痛みよりも愛を | 美建楽サロン 加齢不安を華麗に変える習慣

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魅力学®︎研究家の中原晴美がナビゲートします


体育会系の体罰が原因と思われる自殺。

子供のバスケ部の母に「スポーツは軍隊ですから」と言われたことがあり、過度な厳しさは本当にスポーツに必要なのか?と疑問でした。
そういう気質に合わない息子、バスケそのものは楽しんでいたものの、悩みつつもやめさせました(小学生時)。

規律や規範、スキルの向上に、体罰は必要ないと感じます。

それは、子育てでも同じ。子供に手を上げる事はないけど、言葉の暴力にも気をつけよう。

体の傷と同じくらいに心の傷は深く、癒やすのには時間がかかるから。



ということをFBに書き込みをしましたら、沢山コメントをいただき、コメント欄のなかでも、論議が交わされました。

コメントから

>暴力は絶対に反対
>父親と母親は立場が違う。父親は必要と感じ、母親は絶対拒否なのではないか
>男子と女子は違う(息子には体罰○。娘だと×)
>世の中は理不尽に満ちているから、子供のうちに忍耐を学ぶ必要もある
>企業間の取引など厳しい時代を生き抜く強さを養うためにある程度必要
>世界中に貧富の差宗教の違い価値観の差があるなかで威圧という暴力がある中で生きる術を教える(ためには暴力は不可欠?)

というようなコメントをいただきました。

暴力は学校だけではなく、家庭で塾で、部活で、企業で、国家間で行われていると、いろんな方の書き込みからうかがえます。(実際戦争が起きているのですからね)

私は、体罰の問題だけでなく、暴力とは言葉の暴力もある。手を上げなければ何をしもよいのか、ということも問いかけたかった。

言っても解らないから、怒鳴る、威圧する、怒鳴っても解らないから、殴る。優しく言ったって聞かないから、子供なんて、新入社員なんて

というのが容認派の意見ですが、
これは、自分のほうのコミュニケーションスキルが低いからではないか?と問いかける事をしてみた事はあるでしょうか?

暴力の反対は「優しく言う」「褒める」ではありません。
私は自分の子供を育てて、3人でも、同じように話し、同じように叱っても同じようにおだててみても、反応、効果が違う。

とすれば、こちらのアプローチが自分のやり方だけでは通用していないということだ、と思い、コミュニケーション法を学びました。
そこで「相手は一人一人違う」という当たり前の事を学びました。

そして、手を変え品を変え、言葉を変え、アプローチを変え、子供によって変えていく、その子によって伝わり方が違うからです。

そのために、相手を観察し、話を聞き、まずは相手を理解するという事が必要だと学びました。
父親でも、母親でも、教師でも、部活の顧問でも、企業の上司でも、国の交渉でも相手にこちらの言いたいこと、「規律、規範、スキル、業務」を解ってもらうには、こちらから解ってもらう努力をする。

伝え方の方法を徹底的に研究すべきだと思います。

コメントにあったように、世界の人が国を超えて接する時代になり、違う文化宗教の背景がある状況で、戦争、威圧という暴力をなくし、違う人間が共存するためにも、子供達にはコミュニケーション力、相手を理解し、相手に自分を解ってもらう力をつけていってもらわなければなりません、
それなのに親や教師や企業のトップが、旧態依然とした、力で押さえつける暴力行為(体罰にしろ、言葉にしろ)を続けていては、それを正しいやり方として学んでしまい、次世代も同じ事を繰り返すのみです。

コミュニケーション力が必要と言われて久しいですが、指導する側(親、教師、企業の管理職)にその能力がもっともっと必要ですね。そうすれば、暴力など使わなくても次世代が成長していくことが出来ると思います。

実は私はその重要性を感じているので、企業や教育の現場で素晴らしい成果を出しているコーチを講師に招き1「コミュニケーション講座」を企画しています。

家庭で、教育の現場で、企業で、コミュニケーション力は、個人の才能を引き出す鍵となるとおもいます。暴力ではなく、「言葉と愛情」で、人を育てていける社会を目指しましょう。

すべての人が変わって行くには時間がかかるでしょう。でも気がついた人間から、変えて行かなくてはなりません。