でも、うーん。て思ってしまった。
それはその楽器を知って居るから凄いな~って思う事で、その事を知ら無い人が本当に心を揺さぶられるものか?って。。
これは自分が力をかけて居るバロックトランペットやナチュラルトランペットも同じで、難しいから出来たら凄いでも無く、それは、速いフレーズ、高い音、正しい音程、ノーミス、、、ってものだけで無く、まあ、普通のラッパにも言える事なのだけど、楽器の事を知らない人~音楽には通じてるけどラッパには詳しく無い人、クラシックやジャズや吹奏楽と云う一つのジャンルに深い知識を持たない人達、楽しみで音楽を聴く人、様々な人にとって何か伝わる物~難しい事をやってるんだねじゃ無くて、また、聴きたい、心地良いって感じてもらえるか?そこまでわかりやすく無くても何これ?って引っかかる物を残すことが出来るか?
演奏家(ある意味では愛好家も)は自分の楽器の事やその中の常識に囚われ無いで常に自らの演奏をニュートラルに振り返られる様になっておかないと裸の王様になる気がする。
その常識は本当に必要、正しい?難しい事を前提にして良い?心地良い音、音楽?etc.
その常識は本当に必要、正しい?難しい事を前提にして良い?心地良い音、音楽?etc.
以前、この楽器は難しいのにこれだけ演奏出来ても下手としか思われないんですよね…って言われた事が有るんだけど、正直言って下手にしか聴こえ無かった。
それはミスが有るとかそう云うことだけでも無いのだけど、自らの音が聞こえて無ければ何も変わらない~自分演奏って聴くと嫌なところばかり耳に付いて凹むこと多いんだよな。
また、ラッパはよくBb管が基準とも言われるけど、バルブが付いた時は低いF管で、暫くはBb管の音は良く無いとされて居た。
その前はもっと長い。バルブも無かったし。その頃が凄くて今が凄く無いわけでも無い。でも、今の主流が一番でも無い。
ナチュラルトランペットからすると四分の一の長さのピッコロだって素敵な楽器だ。それぞれがそれぞれの道具で、聴き手に何かを伝えられる事が一番大きな事で有るし、それはその人の中から自然と湧き出る様になら無いと伝わりはしない。
実は子供の演奏の中でも一人一人が無理してる度合いが高いと例え凄く上手に合奏をして居ても素直に楽しめ無い。
もっと自然に音楽を感じて楽器を楽しんでそれが聴き手に伝わる様に。別に凄い人で無くて良いし、自分の演奏や関わったコンサートでは何か胸の中に持ち帰ってもらえる様な物を創れればそれで十分。その時にしか生まれない物だし。
て、事を書くと自らのハードルを上げてるんだろうな~