2度目の眼瞼けいれんの手術のあと、
全身に硬直やけいれんが現れて。
手術を受けた病院に電話をかけると、
「ジストニア」という、
聞きなれない言葉を耳にした……。
これが前回までのお話です。
④手術への絶対的な信頼が、私を苦しめた
ジストニアとは、脳に何らかの異常があって
起きる運動障害だと言われています。
自分の意思とは無関係に
筋肉が硬直したりけいれんしてしまう。
詳しい原因がわかっておらず、
治ることも残念ながら難しいのだそう。
そんなジストニアという診断を、
なぜ病院の先生は電話越しでできたのか。
それは、眼瞼けいれんもジストニアの1つだから。
瞼だけの運動障害が、2度目の手術をきっかけに
全身に広がったことになります。
それなのに、私はここからさらに瞼の手術を続け、
悪化し続けていきました。
5年間で、合計7回。
どうしてここまで重ねてしまったのだろう。
*
一応、神奈川県内のジストニア専門医を
訪ねてみたこともあります。
瞼の主治医に紹介してもらったのです。
診断は、そこでもやはりジストニア。
アーテンという薬が処方されました。
それによって、確かに震えや
ちぎれそうな筋肉の痛みは解消されました。
しかし、返って四肢や瞼の硬直感が増したような。
何より、異常な倦怠感を覚え
ベッドから起き上がることができなくなりました。
あまりに辛いときは、量を減らしました。
すると心身が楽になる。
やはり飲まないほうが良いのではないか。
薬の効果を感じられないことが、
手術を選んだひとつの要因でした。
ただそれ以上に、
根本的に治りたかったというのが
大きかったと思います。
*
ジストニアには、対症療法しかないと言われています。
けれど、私は完治を目指したい。
その想いを当時一番叶えてくれそうだったのが、
瞼の治療でした。
瞼で全身の症状をコントロールしようなんて、
ジストニア界の常識からは
外れた考えだったと思います。
けれど私は、瞼の状態で全身が変化することを
何度も経験していました。
重症筋無力症を判断する検査で瞼がパッと開いたとき、
心身ともに軽くなった経験。
2回目の手術で全身性ジストニアになったけれど、
3回目の手術で瞼が開きやすくなると
全身も少し動かしやすくなった経験。
こういう経験をたびたびすると、
瞼さえ治せれば……という希望を
どうしても持ってしまうのです。
*
ジストニア専門医にこうした話をしても、
あまり理解してもらえませんでした。
「それって、瞼が開きやすくなって
前が見えるようになったから、
歩きやすくなっただけでしょ?」
と。
けれど、私の感覚はそうではない。
確かに瞼の状態によって、
全身の症状が変わるのです。
手術に希望を託すしかない。
託したい。
託せないと困る。
あらゆる感情が混ざり合って、
手術を続けていったのだと思います。
(つづく)