就職氷河期
過去最低といわれた新卒就職率をあっさり割り込み、今年はそれをさらに下回る結果となった。
就職氷河期は年々悪化し、企業はキャリアの転職は希望するも、即戦力とはならない若者は採用をしないようにも感じる。
現状で若い人たちにのこされた道は、多くの場合、派遣、アルバイト、フリーターなどの道というところにならざるを得ない状況だ。
アルバイトなどの利点として、自分のあった仕事を選択して行うことができ、いつでも簡単に退職することができることがあげられる。
企業側でも同様に、いつでも簡単に首にすることができる。
社員としてかかる年金などの費用額がうく。
といったメリットもでてくる。
どうやら当面、そういった就職形態というものが続きそうな気配になってきた。
しかし、未来に日本経済が活性化し、人がたらなくなっても、今度は企業がいままで点々と仕事を替えざるを得ない人たちの獲得がむずかしくなるだろう。
一つの職場でとどまり我慢しながら仕事をし、やがてそのステップをあがってゆくといったプロセス経験がなく、いやならすぐやめて・・・とか条件次第ですぐに会社を変えることを余儀なくされてしまった若者は、今度は企業の求人に対してそうそうやすやすとは首を縦に振ることはしなくなり、殿様のような態度で面接を行っていた中小企業の面接担当者は、おべっかをつかってなんとかして人を入社させなければならなくなるような時代になるのかもしれない。
ただ、それまではかなりの時間を要することになるのかもしれない。
進みすぎたか、進歩の速度が鈍化したのか・・・・
試練
「神は乗り越えられる試練しか与えない・・・。」
ということがよく言われるが、東北大震災にしろ、キャンディーズのスーちゃんにしろ、どうしても乗り越えられなかった試練もおおくある。しかし、それでもいろいろな意味で人に希望と勇気を与えてくれることがある。
試練に会った際に、人はいろいろな選択肢が生じ、どれを選ぶかは本人の意思次第だろう。
立ち向かう人もいれば、逃避する人もいる・・・退避がよいのか責めるのがよいのか、わからない場合もあるだろう・・。
兵法では、「算多ければ勝ち、算少なければ勝たず・・・。」
という言葉がある。
算多ければ争い、算少なければ争わず・・・ともいえるのだろう。
その算、人によって計算方法が違うようだ。
放射能にしても、その算が違うために小佐古敏荘内閣官房参与が辞任した。
放射能の値が大きすぎたのに、それを訴えても勝算が少ないためのもの・・。
勝負における計算とはまさに秤にかけて行われるのだろう。
人生の勝負も必ず勝つとは限らない。
人から羨ましく思われていても、実際には悩んだりしている人も多い。
昨日みごとに優勝した柔道の鈴木選手は若手に阻まれて王座を渡したことも何度もあった。が、あきらめずに突き進んだことでまた勝利を得ることができた。
勝敗は時の運ともいうが、運も実力のうちだろう。
これら勝負、真っ向勝負も逃げるのも、どりらが良いとはいいきれない。
その選択を自ら責任を持って行い、あきらめずに時に迷いながら、進んでゆくしかない。
そして、その評価はあとからついてくるものだ。
義捐金が寄付金として認められるのは・・・・
義捐金が寄付として認められるのは、日赤などに限られるのが税制上では普通のようだ!
だが、今回の震災は普通ではなく、想定外のことが続いている。
決算期に際し、企業や組織では、税金を支払うほどの利益があがれば、その中から少しでも義捐金にまわしたいという気持ちがでてくるのが多いのではないだろうか?
さて、その際に、自分達の組織を通じて直接義捐金が被災者に届くようにしたい! とか、所属する団体を通じて寄付を行いたい! など、それぞれの思いがあるのではないだろうか?
被災者に対するなんらかの支援を、ボランティアという形でおこなっている人も多い。
しかし、直接被災地に行きたくても、仕事の関係などで、いけない人も多くいる。
その人たちも、なんらかの支援を行いたいと思われている方が多くいるはずだ!
いま、非常時!
ボランティアを自腹で行ったのなら、その経費、そして日赤に限られている義捐金の寄付としての税制上の処理などを緩和する必要があると思う。
一方で、義捐金を個人で着服する不届きなものもでてきた。
被災者が苦しむ中、人の弱みに付け込む人間も少なからず存在することも事実だ。
だが、国民の善意を信じ、ボランティアや義捐金の寄付が行いやすくする環境を政府が早急に作り出すことが今は大事なのではないだろうか。
今朝の朝日新聞に、「疾風に勁草を知る」の故事が引用されていた。
激しい風がふき始めて強く生きている草などがわかるという意味だ。
まさに疾風が吹いた状態が続いている状況で、ボランティアなどの勁草をはじめ、弱いものの小さな善意をからしてしまうようなことがあってはならない。
救護ボランティア派遣が始まった。
わが組織でも、被災地へ向けての救護ボランティアの派遣が始まった。
それとは別に、個人的に動いて被災地のボランティアを行っている仲間も多くいる。
おおくの人たちの善意によって、少しずつ復興しだしている東北・・・。
ソフトバンクの孫さんは100億を寄付したというからおどろきだ!
市場経済において、当然会社は利益を出すものだが、社会貢献を行わない会社は淘汰してしまう。
貢献の仕方はさまざまでよい!
が、だからといって、いまどき、「自分たち、その組織だけよければそれでよい」といった考えの組織は時代遅れも甚だしいと言わざるを得ない。
「情けは人のためならず」
というが、一流の経営者はこのことをよく知っている。
「ユダヤ人大富豪の教え」などにも記載されているようだが、富豪になったのは、自分の利益を考えるより、他人の幸せを考えることをまず優先して行うからだという教えがある。
当然、この原理原則を一流企業の経営者たちは知っている。
起業にとどまらず、プロスポーツ選手達も、プロの歌手、芸能人も自分たちのできることをどんどん行ってきている。
もともと、人の役にたてれば・・・という思いでこの仕事を行っている私だが、手段は違っても、この思いは同じである。
100億寄付することも、現場に駆けつけることもできない多くの人たちでも、その人たちの善意が積もれば大きな役割を果たすこともできると信じる。
あとは、これらの善意をどのように集め、力とするかだろう・・・。
情報の欠如が叫ばれているが、ネットでの助け合い、情報交換なども行われている。
これもひとつのおおきな力となる。
だが、善意に付け込んで悪徳商売を行う輩も少なからず出没しだしてきた。
放射能の被爆に対して効果がある云々・・・。
これらデマと風評被害と対決して正しい情報をつたえてゆくことも一つの社会貢献となるだろう。
被災者の方々やそれ以外の方々もショックやストレスによる体調不良が見受けられるようになってきている。
助け合い、そしてデマ、詐欺などの横行にも注意を呼びかける必要が出てきている。
それぞれが、できることを行う。
それも立派な社会貢献である。
無計画停電・・・
計画停電、
これは電力供給に関してやむを得ない措置といえるだろう。
だが、停電するとTVで報じておきながら、じつはされなかったり、行わないとおもったら、時間がずれて行われたり、道路をはさんで隣はまったく停電しなかったり、といった不公平が平然とまかりとおってしまっている。
考えてもみてほしい!
店舗を借りて経営をしていれば、日々の売り上げは安定していなければ、経費比率が大幅に上がってしまうことになり、利益はすぐになくなり経営が難しくなるのだ。
TVでいったん、雨が降るとか嵐になるとかいったとする。ところが天気予報がはずれ、カンカン照りになっても、来客減少は免れない。 これは一般の店舗の場合だが、医院やら接骨院なども同じで、来院者減少は免れない。
被災地を思い、我慢するというが、道一本隔てた店舗に煌々と明かりがともり、そちらに顧客が引き込まれてしまうといったこともすでに生じている。
一方で、それにもかかわらず、家賃や広告費、人件費などは安くなるということはない。
電気が止まろうが、ガスがとまろうが、そのために営業ができなかろうが、おかまいなしにとられるものはとられるのだ。
農家の方々も風評被害で本来なんの問題もなく出荷されるものが売れずに、たたかれて買い取られることが多くなってきている。
地震が原因であり、天災だから仕方ないといえばそれで済む問題なのだろうか?
被災にあえいでいらっしゃる方をささえるための周辺の基盤を揺るがせているのは誰なのだろう?
地震、津波の復興を遅らせているのは、東電ではないのだろうか?
東電のTV会見をみていても、どうにもお役人のような態度で上から視線を感じてしまうのは私だけであろうか?
原発の現場で作業をして被爆したのは、孫請け会社の社員で、放射能漏れの件もろくに説明されないまま作業をしていたという。
東電のお偉方は、はじめてTVにでるのか微笑みさえ感じさせられる。
俺様は偉い人なのだ!といいたげに・・・
孫請けのしている仕事をしてはどうだ! 現場で働け! といいたい。
いま、ニュースでは、来年も計画停電を行うという・・・。
日本経済は著しく失墜してしまう。
東電の代わりになる自治電力会社などがどんどんできたり、小規模発電所などができて、東電を使わないようにしてゆけないものだろうか?
競争相手がいないから電気を分けてやっている! といったおごりが生じるのではないだろうか?
いつまでも続きそうな無計画停電・・・。計画性のある自治発電や小規模電力会社などを作ってもよいのかもしれない。
電力も自由化にしたほうがよいのかもしれない。
心のぬくもり・・・
かつてない規模の地震が宮城、福島をはじめとする東北地方太平洋沖で発生して7日目となる。
被害状況が判明するたびに被災者の数がまし、亡くなられた方が増えてゆく。
悲しいではすまされない出来事に、人間の限界を感じざるを得ない。
が、一方で、心温まる話も多く聞かれる。
日本人ならではなのか、譲り合いが行われ、弱者に対するおもいやりもあちこちで聞かれる。
略奪なども行われず、社会的な秩序の中、じっと耐えながら復興を待つ姿がうかがえる。
被災地以外の県では、住宅を提供したり、被災した県内でもさまざまなボランティアが行われたり、たりないものをTVでみた人が、プロパンガスを避難所にもってゆき提供したり、とにかく何か人の役に立ちたいと思う善意の行為がどんどんつながってきている。
帰宅難民が生じても、お年寄りにマスクを渡したり、毛布をお年寄りに譲ったり、といったあたたかい行為があちこちにほろがりつつある。
コンビニにお菓子を買いに来た子供も、お菓子を買わずに義捐金募金をしてかえったという話もある。
日本には、まだ人を思いやる心が残っている。
とはいえ、すでに被災から1週間が経過しようとしている。
人々のストレスも限界に近くなってくる。
ネットのつながりからリアルのつながりで人々がつながりだしている。
助け合い、譲り合い・・・・
外は寒くても、心のぬくもりを被災地に届けることは可能だ!
アナフィラキシーショックにエピネフリン携帯!
昨日、所属する組合で開催した救命講習会の座学を受講してきた。
その中で、アナフィラキシーによるショックに対応するために、エピネフリンの自己注射に関する講義があった。
アメリカの軍人が戦地でアナフィラキシーによるショックを起こした場合、軍医が駆けつけるまでに命が持たない・・・。
そんなわけで自己注射ができたり、もし対応が遅れてもそばにいる兵士が救助できるようにしたことが始まりだという。
戦場で、はちに刺されたり、極度のアレルギー反応を起こすなにかに触れたり、サリンガスなどがまかれた際などにも使われるという・・。
注射器というより、大きめのボールペンか、ペンライトのようなものを握りしめてもものやや外側上部に皮膚に対して垂直に突き刺すといったことで体内にエピネフリンが注入されてアナフィラキシーを防ぐことができるという。
林間学校など、学校行事にはこのような不測の事態から生徒を守ることも多々必要になる場合が考えられる。
講習をきいて、準備を行うことはよいことだ。
医療行為はすべて医師が行うべきという考えはもう古くなってきていると思われる。
非常事態には、これらができる人が多いに越したことはない!
すべての学校や山歩きに医師が帯同することなど不可能であるし、救助が間に合わない場合も多くある。
死を防げる人がいるのなら、救命に関してもより開かれた医療がAEDにつづいてもっと行われてもよいのではないだろうか・・・・。
医師不足・・・医師だけに医療を任せる時代から、きちんと研修を行い、そのうえで、できる人が行えばよい時代になってきているのではないだろうか。
人生のリセットスイッチ
「君達はまだ若い! いくらでもやり直しがきくのだから失敗を恐れずに何事にも立ち向かって人生を切り開いてほしい!」
そんな言葉を来たのはいつのころだったか・・・。
高校卒業、大学卒業のときにたいてい聞く言葉ではないだろうか?
その人生のリセットボタンもいつの間にか消え去ってしまったような気がする年齢になり、ふとそのスイッチについて考えるような出来事が起こった。
大学入試の問題を携帯から送信してその回答を得る・・・。
これも新手のカンニング、そしてこれも若気のいたりといえるだろう。
確かに、不正はいけないことだが、かといって、これで人生がだめになるほどの事件ではないのではないだろうか。
世のなか、不正、欺瞞に満ちている。
儲かると思ってやった仕事はうまくいかず、利益にもならないが人のやめ世のために行った仕事があとですばらしい報酬をもたらす。
儲けに走れば不正を侵す。
そしてその不正にはあとからつけが回ってくる。
が、ある程度の責任をもつ人間が、これらの不正を行えば、当然リセットスイッチはきかず、その責任を取らされることになる。
そういった意味からも、社会に出る前の若者にはリセットスイッチがあり、それが特権といってもよいだろう。
しかし、幼児を殺害するためにうろつき、それを実行するような輩に、リセットスイッチは用意されるべきではない。
世の中、そうは都合よくできてはいない!
さて、自分のリセットスイッチは本当に正しい時期に、正しい道を選べたのか、ふと考える年になった。
論語には、五十にして天命を知る。 とある。
リセットがきかないことを意味するが、その人生の意味が明確になるということであろう。
道を誤ったといって自らの命を絶たれる方も多い。
今の人生の意味を知り、その人生という道の目標がわかる年になってしまった。
まだ若い方・・・・せっかくリセットできる人生ならば、これからの道を固定観念にとらわれず、考えてみるべきではないだろうか。
NZ地震・・・・
看護師で世界的な活動を目指して語学留学した人、何か人に貢献したいと思い、その思いを広げるために渡航した人、・・・
その胸に大きな夢を抱いて、海外へ渡航した若者が災害にあった。
そしてかれらの通っていた、ニュージーランド、クライストチャーチの語学学校の入った建物は、みるも無残に崩壊してしまった。
見ていると、クライストチャーチにあるすべての建物が崩壊したようではない。
耐震構造になっていなかったと思われる建物だけが崩壊してしまったようだ。
稀な災害に、人間はその準備を怠るのだろう・・・・。
新しい建物はそれに備えても、従来からのものはなかなか変えることができないというのが人間の常なのか。
「旧態依然」・・といった言葉が頭をよぎる。
そしてその旧態依然というものの犠牲になるのは、たいてい、真新しい夢と希望を秘めた若者だ。
しかし、だからといって彼らの意思を受け継ぎ胸に大きな夢と志を持った若者が、海外への留学をためらったり、世界に向けて飛び立とうとする意欲をそぎ取ってはならない。
人間が現在では立ち向かうことのできない巨大な自然の力もある。
しかし、災害は、多くの教訓も残すことも事実だ。
できれば、災害に対する救助、医療、あるいは、災害そのものをくいとめる耐震構造を強化するなどのエキスパートなども、若者が立ち向かうべき一つの新たな目標になってほしい。
そして今回の災害で、一人でも多くの被災者が一刻も早く救出されることを希望するとともに、犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りする。