すっかりご無沙汰してしまいましたが、

先日ちょこっとプロフィールを変更しました。

 

わたしは何故ブログを書こうと思ったのかなと

考えていました。最初はスピリチュアルな仕事や

ハンドメイド作品を発表する足掛かりにしたいと

思っていました。

 

しかしそれを意識すると、何かうまく自分を

表現できずに、結局ブログから遠ざかって

しまいました。

 

もっと自由に書いて自分を表現したい。

そしてそれを読んで何か感じてもらえたら

嬉しいです。

こんにちは、ゆかりです。

 

今日カルガモ親子のお引越しの様子をテレビで見ました。

 

お母さんが卵を産んだ巣は、神社の境内の中にある池のほとりで

親子はそこから500m離れた川に行くまで、沢山の難関を乗り越えなくてはなりません。

 

神社の神主夫妻や巫女さんは、池を出発した親子の後を一定の距離を保ちながら

見守ってついていきます。

 

段差を登れない子ガモのチャレンジを根気よく見守りつつも

1匹だけ池に取り残されて親ガモから大きく離れてしまった子ガモは

網ですくってからバケツで親ガモの近くまで運んであげました。

 

子ガモが落ちてしまう危険がある側溝の上には足で壁を作り、

側溝の上を通れなくしています。

 

道を外れてしまい、川の方角に向かうと行き止まりになってしまう場所では

正しい道へと誘導するのですが、方角的に川とは反対方向の為

親ガモからは威嚇されてしまいます

 

これはまるで、3次元の私達とハイヤーセルフなどの高次元存在との関係に

そっくりだなと思いました。

 

高次元存在達は、決して私たちの成長の妨げになるような助け方はしません。

自分の力で乗り越えられる壁ならば、子ガモのチャレンジを見守る

神主さんのように、近くで私たちを応援してくれています。

 

これ以上進んだら危ないよ、そっちじゃなくてこっちだよ!と言う時には

何か出来事を起こしたり事を上手く運ばせないことで、私達に知らせてくれます。

 

それはカモの目線(人間の目線)で見ると、人生の壁だったり

大きなトラブルに見えます。

でも神主さんの目線(高次元存在の目線)で見ると、目的の場所へ

スムーズに行けるように誘導してくれているのです。

 

親子のカモは無事に川までたどり着き、神主さん達は嬉しそうに

それを見守っていました。

私たちが目的の場所に着いたとき、きっと高次元の存在たちも

嬉しそうに見守っているのでしょうね

こんにちは、ゆかりです。

 

今日は感情や意識のお話

 

何か出来事があったり、何かを見たり聞いたり

する事で、悲しんだり怒ったりといった感情が

湧き上がってきます。

 

例えば並んでいる列の目の前で横入りされた。

 

という事があった場合

 

「はぁ!?並んでるんですが」と怒りを感じる人

「まぁ、いいか」とスルーする人

注意できない自分に落胆する人

‥等々

 

様々な受け取り方があります。

 

と言う事は、出来事の方に何か怒りを発動させる

エネルギーがあるのではなく、自分の中に

感情の元があるという事です。

 

そしてこれは喜怒哀楽すべてにおいて、

出来事の大小関わらず全てに適用されます。

 

と言う事は、どんなに相手が悪い様に見えても

イライラするのは相手のせいではなく

自分の中にあるイライラの元が原因です。

 

それなのに外側に原因を探り、外に責任を押し付けて

一旦すっきりしたとしても

自分の中のイライラ発生元はそのままなので

また違う出来事でイライラするという

堂々巡りに陥ってしまいます。

 

これを解決するには、とにかく自分自身の感情

意識と向き合う事。

 

自分は何に対してどんな感情を感じるのか

心の動きと思考の癖を観察する事が大切です。

 

このカテゴリーでは

私が日常の出来事からどのように感じて

どのような思考の癖があったのか

気付きや学びをシェアしたいと思います。

こんにちは、ゆかりです。

 

「あなたは何も変わっていない」

「あなたは変わってしまった」

 

私は同じ人からこの矛盾するように見える

二つの言葉を時間差で言われました。

 

これは

自分の中の感情や動機は変わっているけれど

外に表れる言動に変化がないので

変わった様に見えない

 

という事と

自分という本質の性質は変わっていないけれど

昔はそれを隠して仮面をかぶっていたので

仮面を外した事により、相手には

変わってしまったように見える

 

こんな背景があっての言葉でした。

 

人というのは複雑怪奇で

平気で矛盾する気持ちを同居させる事が

出来るし、それが刻一刻と変化していきます。

そうかと思えば脈々と変わらない部分を

持っていたりします。

 

そしてそんな自分の気持ちを細部に至るまで

網羅している人は

ほとんど居ないのではないのでしょうか。

 

自分の気持ちもわからないのに

相手の気持ちがわかるはずもありません。

 

その事を知っていれば、不用意に相手を

傷つけるような言葉はなるべく避けるように

なります。

 

そしてわからないからこそ、譲り合ったり

理解し合う努力をしたり、心配りの気持ちが

芽生えるのではないでしょうか。

 

こんにちは、ゆかりです。

 

子供をほめて育てようというフレーズを

見かけたことがあります。

 

自己肯定感が重視された事により

否定せずに褒めて育てるという方向性

なのだと思います。

 

しかしここに2つの落とし穴があります。

 

1つ目は、否定(叱る)も肯定(ほめる)も

ジャッジするという意味合いでは

同じ事だということ。

 

2つ目は、偏りすぎてバランスを

失ってしまう事

 

叱る時は

「それはダメ」「あなたは悪い」

とジャッジしているのであり

 

ほめる時は

「それは良い」「あなたは凄い」

とジャッジしているのです。

 

それが悪いわけではなく、

子供と接する時に必要な場面は多々ある

と思います。

 

ただ、褒めるのも叱るのもどちらも親の目線から

子供の言動に対して意見を言っている

だけであり

 

それが子供の心にどのように届いているのかは

子供本人にしかわからないという事を

しっかりと理解しておくことです。

 

そして2つ目は

「叱っちゃだめなんだ、ほめなくちゃ」と

強く思いすぎてしまう事です。

 

褒めるのはいい事だと思い込み

褒めてばかりいると

否定され続けたのと同じように

不調和な事態を引き起こします。

 

しかし厄介なのは

「褒める」事はどちらかと言えば良い事

というイメージがあり、

親子ともども、不調和の原因が

「褒める事に偏り過ぎている事」だと

気づきにくいのです。

 

叱る場面もあれば褒める場面もある

そんな自然なやり取りが難しいと感じる時は

子育ての仕方に目を向けるのではなく

自分自身の気持ちに目を向ける事です。

 

自分の気持ちが整えば

自然とバランスも整っていきます。