HARUのブログ -7ページ目

HARUのブログ

ラッパの事、普段の事、色々。


(誤解を招きそうなところを少し補足)
学校吹奏楽やそこの出身者の方のレッスンをしていると、え、、、と思う事が多々有る。

最近は、初心者は伝統で3ヶ月間マウスピースだけと言う事案に出会った。

詳細は判らないが、初心者の理解としては何のメソードに沿わず続けられる事となってた。
個人的には沿っていても、それだけを3ヶ月なんて事は効果的では無いと99%の確率で否定してるのだけど(笑)

こんなに大変な事をやっていて、皆が同じ一並びでやらないと合奏が成り立たないと洗脳されてるような気がしないでも無い。

イメージも何も無く、もちろん呼吸もバランスを作るのはマウスピースだけでは難しく、楽器につけた時には「ビー」となる奏者の出来上がりになる。

もし、そこで音がどうのこうの言われても、自分だったら「なめとんのか?」って言うレベルの事になる。

初心者なんて、最初は15分まで。
それが30分になり、1時間に。
1年位は2時間も練習したら多過ぎるのでは無いだろうか?

それも1日中、マウスピースでって。
経験が有り筋肉の使い方やそれに伴う耐久力がある人と初心者の練習時間は違って当然。初心者、初級者は無理をする事を覚えてしまってはいけない。

これがそのまま事実なら、教える側が勉強をしてないにも程がある。
講師が入っていらしいけど、もし、それを肯定して指導してる、知っていて見逃してるのなら、個人的な見解からは、子供を教えるという、とても難しく大切な仕事をする資格が無いとすら思う。手軽なアルバイト感覚でやっていて手を出す事が、子供の音楽に対する感覚を歪ませて一生の趣味となりうる音楽を大きく誤解させて導いてしまう事に気がつくべきだ。自分が練習してステージに立つより重い仕事なんだって気がつかないのかな?

で、そう言う境遇を経験してきた方の共通点は、吹きながらこちらを凝視してる事が多い。
OKをもらう事、また、NGが出ないか気にして、NGが出るならどうしたら直るのか即効的なアドバイス〜答えというべきか?を期待してしまってる事。期待する様に指導者(大人)がしてしまってる事。
本人が考えないと先に進まないのに。

そこが根本的に変わらないと、本当の意味で自由に楽器を操り音楽を楽しむ事には入っていけない。

今回の事例だけで無くて、よく聞く事から思うのは、合わせる事は、同調し共鳴し、音で会話をし、音に満たされた空間を共有する事で、例えばメーター見ながら一つずつ楽譜の音に高い低いを書き込んで、ずれたらまた新しい矢印を書き込んで、、または、この音はこんな音形で、スタッカートは半分の長さで、、、、その様な事を積み重ねる事では無い。

一人一人が自然に音を響かせて同じ時間を共有、同調して、音が共鳴すれば特別な表現をしなくても自然に素敵なフレーズが生まれて音楽は発展し出す。

音楽はまとまるもので無く、発展するものだと師匠は言った。本当にその通りだと思う。

{5CE7030C-2C14-4E7F-9D70-FDFE3AF22D83}




とある所に書いた事と、そこについたコメントに返した内容をブログにも。

最近レッスンの中で唇にマウスピースを当てる前にイメージ、呼吸、筋肉など含む全てのエネルギーが揃っている事の大切さを話す。

足りないとアンブシュアの筋肉も上手く使えないし、マウスピースの当てる場所やプレスの強さも決まらない。

そのポジションを身体全体の感覚、目で見た位置とかで無く導き出せるようにって伝えている。これはその人にとっては一択になると思う。音域、音量、いろんな事に関係無くその人が楽器を吹く前にとるバランスは一択。エネルギーの大小は有るがその「型」はそれぞれの人の中では変わらない。
マウスピースが口に当たる前に決まってる。
息も押し出すので無く自然と内側から外へ流れるのが基本。
自然に外に流れる様に吸い込めないと自然には外へ出ない。
人の身体は空気圧(空気の重さ)に負けない様に外に息を押し返すように出来ている。身体の内側から常に外側に向かって押してる。肺だって同じ。それをうまく利用しない手は無い。吐き出し始めてから力をかけてたらもう遅かったりする。

それを感覚で覚えなさいと話す。脳や身体がそれぞれを別々にで無くて一度に全てを一つの感覚として記憶する様に。パーツの動きをを個別に覚えてもそれがバランスよくタイミング良く連動するのはとても困難である。練習で出来たとしても本番という実践で遜色無く動く事は極めて難しい。
感覚は様々な事に左右されやすく危ういが、研ぎ澄まされた感覚は何よりも精度が高い。その感覚の精度を上げる事が何よりも大切だ。そこを引き出すために、色々なメソードやシステムは有効だけど、実際に実践の中で自然に音楽をするにはそれらの言葉から離れないと自由に演奏は出来ない。
言葉を超えた所に全ての答えは有る。
(生徒さんに、実際のコンサートを目の前で聴いたり、少し離れた会場で聴いて感想として、バッハなどいきなり長い休みの後ハイトーンから吹いてどうして安定して演奏できるのかって訊かれた。答えはいつも通りにして特別に何も考えない。いつも通りの手順と感覚をたとえ緊張していても行うだけ。理屈は考えない。そこに行き着いて初めて、モダンでもバロックナチュラルでも安定した。実践に役立つのはそれしか無いと経験的に感じている。それが出来る感覚を覚えて、それを邪魔する知識や考えは一切排除する事。それが出来ないうちは小さな結果は出た気がするが、トータルとして安定した結果にはつながらない。インナーゲームのメンタルコントロールがとても役に立ったと答えた)

科学的。この言葉の怖い所は科学とはその時点の最新でしか過ぎないという事。それは、科学の発達の歴史を見れば明白な事で、いま常識とされてる事がひっくり返る事すらある。科学とはその時点の科学を疑う事、疑問視する事から発展する事だって多い。
その言葉の表面だけ捉えては駄目だと思う。

全ては音やそれを創るイメージから導き出される事であって方法はそこへ辿り着くための手段でしか過ぎない。

ただ、そこに辿り着くために補助として言葉のマジックを使う事はあります。マジックの使い所を知っていればその場で音を変えたり、出した事の無い音を出す事も難しく無い(極端な吹き方をしている場合は難しい時も有りますが、、、)要はそれらの言葉や理論は全て良い経験を体感してもらう為の物でであってそれが奏法その物では無い。それらのマジックの手順が定着してもまた次に違う問題を生む。結局のところ問題のループに陥る。
出したい音。そこが一番大きなヒントで拠り所。
その出したい音がただのトーンなのか、空気の共鳴、時間、ハーモニー、フレーズ、ニュアンスなどを含んだサウンドなのか?そこに大きなヒントが有るでしょう。

と言うのが僕の考え。今日も3時間かけてゆっくりと自然な状態へと話をしたからつい書きたくなった。
要するにその人にとっての自然な状態で心地よく息や身体が使えて良い音が出せ、コントロール出来、「音楽出来る事」が大事でその他の事はそのためにある事。

{32921BE5-6AC6-4A4F-9771-D0DEC4C35F79}



うーん、僕は基本的には西洋音楽には無い感覚だと思います。表現として張るって事は有っても…


言葉の表現なので全ての人の表現と僕のイメージが同じとは言えませんからその表現を全て否定するつもりは有りません。
ただ、どうしてもイメージが違う〜特に吹奏楽で使われる時。

2年前に書いているのですが、
音は自然減衰するのが自然界と言うか、人がアナログ楽器で奏でる音楽には一番大切な要素なのでは無いかと思います。

ある音楽家(ラッパで無い)と話していて、「クレッシェンドの中にも自然減衰は必要」と言った言葉が印象的でした。確かにそれを含まないクレッシェンドは押し付けがましかったり、うるさかったりするんですよね。自然に聴こえない。
とても的を得た表現だと思いました。


僕は全ての楽器は人の声の代わりだと考えていて、自然に話す様に、喋る様にって考えいて、その元は10代の頃に既に確立されてました。それはずっと変わらない。そこに辿り着くのに様々な余分な物を削ぎ落としてる感じです。今は矛盾を感じるものは常識とされていてもやりません。少なくても僕にとっては邪魔になっているものでしたから。それは、、、このブログの中から探してください(笑)
(でも、あくまでも僕の感覚や僕のレッスンを受ける人の中、何人かの方での共通な認識で、もし、演奏が素晴らしく全てがうまく機能していればそれで良いのだと思います。技術は音楽をする手段ですから。)

ラッパの師匠にも使う言葉は違うけど同じ事をレッスンで言われてた記憶が有ります。77歳で現役のラッパ吹き!
たぶん、唯一今でも緊張する存在です(笑)


羊羹の様にってラッパ吹きが思うと息を真っ直ぐに吐こうってなる事が多い様に思います。でも、気を付けないと無機質な息をひたすら圧をかけて吐くことになる。出てくる音は時間の止まったベタッとした、事によっては後押し気味の音になる。
和音も綺麗に共鳴しません。

音が空間に響かず、空間を舞う事が無くなります。

吹いていてきついですし。

これは呼吸とも関係すると思うのですが、吐く時に常に強いバイアスを吐く方向、一方向にかける事は自然とは言い難いと思います。

自然にたっぷり吸った息は勝手に外へ出ようとします。そこで支えなければ勝手に溜息として外に出てしまう。そうならない様に呼吸を支えながら自然に外に出て行くのをサポートする。もちろん、音楽の表現や技術的に少し息をプッシュする事は有るでしょう。
でも、ノーマルな状態は息を吸った身体が元に戻ろうとする、息が自然に外へ出ようとする力を利用してあげる方がずっと楽。
前にも書きましたが、空気にも重さが有り、水圧と同じ様に身体を外側から押しているし、身体の中(肺)にも入ろうとするのを身体は外へ押し返してます。それが自然の力でそれを利用しない手は無いと思うのですが… 科学的に考えるなら身体の筋肉や骨とか、それだけで無くてもっと広く見ないと見誤る気がします。
個人的には身体と音に感覚を開けば自然に感じ取れるし、それが腑に落ちた時に言葉は殆ど意味を持たなくなると思います。
その感覚を引き出す手助けにしかならない。

少なくともラッパが煌びやかに活躍するバロック時代の音楽を、軽やかに華やかにそしてうるさくなく演奏するには、真っ直ぐだけを意識した息はアウトです。音が押し付けがましくうるさくなるし、苦しくなってしまう。


オルガンの曲をブラスアンサンブルでやる時とかにオルガンは音が抜けないから…  
これもたまに聞くのですが、、、

それも誤解だと思います。
オルガンは基本的には天井が高く残響の長い教会とセットでその響き、教会全体を楽器として使う。ちゃんと自然減衰を感じられる様に奏者はコントロールをします。
昨年、ハチャトゥリアンの15本のトランペットとパイプオルガンをソロとした交響曲3番の演奏に参加した時のオルガニストがクレ◯ジーに凄かった(笑)超絶に上手かった。
その時の録音を聴くとオルガンの音がちゃんと自然減衰してる。コンサートホールです。四分音符ですら。どうやってるのだろう…


なぜこれを再び書くかというと、今日のレッスンで触れたからです。

自然なヴォーカリーズの練習でどうしても力が入る。息の吸い方吐き方が無機質なんです。
そこでロングトーンをすっごく長いディミニュエンドだと思ってと声をかけたら力が抜けて時間が存在する自然な響きに変わりました。

そこが有って初めてそこからの全てが生きる。音楽に進めるんだと思います。
その音がビートに乗っかり拍子の時間の波を作り、フレーズを形作る。それだけで後は何もしなくてもその人が歩んで来た人生の音楽は自然に現れると思います。

真っ直ぐな息で一生懸命吐いて、一生懸命表現しようとしても、きっと自然では無い。

役者が役に成り切って自然に言葉を発するのと、演じながら一生懸命考えて抑揚を付けて台詞を話してるのに似てるなとも思います。

でも、こうやって言葉を超えた部分を言葉にするのは誤解を生むし難しいですよね。



{FF46292D-9F0C-498B-A344-4A056A6993BE}








{6165F4A6-56CD-43AB-804A-B805457C25F2}


ニフティのサービスを利用しているのですが、サービスの変更に伴いサーバーが移転しURLが変わりました。

しかし、そのURLをFacebookがスパムサイトと判断して上手くリンクが出来ずサムネイルが表示されない。リンクの度に認証が必要、、、なんか複雑です。

新しいURLは、http://haruki.music.coocan.jp です。

遊びに来てやって下さい〜

ここは自分の中でラッパや音楽の事を書く場所としてるのだけど、たまにはラッパの事で無い事を。

{C5ACEA0E-5C34-4564-A8EE-E161ABA3DE24}


父の若い頃の写真。無断掲載許してね。
今日、叔母に手伝ってもらい実家の母の衣服の仕分けを行ってから父のアルバムとノートを探して持って帰って来た。
アルバムには会った事のない祖父。
そして、祖母の若い頃(和の超美人)、叔父、叔母、の姿も。

祖父のスーツがカッコ良かった。
昭和20年前後の写真だろうか?
僕がこの世に生まれる前より遥か前に若くして亡くなって居るので人となりは全く分からない。


父は口数の少ない人だった。
会話した記憶も少なく、遊んでもらった覚えは皆無。笑
でも、夏休みの宿題の工作の作りが悪いと寝てる間に綺麗に作り直されていたり〜良い悪いはこの際別・笑〜子供や人が何か楽しんでるのを端から眺めて居る人だった。
叱られたと言うか怒られた事は一度も無い。小学生の時に座ろうとする子の椅子を引いて尻もちをつかせる悪戯が流行って、家でやってしまった。見事に引っかかったと言うか、怪我をしてもおかしく無かった、、その時、痛がる様子を見て初めてこれはいけない事なんだと気が付いたが、父は一言も感情を向けなかった。

また、たぶん母に言われての事だろう。お風呂の中で身体を洗ってくれながら「あれはいけないよ」と諭してくれたり、外に出た時に恥を書くであろうマナーは「外ではやるなよ」と一言、一回きり助言してくれた。

周りからは無口で何を考えているか分からなくて怖い印象が有った様だ。
毎日、決まったルーティンで生活するのが大切な人で、決まった時間に起き、決まった時間に出かけて、毎日同じ電車に乗り、帰りも同じ。(1度たまたま同じ電車に乗り乗ろうと、でも、遅くなり、後から慌てて行き飛び乗ったら一本前の各駅停車だった。父はのんびり電車を待ちながら煙草を吸ってた(笑)〜「今日間違えて乗ったな」って言うくらいなら止めてくれたって(笑))

近所の人に松野さんが通ると何時何分って分かるくらい〜まるで柳沢教授みたい(ちょっとマニア漫画か?)途中から同居した母方の祖母が父の帰りが数分後遅いと「今日はどうしたんだろう?」て言うくらいの正確さ。

大好物はヒレカツと赤飯。
誕生日は必ずそのメニュー。
その他はジャガイモ、豆、ウスターソース、甘く無い時雨、、、なんかね、好みが似てきてるんだな。。
晩酌はビール一杯か日本酒を専用のグラスですり切りいっぱい。その前に帰宅後は紅茶と落花生で一息(笑)
それらをひたすら同じペースで続ける人。

趣味は日曜大工でマキタの玄人が使う電動工具が家にはゴロゴロして工作部屋まで作っていた。

風呂が好きで1日に5度ほどシャワーを含めて入り嗜好の一つだったかも。増築した時に当時は珍しく、二階に風呂とトイレを付けた。朝も夜も2回ほど湯船に浸かる。
一階も二階も両方の風呂を使う。

几帳面と言われていたが、B型気質であった事は確かで、テキトーなところも有ったし、面倒な事は関わらなかった(笑)
無口と言うより、人付き合いが苦手だっただけじゃ無いかな。電話だとよく話してくれたし。

祖母が同居する頃までの数年は、単身赴任をしていたが最後は毎週帰宅してた。子供心にその週末は待ち遠しく、月曜の早朝に大阪に戻る時は残念気持ちだった。
ウィークデーの帰宅先は友達の家で母が仕事から帰る夜に自宅へ戻る生活だったのもあるかも知れない〜その頃の記憶は薄い。全く抜け落ちてる記憶も有る。人間、嫌な記憶は消すんだなって思う。

さて、几帳面。

{DB5C83A0-F91C-4C5C-A0B8-45891B56DE7C}

{5A8ED079-FA86-48A8-BEE5-452993AD3E3C}

この二つの講義を書き取ったノートと鉛筆のスケッチを見て、自分には無いな… 無理… 爆
素直に尊敬します。
そのまま教科書になるじゃん。
こういうノートが何冊も出てきた。

大人になってからもう少し話したかったし、孫に合わせたかった。定年の頃に喘息の大きな発作を起こし、その治療で過多なステロイドを使い身体を弱らせて、帯状疱疹を盛大に発症。その後の神経痛に何年も苦しみ、たぶん、気持も折れてしまったのだろう。最後は医者も家族も見落としたガンだった。

若い主治医以外のベテランの先生に「ご家族の方は分かってるんですか?かなり危ない状況ですよ!」って初めて聞かされてから3日で眠る様にこの世を去った。去ってしまう日に昼間に眠る様な父の髭を剃ってあげながら、たぶん何かを話しかけてのだと思う。その時に薄っすらと目を開けてくれたのが最後の会話かな。

23年前の12月31日。
父らしい。

おかげで家族は正月から大変だった。
親戚が集まって助けてくれるのだが、そういう時って人は変な行動をする。。そんな事は無いだろうと注文して用意してあったお節料理で宴会が始まり、葬儀の準備中に年賀状を書く人… 

うん、やっぱりもう少し話したかったかな。人付き合い、子供への接し方が分からなかったのだと思う。

でも、特に知らせて無かった ある会社の方が葬儀の事を聞きつけて駆けつけて下さり間に合わなかった時に「とてもお世話になったのに間に合わなくて残念だ」と近所の方に伝えたのを聞いて、昼食もサンドイッチを買って一人で済ませていた父は実はとても誠実で、誠実なあまり人との関わりを避けていたのでは無いか?と思う様になった。それが父の選択だったのかも知れない。

詩吟、ハーモニカなどの趣味もあった様だし、新しい機械も好きだった。出たばかりのポラロイドカメラを持っていて、それでアンブシュアを撮ってもらった〜その時の写真も道具も残してある。

{F3A534C0-E745-4DE9-BC30-AEED8D050A4B}


全然、まとまりの無い文章で申し訳ありません〜いつもですね。

要するに父の事が好きだったんだなと今ははっきりと言える。父に対するラブレターみたいなもんです。

そして、

一番上の写真の笑顔を奥様と見て、
「◯◯◯の笑顔にそっくり!」
そう、息子の笑顔は父にそっくりな事に 今日 初めて気が付いた。

きっと息子の様に喜怒哀楽が豊かな人で、でも、それを抑えていた人だと思った。
そして、息子が父に似ている事が本当に嬉しいんだな。合わせたかったな…



誰でもラッパ吹きは音を外したく無いし、聴き手も音を外すのを聴きたくない。

でも、有名な名手が言った通り、
「音を外したことの無い人は今までラッパを吹いた事の無い人だ。」
は本当にその通りだと思う。

パーフェクトな演奏だって云われる演奏だって、実は聴こえてないだけで小さなミスは有ったりするもの。
聴き方によってミスばかり捉えようとするとても残念な聴き方になる事もある。勿体無いことに、音楽が聴こえなくなってしまう。
 

さて、レッスンの中で「音を外しても、かすっても良いから自然な動きをして下さい(これは実際には具体的なアドバイスをする)」と進めるのだが、外しても良いことを自分に許可出来ない事が多々ある。

これは、泳げない人が怖がってプールの端を掴んで離れない、スケートを出来ない人が手すりを外さないのと同じで、全く前に進まない事。

失敗をするから自らのアプローチの悪さや欠点に気がつく訳で、音を外さない様に唇を固めて口で音を掴んでいるうちは自然にラッパをコントロールする事は不可能に近い。

ちゃんとソルフェージュ出来て、自然な呼吸の上で、自然に必要な筋肉が動く様になれば、音は外れなくなって来るものだ。

少なくてもレッスンでは外して良いとしてる。

なのにそこから抜け出せない。。

何故か?

質問をしていくと、

例え合奏の中で外しても誰も傷はつかない。でも、ちゃんと吹かないといけないから… 周りに迷惑がかかるから… などと

と返事が返る。

本当にそうだろうか?
(そう、指導してませんか?もし、そうなら外しなさいと言ってる事、無理やり力で制御しなさいと言ってることと同じだと気がつくべきだろう)


これをレッスンでさらに突っ込んで行く(笑)
先週虐められましたって言われた 爆
(勿論、信頼関係が出来て今必要だという時に突っ込むのですが。。)


突っ込んで行き着くのは、外した事によって周りにどう思われるか?要するに自意識に行き着く。これは、本番の緊張〜上がりでも同じ。確かに最初に書いた通り外さない方が良いのは確かなのだけど、外さない様にって思うほど身体やアンブシュアは硬くなり、響きやコントロールを失う。結果、ミスは増える。
気にする必要が無いというか、普段から自然に音を吹く事に集中してその為にやるべき事をやり、本番でも同じ様にステップを踏めば自然とミスは減る。精神論や上がらないコツを考えるよりずっと効果的。


周りを気にするのは周りに下手と思われたら、嫌われたら、認められなかったら… 色んな言葉の理由が思い当たるだろう。


でも、他人の持つ印象や考えをなんとか出来るか?

これは絶対に出来ない。

その理由は自己否定される事を避けてるだけでは無いだろうか?

そんな事は心配しなくて良い。

そう。自分が出来る最善を尽くす事しか方法は無い。自然に吹けなければミスも増える。なら自然に吹けることが先。手すりから手を放すことが第一歩となる。

人の言葉をある程度スルーする強さ、人が発してもいない言葉に対して恐る事を止める強さある程度は必要になる。これは自らが身につけることでは有るけど、教師はそれを助けて導いてあげる事が出来る。  そこに身体の使い方も考え方も無い。感覚的に自らと他人は違うものだと理解する事が大切。人はそれぞれ違って当たり前で人の事はコントロール不可能。

自らは自分のできる事を、やるべき事、目指す事をやる事が第一歩であり他人の思考に邪魔されるべきでは無い。

自らが出来ることを順を追ってやるに尽きる。それをやらない事に理由をつけて無いだろうか?

そこが出来て自然に楽器がコントロール出来て、初めてアンサンブルを楽しみ、本当の意味で時間を共有し、共鳴し合うアンサンブルも出来る。

音を外すな!
特に子供に対しては最悪なアドバイスの一つだと思う。
それを言うくらいなら外さない方法を伝授してあげて欲しいかな。

絶対に外さない方法が有るなら僕が知りたいけど。

誤解はして欲しく無いが、外す事を勧めては居ないし、ミスを極力減らす努力も必要で自分も日々研鑽してる。その為にどうするべきか?て意見。

{9582ABE3-6D61-4966-8801-93776B6B94CF}



本日のレッスン。

いま、大人の方で一番ハイトーンへのアプローチが上手く行ってる。

息のスピードを上げず、息を吐き過ぎないで、舌のポジションは意識的に上げない。でも、吹く前の準備とブレスは大切。吹き始めは息を押し出すので無くて、タイミングよく「TA」と喋れれば息は自然に流れ出す。

一般にお腹の力と言われる息のサポートは息が一度に流れ出てしまわない様に使い、エネルギーを身体の中にキープする様に使う。ただし、吹き初めで躊躇はしない、探らない、立ち止まらずに自然に「TA」と喋る事。

身体の中にあるエネルギーをどうキープしてコントロールするかで余裕が決まる。基本的(普通の音量)には押し出す事には不要。 音が上がるとエネルギーは増すが一方向でなく唇を基準とすると常に全ての方向に同じエネルギーがバランスをとる。

ハイベー辺りまでのリップスラーも綺麗にちゃんと鳴った音でクリア。(途中イーとやった途端に出来なくなり、それを指摘したら響きの多いスピードの高過ぎないサウンドでクリア)。リップスラーは早くやれば良いので無くて、全ての音がちゃんとツボにハマって響いてるかが凄く大切。早く出来ても吹く流すのは単にデモンストレーションだと思う。


久しぶりに会った楽器仲間にパワフルになったねと言われたらしい。

楽器も奏法もより省エネで力のバランスの方向に変更して居るのにね。 いま、ブランデンブルグコンチェルトをピッコロトランペットでさらい直している。この曲は40を過ぎるまでは演奏不可能だった。ある時にシラブルの概念をとったら急に吹ける様になった。そして、今やってるのは更なる安定と最高音 high G のコントロールの安定。自分としてはその上のGis A Bbの方が狙い易く、Aの的が狭いと感じるが確実にヒットするとカーンと一段と響く。その時は力の存在が消える感じさえする。その為には如何にその音でリラックス出来るか?リラックスしながら必要なエネルギーのバランスを取れるか。この音が完全に手に入ればその上のBbまでの世界の見え方が変わる感触が有る。 そして、低音もペダルを視野に入れて練習中。これもかなり良い感じになって来てる。


{9D90F649-65AA-4BC9-B523-1837A6C10FF6}


理論、システム、メソード、色々な呼び方は出来るのだけど、それらはそれが全てでは無いだろうと考えてる。

科学的。(医学的もね)

色々な事に対して伝家の宝刀の様に使われている言葉だけど、それに似てるかな〜

僕は科学的ってその時の最新でしか無いと思う。ある日を境に新しい科学的発見や理論の発見によって、それまでの科学的な常識による正解が不正解になる事だって人が発展して来た短い期間でも何回と無く繰り返されて来てるだろう。

じゃあ、その新しい科学の発見はどうやって?今まで見つかってる常識を精査して見つかるものなのか?

そうでは無くて、矛盾を見つけたり、更に先に進もうとした時に障害とならものに対して科学者が想像力を働かせる事から始まるのでは?

もちろん、それまでの経験もあるだろう。でも、新しい事の発見はその中で無くてそこに無いものに気が付いた時だと思う。

その科学者がどれだけイマジネーションを持てるかが大きな鍵だと思う。

詳細な内容を記憶をしてないし、すべてを理解出来る物理学の知識も無いが、超弦理論を扱った海外の番組を観た時に感じた事がある。ブラックホール起点は点である。しかし、点だと説明のつかない現象が有るとホーキンスが主張。少し間を割愛してその現象をブラックホールの起点が点で無く、平面が折り重なったものとして理論を解決した話し、そして、ホーキンスはそれを認めて自らの間違いを認めた。

その過程で次元の話が出てくるのだけど、
0次元は点
1次元は線
2次元は平面
3次元は立体〜私たちの世界
4次元は3次元に時間を加えたもの
5次元は平行世界…
…今は10次元以上まで概念は有るそう。。

それで、綱を両端に固定して人が渡ろうとするとそれは1次元の世界を表す。しかし、もっと小さな世界からそれを眺めるとそれは2次元の世界になる。綱より小さな虫にとっては綱は2次元の世界となる。それを発展させて、一見、点に見えるものが実は何層もの面であったと導いた。

これは、既にある理論だけを基にしていたら出て来ない発想〜イマジネーション

そこから離れて初めて見えて来ること。

例えば、人の身体の仕組みを考えて出来上がった理論。人の身体は外の世界の影響を受けないのだろうか?
水中深くで例え酸素ボンベが有っても人は空気中と同じ様に身体を使えるか?存在できるか?無理。水の重さ水圧が有る。

では、普段は?
実は空気にも重さが有って、体育館いっぱいで象一頭分の重さが有る。人の身体はそれに負けない様に常に外側に力が働いている。肺の中に空気が勝手に入り込まない様にも同じ様に力が働いている。科学的に考えると言うのは全ての要素を考えないと機能しない。身体の仕組みだけで無くて。
僕自身は外に空気を押し返してる力を取る想像をすると息を吸うのが楽になる。

そして、一つの現象を観察するのに見る方向によって見解も変わる。何か一つのフィルターを通してみると他のフィルターを通した時とは違って見えてしまう。

客観的って事は先ず無いのでは無いかな。

ここで、それぞれの理論を否定するつもりは無い。そうで無くて、その一つ一つの理論の中で全てを片付けてしまうのは時に大きな判断ミスをする可能性が有るかも知れないということが言いたい。

だからこそ、出てくる音や音楽を基準にし、自らの身体の感覚を身体の声を聞き逃さない様に感じ取る事が必要なのだと思ってる。科学の発展にイマジネーションが必要な様に。

ただ、人の感覚はとても精密であると共にとてもいい加減でもある。そこが厄介。

音程をとっても、平均律かそれ以外の沢山の調律法を取るかで正解は変わるし、人は何処にでも合わせられてしまい、慣れると今度はそこに基準が生まれてしまう。

1kgを、重いと感じるか否か?
人によっても違うし、体調、気分、材質、形状… 様々な要因で感じ方は変わる。

では、それを機械的に… 
楽器のサウンドや音楽はそれで人の心に響く素敵なものになるだろうか?

ならないと思う。
最初も最後も理論では無い。
その間で理論は利用出来る。

でも、やはり人が人の感性で創りあげるもの。だから感じる事が先。






夏風邪をひいてしまいました…

なんとなく気管支の奥に引っかかりを感じたのが最初。そこから日を追うごとに風邪らしく。

昨日は怠いながらもさらったりレッスンしたり、帰りの遅い奥様の代わりに夕飯作ったり、、、


今朝、猛烈な寒気と共に38.3℃まで熱が上がり、今日と明日の予定をキャンセル。
気管支から喉への症状が殆どで後は身体のあちこちが熱を持っている様に怠い。呼吸器を休めるの(吹かない事)が一番早いと判断してコンサートも無いし休業。

1日ゴロゴロ。
しかし、夏風邪は気温や湿度からかぐっすりと眠るのが難しくとにかく辛い。。
ちょっと、最近油断してました。

さて、最近のレッスン。
皆さんそれぞれ頑張ってるます。

中学生君はもう少し深い所のスイッチが入らないかな〜と気長に待っています。
もう、実力は有るのだけどその力を30%も発揮出来てない。。期待してます。
そのスイッチ入るかな〜


中学生さん。
芯が強いです。(笑)
アンブシュアは癖が抜けきってないし、身体ももう少し。でも、どうなっていくのが良いのかは理解してる。理解してそれをスムーズに自らの身体の動きとして自然に行うのは時間がかかる。彼女は長期戦だと思ってますし、本人にも伝えてある。それも理解してるし努力が音に出ている。一番良い音を持ってます。
ただ、土日にクラブに出れないからコンクールに出れないってのはどうなのかな〜
そう言う足並みの揃え方好きじゃ無いんですよね。。。レッスンもその他の活動もクラブの演奏にもプラスになること。皆と一緒でないといういけないってこの国のスタンスなんですかね?
僕は、、、理解出来ません(笑)


大人の方。
皆さん、まず理屈で理解して方法を覚えようとします。一見正しい様ですが、まず上手くいきません。
何かを指摘すると、どんな練習をすれば良いですか?と聞かれる事があります。何回かレッスンを受けてる方は、実はたいていの場合は殆どこれまでの説明の中に答えは有るのです。どんな練習をと訊く段階で理解出来てないことを自白してしまっていまして(笑)

最近は、少し案を出しつつ、前もこう言いましたよね?自分で考えてみてくださいね!と突き放します。

何故か?
自分で考えないて模索しないと身にならないし、それを質問のあった所から改めて体感させるのにもう一時間かかったりする事だって有るんです〜特に、最近、2時間を超えたり、22時過ぎるレッスンはキツくて。。歳?

また、繰り返し確かめる様な質問も自分で考えてもらう様にしています。こうやれば出来るんですよね?と確認する様に言われても… それがどういう意味を持つのか練習の中で考えて頂きたいのです。
聴こえて感じればきっと出来ます。

2,3日で出来る方法はありませんか?と聞
かれたりもしますが、有ればプロが皆やってるしそんな簡単で劇的な方法が有ったらレッスンもプロの存在もいらなくなると思います(笑)半年後、1年後、数年後に変わってるのを自覚出来るはずです。その場で劇的に変化を感じる様に体感させる事は出来ますが、、実はそれは出来るようになった事ではありません。それを家で自ら自然に再現して、何時でもすっとその感覚を引き出せる様になって初めて出来る様になったのです。
半年前、1年前、数年前と比べてください。良い方向に明らかな変化を感じていればそれは良いレッスン受けている言えるでしょう。でも、あれ?変わったかな〜?と疑問を持つ時は何処かを見直すべきでしょう。



大人の方で一番感じるのはソルフェージュ能力の不足。もちろん、専門家で無いのですが、それでもソルフェージュは必要にはなります。ここも容赦無く突っ込みます。(笑)

ずっと、1年も2年も伝え続けてる事なのにある時初めて「あれ?」と気がつく方も少なく無い。それまではこちらの言葉が受け手の心に届いてないのです。言葉を受け取った時にそれぞれの方の常識の中の言葉に置き換えてしまう。それをやった時点で全く違うものになります。指摘や答えは自分の考え方の外側にあるのに内側を探す。内側で理論を組み立ててしまう。そうすると、次に指摘された時に理論がバラバラに崩れて理解出来なくなる。あれ?ってなるんです。

理論なんて後からで良いんです。
骨や筋肉も手掛かりにしか過ぎない。
良い音をした時の身体の感覚を覚える事、それを再現できる事の方が物凄く大切です。ちょっと違うんですが、理論ばかり述べられて全く音でそれを現せない人っていますが、大抵は本人はそこに気がついてない。出来てるつもり、または、少し誤魔化してもばれてないつもりなんですが、バレバレです。ほら、あなたですよ!(笑)

先ずは出来る事。もちろん、レッスンでは出来るようにアプローチして出来る状態を体験して貰います。レッスンをする側がそれが出来ないなら、それはレッスンにはなら無いでしょう。出来る人が教えるべきですし、体験させる事は決して難しくありません。(時には時間が必要ですが)
間違いを指摘したり知識を披露するのは誰にでも出来る事ですから。
それぞれの人に合った吹き方を見つける手伝いをする。そこは、理論から離れる事が出来ないと難しいでしょうね。
知識や理論を増やす事や示す事が大事では無くて、それらは実際に鳴るサウンドや音楽の裏付けに使う事が正解だと思います。そして、そこから離れられて初めて出来たと言える。

そう思います。
 




{2F0196EB-AAFE-4D45-8E06-0884B9B9DD48}




先日、案内を出しましたマウスピースは二本共に貰い手が決まりました。

ありがとうございました。

一時期にバロックトランペットのメインに使っていたマウスピースは、一本を残して全て手放しました。
購入したものの使わない物はどんどん手放していってるのですが、使っているものを変えるのは明確な意図が無い限りやりません。モダンのマウスピースはメインの2本は25年以上使いました。それらも、1年前に変更しましたが。。

ちなみに、今はマウスピースだけで無く自らのシステムを大きく動かしてます。さらに進化出来るように。

直ぐに効果が出るところと、なかなか上手くはまらず、少し不安定感を感じる部分も有ります。ただし、実践では大丈夫です。

物事が変化をしている時は不安定な要素が増えます。でも、変化していかないと停滞どころか退化していってしまうと思ってます。

正直に言うと、奏法はあまり考えたく無いんです。音楽そのものを楽しみたいし、そこへ向かって意識を持ちたい。音楽をする事は外に向けてエネルギーを発するのですが、実際にやる作業は自らの内側に深くダイブすることの方が大きいかも知れません。その時に奏法への意識が足かせになったりする。でも、自分の現したい音楽の為には当然の事ながら技術は必要になるし、それをこの先、年齢を重ねて行く中でコントロールしていく為に奏法を考える事は切実な問題です。



モダンのマウスピースはもう動かないでしょう。でも、バロックやナチュラルのマウスピースはまだどの方向に行くか定り切ってません。より自由に音楽が出来るように、でも、厳しい現場で確実な仕事が出来るように。

自分が変化したら、またご案内するかも知れませんね。

写真は最後に残してるマウスピース。
今は廃盤になったナウマンのエクルンドモデルから改良したブランデンブルグ用に使っていた物。もう、使う事は無いと思うのですが、これから新たなマウスピースが出来ないか?と。
口径はバックの2Cと同じ。カップも特に浅く無く。スロートは19ホール。このシェイプが上の音を転がすのに良い感じです。

{51CB9D15-DAB4-4CF5-AE44-CDE4C654501B}