●全身性ジストニアの私が回復軌道に乗るまでの物語①

 

 

瞼が垂れ下がる。

まぶしくて、瞼がけいれんする。

 

 

なのに、検査入院では

「異常なし」という診断。

 

 

悔しさが溢れでた……。

 

 

これが前回までのお話しです。

 

 

 ②「ヒステリー」と診断されて、目が覚めた

 

 

私は小学校低学年の頃から、

何となく心身が重いと感じていました。

 

 

瞼まわりや頭まわりがうっとうしい、とも。

 

 

でも、それが普通だと思って、

誰にも伝えませんでした。

 

 

それに、運動が得意で、割と活発な子だったので

それなりに元気に過ごせていました。

 

 

しかし小学校高学年、中学生と

学年が上がるにつれて、

心身の疲労感は増していきました。

 

 

全速力で走ろうとすると、突然、

脚が動かなくなる。

 

 

習っていたスイミングで、突然、

腕が動かなくなる。

 

 

 

 

それでも、人に伝えませんでした。

 

 

今思うと、どれも症状として

認識していなかった気がします。

 

 

「頑張り屋さん」だと周囲の人は

私を褒めてくれました。

 

 

力んで物事に取り組んでいる姿が

そう映ったのかもしれません。

 

 

でも、私は苦しかった。

 

 

力を抜いてリラックスすることが

できなかったから。

 

 

それがいつしか、自己否定へ。

 

 

みんなは、頑張らなくてもできる。

 

 

私は、頑張らないとできない。

 

 

そう思って、心に鞭を打つようになりました。

 


高校生、大学生になると、

座りづらさを感じるようになりました。

 

 

カラオケに行くと、喉が詰まる感覚が出てきました。

 

 

眩しくて顔面が強張ることも。

 

 

 

 

不調を感じていることが日常であったため、

滅多なことがない限り

病院に行くことはありませんでした。

 

 

それに、不調は心も含め

全身で感じるものだったので、

どの病院の何科を頼れば良いのか

分からなかったのだと思います。

 

 

それでもたまには

病院に行くこともありました。

 

 

しかし、検査をしても異常なし

 

 

精神的な問題だと言われるのは、

人間性を否定された気分になります。

 

 

他の人は耐えられるのに

私が耐えられないのは、

私という人間に問題があるから。

 

 

そう言われている気がするのです。

 

 

その中で社会人になり、

瞼が垂れ下がる異変が出ました。

 

 

これだけ明らかな症状があるのだし、

重症筋無力症を判断するための検査でも、

反応が出た。

 

 

もうこれは精神的なものとは言われないだろう。

 

 

そう思っていたのに、

検査入院しても異常なし。

 

 

どうして?

 

 

 

 

私は退院すると、

自分で病院を調べることにしました。

 

 

これまでの私ならば、

診断結果を受け入れていたでしょう。

 

 

しかし、今回ばかりは

精神的な問題だとは思えなかった。

 

 

おまけに、私は憤っていました。

 

 

退院時に渡された

心療内科宛の紹介状がきっかけです。

 

 

それは、担当医が

「良かったら行ってみてください」

書いてくれたもの。

 

 

けれど、私は自分の心は正常だと思っていました。

 

 

心療内科になど行く必要はない。

 

 

だから、帰宅して封を切ってみたのです。

 

 

用紙を開いてみる。

 

 

すると、傷病名のところに

ヒステリーの疑い」と書かれてありました。

 

 

これまで何度も医師たちから言われてきた言葉、

「精神的な問題」

 

 

とどめを刺された気分でした。

 

 

絶対に原因を突き止めてやる。

 

 

私のエネルギー源になりました。

 

 

(つづく)