血は変えられない… 法的な絶縁はないことに絶望した過去。 | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」


親は変わらないし、
血の繋がり
というのはどうしても変えられない。





わたしは祖母にこう聞かされたことが何度かある。



"血は汚い"



血のつながりは愛でもあるけど、
一度こじれると殺人や憎悪を起こす。



日本で2016年に摘発した殺人事件(未遂含む)のうち55%が、「親族間殺人」と言われています。






「そういう意味かな?」



なんて、自分の中に流れる血を呪ったあの悪魔の苦しい日々に、わたしはそう思った。



どういう意味で言ってたのか、
実際はわからないけどね。







わたしは、
「もう戸籍ごと変えたい…」
と心底願ったときがあった。



わたしがあの家庭に生まれ育ったこと自体なかったことにしたかった。



だから、
根こそぎ
もう生まれたところから
変えてしまいたかった。



ゼロにしたかった…



自分を全てなしにして
ゼロからやり直したかった。



毎日消えたかった。



消えたい
というより自分という存在そのものをもう
消したかった。





今思うと、
とてもひどいことだよね。



自分に対して失礼極まりない。



ごめんねわたし…



すごく失礼なことばかり考えて、
あなたを傷つけてばかりいたね…



そりゃ毎日死にたくなるわな。








根こそぎどうにかしたかったそのとき
たまたまわたしは法律事務所で働いていた。



そのときはすでに絶縁していたときね



仕事で依頼者の戸籍などを扱うこともあって、勉強兼ねて調べていくと、
法的に分籍はできることがわかった。



でも、
法律上で縁を切ることはできない
と知って、
わたしは愕然としてしまったの。



だから、
分籍の手続きすることもしなかった。



それは、
愕然としすぎて、
手続きするエネルギーすらわかなくなってしまったから。



どうにもできないのか…
と、心底落ち込んだのを覚えています。



血縁
というのもを恨み憎みました。





親とつながりを切りたい


断絶したい

 

血が繋がっていると思うとイヤ



という話を聞いても、わたしもそうだったからよくわかる。



<参考記事>







根こそぎどうにかしたくて、分籍とかそういうのを考えてたこの時期は、
"とても苦しい時期だったな…"
と振り返っても思います。



それは、

"自分を変えたらいい"
というエネルギーがわかず、

(ここがつらいんだと思う、自分で自分に注ぐエネルギーが枯渇してしまっているという、ここ)


親に執着し、自分の内側への意識が全く持てていない時期だから  だ。



自分ではなく、
親にエネルギーを注いでしまっていることに気づけていないこともつらい…



だから、
執着を手放そう
とよく言われるのではないかな?



執着は自分を苦しめるものでもあるから。





こういう時期にいるとすごく辛い。



エネルギーがわかないことすら

自分がダメなんだ!
もっとがんばらないと

って責めちゃう人もいるんじゃないかな?



わたしは、

変わりたいというエネルギーがある程度わいてきていているのに
行動するまで今一歩いけない方向け

の記事を書いているので、

その人が動き出せるように願いながら
あえて突いて揺さぶるようなことを書いたりしているのだけど、


上記に書いたようなエネルギーがわかなくて困っている段階にいる方も
このブログを読んでいる方の中には多いのかも…

と思ったり、親への執着を割合高めに持っている人に最近よく出会うこともあって書いています。



責めてるんじゃないからね



親への執着を割合高めに持っている人に
最近よく出会う
というのはもちろん、
"この仕事をしてるから"

わたしが見ているのは、
この仕事を通しての世界
の割合がやはり高くなるからそうなるのは当たり前なのです








執着してるとつらいね。



でも、執着してるときほどその感覚がいまいち本人はわからないから、なお辛くなるんだ。



どうしたらいいかわからない
という人もいるね。



いろいろと何年も書いて
ヒントはもう出しまくっているけど、

どうしてもブログ、メルマガだけではうまく届かない人もいるなぁ…

と、仕方ないことかもしれないけれど、感じます。

話す方がどちらかといえば得意です。







自分が親に執着してるかどうかの確かめ方はたくさんあるけど、その中の一つは、

「あなたが親に依存してるんじゃない?」

とか

「いつまで甘えているの?」

と言われてぐさっときたり、いらっとしたら、それは親に執着してるってことになると思う。



そう、これらはまぎれもなくわたしがかつて傷ついてきた言葉たちです。



今だからわかるのだけど、
当時だったらわからないし、
こんなこと言われたらイライラしてたと思う。



あのとき
それが図星だったから、
わたしは傷ついていたんだ
と、今だからわかる。

だから今、
わからなくたって大丈夫なんだよ



イライラしていいよ、
親のせいにすることが必要な人もいるから。



ただ、
"場は選んだ方がいいかな"
と、経験者(わたしだけど…)は語るかな。



余計自分を傷つけるような場では、
黙っておいたほうが

自分を変えるという自分に使うためのエネルギーを温存しておけるよ
という意味で、

よいこともある。






わたしは、
親に執着している自分に気づけず、
自分の感情、過去、闇などを引き受ける勇気も、自分を直視する力もなかった。



だから、

誰かわかって…

と嘆き、勝手に一人ぼっちになって、
誰かにすくってもらおうといつもどこかで思っていたんだ。



これも、
今だからわかること。



だから、今わからなくてもいつかちゃんとわかるときがくるし、

そのときのあなたは
親に囚われた自分自身
から解放されたあなたになっているよ








だから、
親への執着から自分を解放させた
というこの感覚は、
この執着から抜け出た者のみが体感できらことだと思う。



しかし、
ぬけ出ようとすればするほどぬかるみにはまる沼のようで、難しいことでもあって、

ここの段階にいるときは、
結構苦しい度高めだな
って振り返って思う。



最高で最善かな
とわたしが思うのはやっぱり
外側に青い鳥を探さないこと。



誰かに一気に楽にしてもらおうとするとか、できればしないということ かなぁ。



それをし続ける限り、
わかってくれる"誰か"を探し続けることで終わる。



自分のことをわかってあげられて、
認めてあげられて、
肯定し受容し、
抱きしめてあげられるのは、
自分しかやっぱりいないから。



でも、
探してしまったり、
そんなふうに外へと求めるように思ってしまうのはオッケーなんだよ

パラドックスなように聞こえるかもしれないけど、ここ、がんばって理解してついてきてね。
白黒100の人には難しいところだと思うけど頭の体操だと思って考えてみてほしいところ。



でも、

"自分で自分を幸せにする"
と決めることがどこかでいるよ、
あなたがあなたを生きたいならば

とわたしは思う。



あなたの中に、
青い鳥を探しに行かないかい?
(一緒に)

ということ







そう、
誰もあなたの人生を生きてはくれない。



あなたも知ってるじゃん、
そんなこと本当は



誰もあなたの人生をよくしてはくれない。



知ってるじゃんきっと



お手上げしよう。





誰か
という他者は、

あなたをサポートはできても、
あなたをよくできるのはあなただけ。



このわたしも、
あなたの人生のサポートはできても、
わたしはあなたではない。



本人の気持ちがなければ
わたしのサポートは
ただのコントロールとなって終わる。





親から脱却するのも
親から自立するのも
親から自分を解放するのも

親でなくても
彼でも
ムカつくあいつでも
なんでもそうなんだけど、

自分の内側に集中することがやはり不可欠であり、これが一番一番エコ



わたしはそう思います。



それさ、
他者ではない、自分自身に自分のエネルギーをかけられるから。






たまに、
親ごと変えたい…
という方や、

過去の記憶を消し去りたい
という方や、

血を全て抜き変えたい
という、

どうにもできないこととわかっているけど、つい希望しちゃう人の声を聞く。



すごくわかるよ。



そう思うの、
すごくわかる。



わたしもそうだったもん。



本当にそうだよね。



心からそう願っていては、

「恵まれた親に育ったのだろうよ」
と呑気な人たち、
周りの人たちを羨み、心の中で毒づいては憎んでいたよわたし。



だから、
そう思っていいよ。



思うのは仕方ないのよ。



思ったことを消そうとしないこと
が大切なんよ。



変に他者にいい人ぶるのは、
自分へのうそつきだよ
ということ。



思った感情を消すのは、
出てしまったオナラをないことにすることくらい無理なこと
だと知ろう。



思っていいけど、
その先を見失わないでね

あなたはどうなりたかったの?
幸せになりたかったのよね

っていう、目的を思い出すことを忘れないでね
ってこと



持ってかれてもいいから、
戻ってくることを意識してね

ってこと。


<参考記事>






その時期を通っていく方も
もちろんいるから。



思っていいよ。



たんと思おう。



早くそこから抜け出るために、
たーんと思おうね。



それを本人にぶつけることは、
うん、避けた方がいいかな。



受け止められる器がある相手ならいいけど、相手には相手の事情があるから、
かえってあなたが傷ついてエネルギーをなくすこともあるから。








通ったものとしての意見を言うならば、

親のことから自分を解放に進めていて思うのは、

(というか、いい意味でどうでもよくなった、つまり自分を生きるだけだとわかって自分を生きることに専念した という意味)



そうして親だったり血だったり

変えられないとのから避けるのは、

実は自分自身を避けていることになるよ
ということ。



自分から目を背けていることだよ
ということ。

その時期を越えたら、
この言葉の意味がきっとわかるよ
ということ。



避ければ避けるほどに、

奥底での自己への否定、

ううん、
魂レベルでの自己否定につながり、

うわべで何か手続きをとって楽だと思えても、根本は違うから、どこかで苦しみは残っていただろうな

と自分を振り返ってわたしは思う。



自分を根こそぎ包み込めたら、
血なんて
籍なんて
どうでもよくなるの。



親への感謝すらわく。



それは、
自分への感謝が心からわいた者のみが体験できる体験である





わたしはそれを体験したい人と
今はマンツーマンをメインでご一緒する
と決めている。



親に感謝するためじゃないよ、
自分であることに誇りを持ち、
自分で自分の人生の舵をとる喜びを感じたい  と思う人とご一緒したい。



だから、

あの人を変えるにはどうしたら!?
という人はわたしのところに来ないし、

何かを避けるのではなく、
この、
自分という唯一の人を幸せにしたい
という方が来てくださっているなと思い、

そこから話をし、サポートをしている。



その器から、
話をし、アプローチをしています








自分で自分を幸せにするという決意
にたどり着くのに、

わたしのように、

一旦親のせいにするのが大切な人も、
どっぷり執着するのが必要な人もいる。



段階があるんだよ
ってこと



だから、
安心して今いるところで揺れたらいいんだよ
ってわたしは思う。

といっても、その安心がなくて困っているのも、もちろんわかって書いているよ!



だからわたしは、
自分が通った経験から、
力強くあなたを励まし、
ときに厳しく伝え、

大丈夫!!
を送っているつもりです。



わたしだけでなく、

"大丈夫"
という言葉以外にも、

言葉や行動で、

あなたを信頼して大丈夫というメッセージをいつもくれている人がいること、

ちゃんと受け取ろう、
気付こう。



取りこぼさないこと、
身近な人の愛を。

たくさんの人が取りこぼしてるよ。
その人の心の成長を見て、時期を見て、伝えるべきときの生徒さんにはお伝えしています





心は、体と同じで成長段階があるとわたしは思ってる。



だから、
あなたを否定したくて書いているのではなく、あなたを信じているからこそ、
 

その先はこうなるよ

今いるその過程を否定することはないけど、でもそこを抜けていけるとこうなるよ


という気持ちで書いているということが
もし伝わったなら、わたしはとてもうれしいです。





幸せはいつだってすぐそこにある。



外には、実はないんだよ。



親が変わったって、
変わらない。



あなたがあなたの中に見いだせるまで…



そう、
「本当にすぐそこにあったー!
いろんな人が言う通りだった!」
ってわかるときがあなたにもくる。



それに気づく目は、
自分自身で育てられる。



自分と向き合いさえすれば…


…ふと
そんなことを書いた方がいいな
と思ったので、めずらしくまじめに書いてみました