非正規雇用と均衡or均等処遇--「壁を壊す」に続いて
非正規労働の処遇の均衡とかいうことを考えると、「壁を壊す」運動論的な取り組み、労使自治における取り組みが大切なことは当然、立法論として必要なことは何?ということで、リクルートW研の090707報告(※)以外に何かないかと思っていたら、たまたま川田知子先生@亜細亜大の「有期契約法の新たな構想」(学会誌労働法107号、平18.5)という、タイトルからすると実に勇ましくて頼もしそうな論文をみつけた。
※http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10296592236.html
リクW研究は、雇い止めに対する解雇権濫用法理の一種の緩和を図ることで「正社員化」を図る(その結果として処遇の不合理な格差も修正されていく)という趣旨のモノ。これに対して、川田論文の論点は、おおきくは、均衡or均等処遇論と有期契約労働の締結に「客観的で合理的な理由」を求めようというもの。いずれもEU指令やヨーロッパ主要国、川田先生的には特にドイツ法を準拠枠にした議論だ。それだけに、
均衡or均等処遇に至る道筋としては、リクW研よりはずっとストレートだ。川田先生は
・パート労働法で一部のパート労働者と正社員の均衡処遇の努力義務が規定されたが(全般規定3条、賃金
9条等)、均衡処遇 はパート労働に限らず非正規一般に共通する問題
・むしろ雇用契約に期間の定めがある者との観点から、有期契約労働者と正社員の均衡or均等処遇問題とし
て論ずるべき
・有期契約のような雇用形態差別は、国籍、人種、思想信条、性別による「社会的差別」とは異なり、身分的雇
用管理の手段になっているのだから、有期契約を理由とする合理的な理由のない差別を禁止する「特別均
等待遇原則」を法律上で謳うべきだ。
といっている。
時間が長いか短いかよりも、雇用契約が有期か無期かで見る方が非正規労働者のカバレッジは広がる--パート法8条の「職務内容同一短時間労働者」であって「無期雇用の者」という数の上では数%の人は除かれるが、問題の大勢を左右するものとは思えない。
EU指令では各国ともに異論が少なかった(らしい)均等処遇原則の導入が学会の外でも議論され始めている気配もある(それほどに、正規・非正規間の処遇格差が、雇用の不安定さとともに問題視されたわけで、所得労働経済白書はもちろん、経済財政白書@H21も格差拡大の原因として非正規雇用の拡大をあげざるを得なかった)。
川田先生は、労働の質、責任、企業拘束の度合い、企業貢献など、「定量化できない要素について労働者側が立証することは困難」なところ、立法化により「合理的理由」の有無に関する使用者の立証責任を明確にすることは、立法化の大きなメリットだという。確かに、そうした立法があれば、京都女性協会事件の原告のような専門性が高く、業務上の貢献を使用者側証言も否定できないような事案では、裁判所の考察も違ったもの--類似正社員がいないので比較不可能といった稍冷たい判断以外のもの--になり得たかもしれない。働く者が不合理と感じた場合の「雇用管理身分」による処遇差を、納得性のあるものに変えていく可能性が高まるかもしれないと思う。
問題は、一足飛びにそうした立法化がなされるのかというところだろう。EUではというだけでは、労働市場のありようや歴史的背景が違いますね、といわれるのがオチだ。非正規と正規の処遇差を合理的なものに変えていく労使自治の現実が、少なくともパート立法の背景にあったように存在しなくてはならないのだろう。卵と鶏ではないが、どっちが後先の話ではないような気がする。
「壁を壊す」取り組みは、中村先生の報告を初めとした地道な調査をみると、ワン公の予想以上の広がりを持ち始めているような気がする。そういう労使自治のあり方を促進するような誘導、パート法3条にあるような雇用管理全般における均衡処遇は当然、それを事業主の「努力」にとどめずに、過半数代表とかを絡めた労使関係論的な手続き規定も合わせ技にするということはできないか--従業員代表法制とか、おおきな議論につなげるかどうかは、2段ロケット、3段ロケットみたいなものではないか。
ちなみに川田論文は、有期契約の締結に正当な事由を求めるべしという方に力が入っているのだが、いわゆる入り口規制を強くしたときの雇う側の反応を(オイラもその縁辺にいる立場から)考えると、働く人にとってプラスの方が大きいのかどうか疑問だったりする--おそらく川田先生も紹介しているドイツの事例のように「正当な事由」を巡る膨大な判例を蓄積することになるのだろうが、その間に、「有期契約」としての直接雇用は狭まってしまうのではないだろうか。道筋としては、リクW研の提言の方に現実性があるような気がする。
非正規問題の取組み/あるいは労働組合が「壁を壊す」
京都市女性協会のような事件は、憲法17条、労基法3条の「社会的身分」ではないが、野村正實先生のいう意味での「会社身分制」というものが日本の雇用管理の基底に存在し続けている中でのものだ。
●京都市女性協会事件・・・特段変な判決ではないのだが
http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10299754378.html
こうした現実のもとで働く人の間で「不合理な労働条件格差」と感じ取られているものがあることは間違いなく、それは、法律論風に言うならば、「およそ人はその労働に対し等しく報われなければならないという均等待遇の理念・・・・人格の価値を平等と見る市民法の普遍的な原理」(丸子警報機事件長野地裁上田支部判決)に反するもの、「労働者の人格的利益としての職業能力やその実現の成果を侵害する」(浜村彰先生)ものなのだろう。しかし、そうはいっても、
特定の労働がいかなる価値を有するかを評価する基準が確立し・・・いかなる賃金が支払われるべきかの判断基準が確立しているとはいえない、年功的要素を考慮した賃金配分方法が違法視されているとまでは言い難い等、京都地裁が上記事件判決で示した認識はまさにそのとおりで、賃金処遇の格差を「均衡処遇の原則に照らして不法行為を構成する」ためのハードルは実定法や判例法理の現実から見て、決して低くないと思う。
大上段にふりかぶって言えば、「人格の価値を平等と見る市民法の普遍的な原理」、「均衡処遇の原則」というものに至る道筋はいくつかあるのだと思うが、どれも、当事者の人たちの営みの積み重ねで開かれるものだ。労務屋さんからの孫引きで恐縮だが、ゲンダ先生の一節「根本的な問題があることくらい、わかっている。一朝一夕には解決しないから、根本なのだ。本当の関係者は、一歩ずつ解決策の積み重ねを、地道に模索している。」なのだ。
当事者にとって--労働者側にも使用者側にも--精神的、肉体的、金銭的、時間的コストの極めて大きい訴訟という道筋も「一歩ずつの解決策の積み重ね」として無くてはならないものだが、労働者の集団と使用者の間での考え方や利害の差をねばり強く調整する労使関係の道筋も依然として有効かもしれない、と中村圭介先生の『壁を壊す』(H21.5.29、第一書林)を読んでみて思った。正直なところ、連合が非正規組織化の方針を打ち出し取り組みを強化していく、とかいうニュースに接しても、所詮は画餅と思っていたのだが、日本の企業別組合の地道な努力という道筋も捨てたモノではないと思った。
職場に非正規労働者が量的に増えて、労働組合の代表機能、発言機能が危うくなっているという現実に目を向けて、なんとかしなくては!と思い立ち、かつ頑張って結果を残した10の労働組合の組織化の事例だ。
中村先生のことなので、のっけに「連帯、友愛、団結」といった理念だけでは人も組織も動かないと熱冷ましな台詞を言っておいてから、それぞれの組合がどんな已むにやまれぬ事情で非正規の組織化にとりくまざるを得なかったのか、会社側はどのような事情でそれに「理解」をみせるようになったのか--中には、非正規労働者が企業外ユニオンに駆け込んで裁判闘争に発展なんていう、企業と企業別組合にとっては苦い事情も混じっていたりするが--、それから、クミアイってナニ?どんなメリットがあるの?と率直に聞かれることもあるなかで、どのようにして非正規の人たちの加入にこぎ着けたのか・・・などを書く。
坦々とした中村圭介調にしようとしているようにみえて、組織化に成功し、非正規の人たちの処遇にささやかだが着実な改善が現れるあたりを書くときの調子には、先生、のってませんか?みたいな感じもあったりする。が、それは、それでいいのだ。「電報文のような文体」とか、ドーア先生にいわれていた(と記憶する)中村先生でも、こういう、世の中にとって良い話を多くの人に広めようというときには。
小さな新書を開いてみようと思ったのは、家のお嬢が持っていたからという以上に、上の京都の事件で、原告・女性嘱託職員が他の嘱託職員と一緒に賃金の改善の要望書を出して集団のボイス機能によろうとした一面もあったのに、既存の労働組合との支援関係とか判例からは全く読みとれず、これがもう少し労使関係的なベースにのっていたらどうなっただろうか、とか、丸子警報機では労働組合の全面的なバックアップがあったのじゃなかったか・・などと思ったせいだ。
中村先生の本には、組織化した後、正社員だけではない利害も一様とは思えないグループを含めた組合運動の難しさとかみたいなところの話は、実は出てこない。
異質な集団を加えたことで組合組織が活性化していくというメリットだけでなく、本当はいろいろとありうるのではないか--組織化以前の組合討議とかで出たと紹介される、正規と非正規の利害のトレードオフの問題、賃金や、もっと深刻な雇用そのものに関わってそれが出たときに組合としてどう対処していくのかなど、これからの問題なのかもしれないが、前途は平坦だとは思えない。
ただ、それにしても、「本当の関係者」が「一歩ずつ解決策の積み重ねを、地道に模索している」話を教えてもらうのは、日本の社会の未来も捨てたモノではないな、なんて思えたりして全く悪くない。
非正規職員の均衡or均等処遇 京都市女性協会事件・・・特段変な判決ではないのだが
「法セミ」6月号の座談会「労働の未来を語る」の大竹先生発言に絡んでからその後、気がついたら非正規労働というか有期雇用契約がらみの話ばかりになっている。
○大竹先生、お話の趣旨が・・・?http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10292555016.html
○リクW研 登録型労働者派遣提言http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10296340169.html
○有期雇用の未来・雇用WS@本郷三丁目http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10296592236.html
そのインネンか、京都市女性協会事件(京都地判平20.7.9、労判973号)というのを、うちのお嬢がもっているのを見つけた。
京都市の財団に契約期間1年、勤務時間7時間/日などの条件で雇用され、男女共同参画に関わる相談業務を主に行う嘱託職員(呼称)の女性が正規職員と変わらない業務内容にもかかわらず低額の賃金しか支給されないことについて、憲法13条個人の尊厳、同14条の法の下の平等、労基法3条の国籍、信条、社会的身分による差別の禁止、同4条の男女同一賃金原則に違反する等として、正規職員との賃金差額、退職金差額の支払いと慰謝料を求めた事件。
社会的身分又は性による賃金差別の存否をあらそったわけだが、事案の内容からしたら、正規職員と同一又は相当の職務を行う非正規職員に対する均衡or均等処遇を主たる争点にすべきだったように見える。そうしなかったのは、改正パート労働法施行(H20.4.1)以前の事件だったためかと推測したりするが。
判決をみると、裁判官は、社会的身分又は女性であることを理由とする差別という原告・女性嘱託職員の主張は退けており、その所論に特別おかしなところは感じられない。しかし、その一方で、原告が主張していない改正パート法、労働契約法との関係について敢えて考察しており、嘱託職員の賃金乃至処遇が職務内容に比して適当とは言い難い状態であることに強く印象づけられたことが伺われる。例えば、
「原告は本件雇用期間中、被告の主要事業の一つである相談業務を高い質を維持して遂行し、一定の責任をもって企画業務を行い、外部との会議にも単独で出席するなどしていることから・・・一般職員の補助としてではなく主体的に相談業務及びこれに関連する業務につき一定の責任をもって遂行していた。
「ところが・・・被告の職員給与規定には、嘱託職員が質の高い労務を提供した場合、どのような加給をするかという点について何らの定めを置いておらず、また、上記のような嘱託職員が質の高い労務を提供した場合に、何らかの形で一般職員に登用する可能性がある等の具体的な定めをしていることも見受けられない」
としたうえで、「被告の職員給与規定は原告の提供した労務の内容に対して、適切な対応をしうるような内容となっていない」と言い切っているあたりだ。
そうはいいながら、一般職員(正規職員)と比べて、業務に対する責任の差、人事異動等の組織への拘束性の差があることを理由に「通常の労働者と同視すべき短時間労働者に該当するとまではいえない」から、結局は、パート法8条の差別的取扱にも当たらないなどとして、原告・嘱託職員の差額賃金請求を退けているのだが・・・・。
ワン公的な勘ぐりでいえば、判決は、高いレベルで真面目に職務を遂行している非正規職員の処遇改善のために、身分差別、性差別とか同一労働同一賃金とかでいくのではなく、パート法8条、9条等、さらにいえば労働契約法3条2項「労働契約は、労働者及び使用者が、就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。」という理念規定も使って、むしろ均衡処遇論で控訴審を争いなさいと諭しているようにもみえる--原審の裁判官が控訴審での逆転を望むはずはないから、そんな親切心はないのは当然だが。
有名な丸子警報機事件判決--同一(価値)労働同一賃金原則には実定法上の明確な規定が存在しないとしつつも、「人はその労働に対し等しく報われなければならないという均等待遇の理念が存在し、これは人格の価値を平等と見る市民法の普遍的な原理」と言い切り、「理念に反する賃金格差は、使用者に許された裁量の範囲を逸脱したものとして、公序良俗違反の違法を招来する場合がある」として、経営者の裁量分を除き正社員賃金の8割に満たない部分について差額支払いを命じた--の大岡裁きふう判決と比べると慎重な言い回しだし(丸子警報機とは職場、業務の実態や労使関係といった事情の違いがあることも大きいと思う)、原告・嘱託職員の敗訴という結論を導いているのだが、結果的には、非正規労働者の均衡処遇の前進に資する争点を示唆することになったと思う。
短時間労働者の問題として本件事件は取り扱われたし、原告は確かに短時間労働者なのだが、当然ながら、呼称・契約社員などのフルタイム・非正規の均衡・均等処遇にも射程は広がる話だろう。この点、パート法はあくまでパートタイマー短時間労働者を対象とした法律であるのが問題だ。指針(告示326号)で、通常の労働者と同一の時間働く有期契約労働者についてもパート法の趣旨が考慮されるべきである旨いってはいるが、これは訴訟において認められる規範性は全くない。やはり、少なくとも直接雇用の非正規労働者をカバーして均衡・均等処遇を進めるための法規定が必要になっているのと思う。
非正規問題 電機連合
hamachan先生が紹介されている電機連合大会の賃金政策、日経社説限りなのだが、読む限りでは方向性は正しい。
電機連合は8年ぶりに刷新した賃金政策のなかで、「同一価値労働、同一賃金」の立場から正規、非正規社員の均衡処遇を打ち出した。派遣や請負社員を除き、パート、契約社員など雇用契約を企業が直接結ぶ非正規社員が対象になる。
傘下労組に労使で協議する際の材料として新しい賃金制度のひな型を示し、製造現場、設計開発などの職種ごとに、求められる能力や役割に応じて5つの等級を設けた。非正規社員の多くは「担当業務の知識や技術の習得段階」とした「レベル1」や、「上司の指導で業務を遂行できる」などとした「レベル2」に位置づけられると想定している。
企業横断的な職種別労働市場がない、と一般に言われているなかで、正規・非正規の均等処遇、均衡処遇をいうのならば、企業内の職能資格等級のなかに位置づけて、評価も(今のところ正社員同様か定かでないが)行うのが現実的な行き方だと思う。
佐藤博樹先生他が「正規・非正規の二元論を超えて」(090707,リクルートワークス研)のなかで焦点を当てた「常用・非正規」については、特に、実現可能性のある方策ではないか。
総人件費が限られるなか、非正規社員の処遇の向上は正社員の待遇切り下げにつながる可能性もある。均衡処遇の実現は簡単ではない。
だが非正規社員の士気を高める効果は大きい。電機連合の案のように等級ごとに求められる能力を明確にすれば、パートや契約社員が自ら能力開発に励む際の目安にもなる。
製品市場・技術構造等の不確実性がます中で、人件費に厳しい枠がはめられるようになっている。非正規の増大という現象は、単に雇用調整弁のためという以外の財務的な視点からも理解されなくてはならない、という指摘がある。そんな中での正規・非正規の均衡処遇は、正社員処遇とのトレードオフ関係も内包しうる。そうした課題は、実は明言されなくとも意識されていたのではないか。正社員・本工組合がこの問題も認識した上で産業レベルで企業横断的な非正社員の能力資格への位置づけを検討したとしたら意義深いことではないか。
また、非正規といっても派遣労働者を除く直接雇用に限ったものであることだが、産業レベルで直接雇用・非正規の均衡処遇への手掛りが生まれることは、間接雇用についても少なくともマイナスではない。
新賃金政策の詳細は分からない。新聞社説ベースの話で余り持ち上げてしまうのも何だ。今後のより詳しい情報に注目すべし・・・昔は、少なくとも大手産別の大会や中央委員会くらいは取材・報道する専門紙があったのだが、今はどうなのか(大手報道機関は、大会には来ても報道はベタ記事、それも運動ネタより政治ネタみたいなところがある)。今日のところは、いまや唯一ともいえる?「連合通信」のサイトにも情報がないですね。
荻野さんの構造改革特区提案@本郷三丁目090709
東大社研赤門総合棟での荻野さん@トヨタの報告。スライドの最後「おまけ:六本木ヒルズ特区」は、
・今後も日本の強みであるメンバーシップ型・長期雇用中心の雇用システムを整備すべき
を基調とするプレゼンのオチとして絶妙ですね。シンガポールにいるお友達の話から着想ということらしいですが、あながち冗談とも思えないのかも。
おまけ:「六本木ヒルズ特区」
■投資ファンド、ネットベンチャーなどには、「知的熟練」や「企業特殊的熟練」と
は無縁の世界があるのかもしれない。
■労働・雇用に関する規制の大半を適用しない構造改革特区を設置すれば、こ
れら産業が集積し、外資が流入し、企業家精神あふれる優秀な若者が多数集
まってくる、か? 実験の価値はある?
{労働・雇用に関する規制の大半を適用しない}と、一言で言われると、そうだ、人工的な労働無法地帯だ!!とか思うのですが、これって、どこまで外すのか考えようとするとそれなりに難しくないですか???・・・憲法の規定に直接の根拠を置く労働基準法とか、労働組合法全てを適用除外とはサスガにできないでしょうから、自ずから選択的になる。
荻野さんの言う「労働問題をしらない経済学者」の主張している以前に、アメ商の申し入れ事項だった解雇規制緩和は当然の対応事項。なんといっても、適用除外の第1は、
・労働契約法16条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当
であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
なんでしょう。
それから、年俸2000万円、3年契約とかの超高給・有期契約社員なんてのも「ヒルズ特区」ならいそう。こういう人には、
・労働契約法17条1項 使用者は、期間の定めのある労働契約について、やむを
得ない事由がある場合でなければ、その契約期間が満了するまでの間におい
て、労働者を解雇することができない。
・民法628条 当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由
があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合に
おいて、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相
手方に対して損害賠償の責任を負う。
なども、じゃまになりますかね。適用除外にしなくとも特約で途中解約事由をあげておけば足りるのでしょうけれど。それから、労働時間規制も(今でも有名無実?)当然、なくなるのでしょうね--MS証券事件みたいな年収2000万円超のひとが残業手当払え!みたいな訴訟もなくなるでしょう(それでも解雇事件があり得るのは、解雇自由の国でもその種訴訟がおこることと同様か)。
でも、それ以外のあまたある規制をどうするのか。基本をアメリカ並みにおけば大変簡単ですが、是々非々でマジメにやると・・・市場の効率性とかに照らして議論し直して大変ではないですかね--各種規制と労働生産性の関係とか雇用・就業率の関係とか、アメリカの経済学会の実証研究をサーベイして、使えそうなモデルを日本のデータで当たりなおして(例えば、解雇規制でO竹先生とOK平先生がやったパターンですが)、この規制は経済合理性がないとか検証していると、相当時間がかかりそうですね。
マッ、こういうときは、とりあえず政治家とか役所の皆さんに委ねて置いて、事後検証・・・特区とそれいがい地域の比較研究なんてのも、研究ネタとしてはいいのかな・・・とか。