●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語①

●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語②



幼いころから不調があっても、

「精神的な問題」

だと診断されてきた私。



でも今回ばかりは

精神的な問題だとは思えない。



そうした中で、

眼瞼けいれんの可能性が浮上して……。



これが、前回までのお話しです。


 

 

 ③良くなりたかっただけなのに

 

 

2007年6月。

 

 

私は信州の病院で、

瞼の状態を診てもらいました。

 

 

診断は、やはり

眼瞼下垂と眼瞼けいれん

 

 

先生は説明してくれました。

 

 

「正常な瞼は、瞼のフチと薄い膜が

つながっています。

 

だから、自然に瞼を開けられるんです。

 

でも両者の接続が緩くなったり、外れると

瞼が下がってしまう。

 

そのまま無理に瞼を開け続けると、

けいれんが起きることがあります。

 

自律神経にも影響するため

まぶしさも感じるんですよ」

 

 

しかし、私の問題は

それだけではないと先生は言います。

 

 

私の瞼は、そもそも構造的に硬いのだそう。

 

 

なので、瞼まわりにボトックス注射をして

けいれんを落ち着かせても、

開けずらさは残るだろう、と。

 

 

先生は手術を提案しました。

 

 

まずは一重瞼を二重にして、

根本的に瞼を開けやすくする。

 

 

次に、外れている瞼の膜とフチを

つなぎ合わせる。

 

 

最後に、けいれんする筋肉を切除する。

 

 

こういう内容でした。




 

 

私は、同意しました。

 

 

幼い頃からの不調の原因が、

やっとつかめた想いだったからです。

 

 

眼瞼下垂は高齢者に現れやすい症状。

 

 

なのに、なぜ私は

幼い頃からそれを感じていたのか。

 

 

理由は

生まれつき開けにくい瞼だったから。

 

 

それによって

幼い頃から心身ともに不調を感じていた。

 

 

でも瞼さえ開くようになれば、

無理に開けることはなくなる。

 

 

けいれんもなくなる。

 

 

眩しさもなくなる。

 

 

すべてが解決して

これからは軽やかに生きられる。

 

 

私は未来に大きな希望を抱いて

手術にのぞみました。




 

 

手術を終えると

瞼は確かに開くようになりました。

 

 

頭痛、肩こり、顎関節の痛みなども

軽減したような気がする。

 

 

しかし、思い描いていた軽さとは

だいぶ違う。

 

 

それに、手術後から

新たに現れた症状もありました。

 

 

左顔面や側頭部が左につれる。

左半身全体が、重くだるい。

左目の強い充血と痛み。

 

 

手術前から

左瞼の方が症状が強かったけれど、

全体的に左に集中するようになったのです。

 

 

先生は2度目の手術を提案しました。

 

 

今度は、左下瞼の筋肉を少量とるとのこと。

 

 

私も同意しました。

 

 

私の根本的な問題は瞼なのだから、

瞼を良くしなければ快適な生活は望めない。

 

 

手術をしない選択はないと思ったのです。





 

 

手術は無事に終わりました。

 

 

しかし、数日後から現れたのは

両瞼の強烈なけいれん。

 

 

さらに

右腕の震え、硬直感、脱力感

がみられるように。

 

 

それが広がって左脚、左腕、右脚へ。

 

 

体幹まで

大きくけいれんするようになりました。

 

 

急いで手術した病院に電話をかける。

 

 

そこで私は初めて、

ジストニアという言葉を耳にするのでした。