『りょう太のぼうけん』〜イクメンではない子育て〜 -3ページ目

小学生が自ら勉強しはじめる「魔法の言葉」とは?

東洋経済オンラインに、『小学生が自分から勉強をし始める「魔法の言葉」』というタイトルがあったので、期待して読んでみました。書いたのは、教育YouTuberとして有名な「葉一」さん。子どもだけでなく親たちのハートもガッチリと掴んでいる彼なら、きっと「魔法の言葉」をズバリ! と答えてくれることでしょう。

 

……結論から言うと、記事を読みましたが、なんと「魔法の言葉」は記されていませんでした。う〜ん…東洋経済オンライン…ときどき経済系記事を読んでいますが、あいかわらず人をおちょくるようなタイトルをつけるメディアです(記事内容はどれもタメになりますけどね)。

 

とはいえ、葉一さんはさすがですね。デキる子どもだけでなく、デキない子どものケアも上手そうです。

 

葉一さんいわく…

・小学生のうちはリビングで勉強するのがベスト

・ただし親が子どもの勉強に口出ししない……監視は絶対ダメ!

・その日の勉強目標は、基本は子どもに決めさせる

 

以上のようなことでした。これはあくまで、「自分の子どもは勉強が嫌いみたい」と思っている親に対しての記事です。

 

ぼくも典型的な天の邪鬼な小学生だったので、親に監視されるのが、本当に嫌でした。ときどき部屋を覗きにくる母親が嫌いで仕方なかったです。

 

まずは、自身が小学生の頃に、どれだけ勉強をしたのか? そしてどれだけの成果(成績)を収めていたかを、かえりみたことから始めた方が良いと思います。親と子で、勉強のデキって、それほど離れていないケースが多いんじゃないかなと思います。

 

 

タイトルにある「魔法の言葉」は見当たらなかったので残念ですが、読んで良かったなと思えました。

 

『東洋経済オンライン』と同様に、『プレジデント』でも、『自ら机に向かう子の親が欠かさない習慣〜「勉強しなさい」と言わない理由〜』という、子育て記事を掲載しています。

 

 

こちらは国立大学附属学校の小学校教諭が執筆したものです。

 

(子どもは)いわゆる「多動」が普通なのです。机に向かって座っているのは本来「不自然」なのです。

 

 

こういう当たり前のことを大前提にして論理展開されているのでホッとします。

 

で、どうすれば子どもが率先して机に向かうか? という問いには、下記のように答えています。

 

わが子が自ら机に向かう習慣づくりのために、親が真っ先に行うべきは、親の側が自ら机(リビングテーブルなど)に向かう習慣、すなわち学んでいる姿勢を見せることです。

 

これも、とてもまっとうなアドバイスですね。

 

教育させるのが大好きだった、うちの母親についていえば、彼女は常に「勉強しなさい」と、“みずから勉強しない”ぼくに向かって言っていました。

 

ぼくからすれば、なぜ勉強しないといけないのか? と思うわけです。小学生だったら当たり前ですよね。

 

その問に対して彼女は「小学生は勉強するのが仕事なの。お母さんは家事をするのが仕事なのよ」という論理だったと思います。

 

これって、小学生からすれば、とうてい納得できるものではありません。だって、いつの間にか自我が芽生えたら、「勉強が仕事」になってしまっていたのですからね。「それって、誰が決めたの?」っていう話です。

 

一方で父親はどうだったか? 彼は「勉強しなさい」とは言ったことがありません。ただ、彼の場合は、往復2時間くらいの通勤時間で、毎日1冊くらいの本を読む、読書家でした。彼から「読書しなさい」と言われたこともありませんが、ぼくは小学校の3年生あたりから、異常に本を読む子どもとなりました。

 

なにせ高校や大学受験の際は、母親に「読書なんてする時間があったら、勉強しなさい!」と怒られるほどに読書が好きでした。

 

なにが言いたいかと言えば、おそらく「親が机に向かって勉強すれば、子どもも自然と机に向かうようになる」という、前述の小学校教諭の話は、本当だろうなということです。

 

いずれにしても、「勉強しない我が子を、みずから勉強する子にするには?」というのは、日本ではメジャーな悩みなんでしょうね。

 

ただし、子どもは「勉強しない」のが当たり前なのであって、親は、それを前提にして、どうするかの対策を練った方が良いと思う……という、当たり前の結論に至りました。

 

進研ゼミ 小学講座

 

ちなみに進研ゼミなどは、「勉強したがらない子どもたちに、どう勉強させるか?」という仕組みが、よく整えられていると思います。主に「ポイントなどで釣る」という手法ですが、その他のアプリの内容も、すごいなぁと思わされることもたびたびです。

 

もちろん「進研ゼミを始めさせたけど、まったく取り組まなくなった」という家庭も多いことでしょう。そうであれば、まずは「進研ゼミのテキストやタブレットを、どう子どもに開かせるか?」というのを、親が考えれば良いと思います。

 

まぁ、どんな子どもにも向いている……とは言えないので、ある程度試してダメだったら……さらに子どもに何らかの勉強をさせたいのなら、ほかの教材や塾などにトライしてみるのも良いかもしれないですね。

 

人それぞれですから。

 

 

地方と都心、日本とアメリカ…どちらで仕事して生活するのがベスト?

 

欧米の経済は順風満帆で
日本経済の未来は
絶望的だとしたら…

最近、ヤフーニュースで、経済ニュースを見ることが多いです。

 

「欧米では景気が戻り始めている…むしろ好景気」

 

といったニュースが多いです。そんななか、ヤフーコメントを見てみると…

 

「日本経済は終わってる」や「アメリカの最低賃金は高くてうらやましい」、「日本の企業は儲かっていても内部留保が多いから、なかなか社員の給与を上げてくれない……ドケチ」などといったコメントが多いです。

 

または、何歳以下の子どもがいる世帯に向けて、お金かクーポンをあげよう! っていう政策で揉めていますよね。「そもそも子どもがいる世帯だけでなく、全員にバラまけ!」という意見や、「いやいや、国民全員に恩恵が行き渡るようにすべき! だから消費税減税が一番良いんだ!」というのもあります。

 

基本的に、日本という国に悲観的で、日本政府の施策に批判的なコメントが多いです。

 

ぼくはと言えば、まぁなんでも良いです……という考え方です。

 

諦め……というのに近いのかな。

 

政府が決めたことに準じて、最適な働き方…というか稼ぎ方を探せばいいかな……という感じです。

 

民主主義というのは、全員が“自動的”に幸せになれるシステムではない…というのは衆知の事実です。できるだけ多くの人たちが、ストレスフリーで生活できるように「できたらいいな」というシステムだと理解しています。

 

あくまでも目標なので……

ある政策は自分にとって「ラッキー」と感じるものだろうし…

ある政策は自分にとって「アンラッキー」と感じるものになる。

 

1億2000万人に、あまねく都合のよい政策……なんて、ありえませんからね。

 

日本に住みつつ
欧米で稼げば良い

冒頭の、欧米は景気がよくて未来が拓けている…一方で日本は少子化もあるし、絶望的な未来だ…という言説が事実だとしましょう。実際に“お金”という基準のみで見たときには、そのとおりかもしれないとも、ぼくも思っています。

 

では、そういう時代に、ぼくはどう生きるべきなのか? というのが大事な話です。

 

決して「政府が(ぼくに都合の良い)政策をすべきだ!」とは叫びません。だってそれは、まだ生まれたばかりの泣いている我が子に「泣き止んでくれ!」と叫ぶのと同じくらいに(自分の思い通りにならないという意味で)馬鹿らしいことだからです。

 

そこで、いまのところの結論としては……

 

「ぼくが住むのに最も快適な日本に住み続けたい」というのと…

「日本であれば、住むのは東京でも地方でもかまわない」というのを基本としつつ…

 

景気が良くて未来も明るいという、欧米で働けばよいんじゃないか? という仮説を立てました。

 

快適な日本に住みつつ、欧米で働けば良いじゃないかと。

 

そんなことが可能か? 英語なんて話せないくせに、そんなことができるの?

 

答えは、すべてを欧米で稼ぐことはできないけれど、一部は欧米で働けるでしょ……というものです。

 

回りくどいですね。

 

つまり、もし本当に欧米の景気が良くて、日本よりも将来に希望が持てるのであれば、欧米へ投資すれば良いじゃないかと思います。

 

そもそも給与水準の高い場所は
生活しやすいのか?

そもそも「欧米の給与水準が高い」ということは「物価も高い」ということです。

 

一方の日本は……

 

「給与水準が低い」けれども「物価も低い」です。

 

だったら、どちらに住んでいても同じではないでしょうか?

 

例えば、欧米では100万円相当を稼ぐのが簡単だとします。その100万円相当で生活できる日数が、日本よりも長ければ、欧米の方が豊かといえるかも。

 

ただし、そんなことはないわけです。

 

欧米の欧には行ったことがないけれども、米に行けば、どれだけ物価が高いか分かります。知り合いで欧へ行った人に話を聞けば、どれだけ物価が高いかも分かります。

 

給与水準が高くても、ぼくが欧米へ行った場合に、高い給与が稼げるのか? といえば、はなはだ疑問です。ぼくの能力が低いとは思わないけれども、高くはありません。そんな高くない人でも、物価水準を超えるほどに高給を稼げるか? という話です。

 

そもそも、ぼくが家族を連れて、欧米へ引っ越すというのが、非現実的すぎます。そんなにフロンティアスピリッツが旺盛であれば、ぼくはとっくに欧米で仕事を見つけ、生活していることでしょう。

 

でも現実のぼくは、日本で仕事をして生活するという、ぬるま湯のような人生が大好きです。この快適な日本での生活をなげうってまで、豊かな生活ができる「かもしれない」だけの欧米へ行きたいとは思いません。

 

なんてことを考えてしまいました。

 

経済をよく知る人からすれば、間違った考え方かもしれませんが、いまのところの結論です。

 

よその庭は青く見える
でも実際には

そんなに青くはないもの

息子の学資保険としての投資(02)

変額保険に入りました。

 

仕事でお世話になっていた小さな会社の社長が、保険屋さんに転職したんです。小さな会社だったけれど、けっこう順調に経営されていると思ったんだけどなぁ。

 

「会社、やめちゃったんですか? それで保険屋さんに? ぜんっぜん違う畑じゃないですか」

 

と聞き返しました。

 

「あ、保険と言っても、ぼくは法人担当だから、保険に入って欲しいなんて言いませんよ」

 

とか言っていたのですが、ぼくはつねづね保険を見直したいと思っていたので、こちらが根堀葉掘りと聞いてみました。まぁ…聞いても理解できないんですけどね…。

 

保険の話しからの流れで、投資をしているっていう話をしました。そしたら……

 

「今年から始まった投資型の保険があるよ。今度、説明しようか?」

 

この方は、仕事においてはぼくがクライアントのような立場でした。ただ、彼の方が4-5歳は年上……しかも大学の同窓……なのにぼくの方が大学の先輩にあたる……という複雑な関係です。なので、彼も丁寧語だったりタメ口だったりと……その時々によって話し方が違います。

 

まぁでも、まんまと(笑)と営業に引っかかり、そのまま保険に入ることにしました。

 

え〜とですね。ぼくは保険のことなんか、まるっきり知らないんです。過去に何度か理解しようとしましたが、話を聞いているうちに、難しくて嫌になるんですよね。

 

(超偏見ですけど)保険って、なかなか仕組みを理解できないようにしているんですよ……特に他社比較ができないようにしている(偏見ですよw)。

 

あれと一緒です……携帯会社のコース選択と同じにおいがします。ドコモがよいかauが良いのか、はたまたソフバンのあのコースが良いのか? ユーザーに、選ぶことを放棄させようとしている(あくまで、ぼくの偏見に基づく見解です)。

 

あとは、総選挙の時に「誰に投票しようかなぁ?」って考える時と同じですね。どれだけ候補者の話を聞いても、どの候補に入れるべきか分からない。

 

こういう時は、一番良いのは……自分と似た価値観を持ち、なおかつ自分と同程度かそれ以上に賢い人に「聞いちゃう」。

 

どうせ「大正解」はないんです。

 

正解! ってことがないのに、自分で調べて、自分のつたない頭でウンウン考えるなんて、それが面白ければ良いけれど、関心が無いことだったら時間の無駄です。

 

大きくハズレていなければ、OKなんです。

 

ということで、その腹黒い転職したばかりの保険屋さんの言うがままに、保険に入ることにしました。

 

☆☆☆

 

最初は学資保険を考えているっていう話から始まったのですが、結局、自分が引退したときに、いくらくらいあれば良いかなぁということで、適当に「400万円!」と言って、プランを設定してもらいました。

 

ちなみに…というか、一番大事なポイントですが、この保険、かなり「投資」に近いところです。そこが、入ろうと思ったポイントであり、彼いわく「投資をすでにやっているって言う人にしかオススメしない保険ですよ。投資をやっていない人に、リスクのある保険の話をしても怪しまれるし、理解しようとしてくれませんから」とのこと。

 

この保険では、「ざっくりとした投資先」というか「投資信託」のようなものを指定するんです。まだ詳しく知らないんですけどね(←おいおい)。

 

☆☆☆

 

これって公表して良いものかどうか分かりませんが……まぁ、どうせ誰も読んでいないブログだから、いいかなっと。

 

これから毎月15,776円を、70歳になる24年後まで積み立てていきます。

 

↓ Siriで計算したところ、70歳になったときの累積入金額は、4,543,488円です。

 

 

運用実績が年3%だと、70歳になった時に、ぼくの口座には400万円が入っています。えっ? 3%の儲けにならないのか…というか、むしろ54万円も、あの腹黒い保険屋さんに抜かれてるじゃないか。

 

その代わり、運用がどうだったかに関わらず、ぼくが途中で死亡した場合は、400万円が家族のもとへ入ります。そのほか、高度障害だったり、ガンなどの三大疾病でも保険金が下りるらしいです。

 

嫌ですが、そうなった場合は、単純に「保険を掛けておいてよかった」「賭けに勝った」ということになるのでしょう。


で…もし運用実績が年0%だと、70歳の時に222万円しか入っていません( ;  ; )。

同じく運用実績が-3%では……118万円ですよ……泣くになけないなw

 

ただ……もし70歳まで生き延びていたときに、大損していたら……そのまま運用を継続しておくことも可能です(三大疾病保険とかも、そのまま継続される)。この場合、もし70歳で、むちゃくちゃお金が必要だと、そのまま大損して終わるということですね。

 

逆に、運用実績が年6%だとすると……656万円になります。400万円を積み立てられた上に、256万円が儲かるということ。この場合でも、例えば上澄み的な256万円を受け取って、残金で運用を続けることができます(そのまま三大疾病に対する保険も有効)。

 

という保険に入りましたよ、というメモでした。

 

☆☆☆

 

いずれにしても、リスクのある保険は、それだけに頼ろうとするのは危険でもあるということ。

 

今回の保険では……

・三大疾病にかかったときのリスクを軽減できる

・老後資金を、投資の中ではリスクを減らせる投資手法である、長期投資という方法で、投資できるということ

 

もちろん日々の仕事でお金を稼ぎながら、前述の保険投資以上にアクティブな投資もしています。

 

お金って、いろんな貯め方や稼ぎ方があるもんです。

 

☆☆☆

 

あとは蛇足です。

 

 

 

上記資料を全て読むのは面倒ですが…ぼくが注目したのは、下記項目です。

  • 生命保険(個人年金保険を含む)の世帯加入率は89.8%
  • 世帯年間払込保険料は平均37.1万円
  • 世帯の普通死亡保険金額は平均2,027万円

簡単に言えば、約90%とほとんどの人(世帯)が生命保険に入っていて、世帯平均ですが年間約37万円を保険商品の購入にあてているということ。さらに世帯平均で2,027万円も保険商品の購入についやしているということです。

 

生涯で2,027万円を保険に掛けるというのが、良いか悪いかは簡単には判断できません。

 

でも、もし2,027万円を保険ではなく、例えば投資信託などに向けていれば、60歳または70歳になる頃には、毎月20万円くらいを受け取れるよう運用することも、それほど難しいことではないんじゃないか? ということ。

 

「そうは言っても……不意に夫が亡くなったら、そのあと困ってしまうじゃない」

 

という方もいるでしょうね。そうですね……その「不意」とか「突然」というのがいつ起こるのかが分からない……そういう不安があるから、保険を掛けるんですよね。

 

本当にむずかしい

キレイな曲線の土器文様

はずかしながら、ちょいと仕事がいそがしくて、ブログの更新がだいぶ滞っています。仕事のこともあるのですが、妻が本格的に「在宅休暇」から「出社」に変更してから、なぜか夕方遅くに帰ってくるようになり……息子の りょう太を迎えにいく機会が増えたのも、いそがしい一因です。

 

それにしても共働きで、バリキャリ系のお母さんたちは、どうやって仕事をこなしているんですかね…。ぼくの場合は、多くても妻と半々で迎えに行く感じですが、よく聞く「ワンオペ」だと、なかなか仕事をこなすのも大変だろうなぁと。

 

ということで、仕事が終わっていないくせに、ネットを徘徊して縄文土器なんかを優雅に見て回っていました。

 

その中で、下の縄文土器の写真が、ず〜んと心に刺さったんです。

 

なんでかって聞かれても難しいのですが「これ、実物を見てみたい」と思ってしまいました(山梨県なので、見に行くのに無茶な距離ではないことも要因としてあります)。

 

 

山梨県の笛吹市で発掘された「渦巻文土器」とのこと。それを、写真家の小川忠博さんという方が撮影したそうです。

 

こうした山梨県で発掘された、様々な土器や土偶などを、いままでのように「考古学的」な面から紹介するのではなく、「美術的」な視点から紹介しよう! という企画展が、山梨県立美術館で開催される予定とのこと。

 

【縄文―JOMON―展(仮称)】

 

美術館で土器や土偶を展示するって、とても期待してしまいます。

 

というのも、土器や土偶って、ぼくのような素人からすると、見せ方や展示方法、とくに照明の当て方によって、まったく見え方が異なるんですよね。ケースのガラスの素材によっても、まったく違う。

 

よく行く東京国立博物館は、かなり美術的にも素晴らしい展示方法がなされていると思うのですが、国立以外の(特に考古学系の)博物館では、なかなかそこまでこだわる予算もないだろうなぁと。だから、本当はきれいな土器や土偶でも…なんか、そのへんに転がっていた古いカケラ…みたいな印象だったりすることも多いです。

 

本展では、山梨県立考古博物館をはじめとする県内各所に所蔵されている代表的な土器や土偶を一堂に会し、写真家、小川忠博氏によって撮影された芸術的な拡大写真や展開写真とコラボレーションさせることで、三次元的に縄文文化の美術的価値を改めて知る機会となります。

 

何ていうふうに煽られてしまうと、期待して見に行きたくなります。また何か、今までとは異なる発見や感じ方が、ありそうな気がするんです。

 

とはいえ、会期は2022年9月10日(土)~11月6日(日)とのこと。

 

まだまだ先のような気がするけど……どうやって家族に、山梨県まで行くぞ! と説明できるかを、これからじっくりと練りたいと思います。

 

詳細は下記

 

それにしても山梨県って、土地に残っている土器や土偶をはじめ、考古以外の芸術品などをとても大切に保存しているなぁと感じさせられます。

 

以下が、そう感じさせられた、キレイな「山梨デザインアーカイブ」というサイト。

 

縄文土器の文様も、キレイに整理されてアーカイブされています。

『風神雷神図屏風』のB面(裏側)……『夏秋草図屏風』

俵屋宗達の風神雷神図屏風(国宝)は、誰もが一度は見たことがあるんじゃないでしょうか。歴史なのか美術の教科書にも載っていたような気がします。

 

その↑ 俵屋宗達の風神雷神図屏風を手本にして描かれたのが、↓ 尾形光琳の風神雷神図屏風(重文)です。

そして、この↑ 尾形光琳の風神雷神図屏風の裏側(反対側)に描かれたのが、↓ 酒井抱一の『夏秋草図』なんだそうです。

 

↑ 右側が「夏草」、左側が「秋草」

 

風神雷神図屏風の……

「風神」の裏側には「野分(秋の暴風とか台風)に吹き流される秋草」が……

「雷神」の裏側には「驟雨(夏の激しい雨)にうたれる夏草」が……

それぞれ描かれたんだとか。

 

 

かつて屏風の表裏に描かれていた『風神雷神図』と『夏秋草図』は、今では仕立て直されて別々に保存されています。


ぼくは、この酒井抱一さんの、落ち着いた雰囲気の絵が好きだなぁと思いました。

 

そしてつい最近、近所のことを調べていたら、この酒井抱一さんが、中年になってからすぐ近所に住んでいたことを知りました。このあたりは、江戸時代は田んぼが広がる、江戸の片田舎でした。今では面影がほとんど残っていませんが、そうした土地の雰囲気が、文人たちに好まれていたようです。

 

そして『夏秋草図』が描かれたのは、酒井抱一さんが、このあたりに引っ越してきてからのこと。このあたりのトレードマークにもなっている「朝顔」も、『夏秋草図』の「夏草」の方に、しっかりと描かれています。

 

このあたりに引っ越してきたのも、鶯の鳴き声を聞きながら、夏秋草を愛でられるから……なのか……。もしくは、好きだった吉原が、歩いて10分ほどで行けるから……ということもあったかもしれないなぁ。

実は子どもが好きくないんです

知り合いに、子どもの写真を見せられたら「かわいい!」と言わなきゃいけない…そんな雰囲気が苦手です。

 

世の中では、子どもは可愛いもの、と決まっていますよね。でも、正直言って、ぼくは自分の息子以外に、興味がありません。姪っ子や甥っ子もかわいいとは思いますが、赤の他人の子どもには、全く興味が沸かず……かわいいとも思えないんですよね。

 

むしろ、子どもは苦手です。

 

 

そんなぼくが
子育てするのって
苦痛なんです

まぁ息子の りょう太と一緒にいるのが苦痛なわけじゃないのですが…得意ではない。「いえーい! 今日は息子と一緒に過ごせるぜ!」とは、思いません。

 

そんな自分を、風変わりなのか異常なのかと思っていましたが……

 

まぁ異常なのかもな、と受け入れることにしました。受け入れたうえで、直そうとするわけじゃないです。無理に直そうとすると、疲れますからね。

 

今日は、妻から息子を託されたので、午前中から息子と一緒に過ごしました。

 

こういう日は、どうすれば「自分が」楽しく過ごせるかを考えます。自分が苦痛だと、結局は、りょう太の不幸度も増すだろうから。

 

それで りょう太へ言いました。

 

「(りょう太が好きな)ガンダムを、公園とかで、ジオラマみたいに写真で撮ってみない?」

 

「いいよぉ。〇〇〇公園がいいんじゃない?」

 

「いや、〇〇〇公園だと人が多いから、〇〇の庭で撮ったらいいんじゃないかな。あそこは人が少ないし、大きな木とか苔とかあって、かっこよく撮れそうな気がする」

 

「えええ…〇〇は、おっとー(ぼく)が 行きたいだけじゃん!」

 

「まぁそうなんだけどさ。あそこの庭が一番いいと思うよ」

 

「うーん……じゃあまぁいいよ」

 

ということで、2人で自転車に乗って向かいました。近くの広い公園に着くと、午前中から大勢の人が集まっています。すっかり新コロ自粛は終わってしまったよう。

 

僕らは自転車をとめて、門をくぐって、目的地である〇〇の庭へ着きました。外の喧騒が嘘のように静かな場所です。

 

さっそく りょう太がバッグからガンダムの模型を取り出して「どこで撮ろうかぁ?」と、いろんなところに置いてみます。

 

初めてやってみましたが、ガンダムを外で撮影するっていうのは、我ながら良いアイデアでした。

 

なんか、開放感があって、いい感じです。

 

 

 

1-2時間、そうしてガンダムを撮った後に、疲れたので近くのカフェで一休み。途中で りょう太をおいて、併設されている美術館へ行ってみたりしました。

 

美術って、あまり興味がないのですが…まぁ気になっていた場所の一つなので、こういう隙間時間に見られて良かったです。

 

カフェに戻って、妻を呼んでランチへ。ランチから、日用品の買い物へ行きました。

 

この買い物が終わった後からが問題で……。

 

りょう太が、いつもの近所の公園で、友だちと一緒に遊びたいと言うんです。もちろん友だちと遊ぶのは賛成なのですが、既に日が陰っているので、小1の りょう太を残して親が帰宅……というのも心配なんです。

 

特にこのあたりは、変な人が多いし…その、いつもの公園というのは、昔々のことですが、子どもの誘拐さつじん事件が起こった場所でもあるんです。(とはいえ、小1くらいなら、子どもだけで遊ばせている家庭も少なくないんですけどね)

 

ま、とりあえず妻は夕飯の買い物&支度をしに行くことになり、ぼくはくだんの公園へ りょう太と行きました。「誰も友だちがいなかったら帰ろう」ってことにしたのですが……2人いました(チッ)。

 

そこからが、本当に面倒だったなぁ。

 

1人の友だちは1人で来ています。もう1人は お姉ちゃんと一緒に来て、1人で遊んでいる模様。

 

1人の子(Aくん)が、りょう太の自転車を貸して欲しいと言い始めました。聞けば、自転車は持っていなくて、乗ったこともないと…。

 

「〇〇くんに貸してもいい? 練習してみたいんだって」と、わざわざ りょう太がぼくに聞きに来ました。

 

りょう太の様子を察するに「貸してあげたいんだけど、いいかな?」という口調です。むげに断るわけにもいかず「あぁいいんじゃない」と。

 

でまぁそのAくんが、りょう太の自転車にまたがりますが、本当にこれまで一切、自転車に乗ったことも練習したこともないのだとか…。ペダルに片足を乗せるだけで、ふらふらしちゃいます。

 

「えと……こいつ、けがするんじゃね?」

 

と思った、子ども好きではないぼく。仕方がないから、サドルを手で持って支えてあげました。

 

そんなこんなで練習していると、もう1人のBくんが、駆け寄ってきて、「ぼくも りょう太の自転車に乗りたい!」と強行に主張してきます。

 

Bくんは、超わがままな子で、子ども嫌いなぼくは、とっても苦手です。これまで何度か一緒に遊びましたが、できれば関わりたくないw

 

そのBくんが、練習しているAくんの妨害をして、小競り合いになってしまいました。お互い小突きあったりしてる……ほんと…面倒なやつらだな。

 

「おい りょう太、あの2人を止めろ!」

 

そういうと りょう太は困った顔をしながら、2人の元へ行き「Bくんは自分の自転車を持ってるんだから、Aくんに練習させてあげなよ!」と言います。

 

それでもBくんは「ぼぉくぅもぉ、のぉりぃたぁいぃ〜! 乗せてよ!」と、グイグイとAくんに迫って、強引に自転車を奪おうとします。

 

りょう太がぼくの顔を見ながら「たすけてよ」という表情です。

 

まじで帰りたいよ……。

 

仕方がないので3人の元へ行って……

 

「Bくん、いまAくんが練習しているから、邪魔しないで!」

 

そうキツめに言って、退散させました。

 

よく「現代社会では、他人の子どもを大人たちが叱らなくなった」と言われますが……いやほんと、他人の子どもって、どうでもいいんだよなぁ。

 

Bくんのワガママっぷりは、保育園の年中さんくらいなら許されるだろうけど……。とはいえ、ぼくがどうこうしようという思い入れもないし…無理だろうしなぁ。そもそもBくんは、ぼくが嫌いなタイプなだけで、よく言えば「たくましい」と言えるタイプ……なのかもしれません。

 

で、一方のAくん。

 

せっかくBくんが居なくなって、自転車の練習に専念できる環境に、してあげたのにw うまく行かず、すぐに諦めてしまいます。

 

こいつもダメだな……。

 

そんな思いが頭をよぎります。(いやいや、初めての練習だから、こんなもんでしょ…と、フツーの大人であれば、そう考えるのかもしれません)

 

諦めたAくんは自転車を降り……それをBくんにサッと奪われます。

 

Bくんは"りょう太の"自転車に乗り、公園内を誰かにぶつかりそうになりながら、爆走……

 

「ほら乗れたよ! ぼく じょうずでしょう!」

 

と満面の笑みで叫んでいます。

 

ほんと、こういう子どもって苦手です。ひとの自転車を強引に乗り、周りの迷惑を考えずに、自分だけが悦に浸っている。

 

大人でもよく居ますが……こういう人がいるから、ぼくは会社勤めが苦手なんだよな……なんて思いつつ、嫌気が差しました……

 

「おい りょう太、Bくんから自転車を返してもらえ! もう帰るぞ!」

 

と、怒気を含めて言いました。これで誰かにぶつかられでもしたら、たまったもんじゃありません。広い公園とはいえ、1-2歳の小さな子どもも遊んでいる公園です。糸の切れたタコみたいなBくんに、りょう太の自転車は貸しておけません。

 

めったに本気で怒ることもないので、りょう太はぼくの声色に、敏感に反応します。あと、りょう太も、彼らと遊んでもつまらないと感じたのかもしれません。

 

「わかった!」

 

そう笑顔で言うと、タタタタタッとBくんを追いかけていきました。

 

すぐに奪い返してきて、2人で帰りました。

 

うーん……なんか子どもと接するのって、本当に苦痛だなぁ。

 

そもそもぼくが公園で見守らなければいい話ではあるんだけど…。

 

春になって、もう少し日が長くなったら、1人で遊ばせるようにしてもいいのかもな。

 

迷いどころですね。

りょう太、無理矢理に書道博物館へ連れて行かれる

土曜日…朝から家族で過ごしています。週末に家出するのは難しいです。


午前中はごろごろだらだらと、録画しておいた有吉の『世界同時生中継』を、こたつに入りながら拝観。


朝食が遅めだったこともあり、昼過ぎに3人でこたつから這い出して、書道博物館へ。中村不折が作ったという同博物館は、以前から行ってみたいと思っていた場所です。土曜日は、小学生を連れて行くと、入館料が引率者を含めて無料になるので、嫌がる息子を引きづるように連れて行きました。



書道博物館というより、漢字博物館のような展示内容でした。


館内は基本、撮影禁止です。明治か大正…もしくは昭和前半に建てられたのだろう本館の中だけ、ほんのちょっとだけ撮影可。とはいえ、監視員はいないし、来る人も少ないので、のんびりと見て回れます。



信州のお酒ブランド「真澄」は、中村不折が書いたものだそうです。同ブランドの「夢殿」も同様。お酒だと、ほかに「日本盛」も、不折さんが書いたのだとか。


え……そうなんだぁ……


中村屋も不折さんなんだなぁ。


中村不折さんは書家でありつつ、洋画家なんですね。夏目漱石や森鴎外などの小説に、挿絵を描いていた人として有名なようです……夏目漱石の小説は、かなり読んだ時期があったのですが、中村不折のことは全く知りませんでした。まぁ初版などで読んだわけでもないので、知らないのも当然か。



どちらかというと、イラストレーターさんと言った感じでしょうか。なんとなく、椎名誠における沢野ひとし…みたいにイメージしてしまいました。


夏目漱石の同郷で、俳人の正岡子規とは仲良しで、中村不折の旧宅の向かい側には、正岡子規の旧宅があります。今でも「子規庵」として(現在は新コロのため非公開)公開されています。


↑ 子規庵。今日は…というか、最近は新コロのため、閉まっていました。


ということで、中村不折の書道博物館は、内部が撮影禁止のため、SNSなどでの広がりが限定的ですね。水戸光圀さんの書とか、すごく良かったけど…写真撮れないし、文化財にも登録されていないのか、ネットで所蔵品を見られないのが残念です。


比較的に所蔵品の写真を見られるのは、下記サイトになります。


書道博物館に学ぶ台東区は、上野、浅草等を擁し、古く江戸期から栄えた地域です。また、明治、大正、昭和とそれぞれの時代においても、上野駅の発展と共に上野恩賜公園には博物館や美術館等も次々と開設されて、芸術や文化の中心となっています。リンクwww.culture.city.taito.lg.jp

ということで、書道博物館へ行った後は、自宅近くに戻ってハンバーガー屋へ行き、そのまま上野公園でやっているベトナムフェスを覗きに行きつつ、あまりに混んでいたので中へは入らず、そこから妻はジムへ行き、児童館へ行きたいという息子の りょう太を送って、やっと一人の時間を確保。


そろそろ帰らないと怒られるかもな…。


東博の法隆寺宝物館を忘れずに……と、小1チャレンジタッチの進捗

今月は、息子の りょう太が、やけに早くチャレンジタッチのメインレッスンを終わらせました。まだ12月になったばかりなのに…。
 
理由は、「ふゆ休み わくわくパック」という、付録がついていたからです。
 
袋には「12月ごうのメインレッスンが おわったらあけよう」と書かれています。なのでぼくが「メインレッスンが終わるまで、開けちゃダメだからね」と、りょう太に釘を刺しておきました。
 
すると、それをちゃんと守って、メインレッスンを頑張ったようです。
 
なんか、こういうところが、親のぼくに似ることなく、ちゃんとしてるんだよなぁ。
 

ということで
東京国立博物館の
法隆寺宝物館

 

法隆寺宝物館は、東京国立博物館の中でも、もっとも行くのを忘れがちな場所…だと思います。
 
というのも、東博に入ってまず見える建物は、正面の本館、右手の東洋館、左手の表慶館。そして表慶館と本館の間を抜けた奥にある平成館が、遠くに見えます。
 
一方で法隆寺宝物館は、正面からは全く見えない…。というのも、左手の表慶館のちょうど真後ろにあるからです。
 
大きなイチョウの下を歩いて、表慶館の横を通っていくと、水の綺麗な長方形の建物があります。はじめて見た時は驚きました。「こんな建物があったんだ」と。
 
↑ イチョウの先にあるのが法隆寺宝物館
 
中に入ると、東博の中でも異質な感じがします。展示室が真っ暗だということもあるかもしれません。でも、もしかすると、この宝物館に所蔵されている全てが、国宝や重文に指定されてもおかしくないような…日本にとって特に大切なもので溢れているから、そう感じるのかもしれません。
 
 
Instagramで「法隆寺宝物館」を検索すると、プロが撮ったような写真がづらりと並びます。ちょっと見ると、写真を残している人たちは、宝物に興味があるのではなく、建物やインテリアに興味を抱いている人たちが多いことに気が付きました。
 
調べてみると、設計したのは谷口吉生さんという方でした。MoMAニューヨーク近代美術館などを設計したのだとか……まったく知りませんでしたが、世界で評価されている人だってことは分かります。
 
そして、同じ東京国立博物館の中にある、東洋館を設計した谷口吉郎さんという方の、息子なのだとか。すごいな。そう言われてみると、東洋館も法隆寺宝物館も、純和風のマインドで設計されてはいないな……という建物のように感じられます。
 
詳細は、下記サイトに詳しく説明されています。
 

日光東照宮と同じくらいに豪華絢爛な「上野の東照宮」

ちょうど1年前の11月下旬に、ひさっしぶりに上野の東照宮に参拝してみました。その直前までの何年間は、改修工事をしていたんです。工事が終わった上野東照宮は、ピッカピカに生まれ変わりました。
 
これまで何度か行ったことはあったけれど、500円の拝観料を払って、拝殿のそばまで行くのは、はじめてだった気がします。
 
 
東照宮は、徳川家康=東照大権現を祀る神社で、江戸時代には全国に建てられました。それは、徳川家の親戚筋にあたる親藩や、関ヶ原以前からの家来である譜代だけでなく、外様大名も東照宮を建てていました。一部は、本当に徳川家康を尊崇して建てたのだろうし、一部は、徳川家への恭順…敵意の無いことをしめすためにたてられたのだと思います。
 
その東照宮の中で、最も有名なのが日光東照宮ではないでしょうか。その次が、静岡県にある久能山の東照宮。そして、その次に著名なのが……知名度はググっと下がりますが、この上野の山の東照宮か、東京タワーのすぐ近くにある芝の東照宮ということになるでしょう。日光、久能山、上野、芝は、いずれも徳川家にとてもゆかりのある場所で、歴代将軍の墓がある場所です。
 
 
上野の東照宮がある場所は、もともと藤堂高虎の屋敷を建てる予定だったそうです。(一説によれば、藤堂高虎が伊賀国の上野を支配していたから、江戸における“上野”ということで、ネーミングされたとも言われているようです)
 
徳川家康は、いまわの際に(亡くなる直前に)、自身が信頼を寄せていた武将の藤堂高虎と、僧侶の天海僧正を枕元に呼び、かすれた声で……
 
「今まで死なんて、なんてこともないことのように思っていたけど、こうやって死を前にすると、不安とか怖いっていう気持ちが出てきてしまったよ。わしがこの世を去ってからも、やすらかに眠れる場所を、江戸に用意してほしいな」
 
なんてことを言ったとか言わなかったとか……
 
その遺志を叶えるために、藤堂高虎と天海僧正は、上野の山の一帯に、天台宗の東叡山寛永寺を建てました。
 
当然、遺言を言い渡す前に、あのあたりを寺にすることは決まっていたかもしれません……でも、家康が決めた徳川家の菩提寺は芝の増上寺で、上野の寛永寺を建てたのは、家光だという人もいるし……実際に、歴代将軍の墓は、主に寛永寺と増上寺にわかれているんですよね。
 
☆☆☆
 
視点を変えて、天海僧正を中心に考えてみると……。
 
徳川家康とは信頼もされ仲もよく、権力を持っていた天海僧正。その徳川家康が亡くなってしまったら、江戸における彼の基盤は盤石とは言えなかったのではないでしょうか。
 
徳川家康の臨終の際には、すでに徳川家の菩提寺は、芝の増上寺(浄土宗)と決まっていたのは、確実です。そこで天海僧正が、徳川家康に、自身の権力基盤となる大寺院の建立(天台宗)を、遺言として残すよう、頼んだのかもしれないなぁと。
 
☆☆☆
 
それは良いとして……
 
上野の山の界隈は、今は、天皇から下賜された「恩賜」の「上野公園」になっています。でも江戸時代には、「東叡山寛永寺」に関連する建物が“びっしり”と建ち並んでいました。
 
↓ 江戸時代後期の上野公園近辺のちずです。ピンクの場所は寺社が並んでいた場所です。寺や神社マークが付いているところは、今でも寺社が存在している場所です。
 
いま、公園内の広い場所に大きな噴水があるあたりに、寛永寺の根本中堂がありました。JRの上野駅や線路になっている場所も、この頃は寛永寺や子院の土地だったんですね。
 
 
江戸時代にあった、寛永寺関連の寺院は、どこに行っちゃったの? ということですが、江戸時代が終焉する際に、上野の山を舞台にした戦争(合戦)がありました。主に幕臣が中心に結成された、彰義隊と新政府との戦い、上野戦争ですね。この上野戦争の時に、多くが焼けてしまいました。
 
そして、その上野戦争の戦火はもちろん、関東大震災や第二次大戦時の東京大空襲などもくぐり抜けたのが、上野の東照宮ということです。
 
ものすごく強運の神社といえます。
 
上野の東照宮を、今の形にしたのは、日光東照宮も手掛けた徳川家光です。生まれながらの将軍…三代目ですね。
 
だからなのか、上野の東照宮は、日光東照宮と金ピカな雰囲気や、彫刻が多い点も似ています。
 
趣が異なるな……と感じるのは、大きな鳥居や神門をくぐると右手に見える、五重塔です。この五重塔に近づこうとすると、鉄柵に阻まれます。
 
ぼくはずっと、寛永寺の五重塔だと思っていたのですが、これは上野東照宮の五重塔だったということが、鉄柵の手間にある解説看板に記されています。
 
そうなんです……鉄柵の向こう側にある五重塔は、上野東照宮の塔だったんですね。
 
これは、明治時代初期に、神仏を分離しなさい! という大ブームが起こったことと関係しています。ブームと言うのとは違いますね。天皇を奉じた薩摩や長州などが中心となり「神仏分離令」という命令を出して、廃仏毀釈を進めたんです。
 
それまでの寺と神社は、一体となっていたところが多かった。一体とまでは言わなくても、神仏習合の時代だったんです。
 
例えば、上野の東照宮は神社です。神社だけれども、仏教・天台宗の寛永寺の敷地内にあったと言っていいでしょう。しかも、その東照宮という神社の中には、仏教的な建物である五重塔がある……。もう、いろいろとミックスされていたわけです。
 
明治の神仏分離令では、そういうゴチャ混ぜなのを、きっちり分離しましょうという……それまでの文化を否定するような、悪法と言えるでしょう。
 
ということで、五重塔が危ないということで、上野東照宮は、五重塔を守るために寛永寺に譲渡しました。その後、寛永寺が東京市に譲渡したのか、今は東京都が管理しているということです。
 
で、この五重塔……今は、東京都営の上野の動物園の敷地内にあります。東照宮側から五重塔を見上げる時に、前述の鉄柵の向こう側は、上野動物園だということです。
 
さらに、この上野動物園のパンダやゾウさんが居るあたりは、藤堂高虎の屋敷予定地だったのでしょう。この地には、東照宮が出来るのに合わせて、東照宮別当の寒松院が建てられました。「寒松」とは、藤堂高虎の戒名(法名)としてつけられたのが「高山院寒松道賢」という説があります。この「寒松」を冠した藤堂家の菩提寺が、いまの上野動物園にあったということです。
 
現在の寒松院は、東京国立博物館の近くに移転されています(何度も目の前を通っていましたが、あれがこの寒松院だとは知りませんでした)。ただ、藤堂家の歴代の墓は、そのまま元の位置に残されているようです。つまり動物園の中に、いまもあり、関係者しか入れないとのこと。
 
まだまだ書きたいことはあるのですが、いつもどおりに文章が散漫になってきたので、また別の機会に記したいと思います。

 

 

上野の東照宮の境内に、徳川家康/家光/慶喜とは別に祀られている「おたぬき様」について調べていたら、偶然たどりついたブログがありました。とても語り口が上手なので、こちらにリンクを貼っておきます。

 

NHKのドラマ『ライジング若冲』で知った池大雅

約11カ月前の、今年の正月2日に、NHK『ライジング若冲 〜天才 かく覚醒せり〜』という歴史ドラマが放送されていました。

 

 

伊藤若冲(じゃくちゅう)や円山応挙(おうきょ)、それに池大雅(いけのたいが)など江戸時代の絵師たちの物語です。舞台は京都。話の中心は、若冲と応挙、それに相国寺の坊さん・大典さんの3人でしたが、これら上品な3名とは対象的に、ワイルドな絵師として描かれていたのが池大雅でした。

 

池大雅……名前だけは聞いたことがあるけれど、どこの誰かも、どんな絵を描いた人なのかも、さっぱり知りませんでした。

 

それが、先日、東京国立博物館を歩いていたときに、あったんです。

 

池大雅の絵がね。

 

 

絵の前を、さ〜っと通り過ぎそうになりましたが、解説パネルを見ると「池大雅」と書かれていたので、まじまじと眺めてみました。

 

「池大雅って、こういう絵を描くんだねぇ」と。

 

『酔李白図』

 

芸術的に、なにが良いのかは知りませんが、ぼくが良いなと思ったのは、迷いのない太い線で描かれている身体…というか服の輪郭線ですかね。ざざ〜っと勢いよく輪郭を描いているのに、酔っ払ってご機嫌の李白の表情は、細くて繊細な線だなぁと。

 

絵の周りに色々と記してある款記(かんき)によれば、池大雅はこの絵を「冬の日に、たまたま描いてみた」のだそうだ。

 

それで、一気呵成に「酔っぱらい李白の図」を描いて、「あぁ〜、酒を愛しつづけて、ついには池に映る月をとらえようとして、舟から落ちたっていう李白は、なんて雅なんだろう」と思ったのかもしれないですね。

 

まぁ、「たまたま」描いてしまうくらいだから、池大雅は、元から李白のことが好きだったのでしょう。

 

そして、李白と同じく唐代のスーパー詩人である、杜甫が李白に送ったとされる詩「冬日有懐李白(とうじつにりはくをおもうあり)」を、絵のかたわらに書き添えました。

 

冬日有懐李白

寂寞書齋裡,終朝獨爾思。

更尋嘉樹傳,不忘角弓詩。

短褐風霜入,還丹日月遲。

未因乘興去,空有鹿門期。

 

 

ネットで調べれば、この詩の意味がすぐに分かると思ったのですが、まったく出てきませんでした。

 

だいたい「さびしい部屋で、朝から李白のことを考えている。彼の詩を忘れがたいわたし…」みたいなことが前半で書かれていますね。後半は全く分かりません。

 

池大雅は子どもの頃から、神童と呼ばれるほど頭のキレる人だったようです。当時だから、記憶力に優れる人だったのかもしれません。

 

池大雅の作品は、他にも東京国立博物館にいくつか所蔵されています。

 

国宝『楼閣山水図屏風』は、その代表なのでしょう。ぼくも何カ月か前に、見ていました。

 

 

きちんと見たい方はパソコンで下記にアクセスすると、かなり細部まで精確に見られます。

 

池大雅は、中国古典を題材にした絵を描くことが多かったんでしょうか。

 

これから、どんな絵が見られるのか、楽しみです。