お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
おわりははじまり-134「スタンダールの赤と黒」の続きとなります。
フランスの作家、スタンダールの小説「赤と黒」の題名の由来を元に話を進めています。
Wikipediaの「赤と黒」には、3つ書かれていました。
1.主人公のジュリアンが出世の手段にしようとした軍人(赤)と聖職者(黒)の服の色を表している説
2.ルーレットの回転盤の色を表し、一か八かの出世に賭けようとするジュリアンの人生の比喩説
3.赤と黒が、愛と死を象徴している説
次は、
2.ルーレットの回転盤の色を表し、一か八かの出世に賭けようとするジュリアンの人生の比喩説
私、スタンダールの「赤と黒」は、読んだことがございません。
演劇でも上演されておりますが、観劇したこともございません。
読んでないのに、あれこれ言って、すみませんと先に謝ります。
あらすじを読んだところ、主人公のジュリアン・ソレルは
「死刑を運命として受け入れる」とあったので、
「思い通り」の人生にはならなかった、ということなのでしょう。
でも、「一か八か」に挑んでも、結局人生は「一から七」の
転びのプロセスを辿って、先人が培ってきたように
自らが「七光」を見出すルートに戻される。
「死刑を運命として受け入れた」のなら、
「思い通り」の人生にしようとするのをやめた、
「これでいいのだ」まで辿り着いたということなのかな?
2.は、私にとって、これまでの学びの復習ですね。
挑戦することは素敵なこと。
ルーレットは回る。
赤と黒の二分の一の確率、一か八かを掛けて。
しかしながら「一か八か」は、現実に着地しません。
運良く「八」に行ったとしても、継続は難しく泡と消える。
必ず「一から七まで」の「転ぶ」プロセスがあって、
「八・8・∞」という「現実化・物質化・持続化」に繋がってるから。
アイは地球を掬ぶー11「七転八起のアイ」
それが、私が東北の旅に出る時に受け取った言葉でもあります。
転(56)んだ先に光(7)あり
厄(89)を落として役(89)に当たる。
最後の3の論点へ行く前に、少し整理します。
「和(〇)の國」が「十に寄せていく」とどうなるのか。
おわりははじまり-134「スタンダールの赤と黒」
〇が日本で、十がフランスということになります。
出てきたのが地球の惑星記号なんです。
奇異ワード-4「高山町 丸に十字の記号」
十はプロセス、〇は信頼。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー169「イエスの目」
人生のプロセスの全てを信頼した上でどうするか。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー169「イエスの目」
自分の目の前のこと、自分の目の前の人、
「思い通り」にしようと我を張ることから、
力を抜いて「これでいいのだ」の浮上に辿り着くまで、
習合して噛み(神・火水)合わせして真ん中へいくことが、
±⓪の差取り意識の太陽へ近付くことなのだろうなぁ。
おわりははじまり-136「砂上の魚の赤と黒」へ続く。
大変申し訳ございません。
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