでリッチになるがごとく、

音楽の流れをつかんでリッチな音楽を奏でたいものです。

 

 

それでは。

 

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オランダ人であるアンナー・ビルスマさんは

バロックチェロの第一人者です。

 

高みに登ったチェリストという意味では、

カザルス、ロストロポーヴィチ、ヨーヨーマという様な存在と

同等レベルでしょう。

 

現在は、演奏活動が体調的に継続困難となったので、

演奏活動は止めて、

オランダの自宅で暮らしてらっしゃいます。

 

 

私が始めてビルスマさんを素晴らしいと思ったのは、

大学の後輩にCDを貸してもらって、

バッハの無伴奏チェロ組曲の1回目の録音(1979年)を聴いた時でした。

 

バロックのピリオド奏法の音楽が斬新で、

しかも的を得ていて、

これだ!という感じで何度も聴き込んだのを覚えています。

 

かれこれ20年ちょっと前の話です。

 

CDで感銘を受けた少し後に、

来日されたので、

迷わずコンサートに行ってみました。

 

その演奏会では想像以上に素晴らしい体験ができました。

 

 

場所は、

東京の武蔵野市民文化会館の小ホールというところで、

小さめな300~400人くらいのホールであったと思います。

 

そのときの演目が

バッハの無伴奏チェロ組曲1、3、5番(6番まで有り)で、

始めにバッハの無伴奏組曲1番が演奏されました。

 

そして、

一番最初の、1番プレリュードを弾き終わった後、

 

一瞬、「フワーッ」とホール全体が

じんわり温かいもので包み込まれる様な、

感覚がしました。

 

高揚するのではなく、

一緒にじんわり温かみを感じている様でした。

 

これは、いったいなんだろう??

と未体験の感触でした。

 

そしてこれが、

ビルスマさんの独自の音楽の片鱗

を生で初めて体験できた貴重な瞬間でした。

 

ビルスマさんの音楽の一番の特徴は、

 

「一対一の対話」の様に「語りかける」、

ということです。

 

ホール全体に向かって

演奏はしていますが、

 

あたかも一人に向かって

演奏されている様に感じられるんです。

 

普通、

百人、千人、に向かって演奏するなら、

その分派手で、声高で、大げさな感じになりがちですよね。

 

ポピュラーなロックやジャズの世界的アーティストなんかだと、

1万人超えの観客に対してだと、

映像も音も増幅して、

少しでも大きく見せようとしますよね。

 

ものすごいエネルギーを使うんでしょうし、

音楽のキャラクターもそんな感じになります。

 

演劇でいえば観客がたくさんいると、

ド派手な舞台衣装とメイクになりますよね。

ナチュラルメイクなんかでは遠くからは分かりませんから。

 

しかし、ビルスマさんは、

少なくとも数百人の前で、

一対一で語ることが出来るんです。

CDでも一対一で語っています。

 

 

「語る」ということに加えて、

もう一つのビルスマさんの特徴が、

 

「深い音」だということです。

 

とくにそれが一番現れているのが、

 

バッハ作曲、無伴奏チェロ組曲のCDの

2回目の録音(1992年)です。

 

このとき、チェロは少し特殊なものを使っていて、

古楽器と代楽器の中間の様な構造を持つらしい、

ストラディバリ製作のセルヴェという楽器を使っています。

サイズが少し大きくて低音がよく響きます。

 

で、CDでの音なんですが、

一体どこからこの音は来ているか?

この世のものか?

 

と思う様な、

ありえないくらい「深い音」がします。

 

口で説明するのは困難ですし、

ユーチューブだけでは味わいきれないと思います。

 

これも、ビルスマさんならではの、

特徴ですね。

 

自分だけだと表現に限界があるので、

ルドルフ・シュタイナーの言葉を引用してみます。

 

「人間は死の扉を通っていきます。

子音はまもなく捨てられます。しかし、母音、

とくに母音の抑揚は、より高められた度合いで体験されます。・・・

・・・この音楽要素のなかに、霊的世界から魂が吹き込まれ、

開示していきます。」

 

(イザラ書房 ルドルフ・シュタイナー(西川隆範 訳)

 「音楽の本質と人間の音体験」P.114より抜粋)

 

シュタイナーさんは、こんな言葉で、

この世の経験を超えた、

彼岸の音について語っています。

 

子音が抜けて、母音に魂が吹き込まれた音。

 

こういう言葉を引用してしまう様な、

ビルスマさんの音深さの次元が、

少しは伝わるでしょうか。。。

 

ビルスマさんは、

他の音楽家と物事の捉え方が根本的に異なるのだと思います。

 

彼の目からみると、

「強い陶酔感」を伴う

ロマンチックなアプローチが通常になったクラシック音楽は、

本質から外れているのかもしれません。

 

そして、

音楽の本質はこういうところにあるんだよ

とチェロを使って

「一対一」で「語って」くれるているのでしょう。

 

音楽だけでなく、

人生において、

言葉では表現できないけれども大切なことを、

チェロの音を通じて

自らの存在を懸けて教えてくれている様にも感じます。

 

普段こういうものを勧めたりしませんが、

 

アンナー・ビルスマ演奏、

1992年録音の、

バッハ作曲無伴奏チェロ組曲全集、

 

これは一度は聴いて損はないと思います。

 

 

それでは。

 

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