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HARUのブログ

ラッパの事、普段の事、色々。

昨年の春に何本かのマウスピースを手元のコレクションの中からお譲りしました。


今回は前回の時点ではもう少し手元に残しておきたかった物を二本ご紹介します。ご興味のある方はメールにて御連絡をお願いします。
または、フェイスブックで繋がっている方はフェイスブックメッセージでも大丈夫です。

全体に使用感や細かい傷は有りますが吹奏感はとても良く、実用的に使い易い物だと思います。私はリムの形状やサイズを変更した為に使わなくなりました。

☆Egger BL3

スイスのエッガー社のマウスピースで、主に孔の無いナチュラルトランペット用のマウスピースです。中音域から高音域用となっていますが、内径が18.5mmとかなり大きい物です。エッガー社の一番大きなサイズは19.5mmですので、オリジナルとしては少し小さめのサイズです。スロートは4.3mm。
訓練が積まれていればハイD辺りまで演奏可能です。(因みに私は2のサイズ〜19mmのサイズです)
元々はメッキ無しの真鍮製の物にリムと外側のシャンク以外に銀メッキをかけて(これはトシトランペットアトリエで行ってもらいました〜一度メッキをかけてから吹き心地を考えてメッキを剥がした部分もあります。)その上に自宅で薄い金メッキをかけました。写真では全体に金に見えますが、シャンクとカップの中は真鍮です。(金メッキは簡易の電気メッキです。私自身が使っているマウスピースには全てかけてあります。なぜ、簡易メッキ〜薄いメッキかと言いますと、メッキ無しで良い状態の場合にメッキ、特に金メッキをしっかりとかけると倍音が抑えられてしまい高音がキツく感じるためです)


○希望価格 ¥10,000- (送料別)
(130CHF+銀メッキと金メッキ+海外国内送料= 約 ¥20,000- の新品価格です。)

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☆Egger バロックマウスピース モダンリム 無印

    サイズはバックで言えば2前後、リムはバック社の2Cのリムをトシトランペットアトリエでコピーして貰ってます。
スロートは4.0mm スタンダードのカップより少し深めで中低音がゆったりと響くように特注した物です。バックボアはステップ式〜段々が有ります。これもハイDまでは余裕で使えると思います。モダンオケの中でバロックトランペットを使う、フラットなバロックマウスピースのリムが苦手な方にはとても使い易いと思います。
これも昨年モダンマウスピースのサイズ変更前まで、そしてバロックマウスピースをモダンリムで吹いていた時はお気に入りでした。
これも元バロック真鍮製の物にリムをコピーしてから銀メッキと金メッキをかけました。

○希望価格 ¥10,000- (送料別)
(160CHF+リム加工料+銀メッキと金メッキ+海外国内送料= 約 ¥30,000- の新品価格です。BLより古いので値を下げてます)

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皆様の御連絡をお待ちしております。



普段はこういう事をここでは書きません。

でも、これは読んでおいた方が良いなと思った事、私自身も人からの紹介で気が付いた事が有り、リンクを貼りました。

決して、出所不明な物で無くて公式なものです。調べて貰えばわかります。

これって、我々の生活や未来の全ての元となるものです。

ちょいと長くて面倒ですが、物凄く大切な事が書いてあり、それをどう思うかそれぞれが考える必要が有るのでは?と思ってます。

御一読をお勧めします。

憲法改正草案。



この歳になって、再会が多い。
この数年。
フェイスブックと言う、元々は留学経験も無い自分が海外とのつながりの為に使い始めたツールが思わぬ方向に拡がってる。

特に大学時代の仲間~先輩や後輩も含めて。この頃の仲間との繋がりや影響は思ってた以上に大きくて強い。皆、人生をかけたり人生を探したり、その後を左右するそれぞれの濃い時間を共に過ごした時期だからかも知れない。

特殊な大学で本当に周りは信じられない天賦の才を当たり前に持った奴等(あえて奴等・笑)が居た。大学に入るまではそれなりに頑張って、地元ではそれなりに注目され(爆)、、でも、大学時代は劣等感の塊だったんじゃ無いかな。才能ってこういう事を言うんだって存在がごろごろしてた。

それでも、自分の感性は信じていて周りに押しつぶされない様に頑なに必死だった気がする。それが人としても今より更に未熟だった自分が唯一だと思ってた方法だった。

結局、何も結果を出せずに学生時代は終わり、卒業してからもポジションもタイトルも得ることは無くて(これは、力が足りない事もあったし、自分で蹴ってしまっている事も有り、、)、ひたすら自分の信じる方向を何度と無く転び、めげそうになりながら歩いて来た気がする。

それは一人であって一人で無く~家族の存在~最初は想像すら出来なかった子供の存在、仲間の存在と言う幾つかの大きな存在。でも、音楽の人生そのものはやっぱり一人で歩いて来た感じがする。不思議な事に自分は一人で開き直りひたすら踏みしめて歩く事で成果を得る事が多い。

今は、ある意味では望んだ通りで無い現在で、ある意味では望んだ事を実現してる現在。

なぜこんな事を急に書くかと言うと、ある同級生と久々に会話をする事が有ったから。特段に仲が良かったという事でも無くて、でも、心のどこかでこの人はどうしてこうなんだろう?って気になってた存在だった(あえて、説明すると残念ながら恋愛感情では無い・笑)。それを思い出したのは、これまたインターネットで目にしたあるブログ。現代は凄いね。


その会話の中から
「自分の感覚だけは信じていて、そこを投げ出すことが出来なくて、ずっとこの歳まで続けて来た」事が、ある意味の置いて自分が生きて来た意味だと気が付かされた。
その同級生はそれこそが人生の意味だと言う。
その中で自分が人として、社会の一員として与えられた役割を果たしているのか?って問われると情けないが必ずしもイエスとは言えない。本当に色々な人に助けられている。


でも、それは
「自分の感覚だけは信じていて、そこを投げ出すことが出来なくて、ずっとこの歳まで続けて来た」自分がひたすら歩みを止めなかったからでもある。
歩みを止めたらそこで終わるんだよね。
何があっても前を見て歩き続ける。そこから生まれる事は決して少なく無い。その努力が出来なくて、リスクも受け止められ無いなら大きな流れに乗っかった方が良い。
その流れが安全だとは言い切れないとは思うけど…

20代はトンガってガムシャラで。
30代になる時は勢いが有り、安定も出て来た。
40代になる時はその勢いは無くなったが(笑)、気持ちに余裕が出始めて、若い時に出来なかった事が出来るようになり始めた。。
50代になる時~なってから、少し気持ちの余裕を失ってた。自分の目指すところにたどり着けるんだろうか?その事で自分の周りに大きな負担をかけてしまってないか?早い話が焦り。
でも、少しづつ50代って(ひょっとするとその先も)物凄く力を出せる年代かも知れないと思い始めてる。20代には想像もしなかった~もう年寄りだと思ってたから(笑)でも、楽器の上でも20,30,40代で出来なかった事が形を成してきてるしずっと楽になって来てる。音楽の見方も縛りが消えて、10代の自由な感覚に戻りつつ有る。歩んできた事がちゃんと目に見えて来てる。

人生も明らかに真中を過ぎたわけで(笑)、でも、、最後まで歩み続けよう。
そして、それを楽しもう。感謝と共に。
自分みたいな人間はそれを見せる事、、周りにも、家族にも、子供にも、それを見せることしか出来ない。諦めずに自分の信じた事に対して歩みを続ける事を。自分の想いを音にする事を。

めげてる、迷っている暇が有ったら前に進む。そこに全てがある事を信じて。
でも、身体のメンテナンスは必要になって来たな~(泣)

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修学旅行後に完全にダウンの息子。
クラブで長距離を朝から走り、帰宅後は5キロ程離れアップダウンの有る路を自転車で塾に週4回通い(夜遅い帰りは迎えに行く)、旅行前日の夜も塾。帰ってからの塾は流石に無理だろうと思ってたし、そろそろダウンする頃かな~と思っていた。

ま、顧問の言葉を借りると気持ちが足りないのだろう (毒

個人的にはクラブ辞めたら?てのが本音。
塾の無い日だけ走れば身体の負担にならないし十分じゃん。

自分のレッスンでも、毎日、沢山やれとは言わない。週に半分吹けばかなり上手になれるよって~時間より質、集中力。社会人の方なんかは毎日吹けないわけで、その中でどうコンディションを保ち、少しでもトータルな向上が出来るか?コンディションをコントロールして上げるのもレッスンの大切な仕事。



さて、今の時代の学校の様々なクラブにコンペティションってどれだけ必要なのだろう。コンペティションはあくまでそれぞれの分野の能力を上げる為に利用するもので、そこが目的になるのは本質的に?と思ってる。でも、実際にそう指導されてるのだろうか?

無いとは思うが、もし、大人がそれを率先していたり、そこが全てである様な仕組みや雰囲気を作り子供を先導してるならそれはどうなのだろう?その子の中にやりたい事があり、若しくはやりたい事を探している最中で大人がそれを見守るので無くて、大人の考える方向へと誘導するのはどうなのだろう?
大人の思いだけで進んでないだろうか?

僕はラッパが好きだった。音楽が好きだった。でも、クラブは申し訳ないが適度だった。皆が基礎合奏していても一人でさらってた。規律を守っているとは言えなかった。それは褒められたことでは無い。でも、演奏やコンクールでは自分の仕事が出来る様に人一倍さらった。自分の進みたい方向を軸にして。先輩や先生ともぶつかった。でも曲げなかった。

自分の目指す音が有りスタイルが有りそこをひたすら目指していた~今もですが…汗、、何年かかっとんねん。

先のビジョンの軸の定まった子供なら一つの事に対してぐっと掘り下げて打ち込む。それに対して厳しさを伝える事も大切だとは思う。
レッスンも専門にやりたいという子には厳しくする。怒鳴りやまして手を上げたりは絶対しない。でも、妥協も絶対にしない。
(専門を目指して無い子には妥協をする。その子のペースをただ見守る、でも、専門的な子は試験と言う期限も有るし、専門の学校に入った途端に厳しい判断を受けるから妥協をしない)そうすると男の子は大抵諦める(笑)その程度ならやらない方が、違う道を選択した方が幸せだと思う。それでも、やりたい、好き… この好きは面白いって事よりもっと強くて自分をかけられるだけのものが要るし、それが苦痛無く、それ自体も楽しめないと苦しい。


今のあいつ(息子)には自分のやりたい事に対して何が大切で、その困難を超えるにはどうしなければならないか知る事が大事。今のクラブはそれを支える体力を作る、これから生きてく中での体力を作る一部分位の位置づけだろう。
そこで教える側の熱を理解しろって言ってもそれは無理な事。

人はそれぞれの思考の世界を持ち他人はその世界には一切関与出来ない。自らが感じ取り、判断して、必要なら努力をする。相手の考えを変えるなんて傲慢だと思う。例え、自分の子供相手でも同じ~別人格。

考えを正そうと怒ったり=自分の理想の相手で無いから正そうと怒ったり、、
知り合いの精神科医が言った。怒ることは子供の精神を破壊する行動。怒るのと叱るのは違うのだと。大人は自らの経験や先人の知恵や歴史を伝える事しか出来ない。育つのは子供自身。

僕なんて子供に育てられてる~親にさせて貰ったのだと思う。 

もうこの写真からそろそろ10年。
後何年一緒に暮らせるだろう。

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先日のブログが1000アクセスを超えてたのは少しびっくり。読者数を増やす事は目的では無くて、興味のある方に何か伝わればオーケーと言うスタンスなので、なかなか大きな反応だったと思います。

アメブロは少し多め(かなり?)にカウントされていると聞いてはいますが、何分の一にしても、この話題に関心を持つ方が少なく無い事を知る事が出来ました。

何かを発信したい。また、、誰かの何処かの記憶に残ったり、以前に書きましたが、ラッパや音楽について僕の様な人間の発する言葉でも何かのヒントになれば良いなと言うのが基本的な考えです。


ブログはSNSにもリンクさせて居ます。
先日はそちらにはコメントも頂きました。

さて、そのSNS。

数年前はmixiが人気が有りました。
全くの主観ですが「足跡」機能が無くなった事で人が離れてしまったと思ってます。書いた日記にリアクションが無くても足跡が有ると少しでも観てもらえた事が判る。わざわざコメントはしないけど何かが残るって所に実は良さが有ったと思ってます。

相手の所に何も残らないのと残るのではやはり接するスタンスが変わりますものね。
mixiの良さは残るところだった。少し閉じられた関係の中で深い会話ができる感じもありました。

ただ、個人的にはそこの深い部分で「もう少しお互いの立場を理解してもらえないかな?」という事が有り、辞めてしまいました。はっきりと言うと、同業の仲間の事を誰か判る状態で批判される日記は辛かった。自分はそこには何も残さなかったのですが、自分の日記には思うところを書きました。それは、他人の所で~その人の仲間同士で盛り上がっていたりする場で炎上はさせたくなかった。お互いの立場を深い部分で理解出来ていないのに、自分の意見を表す事を超えて、相手に意見するのは自らのスタンスとして良しとしてなかったからです。

足跡などの機能がなくなり、一度離れると機能を戻しても人は戻りませんね。他のツールが増えた事でmixiのスタイルが飽きられてしまったのもあるでしょう。


フェイスブックは日本語が無い頃から始めてました。音楽をやりつつも海外への留学経験が無い自分が何とか海外と繋がれないか?力を入れていた古楽の情報を海外からダイレクトに受け取れないか?と思ったからです。

最初はメッセージ無しにリクエストがどんどん届き、少し不安ながらも相手のプロフィールを確認しながら友達を増やして行きました。

その頃は日本では知られてない動画などがリンクされていて面白かった。スパニッシュ系の人達も多く、知らないヒトをつながりそこから会話が始まる面白さが有りました。繋がってから挨拶をして会話を始める。

mixiが国内を歩く感じなら、フェイスブックは海外を歩く感じを受けてました。

古楽器の事についても色々と繋がり、海外に行く様にまで発展したり~モダン楽器のつながりも此処からって事が有ります。

いつ頃からか日本の方が増えてきまして、少し状況が変わった。よく言えば礼儀正しさが求められて、悪く言うと堅苦しく、余計な気遣いが増えた(笑)
まあ、なりすましも増えたので友達リクエストのメッセージは有った方がこちらも安心ですが。今でも、日本人以外へは実際に知り合いになったらリクエストだけ送ります(笑)繋がってから「ありがとう!」って。
でも、結局、日本での繋がりを考えてある時に海外の友達を整理してしまいました。。難しい。

英語で書くと日本人の方の反応が薄く、日本語だと海外の方の反応が薄い。内容も変えないと反応が違う。こらも少し難しいですね。

最近はボタンが増えて、イイねだけで無く幾つか… でも、微妙に足りないというかしっくり来るものが無かったりする。
と言うか、増やしても解決はしないと思います。英語のlikeの様なボタン一つとか(ニュアンスの日本語のイイねでは無い気がする)、共感を示す物が有ればそれで十分だし、何か思えば言葉にしてコメントすれば良い。

なんか意見をしたいボタンとか欲しいという方もいらっしゃいますが、それは正直に言いますと余分と言うか意見したいならちゃんとコメントするか、自分と合わないならスルーする。
友達になったけど、投稿が自分とは合わないなら表示しない選択が出来るはずですし。。コイツは判ってないとか、上司が部下に対して、年長が年下に対してリアクションしろってのも避けたいのです。自由なのが良い~ただし、匿名での暴言は論外です。基本的に匿名は一切信用しません。


日本発信のもので無いし、オープンだからこそ面白いと思います。実社会の延長だけならそれは窮屈になってしまうかな。実社会で構築し難い関係をインターネットというツール、SNSというツール、を使って使って作り、そこで楽しんだり、そこから現実社会に発展させたり出来ると思うんです。

最初の使い方からの続きで自分の演奏や練習の動画をアップする事もある。それらは面白いとか誰かの何処かに記憶が残って貰えれば十分なのです。その為にはたまにでは効果が薄く、繰り返し投稿しないと目にも止まらない。そうすると、毎度鬱陶しいと思われる方も出るとは思うのですが、そこはスルーして頂ければそれで良いと考えてます。選んで再生しないと流れませんからね。御理解を頂けたら幸いです。

SNSを使う事は個人情報をバンバン提供してる事にもなるのですが、使う事による利益もある。海外にいる方とリアルタイムに会話出来るのはとても魅力ですし、暫く会えなかった学生時代の仲間と交流できるのも嬉しい。この先もリスクを考えながら使い続けると思います。


最後にこの間から著作権問題で貼れない動画を試しに貼ってみます。楽器を吹いている時の自分の身体のバランスを撮ったもの。生徒さんのを撮って比べたりして、レッスンなどでも使うつもりです。
しかし、質問を送ってもパブリックドメインの楽曲(その意味を調べようとすらしてません)を著作権に引っかかるから編集してって言う回答を送ってくるアメブロ… 何も理解をしようとしないその姿勢は利益追求型の企業のそのものですね。とっても残念。





今回は、ちょっとキツめの表現で。

自分が何故音楽をする事に拘りを持ち、人生をかけるのかと繋がる魂の部分の事。


カラオケで点数が出る物が有ると言うか、たぶん主流で、TVでは歌手がそれで競う番組すらあったりする。

ゲーム感覚でやるのならそれは有り。
でも、ゲーム。音楽では無い。

楽器版をある楽器メーカーが作ったらしい。これも遊びでやるなら有りだとは思うが、子供達がそれを頼りにし始めたらもうそれは音楽の本質から大きく外れてしまうだろう。

正直、要らないものだと思う。


楽しみとして音楽をやるなら、機械的な正確さだけを機械に測って貰って、その判断だけで一喜一憂するとしたら寂し過ぎる。

そこを基準とするならヒトが創り出す音楽としては愚かとすら思う。

間違えても音程がずれても良いじゃ無い。
合奏(合唱)として一つのサウンドが有れば十分で、各音そのもので無く全体のサウンドがどう共鳴するか。一人で演奏する場合でも音楽から何を感じてそれを音にするか?だいたい、音程を何を基準に判断する?
平均律?だったらハーモニーは作れない。
調律は平均律と純正調しかないのでは無いしね。

リズムは機械的な時間?そこには拍子による時間の波は無い。無機質な流れ。


大体、機械に判断して貰うってどうなのか?音楽を機械に任せるという時点でヒトである事を放棄してる様なものだと思う。


メトロノームやチューナーという訓練するための道具は有る。自分も使う。使い方によっては物凄く助けてくれるツールである。自分の癖を残酷なまでに見せてくれる。修正するにはとても頼りになる。でも、実はその癖や、機械的に正しい所からずれる事が色であったり、ニュアンスであったり、個性にもなり、オーディエンスに伝わるものを創り出したりもする。何より、本当の意味で音楽を楽しみ、創るには、機械的なそこから離れられる事が必要。

少し話は逸れるが、合わせようって事をよく言うし、学校などの吹奏楽、オーケストラでもやる。

ズレてる事が分かれば合わせる様になるとも言う。

でも、それは違うんじゃ無いかな?と思ってる。

ハーモニーが鳴った時~お互いの音が共鳴した時に感じるあの感覚。

ユニゾンでも揃ったら鳥肌が立つ。

リズムが揃った時のあの「個が全体となり」、「全体が個が区別無くなる」瞬間。

それを聴いたり、たまたまでも良いから体感する事が一番先で "ずれてる事" を知る事が先では絶対に無いと思う。

全ては魅力あるものを感じ取ることから始まる。感覚が開く事が一番大事。



上に書いたこと二つは違うことの様で根底に同じ大きな誤解が有ると思うのは僕だけかな。

でもね、経験からも "そこ" から離れられた時に良い演奏になる事は判っている。離れられるから呼んで貰えるコンサートが有る。海外の友人やそこから知り合った少なく無い演奏家が演奏に誘ってくれる。どんな楽器の人とも共通の話題で話せる~言葉でも音でも。

百点の音楽よりその場に居る人の心に印象を遺す、共感して貰える音をその空気の中で時間の中で紡ぎたい。もちろん、自身もその音楽を目一杯感じ取って。

皆さんはどんな音楽がしたいですか?

写真のラッパを吹く天使は何を思うだろう。(クリスマスオラトリオの演奏で訪れた北ドイツのVarelの教会)


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る低音を中心に基本を見直していたら少しハイトーンのキレというか、焦点がブレてきたのでピッコロをさらい始めた。

ピッコロは本番前位しかさらわないのだけど、マウスピースを替えて少し小さくなった事もあり、いつもの大きさから慣れるのにちょっと余分に時間がかかる。

慣れてしまえばとても安定したコントロールが得られ、音色も上っ面で無くてしっかりと、でもうるさく無い良いサウンドがする。スタミナも以前より上がった。上手く吹ければこの少し小さなサイズはピッコロという短かい楽器には最適ではないかとさえ思う。大きさは要は自分のコントロールの問題。

2日目の今日は未だコントロールが大味。

~ここ、、、何故かライヒャが著作権アウトと判断されて貼れない… YouTubeもそうだけど、public domain の著作権を主張する団体がいるのは何故だろう??


さて、モダンの長い楽器では低音以外にヒロ野口氏のエチュードもさらってみてる。基本的に技術面でシビアで難しいのだけど、音楽的な要素が多くてそこを解決する事と技術の難しい部分をシンクロさせてある良い感じのエチュード。一見、不可能に見える楽譜も意味を理解すれば吹けるようにかかれている。
調子のチェック、道具を替えた時、現在の様に少し自分のバランスを調整した時に自分の具合がよく分かる。コントロールがブレてると全く吹けない感じ。

~此処も違う動画が貼れない。これって何かの検閲?なんの違反もして無いのに。。

今週いっぱいはモダンを中心に据えて、来週からまた大きなバロックマウスピースでナチュラルとモダンサイズのバロックマウスピースでバロックトランペットを中心にさらおうと思う。

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この数日のレッスンから。
登場してる方、ごめんなさい。
誰かは ばれませんから(笑)

~~~~~~~~~~~~~~~~~

「録音を聴いている時にふとチューナーが目に入ったら、レとミがすごく低い事に気がついたんです」

>「ずっと言ってますけど…」
(二年くらい?笑)

「そこの音程が取れたらその上のラからがずっと楽に出る様になりました」

>「それも言ってましたよね~、下のドとレの移り変わりからそれは始まってますよ」

☆これは、この方に限った事で無くて誰でもどこかにこう言う部分が有ると思います。もちろん、僕自身も有る。そこに自身が気がついた時~そこの感覚が開いた時に初めて全ては動き出すんです。それまではどんな立派な理屈もシステムも根本的には役に立たない。対処療法なんです。その場で経験させる事~例えば音を響く様に、高い音が出る様に、リップスラーが出来るよう等、そんなに難しい事で無いし、それが出来ないのにラッパを教えるのは…。指摘だけは誰でも出来るんです。
実は体感をして貰ってからが一番難しい。それを自ら再現出来るようになってもらう事。感覚を開いたままにしておけるのは本人しか出来ません。

~~~~~~~~~~~~~~

>「高い音や難しい音で目をつぶったり、顔をしかめるのをやめてご覧。そして、そこは意識的に前を向いて。」

あるオケの中のオーディションで吹かなければいけないドボ8の有名なラッパのオクターブのフレーズをベー管で見事に吹いた中学3年生さん。高いラが何度やってもストライク。まだ、アンブシュアの大きな癖が抜けてなくて「これからゆっくりと身体や呼吸をしっかりとさせて少しずつ良い方向へ持って行こうね」と話していた直後。
音は出るけど上手く吹けないと言っていたのに何故か上手く行ったと、、いや、こっちがビックリしたわ。。当日も同じ感じで行けると良いな~
この日の最高のアドバイスは目を瞑るな(笑)
元々、6,7 で 10 を察する子だし、本音だけ話せば伝わるしコツコツやってるのが分かる。きっと高校生になったらぐっと伸びる。
アンブシュアは一切触れてないのに少しづつ良い方向に向かっている。

お願いだから誰もそこに口出さないで!!!!!

~~~~~~~~~~~~~~~~~

どうしても音階などで音が動く時に音の動きを唇で掴んでしまい響きが曇る。
そこで、声で「エーオーアー」と歌ってもらいました。(これは誰かの受け売りの声の出し方~誰かは、、忘れました。覚えのある方ごめんなさい。でも、使い方が違うと思います)その時に各母音から次に移る時に声の変化を音のグランデーションの様に。エーからオーの間にエとオの間の音が無数に入る様に歌ってもらいます。E~~~Ö~~~Oみたいな(笑)
その後に、いま歌った時に使った "聴き方" で聴きながら吹いてもらうと音が自然に響いたまま繋がる。動きに注意しながらリアルタイムでモニターする事。耳が働き始めると身体の動きが変わる。
因みに声を出す時に片耳を塞ぐのはこの場合はNG。それは周りの音が混乱していて自分の声が聴こえない時に自分の中の音を聴くためにする行為で、実は楽器が上手くなるために必要な第一歩の耳の使い方は真逆。

~~~~~~~~~~~~~~~~

自然にTAと言えない…

「畳」「叩く」「戦い」など言葉を繰り返し声に出してもらい、その「タ」を覚えてもらい声で「タタタタタタタタ…」と続けて貰った後で楽器でタンギングを吹いてもらうとクリアーで自然な発音になる。
どの音域でも基本は「TA」
この時に舌の動きや口の中の分析は却って邪魔になる。言葉として意識するとスムーズに進む。
ちゃんと TA と喋れると過度に唇の振動を意識する事から離れる事が出来ます。勝手に仕事をしてくれる。


僕はロ短調ミサ、クリスマスオラトリオ、ブランデンブルグ… 最高音まで全部 TA で発音する様になって飛躍的にコントロールと耐久力が伸びました(当社比)


~~~~~~~~~~~~~~~

中学三年生くん。

>「いま、自分として上手く行った?」

「行ってない。」

>「何故?」

「何々がちゃんとしてなかったから」

>「どうして何々がちゃんとしてなかった?」

これを繰り返して4,5回続けると返答に困ります(笑)

>「いつもこう言う風に思いを巡らせて練習してる?」

「してない…」

>「この先上手くなるためには頭の中でそれが必要だからね。」


そして、丁寧にしようとするとエネルギーが落ちる。これは他の方にも共通する事で。丁寧と消極的、恐々は違う。
大きくと言うと羊羹の様な息を吐こうとする。音を真っ直ぐ=息を真っ直ぐでは無い。音は自然減衰が西洋音楽では大前提。
鐘の音。
昨年のケムニッツでのコンサートの録音を聴かせる~ラッパ15本が吼えてるがうるさく無い。これは印象的だった様で途端に音が変わった。

想像力(イメージする事)は副作用の無い最も有効な方法。

この子も深い所のスイッチが入ればぐっと伸びると思う。小学生の時から通っていて、最初は集中力が保たずに一緒に30分位吹いてるだけ。とにかく、嫌いにならないで気が向くのを待ち続けた感じ~男の子は余程ハマってないとそんなもんですが。。中学の最初にはマウスピースの場所が曲がってると先生や出入りの楽器屋さんにまで口を出されて… でも、アンブシュアには一切に手を入れませんでした。
今では、気が向いてちゃんと吹くと(笑)真ん中からハイツェーまで上って下のベーまでスラーで降りてこれますよ~

大人は子供の伸びを邪魔してはいけない。

☆~~~~~ おまけ ~~~~~☆

姿勢の話をしてしてる時に呼吸に触れて、息は吐くのでなくて上手く吸えれば自然に外に出て行くという話をしました。支えはその出て行き方をサポートする事。その時に、空気にも重さが有る。体育館いっぱいの空気は象一頭分。ヒトの身体はその空気の圧力に負けない様に外側に押し返している。実は肺も口から空気が入り込まない様に空気を外へ押し返している。そこで思いついたのが、その外に押し返す力を外してあげれば空気は身体に入って来る。これは、自分にはとてもしっくり来てます。そして、入って来たら出て行くのを身体に任せる。
ヒトの身体に付いて研究したメソードは多いですけど、もう一つ先、身体を取り巻く環境にまで目を向けるともっと面白いのでは?と思ってます。重力とかも。ヒトの身体だけを見ても本当の意味で解決しないかも知れない。
科学的ってそういう事ですよね?


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一つ前のブログに関連して。

吹奏楽にさほどは詳しくは無い僕がある団体で指揮をした曲で一番印象に残っている曲。

プログラムの中で一度やり、アンコールの最後に持って来た。反対されるのを押し切った感じ(笑)それも通りで、楽団や個人の力を考えるとシンプルで綺麗な曲を全てのプログラムを終えた後で演奏するのは難易度が高い。
でも、必ず良い演奏になると信じていて疑わなかった。

そのコンサートで何人か仕事や家庭の環境で抜ける方もいた。色々なそれまでの思いが乗せられる曲ってそんなに多くは無い。

アンコールは練習でやった事の無い遅いテンポで進めた。一つ一つの情景を確かめる様に。

自分の音楽人生の中でも大きく心に刻まれる時間となった。演奏者と客席と僕も皆が共鳴して共有した数分間。忘れっこ無い記憶の中の財産。

自らが演奏する時も、指揮をする時も、指導を行う時も、そこに辿り着いてさらに先に歩みを進めるために。

今日、ある方がブログに尊敬する師の言葉を書いていらっしゃった。
「生きてるついでに音楽しないでね」
その言葉をさらっと仰られたその場に居た。

皆、その瞬間ぐっさりと胸を刺されたと思うが(笑)ぼくは、師とその少し前に話した事を思い出していた。その時の会話からどれだけ師が音楽に身を捧げているのかを改めて感じ居たし、それをする為に人生では足りないと師は仰られた。
80歳になられる、人生全てを音楽に捧げられてる師にそんな事を言われてしまったら、ふらふらしてる50歳なんて未だ未だ足元にも辿り着いてない。

ラッパの師も80歳手前で現役である。
未だ未だ、尖って(笑)決して器用でも特段の才能が有る訳でもないが、ひたすら前に進む。

久しぶり共演した仲間に「ホント ブレ無いね」 と最近言われた(笑)
まあ、そこしか無いんだな… 爆
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結局、一進一退。耳にも吹き心地にもピッタリと来る一択のバランスが有る事はほぼ確実に見つけたが、吹き始めやコンディションでそこにどうしてもはまらず、気がつかないうちにアンブシュアに負担をかける事がある。そうなるとマイナスに働く~今まではマイナスに働く事が殆どだったので、そこは大きな違い。

今日は良い感じ。

ちょっと飽きて来てるし(笑)はまり込んでも来てるが、一ヶ月は集中して取り組もうと思う。

さて、この春から夏終わりまでって毎年暇な時期。。
普通は吹奏楽関係で忙しいんですけどね(笑)

コンクール向けと言うより、ある意味でマイペースと言うか生徒の上達のペースでしかレッスンしないので敬遠されてると思う。汗 笑

合奏の指導でも縦や音程合わせは後回しにする。でも、成功するかどうかって事に殆どの神経を注いでいたり、ショー的要素の強い表現のパフォーマンスが多い中で、音楽そのものを掘り下げてそこに自ら入り込んで行った時に感じ取るものって貴重だし、何にも代え難いものを感じ取れると思ってる。
コンサートやコンクールで指揮をした時に一緒だった人達、何年もレッスンをして意図を汲み取ってくれた人達は、練習や舞台でその瞬間を感じ取って居た(居る)し、しっかりと深い所に残ってるんじゃ無いかと思う。
面白そう… と思ってくれる方がいたら喜んで全力を尽くしますよ(笑)

全然宣伝になってないじゃん。。


この時期に新しい事の下地を作ったり、家で映画などを多く見たり、気が向いたら語学をやったり、静かな時間に内側を膨らませる事をするのだけど、年を重ねる毎にその内側を動かし始めるのにエネルギーが必要になる。新しい事や改良は自らのバランスを一度バラさなくてはならない事も有るし、常識を含む自分の中の筋道を組み直さないとならなくて、その時は内面はフルに動いている。一年で一番機嫌の悪い時かも知れない(笑)

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