●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語①

●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語②

●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語③

●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語④

 

 

全身性ジストニアと診断されて

アーテンを飲むようになった。

 

 

けれど、体調が良いとは思えない。

 

 

薬で症状をコントロールするのは

あきらめよう……。

 

 

これが前回までのお話です。

 

 

 

 ⑤瞼への固執から、次のステージへ

 

 

アーテンからは

距離を取ることができました。

 

 

けれど、瞼の治療からは

その後も距離を取ることができませんでした。

 

 

手術は合計で7回。

 

 

なぜ、ここまで固執したのだろう。

 

 

理由はやはり、

根本的に治りたかったから。

 

 

これに尽きると思います。

 

 

 

 

 

 

正直なところ、心身が衰弱していくなかで、

手術が生きる目標になっていた面は

あります。

 

 

他の病院を探すより、

目の前に出された治療を受ける方が楽だとも

思いました。

 

 

思考も、正常でなくなっていました。

 

 

最初は瞼だけの問題だったのに、

四肢、体幹、発声、嚥下、そして呼吸まで。

 

 

普通に考えれば、明らかに

悪化していることがわかります。

 

 

けれど、私は

悪化していることにすら気づけないほど

自分を見失っていたのです。

 

 

でも、それでもなお、心の奥底は

変わっていなかったのだと思います。

 

 

どうしても根本的に治りたいという想いが、

消えませんでした。

 

 

 

 

 

ジストニアには

対症療法しかないと言われています。

 

 

けれど、私は完治を目指したい。

 

 

その想いを

当時一番叶えてくれそうに思えたのが、

瞼の治療でした。

 

 

瞼で全身の症状を

コントロールしようとするなんて、

ジストニア界の常識からは

外れた考えだったと思います。

 

 

けれど私は、瞼の状態次第で

全身が変化することを

何度も経験していました。

 

 

重症筋無力症を判断する検査で

瞼がパッと開いたとき、

心身ともに軽くなった。

 

 

2回目の手術で瞼が開かなくなり

全身が強くけいれんしても、

3回目の手術で瞼が開きやすくなると

全身も少し動かしやすくなった。

 

 

こういう経験をたびたびすると

瞼さえ治せれば……という希望を

どうしても持ってしまうのです。

 

 

アーテンを出してくれたジストニア専門医は

瞼と全身の関係について、

こう言いました。

 

 

「それって、手術で瞼が開きやすくなって

前が見えるようになるから、

歩きやすくなってるだけでしょ」

と。

 

 

しかし、私の感覚はそうではない。

 

 

明らかに

全身の症状が瞼で変化するのです。

 

 

手術に希望を託すしかない。

 

 

託したい。

 

 

託せないと困る。

 

 

あらゆる感情が混ざり合って

手術を続けていったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

そんな私に変化が訪れたのは、2013年。

 

 

ブレスレットや指輪といった

小物を身につけると、

症状が変化することに気づきました。

 

 

当時は自力で歩くことが難しい、

声が出ない、

呼吸が苦しいといった状態。

 

 

なのに、そういった小物をつけると

呼吸が楽になり、

声だって少し出るようになるのです。

 

 

さらに実験をしていて、

気づいたことがあります。

 

 

それは、小物をしばらく付けつづけてから

外すと、脳がバランスを失って

迷っているような感覚があるということ。

 

 

もしかして私の身体は、小物を付けると

バランスが取れるようになるのだろうか。

 

 

バランスが取れるから

症状を出す必要がなくなって、

症状が減るのだろうか。

 

 

瞼の手術で全身が変化したのも、

同じ理屈だろうか。

 

 

全身のバランスを整えれば

私は回復していけるのだろうか……。

 

 

新たな希望が生まれてきた。

 

 

こうして少しずつ少しずつ、

瞼で身体のバランスを整える意識から

全身のバランスを整える意識へと

変わっていったのでした。