ここは自分の中でラッパや音楽の事を書く場所としてるのだけど、たまにはラッパの事で無い事を。
父の若い頃の写真。無断掲載許してね。
今日、叔母に手伝ってもらい実家の母の衣服の仕分けを行ってから父のアルバムとノートを探して持って帰って来た。
アルバムには会った事のない祖父。
そして、祖母の若い頃(和の超美人)、叔父、叔母、の姿も。
祖父のスーツがカッコ良かった。
昭和20年前後の写真だろうか?
僕がこの世に生まれる前より遥か前に若くして亡くなって居るので人となりは全く分からない。
父は口数の少ない人だった。
会話した記憶も少なく、遊んでもらった覚えは皆無。笑
でも、夏休みの宿題の工作の作りが悪いと寝てる間に綺麗に作り直されていたり〜良い悪いはこの際別・笑〜子供や人が何か楽しんでるのを端から眺めて居る人だった。
叱られたと言うか怒られた事は一度も無い。小学生の時に座ろうとする子の椅子を引いて尻もちをつかせる悪戯が流行って、家でやってしまった。見事に引っかかったと言うか、怪我をしてもおかしく無かった、、その時、痛がる様子を見て初めてこれはいけない事なんだと気が付いたが、父は一言も感情を向けなかった。
また、たぶん母に言われての事だろう。お風呂の中で身体を洗ってくれながら「あれはいけないよ」と諭してくれたり、外に出た時に恥を書くであろうマナーは「外ではやるなよ」と一言、一回きり助言してくれた。
周りからは無口で何を考えているか分からなくて怖い印象が有った様だ。
毎日、決まったルーティンで生活するのが大切な人で、決まった時間に起き、決まった時間に出かけて、毎日同じ電車に乗り、帰りも同じ。(1度たまたま同じ電車に乗り乗ろうと、でも、遅くなり、後から慌てて行き飛び乗ったら一本前の各駅停車だった。父はのんびり電車を待ちながら煙草を吸ってた(笑)〜「今日間違えて乗ったな」って言うくらいなら止めてくれたって(笑))
近所の人に松野さんが通ると何時何分って分かるくらい〜まるで柳沢教授みたい(ちょっとマニア漫画か?)途中から同居した母方の祖母が父の帰りが数分後遅いと「今日はどうしたんだろう?」て言うくらいの正確さ。
大好物はヒレカツと赤飯。
誕生日は必ずそのメニュー。
その他はジャガイモ、豆、ウスターソース、甘く無い時雨、、、なんかね、好みが似てきてるんだな。。
晩酌はビール一杯か日本酒を専用のグラスですり切りいっぱい。その前に帰宅後は紅茶と落花生で一息(笑)
それらをひたすら同じペースで続ける人。
趣味は日曜大工でマキタの玄人が使う電動工具が家にはゴロゴロして工作部屋まで作っていた。
風呂が好きで1日に5度ほどシャワーを含めて入り嗜好の一つだったかも。増築した時に当時は珍しく、二階に風呂とトイレを付けた。朝も夜も2回ほど湯船に浸かる。
一階も二階も両方の風呂を使う。
几帳面と言われていたが、B型気質であった事は確かで、テキトーなところも有ったし、面倒な事は関わらなかった(笑)
無口と言うより、人付き合いが苦手だっただけじゃ無いかな。電話だとよく話してくれたし。
祖母が同居する頃までの数年は、単身赴任をしていたが最後は毎週帰宅してた。子供心にその週末は待ち遠しく、月曜の早朝に大阪に戻る時は残念気持ちだった。
ウィークデーの帰宅先は友達の家で母が仕事から帰る夜に自宅へ戻る生活だったのもあるかも知れない〜その頃の記憶は薄い。全く抜け落ちてる記憶も有る。人間、嫌な記憶は消すんだなって思う。
さて、几帳面。
この二つの講義を書き取ったノートと鉛筆のスケッチを見て、自分には無いな… 無理… 爆
素直に尊敬します。
そのまま教科書になるじゃん。
こういうノートが何冊も出てきた。
大人になってからもう少し話したかったし、孫に合わせたかった。定年の頃に喘息の大きな発作を起こし、その治療で過多なステロイドを使い身体を弱らせて、帯状疱疹を盛大に発症。その後の神経痛に何年も苦しみ、たぶん、気持も折れてしまったのだろう。最後は医者も家族も見落としたガンだった。
若い主治医以外のベテランの先生に「ご家族の方は分かってるんですか?かなり危ない状況ですよ!」って初めて聞かされてから3日で眠る様にこの世を去った。去ってしまう日に昼間に眠る様な父の髭を剃ってあげながら、たぶん何かを話しかけてのだと思う。その時に薄っすらと目を開けてくれたのが最後の会話かな。
23年前の12月31日。
父らしい。
おかげで家族は正月から大変だった。
親戚が集まって助けてくれるのだが、そういう時って人は変な行動をする。。そんな事は無いだろうと注文して用意してあったお節料理で宴会が始まり、葬儀の準備中に年賀状を書く人…
うん、やっぱりもう少し話したかったかな。人付き合い、子供への接し方が分からなかったのだと思う。
でも、特に知らせて無かった ある会社の方が葬儀の事を聞きつけて駆けつけて下さり間に合わなかった時に「とてもお世話になったのに間に合わなくて残念だ」と近所の方に伝えたのを聞いて、昼食もサンドイッチを買って一人で済ませていた父は実はとても誠実で、誠実なあまり人との関わりを避けていたのでは無いか?と思う様になった。それが父の選択だったのかも知れない。
詩吟、ハーモニカなどの趣味もあった様だし、新しい機械も好きだった。出たばかりのポラロイドカメラを持っていて、それでアンブシュアを撮ってもらった〜その時の写真も道具も残してある。
全然、まとまりの無い文章で申し訳ありません〜いつもですね。
要するに父の事が好きだったんだなと今ははっきりと言える。父に対するラブレターみたいなもんです。
そして、
一番上の写真の笑顔を奥様と見て、
「◯◯◯の笑顔にそっくり!」
そう、息子の笑顔は父にそっくりな事に 今日 初めて気が付いた。
きっと息子の様に喜怒哀楽が豊かな人で、でも、それを抑えていた人だと思った。
そして、息子が父に似ている事が本当に嬉しいんだな。合わせたかったな…