PCR検査を無料で受ける方法(東京都)
じょじょに新型コロナウイルスのPCR陽性者が身近にも出てきたので、PCRなどの検査を無料で受ける方法を調べてみました。
まず、ぼくはどこでも無料で検査してもらえるのかと思っていたが、そうではないらしい。「PCR等検査無料化事業」に参加しているクリニックや薬局で検査する(または検査キットを受け取る)必要がある。
また、クリニックで受けるのが一般的だと思っていたけれど、実際にはチェーンの薬局で受けるのが一番スムーズにことが進みそう。うちの場合であれば「ウェルシア」が近くにある。
以下の手順は、東京都民の場合です。
【対象者】
(1)ワクチン・検査パッケージ制度又は対象者全員検査及び
飲食、イベント、旅行・帰省等の活動に際して、陰性の検査結果を
確認する必要がある無症状の方
(2)発熱などの症状のない無症状の都民の方で、下記に該当する方
・感染している可能性に不安を抱える方
・あらかじめ感染不安を解消しておきたい事情がある方
↑以上は、都のサイトのコピペ。ほとんど誰でもOKと言った様子。面白がって検査するべきではないけれど(無料と言っても税金ですからね…)、近くまで迫ってきている人は、不安を解消しておくべきとも思います。
【手順】
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スマートフォンから、kensamoshikomi@req.jpへ空メールを送る。受信したメールの、「検査申込フォーム」 のURLをクリックし、必要項目を入力しておく(1.を飛ばして店舗へ行ってから入力するのでも可)。
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東京都の「PCR等検査無料化事業」に参加しているクリニックや薬局、衛生検査所へ行く(身分証明書を忘れずに)。
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「1.」で入力した画面を見せると、店舗担当者が入力内容の確認と本人確認を行なう。そのため身分証明書を提示する。
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「検査申込フォーム」へ、出向いた店舗の「店舗番号」を入力したのちに、「登録」ボタンをクリックする。
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検査キットと問診票を受け取り、検体を採取。後日、結果が連絡される。
流れは以上のようだ。
以下が「PCR等検査無料化事業」に参加しているクリニックや薬局などの地図。東京都のサイトから引っ張ってきた地図なので、正確だと思われます。
以下、参考サイトを入れようと思ったけれども、アクセスが集中しすぎているのか、見たいページが見られない……特にウェルシア……。
参考サイト:東京都「PCR等検査の無料化のご案内」
https://www.welcia-yakkyoku.co.jp/
どうなる世界経済
いやぁ…ときどきニュースを見るのですが、今年も世界が混沌としていますね。
そう考えると、ぼくが資産を投入しているFX、EFTが、一瞬以降にどんな動きをみせるのか、予想もつきません。
これはいまに始まったことではありません。
例えば2020年に新型コロナ禍に入るなんて、誰も予想できませんでした。また2021年に、新型コロナ禍であるにも関わらず、欧米を中心に景気が急速に回復するなんて、誰か予想していたでしょうか?
そのせいで、2020年末から、世界は半導体不足に陥り、特に自動車製造においては、今でも減産が続いています。2021年の初夏には、自動車に詳しい方が「自動車における半導体不足は、今秋(2021年秋)には解消される」と語っていましたが、いまだに解消されていません。
また原油価格も7年ぶりだかの高値だとか。ガソリンは170円/L前後となっているのに加えて、ロシア/クロアチアで戦争勃発すれば、どこまで高騰するか分かりません。
さらにさらにアメリカのFOMCは、今年は複数回の利上げを行い、お金の巡りを抑制しようという計画だそうです。それによって、どうなるのか分かりませんが、(ぼくが見聞きしているソースでの)大方の予想では、ダウやナスダックも下落を続けるだろうと見立てているようです。
とはいえ、これからどうなるかを予想するのは、素人はもちろん、専門家でも難しいことです。
例えば「FOMCが〜〜するから、今後の〜〜は〜〜するだろう」という予想について。
前述の通り、ぼくが見聞きしている専門家によれば、「今年は資産を維持することを目標にした方が良い」と言います。つまり「守りに入れ」と……。
なにか、景気が悪くなるような予想が多いです。
ただ、多くの専門家が、ネガティブな予想をするような政策を、わざわざFOMCが行うのか? という疑問が付いてまわります。
現実には、プロの投資家とも言うべき、欧米の機関投資家は、投資を休むことは難しいでしょう。ナスダックやダウがダメなら、どこかにお金を移さなければいけません。
最近では、円安が定着するだろうと言われていますが、本当でしょうか? このまま仮想通貨は、値を下げていくでしょうか?
すべては分かりません。あうべての可能性を捨てるべきではないですし、何か一つの流れに、変に希望を抱いたり、肩入れすべきではないでしょう。
これから何が起こるか、傍観しながら、投資を考えていきたいものです。
佐藤一斎という江戸後期の儒学者
これ、佐藤一斎という江戸後期の儒学者が、7歳の時に書いた篆書(てんしょ)なのだそうです。※篆書とは漢字の書体の一種で、実印や碑文の題字などに使われている。
なにはともあれ、息子と同い年の7歳で、これだけ筆を上手に扱えるというのは、すごいですね。
ところで、ぼくは歴史が好きなのですが、佐藤一斎という名前を聞いたことがありませんでした。でも、東京国立博物館に、7歳の頃の書が大事に保管されているのだから、それなりの人に違いありません。
それでWikipediaで調べてみると、なるほどなと。
33歳(前後)で、当時の最高学府と言えるだろう昌平坂学問所(昌平黌)の塾長になり、69歳で儒官(総長)となったそうです。
門下生は3,000人ともいわれ、佐久間象山をはじめ、渡辺崋山や横井小楠などがいる。
また、42歳からの40数年で記した随想録『言志四録(げんししろく)』は、指導者のバイブルと言われて多く読まれているそう。例えば西郷隆盛は生涯、愛読していたとも言われます。また最近では、首相だった小泉純一郎が、教育関連法案の審議中に、同書の一節に触れたことを、多くの人がブログ等に記しています。
その一節が下記。
少にて学べば、則ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。
現代語にすると
若いうちに学べば、壮年になって何かを成し得る。
壮年になって学べば、老いても楽しく過ごせる。
老いて学べば、死んでも功績が残る。
つまり、生涯学び続けようということらしいです。
佐藤一斎さんが、なにを指して「学び」と考えていたのかは分かりません。ただ、ぼくが思う「学び」とは、好奇心を旺盛のまま保っていることだと思います。学びの対象は、なんでもいいんですよね。
ということで、小1の息子(7歳)にも、佐藤一斎が7歳で書いたこの書を、見せようかと思います。
「なにこれ?」って、言われて終わりでしょうけどね。
猫を贈られて喜ぶ、伊達政宗の手紙
伊達政宗と言えば、戦国時代屈指の強面大名のような印象があります。
そんな伊達政宗が記した、猫をもらったお礼の手紙が、博物館で初公開されるようです。
書状は1621年~22年ごろ(政宗55歳)に、幕府役人の野々村四郎右衛門に宛てたもので「大きなネズミを捕まえたことを喜び、大事に飼うことを誓っている」のだとか。「その身より大力の鼠」を捕まえた「おとこぶり」の見事な子猫に歓喜して、送った手紙……なんかいいな。
伊達政宗は非常に筆まめだったようで、全国に約2000点の、政宗筆の書状が残っているとか。数百年経っても、残っているなんてすごい。
※ちなみにカバー写真に使った書状は、全く関係ない、藤原行成の手紙です。
ところで、宛先の野々村四郎右衛門といえば、徳川家康関連のドラマには欠かせない、ちょい役として有名です。
時は、天下分け目の関が原の合戦。深い霧が立ち込める本陣で、イライラと戦況報告を待っている徳川家康。その家康の前に、誤って迷い込んで、あやうくぶつかりそうになった(?)のが、野々村四郎右衛門です。
関が原合戦をレポした『徳川実紀』には、「野々村四郎右衛門“某”」と記されていることから「野々村四郎右衛門っていうやつが、家康様の目の前に突然迷い込みやがったんだよ」という雰囲気でしょうか。
それで、ただでさえイライラしていた徳川家康は、刀を抜いて、野々村四郎右衛門に切りつけようとした……とか。
いつでも平常心で構えていそうな徳川家康も、ちょっとしたことでブチ切れることもあった……という代表的な事例として、有名なんですよね。(まぁ、徳川家康の戦場での痛い話は、武田信玄に完敗した三方ヶ原の戦いでの失禁? 脱糞? 事件も有名ですね)
それにしても、この徳川家康に切りつけられた野々村四郎右衛門と、伊達政宗から礼状をうけた野々村四郎右衛門とは、同一人物なんでしょうか? 博物館へ行けば、分かるかもしれません。
個人的には、同一人物だといいなぁと思います。
野々村四郎右衛門“某”は、関ケ原の戦いで主君の家康にブチ切れて、あわてて逃げたとのこと。それで余計にイラ立った家康が、近くにいた門奈宗勝という家臣の旗指物を、背中の筒ごと切ったと言います(Wikipedia)。背中にしょっている旗指し物を筒ごと切るなんていう剣の達人みたいな芸当を、家康が出来たのかは疑問ですが……それだけ怒っていたということでしょう。
野々村四郎右衛門といえば、『徳川実紀』の不名誉な逸話以外には、ネットを探しても見つけられません。そのことから、もしかすると合戦後は不遇だったのかもしれない? と考える人も多かったと思います。
でも、今回の手紙の発見で、実は大大名の伊達政宗と、猫を贈れるくらいの身分だった可能性も高くなりました(同一人物であれば…ですけど)。
しかも、筆まめとは言え、伊達政宗がわざわざ礼状を書くくらいですから、幕臣の中でも、御家人ではなく旗本くらいにはなっていたはずです。
そういうことが分かる、面白い展示ですね。
書状の詳細……だれかブログでアップしてくれないかなぁ。
もうすぐ『ポケモン化石博物館』が始まるよ(国立科学博物館)
今日まで小学校が冬休みです。
今週は、朝食後にほぼ毎日課せられている小学校の宿題を、小1のりょう太にやらせてから、学童へ送り届けていました。
宿題は10分以内で終わる足し算と引き算のプリントです。それを終わらせてから、さらにチャンレンジタッチを進めさせました。進めさせたと言っても、「やんなきゃダメ!」と、せっついたわけではなく、「この勢いでチャンレンジタッチもやっちゃえば?」と言ったくらいです。
昨日のこと。宿題とチャンレンジタッチを終わらせたりょう太が、学童の準備をしながら……「あ! きょうは うんちドリルを持っていこうっと」と言いました。
ぼく「え? ドリルを学童でやる時間ってあるの?」
りょう太「あるよ」
そう言いながら、親戚からプレゼントされた、うんちドリルをリュックに3冊も入れようとしました。
ぼく「おいおい、3冊は多すぎないか? 重いから1冊にしなよ」
りょう太「えぇ……じゃあ りょう太くんねぇ さんすうがにがてだから、さんすうドリルをもってくね」
そうやって学童へ送り届けました。
翌日の今朝、またリュックの中身を見ると、うんこドリルがそのまま入っていました。
ぼく「今日は、うんこドリルを置いていけば? 昨日はやったの?」
どうせやらなかっただろうというのと、今日は午後から親戚が来て、りょう太と映画を観に行ってくれるということだったので、やる時間なんてないだろうと思ったんです。
りょう太「きのう やったよ!」
そうドヤ顔で言い放ちました。そして、結局今日もドリルを持っていきました。
チャレンジタッチもですが、子どもの勉強を楽しくサポートしてくれる教材が、今は本当にたくさんあるなぁって思います。
ぼくらの時代は、たまたま面白く教えてくれる先生なんかに当たらないと、なかなか勉強に興味を抱くのって難しかったと思います。そういう意味では、今の子どもたちは、楽しく(知らないうちに)学べる機会があっていいなぁと羨ましいです。
■3月から科博で始まる『ポケモン化石博物館』
『ポケモン化石博物館』が3月から国立科学博物館で始まるそうです。
巡回展なので、東京のほかにも島根や愛知、大分などでも開催されるようです(既に始まっていたり、終わっている地域もあります)。
いったいなんだろう? と読んで見ると、どうやらポケモンには「カセキポケモン」というのがあるとのこと。これらカセキポケモンには、それぞれ、実際にあった…または居た…モチーフとなった化石や古生物があるんだそうです。
で、カセキポケモンと実在の化石・古生物とを見比べよう! というのが、今回の展示です。
↑ こんな感じに見比べようというもの。
左がカセキポケモンで、右が実在の古生物(恐竜)です。
カセキポケモンを元にして、骨格のイメージを再現した模型も見られるそうです。
模型までは作らなかったけど、カセキポケモンの骨格をイラスト化して、実在した古生物の骨格図と見比べたりもできるようです。
子どもが興味を既に抱いているものを元にして、古生物学に導いていこうという試み……ということ。
(りょう太はそうでもないけど)ポケモンが大好きっていう子どもって多いですもんね。そういう、子どもが熱中しているものから、どんどん興味の幅が広がっていくと、いいなぁと思います。
チャレンジタッチで本が読み放題
仕事始めの今日は、小学生1年生の息子と朝から2人で仕事&勉強をしています。
小学校って、今週いっぱいが春休みなんですよね……うらやましい。
学童へ行かせようと思いましたが、本人が「行きたくない!」というので、ぼくの仕事を邪魔しないという条件で、午前中は一緒に過ごすことにしました。
仕事の邪魔をしない以外に、ちゃんと宿題を進めること。あと、チャレンジタッチで勉強することを約束しました。その合間には、彼が好きなガンプラで遊んでも良いことにしています。
ところで、クリスマスから今日までは、ほとんど休みなく出かけていました。ということで、息子はほとんど冬休みの宿題をしていません。
宿題の一つに、読書というのがありました。なんでも良いから3冊以上を読むこと。
「あとで図書館でも行くか」とも思っていたのですが……
進研ゼミだと、1,000冊前後の本が読み放題、というのを思い出しました。
『電子図書館まなびライブラリー』というものです。
息子は、チャレンジタッチをやっているので、使っているチャレンジタッチ用のタブレットで読めます。それ以外にもパソコンや、iPadなどのタブレット、スマホなどから読めます。
ChromeなどのWebブラウザを開いて、「https://benesse.jp/zemi/library/」へアクセスし、進研ゼミの会員番号とパスワードを入力すればOKです。
久しぶりに「電子図書館」を開いた息子は「えぇ〜! こんなに読めるの!」と狂喜していました。
喜んでいたのは、学童で読んで面白かった「おばけずかん」シリーズが読めること。しかも、学童に置いてあるのは数冊だけど、ここには何冊も置いてある! 「すごいよこれぇ〜。こんなのがあるんだぁ〜」と興奮気味でした。
↑「おばけずかん」で検索したら、8冊もあった!
ということで、いまは黙々と読書しています。今日だけで3冊が読み終えそうです。
毎日を面白がって生きた大田南畝
昨夜、家族が寝室へ行ってからNHKの『知恵泉』を見ていました。大田南畝、蜀山人、四方なんちゃらなど多くのペンネームを使っていた、江戸の文化人の話でした。
名前は聞いたことがあるけれど、何をした人なのかさぱり知りませんでした。聞けば、現代で言うところの、山田五郎さんのような方。ということでなのか、ゲストは山田五郎さん。ぼくが番組を見ようと思ったのも、彼がゲストだと知ったからなのでした。
さて、大田南畝について。彼は幕府の役人の中でも、下級で知られる徒歩(かち)組に属していたとか。戦争の時には、将軍の身辺を守る重要な役目を任されますが、平時には江戸城の守衛のような仕事です。御目見以下の御家人なので、おそらく大田南畝も、将軍を見たことはなかったのではないでしょうか。
年収は今の価値に換算すると200〜300万円だったそうで、これで父母プラス妻と子どもたちを養うのは、難しかったよう。なので、多くの同僚は内職などの副業をして、なんとか生計を立てていました。
で、大田南畝は何をしていたかと言えば、彼は歴史や文学が好きだったんです。だからといって、塾を開いたわけでもなく、ただただ貧乏だった。
そんな彼は、狂歌という一種の歌を詠みました。5-7-5-7-7の和歌にならいつつ、日常を茶化したような内容でした。
どんな歌を詠んだかと言えば…
と言ったような意味の歌でした。
こうした狂歌を、仲間と集まっては詠んでいました。そして狂歌をまとめた本を出版。そしたらこれが江戸中で話題になったという嘘のような本当の話。その頃の有名な出版社=版元である、蔦屋十兵衛も「これは売れる!」と目をつけて、大田南畝の歌に葛飾北斎などの人気絵師の挿絵を付けて出版したそうです。
そして狂歌の一大ブームが沸き起こり、大田南畝は一躍有名文士の仲間入り。文化人としてもてはやされ、狂歌の先生として、生計が成り立つようになったそうです。
聞けば、彼の自宅は今の東京都の新宿区にあったそうですが、そこから10kmくらいは離れていただろう、台東区にあった一大風俗街の吉原にも通っていた(取材していた?)ようなのです。そして、妻子がありながら推しの花魁を見受けまでしたとのこと。見受けする費用が、かなり高額だったと彼自身が記録に残しているんです。
生計が経つどころか、愛人をもつほどに裕福になっていたようですね。
その後、彼は狂歌界から脚を洗ったフリをしつつ、幕臣として出世していきます。ユーモアがありつつも、元来が有能だったのでしょう。全国の孝行な人物をまとめた幕府の公式書などの編纂などをまかされたり、大阪の銅座……今で言う日本銀行の大阪支店……へ転任したりと、活躍したようです。
神々が
吉原へ
で、今まで大田南畝の書とは知らずに、東京国立博物館で、ぼくも見ていたりするんじゃないのか? って、調べてみました。
どうやら彼の直筆の書や、浮世絵の挿絵が付いた書籍などは、同館には置いてないようでした。
その代わり、大田南畝がよくコラボした鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)の『隅田川図』という絵を、ぼくはしっかりと見ていました。
『隅田川図』は、七福神の寿老人と布袋和尚、それに大黒天が連れ立って、吉原へ遊びに行くというお話を、絵にしたもの。物語は(判然としませんが)、どうやら大田南畝の著作のようです。
こういうばかばかしい話……読んでみたいなぁ。
それにしても、この絵のタイトルが『隅田川図』って……面白くもなんともないですね。きっと、もっと違うタイトルだったんじゃないかな。たしかに隅田川を遡って、河岸からカゴに乗り換えて吉原へ行くというルートは一般的だったようですが……そんな平易なネーミングに、するもんかなぁ。ぼくは信じませんよ。
小1息子と楽しむアニメ
正直言って、子どもと一緒に、子ども向けのテレビ番組を見ているのが苦痛です。
息子の りょう太が保育園へ通っていた昨年までは『お母さんといっしょ』を、我慢して流していました。ただ…大人のぼくには、まったく面白くなかったです。歌や体操のお兄さんやお姉さんが変わっても「ええ! 変わっちゃうんだ」とは思いましたが、感慨のような感情は抱きませんでした。
そんなぼくは、冷たいんでしょうか?
例外は、もちろんあります。
いまも時折見る『残念な生き物図鑑』や『ピタゴラスイッチ』、関係者の過去のいじめ問題がからんで休止中の『デザイン"あ"』などは面白いです。
耐えられないのは、週末の『仮面ライダー』や『戦隊ヒーロー』系です。もちろん息子の りょう太は、それらの番組が大好きだし、ぼくも子どもの頃は好きでした。
でも、今は耐えられない…。
そんなぼくですが、りょう太と楽しめるテレビ番組がないかを探した時期がありました。積極的に探した…というよりは、たまたまだった気もしますが…。
りょう太が保育園の年中だかの時に、一緒に見始めたのは『機動戦士ガンダム』でした。初代のRX-78ガンダム…アムロやシャアが出てくるやつです。
この『機動戦士ガンダム』を見る前まで、りょう太は完全に妻の子どもでした。ぼくも彼にたいした関心を抱いていなかったし、彼もぼくに無関心そうでした。
特に激変したのは、寝かしつけの時です。彼は妻と一緒じゃないと寝たがりませんでした。それが『機動戦士ガンダム』以降は、彼がぼくに心を許すようになったのか、ぼくの布団の中に潜り込んで、ガンダムの話をしながら寝る…なんてことが起き始めました。仕事で帰りが遅くなった時などは「おっとー(ばく)が帰ってくるまで待ってたい…ガンダムの話がしたいから」と、妻に言っていたと言います。
今まで一緒に観たのは、今も続いていますが(次のシーズン3が来春にスタートする)『キングダム』、あとは、最近また始まったNHKの『映像研に手を出すな』。『映像研に〜』は、実写版もテレビで見たし、映画も観に行きました。
特定の観たい番組などが無い時…りょう太とぼくが2人で過ごす時…「夕飯食べながら、テレビでも観ようか?」と誘うことがあります(妻が居る時は、食事中のテレビは禁止です)。すると りょう太が、テレビのリモコンを操作して、ザッピングしながら「いいねぇ、なんにしようかなぁ」と言います。
すかさずぼくは「ちゃんと、おっとー(ぼく)が観ても面白そうなのを選んでよ」と注文をつけます。
すると りょう太も「これなら おっとーも面白いんじゃない?」なんて言って、いちおう気を使います。
子どもに合わせるのが
嫌なんです
妻には「子どもかよ!?」と、時々言われますが、ぼくは、子どもに合わせるのが嫌なんです。
それは文字通り、ぼくがわがままだから、なんで親のぼくが息子に媚びなきゃいけないの? っていうのもあるし、親が子どもの好みに合わせる必要ってあるのか? とも思うからです。
もし色んなことを我慢して、息子の りょう太に合わせて観るテレビ番組や、行く場所などを選び続けていたら、ぼくはきっと 子育て…というか りょう太と過ごすことが苦痛で仕方なくなっていただろうなって思います。
それに、子どもって、意外と大人向けのコンテンツも楽しめるものなんですよね。そうであれば、親子で楽しめるモノやコトを探した方が良い気がします。お互いにストレスが溜まらず、長続きできますからね。これって、恋人や夫婦関係と同じだな…と、書いていて思いました。
子どもを背負う女性の埴輪……ほか(東京国立博物館)
前回の、東京国立博物館の考古展示室の続きです。
ということで東博考古展示室で、変更されていた展示物が、「船」です。
『埴輪 船』宮崎県西都市 西都原古墳群出土(古墳時代・5世紀)
外洋を航海するための大型の準構造船がモデルとみられます。舷側板の上にはオールで漕ぐための軸受けが(左右に)各6個付きます。軸受けが傾く方向が船尾で、その反対が船首です。こうした船の埴輪は、古墳の被葬者が司っていた外洋への航海を象徴しているのでしょう。(解説パネルより)
西都原古墳群というのをGoogleマップで見てみると、近くの川の河口まで15km前後の場所のようです。ただ、古墳時代であれば、もしかするとこの一ノ瀬川というのが、もっと広くて、古墳のあった場所のあたりは湾のヘリに位置していたのかもしれませんね。
そう考えれば、ここの権力者が船を操っていた可能性も納得できます。
それにしても、ものすごく丁寧に作られているうえに、キレイに残っていたものだなぁと驚いてしまいます。
この5-6世紀の日本人は、こうした船で、日本中を巡って商売をしていたのでしょう。もしかすると、朝鮮や中国にまで行っていたかもしれないと考えると、ワクワクします。
蛇足ですが、現在「埴輪 船」が展示されている場所……この前までは「埴輪 子持家(こもちいえ)」が展示されていました。
いずれも重要文化財で、同じ西都原古墳群から出土したものだとのこと。調べてみると、どうやら(確証はありませんが)同じ「西都原170号墳」から出土したようですね。なんで東博にあるのかは分かりませんが…。
☆☆
前回は「翳(さしば)」について記しましたが、こちらも思わず「え? なにこれ?」と2度見してしまいました。
というのも、ぼくは(順路とは逆に)埴輪の後方から近づいたんですよ。で、なにか異様なものを背負った埴輪に驚きました。
異様だと思ったのは、赤ちゃんのようです。
『埴輪 子を背負う女子』栃木県真岡市 鶏塚古墳出土(古墳時代・6世紀)
背負われた子どもは左側を向き、肩越しで和やかな表情を見せます。その顔つきからは、母の背中で安心しきった子どもを表現しているようです。女性は頭に壺を載せ、顔に赤彩をほどこし、首飾りを身につけています。このような母子の造形は、大変珍しいです。(解説パネルより)
なるほどねぇ。あかちゃんかぁ。
そう言われてみると、赤ちゃんが「和やかで安心しきっている」表情のようにも思えてきます。
「子を背負う〜〜」と言えば、同じく東博に展示されていた、猿の埴輪を思い出してしまいます。
以前、東博本館の2階に展示されていました。子猿が散逸してしまったようで残念ですが…なんで子猿を背負ってたと断定できるんだろ?…どんな子猿だったんでしょうね。
子どもを背負う女子と猿の2つの埴輪に、関連性があるかどうかは知りませんが……権力者の古墳=お墓に、子を背負った一般女性や猿の埴輪を置いていたっていうのが、不思議なんですよね。
女性だけではなくて、鍬を肩にかついでいる農民だったり、笑っている人だったり、腰掛けている人だったり……バラエティに富ませるために多彩なラインナップを展示しているだろうけど……もしかすると「軍人」の埴輪は少なかったのかもなぁと。
こういう埴輪のラインナップに、古代の権力者たちの「やさしさ」みたいなものが感じられるなと……いや、感じたいなと。
お墓ですから、大事なモノで囲まれたいというのは、古今東西変わらないですよね。だから、どの時代のどの墓にも、刀剣や宝石などが副葬されているわけでしょう。でも、埴輪には、やさしさが漂っている……かもなと。
埴輪で見られる「翳(さしば)」って何?
東京国立博物館(東博)の考古展示室が2022年1月1日まで閉室ということで、閉室する前に、いちおうチェックしておくことにしました。ちなみに、年末のこの時期だからか、東博のいくつかの部屋がリニューアル中のようです。年始…正月中旬から始まる特別展の用意もあるでしょうし、なかなか忙しそうです。
で、考古展示室を久しぶりに見てみると、いくつかの展示が変更されていました。
まず「え?」って、2度見してしまったのがこれ。
解説パネルには「埴輪 翳(さしば) 伝群馬県藤岡市本郷別所出土 古墳時代・6世紀」と記されているだけです。
あと、バシュフォード・ディーンさんという方が寄贈してくれたそうです。ありがたいことです。この方、軟骨魚類や板皮類などの研究者であるとともに、中世の甲冑コレクターでもあったようです。なかなかクセがスゴそうな人なので、機会があったらもう少し調べてみたいと思います。
で、「翳(さしば)」ですね。この太陽をかたどったような埴輪はなんなのかを少しググってみました。
天理参考館のサイトによれば、「儀式に際し、従者が貴人にかざす長柄のついた団扇(うちわ)形の用具を翳(さしば)」と言うらしいです。それをかたどったのが「翳(さしば)形の埴輪」ということ。続けて……
「高松塚古墳に描かれた女子群像の先頭の女性が絹製とみられる翳をもっている姿をご記憶の方も多いと思います。」
……と記されているのですが、高松塚古墳の壁画ってどんなのだっけ? ということで、調べてみました。一番わかりやすかったのが、こちらのイラスト。
あぁ〜、なるほどこれかぁ〜……と思い出しました。こんなのあったなぁ。
イラストのなかで「団扇」と書かれているのが、「翳(さしば)」というものらしいです。でも、「あきらかに、この翳(さしば)形の埴輪と翳(さしば)とは異なるものじゃない?」って、ぼくは思ってしまっています。
そこで、もうひとつサイトを巡ってみました。今度は、国立歴史民俗博物館。
同館の松木武彦さんという方は、関東で複数の出土例のある「翳(さしば)形の埴輪」が、いわゆる中国ルーツの「翳(さしば)」をモチーフにしたわけでは“ないのではないか”と考えているようです。
中国ルーツのさしばとよく似たこのような形の威儀具が独自に生み出され、他の器財とともに埴輪に写されたと考えるのも一案であろう。
「一案だろう」としていますが、明らかに「翳(さしば)とは異なるもの」と思っていることが、前後の文章に、にじんでしまっていました。
それにしても、ぼくはパッと見て「太陽」だと思った形ですが、松木さんは「星」の形だとしています。まぁ太陽も星の一つではあるから、同じことを言っているといえば、そうなんですけどね。
ただ、昔から「太陽」と「カラス」は、古代人が神格化していたものですから、この翳(さしば)形の埴輪も、太陽だと考えるのがふつーでしょ……と思うのですが、専門家が「星」だとしているのが面白いなぁと。なにかそこに、確固たる根拠がありそうで気になります。
さて、考古展示室の展示は、ほかにも代わっているものがありました。次回は、「舟」と「赤ちゃんをおぶった女性」の埴輪を紹介したいと思います。

























