こんにちは、ゆかりです。

 

先日、夫から

「母親なんだから、もっと強くなって」 

と言われました

 

そこで浮かんできた疑問

 

母親は強くなくてはいけないのか?

そもそも「強い」ってどういう事?

 

これを言われたシチュエーションは

 

私が

「長男がOKを出さなければ〇〇が出来ない」

と言ったのに対しての言葉でした。

 

夫は、親なんだから主体性をもって

子供にガツンと言うぐらい強くなって

という意見です。

 

夫が求めている強さは

「子供に対して毅然とした態度で意見をぶつける」強さです。

 

逆に私には

「子供の意見を受け入れて、子供の出方を待ち続ける」

という強さがあるという事です。

 

見方を変えれば、意見をぶつけるよりも

受け入れたり待ち続ける事の方が強さが必要

とも言えます。

 

そしてこれはどっちが強いとか弱いではなく

見方を変えれば、どちらも強く見えるし、どちらも弱く見えます

 

そしてもう一つ、人類が大きく勘違いしている

事は「強いのが良い事で、弱いのは悪い事」

という思い込みです

 

この思い込みは無意識レベルに刷り込まれて

いますし、生物として本能の部分も大きく

関わっていると思います。

 

「もっと強くなって(強くなろう)」

という言葉は聞きますが

「もっと弱くなって(弱くなろう)」

という言葉は殆ど聞きませんよね。

 

でも本当は「強い弱い」に優劣は存在しないし

そもそも「強い弱い」という概念そのものが

個人の価値観に大きく左右されるものだ

という事です。

 

ここで冒頭に戻ると

「母親なんだから、もっと強くなって」という

夫の言葉は

 

夫の理想とする母親像に近づいて欲しいという事

なのだと思いました

 

でも自分は自分のやりたい様にやる。

強い所もあり弱い所もある

今自分が出来る範囲で

子供達に母親としての愛情を注ぎたいと

思っています。

 

こんにちは、ゆかりです。

 

自己肯定感の低い人は

人や自分に対して減点法ではなく

加点法で評価したら良いよと

言われています。

 

それは嫌な所を探して減点して

いくのではなく、良い所を探して

加点していくという方法です。

 

一見とても良さそうに思いますし、

減点ばかりしている人がその癖を

方向転換するのには有効だと思います。

 

しかし実は減点をするのも加点をするのも

「評価する」という意味では同じ事です。

 

評価をしている限り「良い悪い」のジャッジが

必ずついて回るので、いつまで経っても

楽になりません。

 

「減点加点」という「評価の土俵」を降りた時に

初めて、【自然に】肯定感を感じる事が

出来るようになるのです。

こんにちは、ゆかりです。

 

うちの子供は、スマホのリズムゲームに

夢中になっていまして

楽しそうに色々話してくれるので

それを聞いていた時の話です。

 

あまり知らない人の為に簡単に説明しますと

曲に合わせて画面をタップして、得点を

重ねていくというゲームです。

ゲームには通常のストーリーモードと

期間が限定されているイベントというものがあります

 

そのイベントに参加するとランキングがつけられて

得点によってリアルタイムにランキングの変動が

確認できます。

 

最終段階のランキングが適用されて、

称号と報酬が貰えるという仕組みです。

一つのイベントが終わると数日間イベント無しの期間があり

すぐに次のイベントが始まります。

 

ランキングの上位を狙う人達は、寝食を惜しんで

ずーっっとプレイしているそうです。

それも効率よく得点を稼ぐために

同じ曲を延々とプレイし続けるのだそうです。

 

期限が近付くと徹夜をするのは当たり前で、少しでも気を抜くと

すぐにランキングが落ちてしまうのだそうです。

 

恐らくもうそこにはゲームをする楽しさはなく

惰性や他者との競争なのでしょう

そしてやっと一位を取れたと思って

数日間休んだらまた新たなイベントが始まります

 

それを聞いて、最初はまるで別世界の

理解できない話だなと思ったのですが

 

気付いてしまったのです。

 

これって別世界ではなく

私たちの人生の縮図なのではないかと

 

何となく勉強や仕事をして成績や給料や地位で他者と比べられる。

惰性でもがむしゃらでも一定期間の勉強や仕事が終われば

数日間のお休みをもらって

また同じ事の繰り返しが始まる・・・

 

報酬がお金や評価というのもバーチャルな世界の報酬と

対して変わらない気がします。

 

スマホから少し目を離すだけでリアルな世界が広がっているのと同じように

私たちも常識(勉強や仕事をしなくてはいけない)というものから

少し離れてみるだけで

今まで感じたことのない世界が広がっているでしょう。

 

皆様、あけましておめでとうございます。

 

私は訳あって三人の子供たちと離れて

暮らしています。

去年は自分の状態とコロナもあり

一年間子供達と会う事ができませんでした

 

年末年始に4日間、久しぶりに子供達と会い

濃密な時間を過ごしました。

そして昨日横浜に帰ってきたら身体が軽くて

眼精疲労が消えて視力もすっきりしていました。

 

広島ではヨガもアーシングもせずに

好きなものを食べたいだけ食べて

子供たちに挟まれて寝ていたので毎日熟睡できず

荒れ放題汚れ放題の部屋で

エネルギー的にも身体的にも良くなさそうだったのに。

 

子供達とハグして遊んで

ずっと触れ合っていたから

そんな事は吹き飛ばして更におつりが来るぐらい

子供達とのエネルギーの循環が凄かったんだろうなと思います。

 

コロナで人と人との触れ合いを減らす事は

人々の力を奪う事だというのを聞いた事が

あったのですが、本当にそうなんだなと実感しました。

 

こんにちは、ゆかりです。


みなさんは「スピリチュアル」とは何ですか?

と聞かれて、きちんと答える事が出来ますか?


きっと使う人によって色々な意味が含まれていると思います。グーグル先生に聞いてみても、いまいちはっきり答えてくれません。


世間で多くイメージされるのは、「引き寄せや願望実現のやり方」や「龍神や宇宙といった目に見えない存在のエネルギー」等々でしょうか。


それも間違いではありませんが、それはスピリチュアルの一部分を切り取っているだけで、スピリチュアルの本質ではありません。


スピリチュアルの本質は

「自分と向き合い自分を知っていく事」


え?そんな事?と思ったかもしれませんが、自分の顔を自分の目で実際に見る事が出来ないように、自分の心も普通に生活しているとなかなか知る事が出来ません。


自分が何を考えて何を感じていて、何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が苦手なのか、何をされたら怒るのか何をされたら悲しいのか、何が許せないのか…


自分を紐解いていく副産物として、願いが叶いやすくなったり目に見えないエネルギーを感じやすくなります。


この「自分を知る事」と言う土台をすっ飛ばして、スピリチュアルの表面だけにのめり込んでしまうと、どこかふわふわした現実(自分)から剥離した状態になってしまいます。


私は、この「自分を紐解く」事のお手伝いをしたいなと思っています。


そしてこのブログでも、少しずつヒントになる事を書いていきたいなと思います。