
トーハクで『遊行上人絵巻 乙巻』を見て、長野へ行きたくなりました
先日、東京国立博物館へ行った時に、『遊行上人縁起絵巻 乙巻』が展示されていました。『遊行上人絵巻』はけっこうな頻度で展示されているのですが、展示されている箇所が、頻繁に変化しているので、いつも新鮮な気持ちでみられます。
ぼくが遊行上人、時宗に興味を抱いているということもありますが、同絵巻には、多くの一般庶民が描かれています。その庶民の表情を見るのが面白いんですよね。
遊行上人や時宗に興味を持ち始めたのは、ぼくが20代の後半の頃でした。当時のぼくは、定職に就かず、ぷらぷらと放浪していました。そして、四国の八十八箇所を徒歩で巡っていたんです。巡っている間の数日間を、時宗のお坊さんと歩きました。そのお坊さんから、時宗の話を少しだけ聞いたんですよね。それで、いまではマイナー宗派になった、時宗に興味をいだき始めました。
時宗の開祖一遍と、彼の教えを引き継いだ他阿(たあ)の事跡を描く絵巻。この巻では他阿の事跡を中心に、信濃の善光寺に参籠し、念仏を行った様子などを描く。(解説パネルより)
インスタの1枚めは「他阿が、武蔵国(むさしのくに・埼玉県)村岡で病となり、死を覚悟して弟子たちに教えをしたためる」場面だとのことです。
同2枚めは、他阿が信濃国(しなののくに・長野県)の善光寺に、七日間参籠した……門に到着した時の様子だそうです。
同3枚めは、善光寺の舞台で踊り念仏をしているところなのだとか。仏教の中で善光寺というのは、少し特殊な場所のような気がします。ここは無宗派なんですよね。「単立仏教寺院」と説明されることもありますが、どういうことなのか、ぼくには分かりません…。
ただ、宗派を問わない善光寺だからこそ、時宗の遊行上人(ここでは他阿?)がやってきても、舞台を貸して、踊り念仏を許可したんでしょうね。(それにしても、寺に舞台があるっていうのは…昔は一般的だったのかなぁ? 舞台といえば、神社のイメージが強いけれど…)
同4枚めは、踊り念仏をしているところを、周りから見ている人たちですね。地元の人たちもいるんでしょうけど、そこは善光寺ですから、遠くからやって来た人たちも多く混ざっているんでしょう(善光寺参り)。
この絵巻を見る限りは、よく言われているようなジェンダーギャップは、ないような気がします。女性よりも男性のほうが人数は多いものの、男女が入り乱れて座っています。身分も、坊さんや武家などが混在していますね。
同5枚めは、山門と舞台との間に配置されている五重塔です。
「え? 善光寺に五重塔って、あったっけなぁ……」
善光寺には、今まで2回しか行ったことがありませんが、五重塔が記憶に残っていません。舞台もですが、もっとスッキリとした境内だった印象なんですよね。
それで調べてみたら……
善光寺には鎌倉時代に五重塔があったが焼失。江戸時代に再建が計画されたものの幕府が許可せず実現しなかった。
ということです。
2015年に、その江戸時代に再建しようとした際の設計図が見つかったそうです。
なんて記事を見ていたら、今回の遊行上人絵巻とは全く関係ないのですが『東山魁夷、鑑真にささげた自然美 長野で「唐招提寺障壁画展」始まる』というニュースが、目に飛び込んできました。
現代美術は、あまり興味が沸かないのですが、東山魁夷は別格です。
教科書などでの表紙では見たことがありますが、実物を見たことがありません。障壁画という、「大きい」っていうのが、かなり重要な気がします。年末に機会があれば、見に行きたいと思います。
週末は一人でのびのびと銭湯へ
先週末は、妻と息子が実家に帰ってくれていたので、夕方から一人暮らしを満喫しました。
あの謎のウイルス騒動の前は、妻と息子が月に一度は、実家に帰っていたんです。「今週帰ってもいいかな?」と言われて、いつも「どうぞどうぞ」と言う感じだったのが……近ごろは、妻実家から「こっちに来るな」とバイキン扱いされていたのです。
女性というかお母さんは、なかなか難しいことだと思いますが、休みの日に、家族から解放される時間って、とても貴重なんですよね。もうね、気持ちがのびのびとする。
別に家族が嫌いなわけではないです。ただ、一人になりたいだけなんです。
ということで、週末は、銭湯の近くのカフェで、朝からひたすらボ〜っとした後に、正午すぎに銭湯へ向かいました。
ここの銭湯は、営業開始が11時(早朝から9時までも営業)からなんです。
びっくりしたのは、日曜の12時だというのに、お客さんがたくさん来ていたこと。40〜50席くらいある洗い場などは、ほぼ空きが無いほどでした。そのほか、湯船にも人がいっぱい。
この銭湯は、(いちおう)露天の光マイクロバブル湯、それに炭酸泉、ジェットバスや電気風呂があるマルチ湯(みたいな湯)、それに高温の軟水風呂、そしてサウナの脇に水風呂と「スーパー銭湯かよ!」ってツッコミたくなるくらいに、充実しているんです。
だから銭湯なのに、けっこう遠くから来る人も多いです。何年か前には、埼玉在住のクライアントとばったり出くわす……ということもありました。
せっかく足を伸ばしてのんびりと湯船に浸かろうと思っていたのにな…。
そんな気持ちにもなりつつも、しっかりとのんびり浸かってきました。
その銭湯について、いつも読んでいる方も、行っていらっしゃったので、詳細を知りたい方は、そちらを読んでください。
個人的には、子ども連れの家族の利用者が多いので、同じように家族利用の方に、特におすすめの銭湯です。あまり銭湯に馴染みのない方でも、ここなら行きやすいと思いますよ。
銭湯ランも、流行り出してからかなりの時間を経て、このあたりでも(萩の湯も) 対応する銭湯が増えています。
絵本『パンダ銭湯』は、萩の湯の食堂にも置いてあって、息子の りょう太も、何度か読んでいました。
子どもが何に興味を持っているか? って、親は意外と知らないんだろうな
「『じんたい』の、ずかんがほしい」……一年前に、親戚から誕生日プレゼントとして何が欲しいかを聞かれた りょう太は、そう答えました。
「『じんたい』って、人間の体の中の図鑑ってこと?」
「うん」
彼は、大事なことを多く語らない性格なのかもな。友だちがくだらない…というか、面白いことを言ったりすると、それを詳しく解説していくれるのに、自分の好みだとか、そういう(親が聞きたい りょう太自身の)話は、率先して語ってくれません。
それまで、人体について、りょう太が興味を示したことがあった記憶がなかったので、ぼくは、もっと彼が興味を持っていそうな図鑑名を挙げました。でも、りょう太はかたくなに…というか目も合わせず無表情のままで……
まぁ『人体』でもいいかと思って、親戚に買ってもらいました。
その後、図鑑を買ってもらったことを、ぼくはすっかり忘れていました。そんなある日のこと、ぼくが保育園へりょう太を迎えに行くと、なにかノートの切れ端をぼくに差し出しながら言いました。
そのノートの切れ端を見ると、どうやら人間の『人体』を描いたもののようでした。
ぼくは「おいおい、これを記憶だけを頼りに、なにも見ないで書いたってこと?」と思いました。図鑑を買ってもらったのが去年9月で、絵を描いたのが今年2月……。半年くらいかけて『人体』図鑑を読んでいたんだろうか?
よく見ると……(そもそも2月時点で、こんなに字が書けるようになってたんだな……)たぶん、右肺と左肺が逆だったり、脳みそと一緒に“髪”があるのも、図鑑には無い組み合わせだろう。
脚部も上から「もも」「あし」「つめ」っていう書き方は、図鑑にはないだろうな。
そう考えると、りょう太の記憶の中のオリジナルっていうのも、うなずけます。
それからも、アマゾンプライムビデオで『はたらく細胞』を、飽きることなく観たり、NHKの『バビブベボディ カラダの中はワンダーランド!』も、観たががったりしているんですよね。
まぁどのくらい興味があるかは分からないけど、図鑑で言えば『恐竜』とか『昆虫』とか『宇宙』とかと同じくらいには興味があるようです。
よく知っているつもりでいた りょう太のことを、ぼくは全く理解していなかったなぁって思った瞬間でした。それに、下手したらぼくは、りょう太が抱いていた好奇心を、潰してしまうところだったなぁとも思い、ゾッとしました。
きっと幼い子どもは、誰でも、いろんな可能性を持っていると思います。成長するにつれて、本人自身が、その可能性をつぶしていく……諦めていく……見切ってしまうことが多いと思います。
ただ、実はその可能性を、親たちが潰してしまうことのほうが、多いんじゃないかなぁと……自戒をこめて思いました。
りょう太の成長を助けられないのは仕方がないとしても、少なくとも邪魔するようなことはしたくないなぁと思う、今日このごろです。
FX自動売買を“ほったらかし”にした結果
4月にFXの自動売買をはじめました。
基本は、カナダドルが日本円に対して下がったら買って、上がったら売って利益を積み上げていくという方法です。
同時に、ユーロ/円でも、カナダドル/円と同じ手法で、取引をしています。この場合は、ユーロ/円が上がったら売り、想定通りに下がったら買って、利益を積み上げます。(FXを知らない人には、説明しにくいので、また別の機会に説明したいと思います)
いずれにしても、ポイントの一つは、自動で売買されるということです。
自動売買とは反対に、自分の買いたい時や売りたい時に売買する方法を、過去に試したことがあります。でも、この方法は、ぼくには向いていないということが分かったので、今ではほとんど手動で取引することはありません。
というよりも、手動取引をしないように、がんばって自分を制止しています。
手動売買の問題点は、(ぼくの場合ですが)たくさんあります。
もっとも大きいのが、メインの仕事との両立です。
為替が上がったり下がったりするのが気になって、やるべき仕事がおろそかになってしまうんです。同じ理由で、寝不足になりやすいということもあります。為替が動くのは、平日の日中だけ……ではないからです。むしろ、日本での取引時間が終わったあと……ヨーロッパやアメリカでの取引時間のほうが、為替が大きく変動することが多いです。そのため、必然的に夜から朝方にかけて、為替の動きが気になって気になって……仕方ないんです。
ということで、自動売買です。
2021年4月から、30万円を使って、新たな自動売買を開始しました。
新たな……というのは、今まで使っていなかったシステムが、どれくらい有効かを知りたかったため、お試しでシステムを動かしてきたという感じです。
それから8カ月が経ったいま、その口座がどうなったか?
335,096円になりました。
+35,096円
月平均で4,387円ということ。
ひとによっては「少ないじゃん!」と感じる方もいるでしょうね。
ただ、この月平均4,387円のままで推移すれば、開始して1年後が経つ来年(2022年)の4月には「+52,644円」になっています。
さらに……
2年後の2023年4月には「+105,288円」
3年後の2024年4月には「+157,932円」
4年後の2025年4月には「+210,576円」
5年後の2026年4月には「+263,220円」
6年後の2027年4月には「+315,864円」
6年後には、今年4月に(はじめに)入金しておいた(元手)の30万円を超える利益が出ている……かもしれないということです。
1カ月ごとや1年ごとを見ていると「しょぼい儲けだなぁ」と感じるかもしれませんが、6年後を想像すると「そんなに美味しい話は怪しいな」と思うかもしれません。
でも、これが現実です。
お金は、ぼくらの代わりに働いてくれるものなんです。
ちなみに、ここで重要なのは自動売買で“ほったらかし”だということと、1カ月や1年単位で見ると、儲けが“しょぼい”という点です。
それについては、また別の機会に説明したいと思います。
ふらっと立ち寄ったトーハクで国宝を見てきました【秋萩帖】
先日、仕事の休憩時間として1時間だけ東京国立博物館へ行ってきました。先人たちの素晴らしい仕事を見ていると、なんとなく癒やされるんですよね。
国宝室には「秋萩帖」というものが展示されていました。
さらさらと墨で筆記された書き物です。なんて書いてあるのか分かれば、もっと面白いんだろうなぁと思いながら眺めました。
解説パネルには「安幾破起乃(あきはぎの)」で始まるため「秋萩帖(あきはぎじょう)」と呼ばれているとあります。
そう知ってから、冒頭のくねくねした文字を見てみると、たしかに「安幾破起乃(あきはぎの)」と書かれている……ような気もしてきます。
ところでこれは何を書いたものかと言えば、48首の和歌を、万葉仮名を草体化した草仮名で書写されたものだと言います。書かれたのは平安時代。すでに平仮名が定着した時代に、平仮名の前段階である万葉仮名で記したところが、雅(みやび)なのか、趣深かったのかもしれません。
これを書いたのは、当時、著名な書道家とでも言うべき小野道風(おののとうふう)や藤原行成(ふじわらのこうぜい)だと、伝えられています。
筆を少し傾けて書いた柔らかい筆遣いは、平安時代に流行した和様の書の特徴的な筆致といえます。
ほほぉ〜。筆を少し傾けて書くと柔らかい筆致になるのかなぁ…。今後、試してみようかな。
この『秋萩帖』を、じっくりと見たいという方は、『e国宝』というサイトに画像がアップされているので、こちらで見てみてください。(スマホだと見づらいかもしれません)
そして、この「秋萩帖」は、「(江戸時代の坊さんで書家の)良寛が習書したことでも有名」なのだそうです。全く知りませんでした。
良寛さんですが、当時は、とても親しまれていた坊さんだったようです。能書家=字が上手な人、として著名だったのですが、人柄が穏やかで誰でも親しみやすい方だったようなのです。
東京国立博物館には、その良寛さんの書も、ときどき展示されていました。
柔らかい筆致なのですが、「人間だもの」で知られる相田みつをさんに通じるものを感じさせます(あくまで、ぼくが感じるだけです)。
以前、良寛さんの書簡…書巻が展示されてあったときに撮っておいたものです。「これが良寛流の書体だ」というものはなく、いろんな書き方をしていた方のようです。
でも、いずれも柔らかい感じが素敵だなと……書いてあることは、さっぱりわからないんですけどね……。
あ……上のインスタの中に、一つだけ書巻ではない掛け軸を混ぜてしまいました。
これだけは、なんて書かれているのかが分かります。とても有名な言葉……らしく……ぼくは知らなかったのですが……。
人間是非一夢中
「人間(じんかん)の是非(ぜひ)は一夢(いちむ)の中(うち)」と読むそうです……って、誰かが良寛さんに読み方を教わったのかな?
意味は……
人の世で起こっていることは、すべて夜に見る夢のように、どうでも良いことなのだから、ひとつひとつを気にすることなんかないよ
と言ったことかなぁとぼくは解釈しています。読むたびに自分の都合の良いように解釈しています。
小1息子のお勉強の現状レポート
学校や学童といそがしく過ごしている息子の りょう太。
そんな彼は、4月にベネッセのチャレンジタッチをはじめました。ほぼ同時期に習字も習いはじめました。
現状は?
結論から言えば、チャレンジタッチはほそぼそと続けています。自分からやることはマレですが、「じゃあ、チャレンジをやったら、アニメの〜〜〜を見てもいいよ」などと、なにかで釣ることで渋々はじめます。
ただ、チャレンジタッチのすごいところは、はじめは渋々なのに、はじめてしまえば、りょう太が熱中しはじめること。タブレットのタッチ操作で問題を解いていくと、音が鳴ったり、ほめてもらったり、励ましてくれたりするからかもしれません。
春には「ひらがな」や「かたかな」の書き方も怪しかったけど、ぐんぐん書けるようになり、学校の「こくご」の授業は楽勝のようです。
そもそも「ひらがな」や「かたかな」は、習字でも書きはじめていたのですが、教えている妻が嘆くほど、習字では覚えるのが遅かったです。字がキレイになるキッカケも、明らかにチャレンジタッチのおかげだと言えるでしょう。
習字を教えている妻が「ムカつくけど、チャレンジタッチを始めてから、りょう太の字がすごくキレイになった」と証言しています。
「足し算」「引き算」についても、ゲーム感覚というか、ゲームアプリも使って、楽しく学べているようです。さらに同じことを学校でも習うので、着実に定着している様子。
辞書引き
そのほか、『ドラえもんの学習シリーズ 辞書引き』を購入。
なんて会話をして、本屋へ辞書を買いにいきました。
ぼくからすれば、辞書引きの習慣が根付けばラッキーだし、もし使わなくなっても、小学校3年生になれば買わなきゃいけないものだから、先に買っといたと思えばいいだけ……そんな軽い気持ちでした。
だいたい辞書って、その価値や実用性と比較して、ものすごく安い買い物ですよね。数千円なんだから。
ということで、さっそく辞書を手にした りょう太は、本屋を出た直後から……本屋の入っているビルの目の前の広場で、いきなり辞書を開いて、辞書引きをはじめました。
結果……
1週間くらいで飽きました( ; ; )
ま……そんなもんだよね。
まぁ、飽きてしまったのは少し残念ですが、以下のメリットがありました。
・辞書引きの方法を知ったこと
・辞書の引き方をなんとなく理解したっぽいこと
今回は、これで十分かなぁ。
のび太の夢を叶えた中国の恐竜学者
男の子が好きなものといえば、ロボットや恐竜ですよね。その2大好物を合体させた、2020年に公開されたアニメ映画『のび太の新恐竜』。うちの りょう太も、若干ですが、見たがっていました。
映画の中で、のび太が新種の恐竜に自分の名前をつけるシーンがあるんです。
そんな、のび太の夢を現実にしてあげようということで、中国の地質学大学のシン・リーター准教授は、自身が2021年7月に、四川省で発見した肉食恐竜の足跡化石に「のび太」の名前をつけました。
その名も……
エウブロンテス・ノビタイ
これが今年発見された、恐竜の足の化石。右側が、『ドラえもん』の大ファンというシン・リーター准教授(左側の女性はアシスタント)。
この写真だと足跡が少し分かりにくいので、もう少しアップで見てみましょう。
この足跡の化石をもとに、「こんな足だったんじゃないか?」と想像したのが、下の画像です(©Lida Xing)。
さらに、足の上の方を想像してみると「こんな感じだったんじゃないか?」と想像したのが、下の写真です (©Cheung Chung Tat)。
さらに、この足から「こんな感じだったんじゃないか?」と、身体全体を想像したのが下のイラストです(©Cheung Chung Tat)。
ノビタイの足跡化石は、板状の岩石上に発見された4歩の足跡化石。中型で足裏が幅広で、第2趾の指の付け根の痕跡が明瞭であることなどからエウブロンテス属に分類されました。
今回の化石は、エウブロンテス属のこれまで報告されている種よりも、第2趾と第4趾の左右の開きが大きいこと、中央の指(中指)がやや外側に向いていることなどから、新種エウブロンテス・ノビタイと命名されました。
この化石が今から約1億2500万年(白亜紀前期)前の地面に残されていました。
足裏の長さは約30cm。このことから、ノビタイは全長4メートルくらいの肉食恐竜だと推測。さらに、歩幅から時速4kmくらいで歩いていたものと推定されたそうです。
ちなみに「エウブロンテス・ノビタイ」という名前の前半は、「エウブロンテス」は、足跡の長さが約30cmで、幅の広めの足を持つ肉食恐竜の“足跡の”学名。
こうした学名は、ラテン語の文法で綴られるのが基本。
「エウブロンテス・ノビタイ」の場合は……
エウ(真の)
+
ブロンテス(地響き、雷)
さらに
「のび太」に、ラテン語で人名を示す接尾辞の「i(イ)」をつけて……
ノビタイ
となったそうです。
そして
この「エウブロンテス・ノビタイ」の足跡のレプリカが、東京にある国立科学博物館に寄贈され、今月末(11月30日)から12月12日まで、展示されるそうです。
発見者/命名者であり、レプリカの寄贈者であるシン・リーター准教授は、寄贈にあたって、次のようにメッセージを寄せています。
I was on cloud nine when making this decision. Nobita and Doraemon are one of the sweetest memories of the Millennial generation in China, arousing great curiosity among us with all the fabulous imagination. Most importantly, for me, Nobita, Draemon and their adventures with dinosaurs are my childhood gems that I still recall fondly every now and then. I am pleased as punch to have an opportunity to express my intense affection.
え〜と……なんて言っているんですかね?
ところどころ意味不明ですが……
「のび太とドラえもんは、中国のミレニアム世代にとっても、最も甘〜い思い出の1つであり、素晴らしい想像力で、私たちの好奇心をかき立ててくれました。
最も重要なことは、わたしにとって、のび太、ドラえもん、そして彼らの冒険は、今でも愛情を込めて思い出す、わたしの子ども時代の宝物だということです。
そんな『ドラえもん』に対する強い愛情を、表現する機会を得られたことを、うれしく思います」
と言ったところでしょうか……。
冒頭の一文が分かりませんが…もしかすると、この准教授は9歳の時に『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』を見て、恐竜の研究者としての道を歩もうと決めた……と言っているのかもしれませんね。冒頭は「9歳の時に、この道を歩もうと、ワクワクした気持ちで決めた」と。
いずれにしても、素敵な話。
それに、これが日本人ではなく中国人だったというのがね……『ドラえもん』って、本当に日本だけでなく世界中の人に愛されているアニメなんだなぁって、ジ〜ンと来ます。
こうやって、何がキッカケで、どんな道を歩むことになるのか……子どもって、本当に分からないものです。息子の りょう太にも、いろんなことに興味を持ってもらいたいものだなぁ。
国立科学博物館『木組 分解してみました』へ、行ってみました
空いた時間に、ちょろっと『木組』展だけを国立科学博物館へ見に行ってきました。
東京でも新コロの感染者数が激減しているからか、平日でも多くの人が、科学博物館に来ていました。特に目立ったのが、小学校や中学校の学校単位での見学です。
あぁ、子どもたちに科博を見せられる機会ができてよかったなぁと思います。こういうのって、なかなかキッカケがないと、自分から率先して来たがる子どもなんて少ないでしょうからね。子どもたちにとって、そういうキッカケになって欲しいなぁと思います。
一方で……今までせっかく空いていたのに……これからは科博も東博も混むんだろうなぁと、寂しさも感じてしまいます。
それはさておき
『木組』展
『木組』展の入り口には、左に法隆寺五重塔、右手に薬師寺東塔の模型が、展示会場を守るように配置されていました。いずれも「東京の世田谷で活躍した建具師の名人・本田真松」さんという方が作ったそうです。
いやぁ…本当に、実物の建物もですが、こうした模型も、芸術品と言ってよいような完成度です。むしろ実寸の建物は、寸法に遊びがあっても全体でバランスが取れるんでしょうけど、こうした1/25の縮尺で作る模型は「1ミリの寸法誤差も許されません。」というのも、うなずけます。
「凍れる音楽」と讃えられる名建築。構造的には三重塔ですが、角層屋根の下にさらに小ぶりな屋根を追加しているため六層に見えます。法隆寺は簡単な雲斗(くもと)・雲肘木(くもひじき)ですので、比較してみましょう。
(薬師寺東塔模型の解説パネルより)
会場に入ると、はじめに目に入るのが「円覚寺舎利殿(しゃりでん)組物(くみもの)模型」です。組物とは、辞書には「軒の重荷をささえる部分」とあります。そうした実用性と合わせて、美しさを競う大事なパーツでもあるようです。
円覚寺
舎利殿
円覚寺の組物模型を見る限りでは、ほんとうにパズルですね。こんなのを組み上げるのはもちろん、考えるというのもものすごいです。
青葉園
「三重塔の軒」
大宮にあるという青葉園「三重塔の軒」の模型です。「はて? 青葉園ってなんだろう?」と思って調べてみたら、1952年に開園した墓地公園とのこと。
この三重塔は「鎌倉時代の明通寺三重塔を手本に」したとあります。「深く突き出た屋根が醸し出す華やいだ造形が特徴」とのこと。素人のぼくには、この模型を見るだけでは「華やいだ造形」を感じられないのですが……。解説パネルの最後にある「屋根裏に桔木(はねぎ)と呼ぶ材を入れて、テコの原理で先端を持ち上げる工夫を凝らしています」というのを読んでから模型を見ると……「なるほど…」と思いました。
錦帯橋
山口県の岩国市にある「錦帯橋」。とても有名な橋ですが、岩国市にあるということすら知りませんでした。岩国藩の吉川家といえば、長州藩(萩藩)の毛利家の親戚筋にあたる支藩ですね。今回の模型を見たのを機に調べてみると、幕末の長州征討の際は、第一次では幕府と長州の間を取り持ったとされますが、次の第二次征討時には長州藩とともに戦ったようです。
その江戸時代の1673年に、建てられたのが錦帯橋。よく写真では岩国城を円形に配して撮られています。
最初に建設されたのは1673年。その後は定期的な建て替えによって維持されてきました。現在の橋は2003〜2005年に掛け替えられた物です。
漠然とではありますが、てっきり江戸時代当時の物が残っているのだと思っていましたが、意外と新しく建て替えられていたんですね。
とはいえ、橋脚にあたる石垣部分などは、何度か流されたものの往時のものを使っているとのこと。数度の流失のたびに耐久性などを改良していき、現在の形に収まったようです。また、江戸時代に何度か建て替えたのは、大工さんの技術を維持させるため……という意味合いもあったようです。
もちろん、建て替える際に、こうして模型を作っておくのも、技術の保持には必要なことなのでしょう。とても精細な模型と合わせて、一部分は実物大で再現されています。
その他
「その他」とまとめてしまうのも心苦しいのですが……正直、木組についての知識を持ち合わせていないのと、そのパズルみたいな精巧な組み方に、感嘆するしかありませんでした。すごいよ、大工さんって。
ということで、今回の『木組 分解してみました』展は、東京会場を最後に、すべてが終わってしまったようです。
おそらく…おそらくですが、竹中大工道具館では、同じような展示がいつでも見られるのかなぁ…。遠いけど…機会を作って、行ってみたいです。
子猿を背負っていた「母猿の埴輪(はにわ)」
アメブロで「土偶」を検索して癒やされていたら、「そういえば、猿の土偶があったなぁ」と思って、自分の写真ストックの中から探してみました。
今年の1月か2月に東京国立博物館へ行った際に、展示されていたもの。
「土偶」だと記憶していたのですが、「埴輪(はにわ)」でした。
いまは東博に所蔵されていますが、出土したのは茨城県の大日塚古墳(古墳時代・6世紀)。
猿を表した埴輪は、非常に珍しい存在です。元々は子猿を背負っており、Y字状にその痕跡が残っています。親猿は子猿の様子をうかがうために顔をやや横に向けていると考えられます。顔面などには赤色顔料が残り、生き生きとした母猿の表情をとらえた傑作です。
(解説パネルより)
顔の赤色顔料は分かりませんでした。もっとちゃんと見ておけばよかったなぁ……。次に展示されたときまで、覚えておきたいとおもいます。































