理解してもらえないと苦しむよりも…

 

 

人が人をすべてわかることなどありません。

自分のことをすべてわからないのが人間なんですから。

 

しかし、すべてではなくても、

大切な大切な部分を

理解してもらえないのはつらいものです。

 

それが

心と身体に影響を及ぼすのであれば、なおさらです。

 

そうであるなら、気持を切り替える以外ありません。

理解してもらえるという、淡い望みを捨てることです。

 

人情の機微なんて、わからない人には、わからないのです。

 

そんな人が、

心の疲れがわかりますか。

雨漏りする心がわかりますか。

笑顔の下で涙する

ピエロの心がわかりますか。

 

あなたの心と身体を苦しめるということは、

すでに人間関係は壊れているのです。

あなたの心がそう叫んでいるのです。

 

もうあなたは充分努力されてきたはずです。

でも、変わってはくれなかったでしょう。

今になっても理解してくれなかったでしょう。

 

そういう相手であれば、離れてしまうことが一番です。

しかし、

どうしても離れることが出来なかったり、

数々のしがらみで、離れることが出来ないことがあります。身内や職場の人間などがそうです。

 

であるならば、

もう理解してもらう努力を止めることだと思います。



 

努力しているからこそ、

わかってほしいと願うからこそ、

余計に苦しくなってしまうのです。

 

わからない人だ、ということを認めるのです。

理解してくれることはないとあきらめるのです。

 

あきらめるというのは、

あきらかに認めるということです。

 

 

 

 

 

 

 

※この記事は過去記事の再掲です。
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