これまで生きてきた私の記憶の中で、最も大きな罪悪感を感じた出来事は、子どもが不登校になってしまったことだ。
私の脳内は「あの時こうしていれば」「あの時こうやってしまったことが」という後悔の嵐だった。
でも私はそこから時間をかけて、気づいたことがある。
それは、起きた出来事に対する感情(罪悪感)と、不登校になったという事実は、本来は結びつくものではないということだ。
そして、気づきというものは、体験とセットで訪れると私は思っている。
先日、歯科矯正中の次男が、下の親知らず2本を抜歯した。抜歯自体は20分ほどで終わり、次男の表情も落ち着いていた。
車で病院から帰り、次男を家に送った後、私は1人で処方された薬を(痛み止め)受け取りに薬局へと向かった。
薬局の待ち時間は15分ほどだった。薬を受け取った後、仕事のメールを送るためにマクドでコーヒーを一杯飲んだ。私にとって大事なメールだった。
メールを送信した後、夕飯の買い物を済ませレジで精算をしている時に、次男からLINEが来た。
「痛い。やばい」
抜歯時の麻酔が切れてきたのだ。私は慌てて返事をした。
「あと10分で帰るから、お水用意してあと少し待ってて」
私は急いで食材をレジ袋に詰めた。するとまたLINEが鳴った。
「救急車レベルで痛い、あかん」
私の思考は一瞬止まった。私が痛み止めを飲ませるのが遅れたからだ。私がコーヒーなんか飲んでメールしてるから、こんなことになってしまったんだ。どうして私は薬をもらってすぐに帰らなかったんだ。
ものすごい罪悪感が私に押し寄せてきた。
私はとにかく急いで家に帰った。
部屋に入ると、抜歯後の傷口から出る血をティッシュで拭きながら、痛みに全身をガタガタと震わせている次男の姿が目に飛び込んできた。
痛みへの恐怖感からか、薬を飲み込めないという次男になんとか痛み止めを飲ませた。ところが悲しいことに、痛みの真っ最中に、そんなにすぐ薬が効くわけもなかった。
「救急車を呼んで欲しい」という次男を前に、私は冷静を保つのが難しかった。何度か歯科口腔外科に問い合わせもした。取り越し苦労に終わるのは目に浮かんでいたが、結局私たちは救急車で病院へ連れて行ってもらった。
救急隊員の方や、当直のお医者さんと話をしているうちに、やっと痛み止めが効いてきたのか、次男に落ち着きが戻ってきた。出血をしている傷口も問題はなさそうだということが分かった。
たかが親知らずで...と思われるかもしれない。誰にでもある痛みや出血かもしれない。でも救急搬送を受け入れてくださったことへの私の安心感は計り知れない。
「受け入れてくださって、ありがとうございます」こう伝えた時、私は涙を堪えることが出来なかった。次男もほっとしたのか、涙を拭っていた。
診察室を出る時「ありがとうございます」と言っていつもより少し深く頭を下げている次男を見て、迷惑をかけたかもしれないけど、来てよかったと感じた。
麻酔が切れたら痛みが出ますので、早めに薬を手元に用意してください、などと言われていれば、もしくは、自分も抜歯などで強い痛みを経験していれば、こんな事態にはならなかったかもしれない。
母親だからといって、全てを知っていて、全てをちゃんとこなせるわけではない。緊急事態以外の普段の子育ても同じだと思う。
どんな意識で子どもと関わるといいのか?なんて親でさえも私に教えてくれなかった。
だからと言って、私は、誰かに責任転嫁したいのではない。
起きた出来事を後悔するのでなく、事実を見て反省して、次回に生かせればそれでいいのだと、私は教えてもらった。
これが、出来事に対する感情と起きた事実を分けるということだ。
不登校という出来事も、いいも悪いもない。自分がどう感じるかで、親も子どもも、日常の生き方が変わると思っている。
このブログが、今の悩みにおける自分の答えを見つけていただけるキッカケになると嬉しいです。
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私と2人の子どもの不登校ストーリー
私と不登校①【不登校の前兆】
私と不登校②【引きずって学校へ連れて行ったその後】
私と不登校③【不登校から、自分の道を歩き出した長男】
私と不登校④【不登校を選んだ次男、最後のチャンスを与えられた私】
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