みんな学校のせいだ。運動も勉強も嫌いなのは… | 子育ては「聞く」が9割でうまくいく~心理学ブログ

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小学校教員 9年間の経験を生かした、子育ても 生きるのも 楽になるヒントが詰まっています。

こんにちは。元小学校教師の和久田ミカです。

 

最初にお詫び申し上げます。

 

「みんな学校のせいだ。運動も勉強も嫌いなのは…」

 

というタイトルを付けましたが、

 

先生が悪いと言いたいわけではないです。

 

学校が悪い、というわけでもない。

 

今の制度や、学校の「当たり前」に目を向けていきたい、と思って書きました。

 

気分を悪くされた方がおられたら、ごめんなさい。

 

 

さて。
 

まずは、今朝見つけた動画を紹介します。

 

日本の小学校に、外国の校長が視察に来る「日本すごい!」番組のひとつかな。

 

 

スクショを並べてみますと、こんな感じ。

 

↓マラソンで順位をつけ、切磋琢磨させることに フィンランドの校長が疑問を投げかけています。

 

 

 

 

 

 

 

 

それに対して、校長先生は 自分の目標に向かって 努力することが大切だと 話します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
それに対して、「おっしゃっていることはわかる」と前置きした上で こんな言葉をかけます。

 

 

 

日本の校長先生は、その意義について説明します。
 

 

 

 

 

そこで、フィンランドの校長は 体育の最終的なゴールについて 話します。

 

 

 

 

 

動画はこちら。

 

 

 

 

どちらの思いもわかる気がしますね。

 

でも、ふたりの話が噛み合わないのは、論点がちがうからです。

 

「そもそも 体育とは 何を培う教科なのか」

 

「そもそも 教育とは 何なのか?そのゴールは?」

 

 

日本の校長先生の話から 推測すると、

 

教育とは 目標を達成するために 切磋琢磨しがんばる場。

 

「できることを増やす」「もっとできるようにする」ことが成長。

 

と おっしゃっているようにも感じられます。

 

 

フィンランドの校長先生は、もう少し広い視点で

 

「できること、より、子ども自身が 学びをどう活用して 幸せになっていくか」

 

に焦点を当てているようにも 感じます。

 

かなり 私の主観も入ってますが…。

 

 

どちらが 正解か、

 

という話ではないのだけど、こんな人も多いんじゃないかな?

 

●体育がきらいだったけど、大人になったら 運動が気持ちよいものだと知った。

 

●勉強がきらいだったけど、大人になってからの学びは 楽しい。

 

子どもの頃は、常に 比較の中での 運動や学びでしたもんね。

 

劣等感ばかりになると、楽しいとは感じられない。

 

体育が運動嫌いを育てている。

 

教育とはなんぞや?

 

*学校によっては 自分で目標タイムを決めさせて練習する学校もあるので、一概には言えませんが…

 

 

勉強もそうですよね。

 

できる、わかる、

 

ことが増えることが 中心になってるから、年齢が上がるにつれて

 

できない、わからない

 

ことが増えていく。つまらなくなっていく。

 

何のために 勉強しているのかわからなくなる。

 

 

 

でも、日本も 江戸時代までは ちがってたんです。

 

教える内容が先生によって違っていて、子ども一人ひとりに合った教え方をしていました。


マンツーマン教育。

 

みんな同じことを学ぶのではなくて、家庭や子どもや将来の職業に合わせた教科書が選ばれていました。

 

その教科書を「往来物」と言います。

 

当時、7000以上の往来物が発行されたというから、すごいですよね。


商人の子なら、商売のことを学べる往来物。

 

農民の子には、農業の知識が得られる往来物。

 

大工を目指す子には、建築の専門知識が書いてある往来物。

 

だから、すべての漢字を覚える必要はない。

 

将来の仕事につながる文字と計算だけ覚えれば十分。

 

ちなみに、女の子には先生の妻が裁縫を教えることもあったそう。

 

 

 

↑女子向け

 

 

↑大工さん向け

 

 

 

教育や読み書きそろばんの目的が

 

「その子が 生きていくために 必要なことを教える」

 

だったのだと思います。

 

たくさん知っている、いろんなことができることがすばらしい、

 

という価値観は 一部の学者の物だったことでしょう。

 

 

んでね。

 

どの教育が 一番良いか

 

なんて不毛な議論をしたいわけじゃない。

 

どこに論点を合わせるかで 意見が変わってくる。

 

上の校長先生たちみたいな 平行線の議論になる。

 

 

ただ、「私個人の意見」としては、もう

 

たくさんできる

いっぱい覚える

人より秀でる

 

ということが 成長という時代は 終わりつつあるのではないかな?

 

と思ってる。

 

そういう価値観があってもいいけど、それが「当たり前」ではなくなっていくといいな。

 

選択肢が さらに増えるといい。

 

 

当たり前の枠組みが もっと広くなれば、

 

その子の幸せのために 何をするのが教育なのか。

 

そこに焦点が当たっていくでしょう。

 

 

もちろんね。

 

日本の学校教育は、校長先生の力が強いし、カリキュラムも文科省で決まってる。

 

「変化すること」自体を好まない国民性もある。

 

人と競争し、切磋琢磨し、秀でることこそ成長、

 

という「当たり前」も すぐには変わらないでしょう。

 

 

前に、T〇Sの討論番組に出てことがあるんだけどさ。

 

文科省関係のじじいが 指名されてないのに 明治時代みたいな教育を 延々語ってて。

 

「私は安倍さんの前でも 意見を言ってるんですよ」

 

だから、なんなんだ!!!、って話だ。

 

番組ではほとんどカットになってたけどねっ!!!

 

 

ああ、こういう おじいさんたちが、戦前の教育のような価値観を 延々と引き継いできてるんだな、と思いましたYO。

 

このじいさんが 勝手にしゃべりすぎたせいか、台本通りに進まず、私の発言する時間が無くなって テレビに映ってるだけになっちゃったりもしたしね。

 

↑恨みは深い(笑)

 

 

話が横にそれたけど、日本の教育が 変わっていくといいな、と。

 

そして、学校の先生たちの仕事も 雑用が減って、「教えること」「引き出すこと」が中心になるといいな、と。

 

私が小学校で教師やってたのは「ゆとり」の時期だったけど、それでもアップアップだったもの。

 

今は もっと大変になってるはず。

 

職場環境も変わっていきますように。

 

 

 

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