お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
おわりははじまり-199「凛々しき手弱女とネメシス」の続きとなります。
笑いは祓いである。
田中雅子/紫花さんの作品の宇宙(=スペース)は、
ハイパークリアリングな空間となっており、
そこへストンと立った黄金の柱が江戸家まねき猫さんでした。
負けず劣らずなハイパークリアリングっぷりでして。
そりゃそうだ。
江戸家まねき猫さんも帯刀許されし者なんだから。
「光(水)の剣」を授けられてるんだからね。
この写真は「水天宮」の前で江戸家まねき猫さんに撮られたもの。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー13「弁才天の剣を手に入れた」
おわりははじまりー74「女神へ託された剣」
「水天宮」の御祭神は「天之御中主神」でございます。
「天之御中主神」の「懐刀」ともいうべき「笑顔の石神」。
アイは地球を掬ぶー14「過去から立ち上がり続くもの」
「笑い=祓い」の後にやってくるのは
「薙ぎ=凪ぎ」という真ん中の状態なんですね。
心が弱ってる時に、寒い~ひもじい~死にたい~となります。
暖かくして、お腹いっぱいになると、死にたいは吹っ飛ぶ。
「かんのん≒かむのむ」あっての肉体を持った意識体です。
手を握る・抱き締めるも、温もり=「アたたかい」ですよね。
その上で、お腹の底から笑ったら鬼に金棒。
笑いという感覚は、動物には無いヒトに持たされた感性です。
ヒトが笑えなくなった世の中は、生命の危機的状況、末期的症状ですから。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー170「弁才天ふたたび」より抜粋します。
【QUOTE】
三谷幸喜さん原作の「笑いの大学」という芝居・映画があります。
昭和15年日本が戦争へ向かっている時の、
言論統制を題材にしております。
「笑いとペーソス」とは、この芝居の事である、
と言っても過言ではない物語です。
「このご時世に、低俗な軽演劇など不謹慎であり上演する必要はない」
笑いという無駄を排除する為、無理難題を押し付ける検閲官と、
それを擦り抜けて笑いの芝居を書き直し続ける脚本家の
笑いと哀しさと希望をにじませた、二人芝居です。
美を慈しむことが疎まれる時代がまた訪れたら、
笑うことが憚られる時代がまた訪れたら、
観音⇒かんのん⇒噛む呑む
生きる醍醐味の大半が失われてしまう。
さあ、ふたたび、氣を取り直して謎解きと称する氣付きの旅に出よう。
繰り返しのパターンに氣付いて今と向き合うのだ。
ああ、今、白粉の香りがしてるなぁ( ゚Д゚)
ムチの後に、アメ頂きました。
アイされとるわ。
【UNQUOTE】
才智財宝 弁舌芸術 弁才天に応援されている。
おわりははじまり-180「大輪の梅の花が咲く天部が秘密裏に動いてる」
しゃもじ(杓子・杓文字)とびわ(琵琶)は弁才天に付き物。
おわりははじまり-126「女塚神社の護りと七五三の祈り」
「石神=みしゃくじ神」は、「咳の神様」で、「関の神様」なんです。
こちらは「関神社」といいます。
おしゃもじ様なんですって。
風邪とは、邪(よこしま)な風でございまして、
それを祓うのでございますよ。
「しゃもじ」で掬うのは「米」にございます。
右手の「しゃもじ」を「光(水)の剣」に変え、
左手の「お茶碗」には「米」がてんこ盛りです。
ひもじい思いは心も重い。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー13「弁才天の剣を手に入れた」
おわりははじまりー74「女神へ託された剣」
我ら「Mr.関&Mrs.関」も天之御中主神の
「懐刀」と心得まして動く所存にございます。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー107「10月10日のトリとトリ」
それにしても、これぞ神芝居の仕掛けと言うべくもあらず、
「 いと(糸・意図)おかし」でございますよ、まったく。
現代語に訳すと、「ヤバい」と「エモい」ですね。
大坊本行寺を出て目に入って来たのが「池上梅園➡未来」でして。
これは予告編だったんですなぁ。
ここから「徳川御三家」を巻き込んだ「梅」に追い掛けられます。
2024年3月19日の私は思ってもみなかったのです。
東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ
おわりははじまり-201「水戸と叡智匂う」へ続く。
大変申し訳ございません。
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