●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語①

●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語②

●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語③

 

 

 

2度目の眼瞼けいれんの手術のあと、

全身に硬直やけいれんが現れて。

 

 

手術を受けた病院に電話をかけると、

「ジストニア」という、

聞きなれない言葉を耳にした……。

 

 

これが前回までのお話です。

 

 

 

 ④診断は全身性ジストニア

 

 

 

ジストニアとは、

脳に何らかの異常があって起きる

運動障害だと言われています。

 

 

自分の意志とは無関係に

筋肉が硬直したり

けいれんしてしまうのです。

 

 

詳しい原因がわかっておらず、

治ることも

残念ながら難しいのだそう。

 

 

そんなジストニアという診断を、

なぜ病院の先生は電話越しでできたのか。

 

 

それは、眼瞼けいれん

ジストニアの一つだから。

 

 

瞼だけの運動障害が、

2度目の手術をきっかけに

全身に広がったということになります。

 

 

 

 

 

 

3度目の手術が決まりました。

 

 

今度は両眉の上を切開し

眉毛や瞼の筋肉を軽くする内容。

 

 

それにより、最低限の辛さは

取り除くことができました。

 

 

2度目の手術によって、

まったく開かなくなってしまった瞼は

とりあえず開けられるようになりました。

 

 

けれど、全身を見ると

快適とは程遠い。

 

 

瞼のけいれんやまぶしさは、

1回目の手術の後と同じか

それより悪い状態。

 

 

四肢に関しては、

硬直と脱力の両方が見られました。

 

 

関節は硬直して動かしづらいのだけれど、

力は入りづらい。

 

 

そういった状態でした。

 

 

精神面は2度目の手術によって

かなり不安定に。

 

 

3度目の手術をしても

それがなくなることはなく、

その後の私を追い込んでいきました。

 

 

 

 

 

 

私は、神奈川県内のジストニア専門医を

訪ねてみました。

 

 

瞼の主治医に紹介してもらったのです。

 

 

診断は、そこでもやはり

ジストニア。

 

 

先生は、私の症状を診て判断しました。

 

 

インターネットによると、ジストニアとは

病名というよりも症状名のようです。

 

 

検査では異常が見られない。

 

 

けれど、ジストニアの動きが見られる。

 

 

そういう場合に、

ジストニアと診断されるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

「治る病気ではないから、

薬を飲みながら

だましだましやっていくしかありませんよ」

 

 

先生はそう言って

アーテンという薬を出してくれました。

 

 

最初は1mgから。

そして2mgへ。

 

 

薬によって、確かに震えや

ちぎれそうな筋肉の痛みは解消されました。

 

 

しかし、返って

四肢や瞼の硬直感が増したような。

 

 

何より、異常な倦怠感を覚え

ベッドから起き上がることが

できなくなりました。

 

 

「あまりに辛い時は、

量を減らしても良いですよ」

 

 

先生はそう言ってくれたので、

体調によって減らしました。

 

 

すると心身が楽になる。

 

 

やはり飲まないほうが良いのではないか。

 

 

でも、完全にやめる決断ができない。

 

 

飲んだり飲まなかったりを繰り返しながら、

3年の月日を過ごしました。

 

 

その後、私はアーテンを完全にやめました。

 

 

決定的なきっかけはありません。

 

 

ただ、眼鏡によって体調が少し楽になる。

 

 

そう気づいてから

少しずつそちらに興味が向いて、

自然と離れられたのだろうと思います。