つい2,3日前の事。
自分の中で自分の楽器の吹き方に対するバジングの有効性が完全に消えた。
これで、シラブル、バジング、息のスピード等ずっと言われ続けている楽器の奏法の有効な方法、練習が自分の中からまた消えた。(シラブルと息のスピードは音楽の表現にはとても大切な要素)因にいわゆる腹式呼吸はとっくに消えている。
この、数年、感覚と意識の変化で若い頃から効果的に活かせなかった練習が凄く意味を持って活かせたり、逆に自分の中で消えて行ったりしている。
ペダルトーン、クラーク、バジング、カルーソー、ハイF以上の音。。
若い時からどれもやると疲れだけが残って効果が上がらなかった。
ペダルトーンは完全に誤解をして居た。息をぶち込んで吹き抜くみたいに。。
センターを捉えれば息は要らない。開放で喉からのバランスさえ取れれば鳴る~まだ到達してないが見えては居る。綺麗に響く筈だと言う事を見つけた。
クラーク。
いま、またさらい直しているが、音を良く聴きながら単に身体を任せれば良い。そして、速くより一つ一つの音の移り変わりと全ての音の真ん中を捉えられているかに焦点を置けば柔軟かつ強力なトレーニング方法。ゆっくりと確実に出来れば速くは出来る。そのゆっくりの時の精度が大事。自然に吹く事が全てを上達させてくれる事を教えてくれるエチュードだと思う。ハイトーンでイーと成らない様にするのが自分にとってのポイント。上に行く程に喉から拡がる様な感覚だと綺麗に響き繋がる。
カルーソー
実際に習った事は無いが休符の間のキープをどう感じるかで効果的に作用するか副作用の方が大きいか分かれると思う。音の終わりがポイントだと思う。この感覚でブランデンブルグのアンブシュアのキープを覚えた。
ハイF以上の音
自分にはコントロール出来ない音だと考えて居た。しかし、先ずは身体が動く様に、唇も本来のアンブシュアでなくても自然に動く方へと正反対にアプローチしてから見え始めて2、3年で狙える様になった。ひっくり返る感覚が掴めれば段々と太く響く様になる。自分はやっと40歳を超えてから到達。さらにイーとやらなくなって物凄く楽になった。結果、ずっとやりたかったブランデンブルグが完璧とは言えないけどイメージに近く音に出来る様になった。固定観念に捉われない事。ちなみにバッハの1番パートを吹いたと有名なライヒェ(Gottofreid Reiche)は57歳から67歳の時にバッハの楽曲の演奏をしている。年齢が演奏を衰えさせると言う事は古から必ずしも当てはまらない。
(また、作曲年からブランデンブルグ協奏曲は彼に書かれた物では無いKöthen時代のJohann Luwing Schreiber の為に書かれたと考えられている。ライヒェは11年バッハと演奏したが、その後16年に渡ってUlrich Christoph Ruheが演奏をしている。たった一枚の絵で歴史が誤解されて伝わって居るのかも知れない。)
バジング。
とても負担の高いトレーニングで普通は勧めないが、必要最小限の力でマウスピースでのバジングが出来れば良い、、、と思っていた。
しかし、自分自身はどうやろうとも楽器の良い調子に結びつかない。。凄く調子の良い時や、疲れると全く出来ない。。(これを自分の能力不足と考えて来た。若しくは合わないと~出来無い事を他のせいにしたく無かった。)
身体に任せてクラークをやりながら状態が良くなるに連れてふと気が付いた。
マウスピースのバジングって楽器以上に唇を閉じないと音に成らない(良いアンブシュアは自然に程よく上下の唇が閉じられているがそれ以上に力をかけるのは良く無い)。もうその時点で力の使い方が過多になっているし、そう成る事でリラックスし拡がる感覚を持った歌う喉の状態から外れてしまう。この歌う喉の状態はナチュラルトランペットなど大きなマウスピースでは絶対に必要な状態だし、モダンにも有用と言うか本来の自然な状態だと考えるのが自分が導き出した答え。バジングはそれと正反対の方向を向く。音の響きも奪う。その意識が有るだけで唇に過度の意識が生まれるし身体(唇)もそちらの方向に動く。
身体は自然に~言葉を伴った意識下でのコントロ-ルで無く、音やイメージを手がかりに身体が勝手に自然に動く様にならないと自由に楽器がコントロール出来ない。メソードやアドバイスはそれを引き出す為のツールでしかない。
自分の目指す所とある意味、真逆の力の使い方がバジング。
ただ、上手く短時間に利用すれば効果を生む事が有る。
でも、楽器を効率良く鳴らす事と直接は結びは付かないと思う。
なんの関係もない事並べた様だけど音を頼りに身体が自由に動きたい方向に動くと言う事で一致している事で自分には大きな事。
その常識は本当に必要、正しい?難しい事を前提にして良い?心地良い音、音楽?etc.
題名の意味は一つの音に含まれる倍音では無く、自然倍音の間をどう動くか?と言う事です。
いわゆるリップスラーと言われているもの。
先ず技術の話しになる前にその根拠となるラッパの歴史から話します。
ラッパは紀元前から戦闘等の合図に使われていました。
合図が主であった頃は低い音のみだけが使われて居たそうです。(下の図の一番目の音列の4倍音迄)
今のトロンボーンの中低音の辺りです。因にトロンボーンは1450年頃にトランペットから派生しています。当時のトランペットは今の約二倍の長さが有りました。マウスピースの内径も今より2~3mm大きくてリムは平でカップの底も鋭角なショルダーを持っていました。ヴァルブ等も有りません。一般にはナチュラルトランペットと呼びます。
歴史や楽曲を調べて行き低音だけ吹かれて居たトランペットの技術が飛躍的に向上したと思われるのはルネッサンスの後期(1450年以降、トロンボーンと分かれた頃)からバロック期(1600~1750)で、その頃の楽器にはヴァルブはおろか孔(穴)も有りませんでした。
どうやって音を動かしていたか?
自然倍音間をコントロールする事でしか音を変える術が無かった。
下の図を見てもらえば判って頂けるのですが、一番上の倍音表の音がハ長調のナチュラルトランペット一本の楽器から出せる音列です。二番目はニ長調の楽器で出せる音列です。一つの楽器で一つの調子しか吹けませんでした。
一番下の音列は現代の楽器。
(Bb, C, D…..各長さの管、どの楽器も全ての楽器のドを楽譜のドに当てはめて下さい)
バロック期の楽器~現代トランペットの祖先の楽器は今より倍の長さであった為音階が吹ける音域が今より1オクターブ低かったのです。(番号は何倍音かを指し25以上も演奏者の技術が高ければ演奏可能です。)
本来、トランペットにとってリップスラーとは特別な技術で無くて音を動かす唯一の方法です。単に隣の音に動く事なのです。(タンギングを使う時も同時にその技術が使われないと音は変化しません~これは現代の楽器でも同じ筈です)現代の楽器はヴァルブシステムを使って半音毎に管の長さを変える事が出来ます。倍音の間の音を管の長さを変える事に因って補っているのです。
さて、実はこのリップスラー~倍音間を動く技術は現代のトランペットで指を使う時にも意識が必要です(指を使わず倍音間を直接動く時は当然必要)。幅の広い(倍音を跨ぐ)跳躍、そして、例えば、下のドからレ、真ん中のソからラ、真ん中のドからレ….. 等次の倍音へ移る時。
これはどういう事いうと、下のドは第2倍音でレは第3倍音から管の長さを変えて下りて来た音だからです。ソは第3倍音でラは第4倍音から管の長さを変えて下りて来た音。判り易く全音で書きましたが半音の変化でも倍音が変わる時にはリップスラーを意識する事が大切でそれが出来る事に因り、より高い音にスムーズにコントロールされながら上がって行く事が出来ます。これは上がると言うより、転がる、ひっくり返る(音がひっくり返った経験は有りませんか?実はそこに大切なヒントが有るのです。)と言った表現が当てはまるかも知れません。
ところで、上に書いた様な当時のマウスピースと楽器で練習して見ると面白い事が判ります。
先ず、シラブルと息のスピードは音高を変える事その物には殆ど役に立ちません。ある所迄は行けますがバッハ等に使われる様な音域に、それにふさわしい音色や表情では到達出来ないのです。これは実際に吹くと良く分ります。ただし、内径が18mm以上の当時の形状のマウスピースで無いとマウスピースが助けてくれるので曖昧になります。また息のスピード等は邪魔にすら成ります。楽譜にある矢印(↓, ↑ )はその音が平均率よりずれる方向を指します。例えば11倍音はファより1/4音ほど高くファにするには音程を下げないとなりませんが、シラブルや息のスピードはそれの妨げに成ります。
では何処を使うか?
歌のテクニックと同じ喉と響きの捉え方。具体的には空間に良く響く声に出して見ると良く判ります。声に出して歌えない人は楽器もうまくコントロールが出来ないのです。誤解の無い様に言いますと、舌の位置も音域に因って変化しますが、それは喉や歌うテクニックによって引き出されるものだと考えて居ます。これが出来ると現代の楽器でのベンディングもそんなに厄介な物では無くなります。ベンディングは唇の強度の為で無く喉の技術を引き出す方法だと考えられます。先程、"ひっくり返る"と言いましたがそこに大きなヒントが有ります。高い音へ行くほど響きが細くなるのはこの技術が上手く使えて無い可能性が有ると思います。上手くひっくり返る事で楽に響きを痩せさせる事無く演奏出来る筈です。出てくる音が全てを教えてくれます。例え指を使ってる時でも倍音を跨ぐ時はこの技術を意識する事で自然に同じ響きで楽に移行出来ます。技術と書きましたが「技術」を「感覚」「感触」と置き換えてもらった方が判り易いかも知れません。
また、古い楽器と今の楽器は違うと言うのはナンセンスだと思います。同じ音の出る仕組みを持った楽器で同じ基本の技術でもっと効率の良いコントロールが出来て、より難易度の高い演奏が出来るのが現代の楽器だと思います。
現代の楽器の名手はナチュラルトランペット名手にもなれるし逆も然りだと思います。
これが私の考え方なのですが皆さんはどう考えられるでしょうか。
そして音楽の元になる自らやそれを受け取ってくれる存在の中に存在する何かを指します。
これ位の息で、こう位(度合い)舌の具合で、こういう型で、など奏法を感じるのも感覚ではありますが、僕はそれらを敢えて奏法、方法、マニュアルに含めて感覚の中には含めません。奏法の中ではもっと漠然として身体全体の印象を指します。
感覚とは、ある時は耳で聴く音、ある時は空気感、ある時は肌で感じる音、ある時はイマジネーション、ある時は視覚、、実態として捉え難いもの。そこが開き動き始めれば身体は自然に動き始めます。あるタイミングに様々なキーワードは有効ではある。でも、それは感覚や身体の動きを引き出すヒントでしかない。
楽器を演奏する時の身体の動きを常に頭で監視して意識下(言葉と言い換えても良いかも知れません)でコントロールする事は不可能だと思う。
感覚に従って身体が自由に動ければ身体から要求し問いかけても来ます。
理論はそれを助ける為に使うもの。裏付けや引き出す為に。
今日は自分の癖の中に自分にとって、そして、教える立場に立つ時に有効な事がある事を身体が教えて発見しました。左手のポジション。ナチュラルを右手で練習したから気が付いた事でもあります。癖にも必然性が有ったりする。そこを無視して矯正してもたぶんプラスには働かない。
基本的な事を中心に~殆ど音に対する感じ方といわゆる奏法(マニュアル)に捉われないで聴く事、声の代わりである事にちょっとだけのコツ~アドバイスしてます。
しばらくぶりなのでちゃんと提案した練習を続けてくれているか??
殆どやってない子・笑
なんか、余分にやり過ぎている子、、
話しを聞くと心配してた通りで、、、汗
でも、みな音が進化してました。
チューバから移って唇がマウスピースの中に収まらず下がっていた子もかなり低めではあるのだけど、音色は綺麗。みな、羊羹の様な電子音の様なベターっとしたサウンドでなくちゃんと響き始めてました。一番伝えたい所はぶれずに残っていた~そこしか伝えてないのですけどね。
それだけで十分です。
後は要りません。
曲の中でそれが存在感を持つにはもう少し時間がかかる。
それは熟成に必要な時間です。不思議と一人の子にもクラブのパートにも同じ時間が必要です。クラブは人が入れ替わるのに。だから、コンクールだけの為だけの操作はしません。ひょっとしたらコンクールにはプラスに成るかも知れない。表面を変えてもそれはその子に残らないし、受け継がれても行かない。でも、僕は無意味だと思います。
後は1年生にその事が受け継がれて行くかどうか。
技術はきっと音の進化に付いてくる。
明日、新潟生涯学習センターにて」『古楽の愉しみ』とだ題した10回の講座の「
ナチュラルトランペット」の回の講師として2時間程のお話と演奏を致します。
この準備。
御依頼を受けた時はまだ漠然としていましたが、準備を始めると余りにも範囲が漠然として何から始めるか。。先ず決めたのはナチュラルトランペットと言いましても、現代のトランペットやその演奏法を知らない状態では、ナチュラルの意味が理解出来ないしマニアックに話しを進めても面白く無いであろうから楽器の歴史を軸にしようと言う事。トランペットは歴史中で一番姿を変えた金管楽器ですから、そこを軸に話しをして行けば興味を持って頂けると考えました。
しかし、恥ずかしながら、改めて調べみるとそれをまた選び出し誤解を生まない様に、しかも、偏った意見で無く興味を持って頂ける様に進めるとなるとなかなか骨が折れる。何処を取捨選択するか。今回は黄金期と言われるバロック期が浮き立つ様に話しを進める様に準備をしました。
知識、技術、その他学ぶべき事は判った!て時は、実は未だ未だ浅いのだと改めて痛感しています。調べれば調べる程判らない事が増えて興味が拡がる。以前、理解していた事が理解出来ていなかった事に気が付く事も有ります。
良い機会を与えて頂きました。
この企画を色々な土地で出来ないでしょうか?
演奏者としての実感から見たラッパの歴史を知って頂けると思います。