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HARUのブログ

ラッパの事、普段の事、色々。

この日本語の当てはめ方が問題な気がする。
別に単なる強弱では無い。

なんのことかと云うと拍のヒエラルキーの話。


例えば四拍子には偉い順から 1,3,2,4 と大事にされる拍の階級が有る。これはロマン派初期以前の音楽では特に大切で1拍目はその小節の中では基本的には一番偉い。時間も長い、音のエネルギーも強い、存在が強い。
三拍子も1拍目が大事な拍。
まあ、後はそれぞれ調べてもらえれば。


ロマン派中期以降もこの原則は音楽の時間の自然な流れを創り出すのに必須な事だと僕は考えて居る。
例え初心者でも、全ての拍を均一にって機械的なアドバイスはしない。言葉を話す様に。文章~フレーズになる様にと話をする。そしてこの原則を常に求める。


若い頃に師からもっと音を捨てなさい、全ての音が聴こえ過ぎると言われた。
誤解を産まない為に付け加えると全てを均一に演奏出来る技術と感覚は必要で有る。でも、実際の音楽でそれをやってしまうと…。

日本語の説明を当てはめると、強拍は強拍。弱泊は弱泊で有るのが大原則。例え弱泊にクレッシェンドが有ったり、次に繋がる音でも弱拍は弱拍。これが理解出来ないと本当に古典やバロックは本来の形にならない。
本当は単に強弱で無くて時間の揺らぎも有るし表情も有る。

スタッカートの点。
あれは元はあれがついた時はその拍のヒエラルキーを無視して全ての音を均一にはっきりと演奏すると言う意味から始まってる。例えば普通に四分音符が4つ並んでいたら本来は強さや時間の使い方、ニュアンスは全部違う筈で、スタッカートがついた時に同じにするって約束だった。
いまはすこし意味合いが違うけど。

でも、やはりこの強拍、弱拍の感覚は物凄く大事でこれが無いと時間が進まないと感じる。

三拍子。
って何?
て、ドイツの師(勝手に呼ばせて頂く(笑))に訊かれた時に僕は言葉に詰まった。どう扱うかは理解していたが言葉が思い浮かばなかった。三拍子はダンスだよって。あー、そうか。日本人にダンスって血は無いよな…と思った。ダンスをするってTanzenて言葉が有るくらい大切な感覚。
その社会の中で大切な事にはそれを表す言葉が出来るそう。言葉が有ると言うことは大切な事であるということ。

アメリカのあるバストロンボーン奏者はこれをリズムのパルスと呼んで居た。上手い表現だよな。

これらはあくまで西洋音楽の上での話。
演歌なんかは弱泊にこぶしが来たりするもんね。でも、クラシカルなものでそこに歌い回しが入ると実はもうバロックからの大きな音楽の流れから逸脱して居ると思うのは行き過ぎた意見だろうか?
少なくても僕の感覚には無い…


なぜこんな話を書くかと云うと、今日のレッスンで生徒と僕の演奏を録音して両方聴き比べた時に、テンポは同じなのになぜ時間の流れ方が違うのか?って質問が有ったから。

メトロノームの音が鳴る点が大事では無くてその間の時間が大事だし、機械的な時間の流れは不自然。この話をあるドイツ人の指揮者とも盛り上がったっけ。

でも、無秩序に有るわけでは無くて、強拍は強拍。弱泊は弱泊。
まあ、強拍を常に同じ強さってのは有り得ないが。。


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今のレッスンの進め方はインナーゲームの手法を参考に自らの感じるところと一致した事を軸にしている。
初めて生徒という存在が出来たのは28歳位だったと思う。音楽大学では無いが楽器の実技と勉強とを必要するかなり難関だった。それもレッスンを始めたのは一年前。

そう言えば、その頃から時間に縛られ無いレッスンをして居た。出来るまでが基本。

まあ、これが良いとは言えない部分も多いし、一日に何人も出来無い~こちらの消耗が激しいと言う実質的な問題もある。
本当は一言でイメージを受け渡せる様なレッスンが一番だと思う。ただし、それは受け手の準備~心、知識、技術、そして何より感覚が開いて居ることが前提となってしまうが。。



当時からつい最近までどうすればその人にとって自然な状態になれるか?と云う方法を軸にして居た。

最初の生徒は感覚やイメージがはっきりと有って方法だけが掴めて無かった。だから、僕自身が感じてる奏法の感覚を言葉にしながら吹いてみせて真似して自らのものにするのに時間はかからなかった。音域こそ大きくは伸びなかったもののとても綺麗なサウンドになり見事に合格。
大学入学後も時々アドバイスをして居たのだけど、東京を去ってしまったので縁遠くなってしまった。
彼女とは、偶然、御主人の転勤で今住んでいる所で再会し、短い間だがレッスンを再開していた~家庭の事情とお子さんが出来たことでまた離れてしまったが…

受験の頃は 2~3時間のレッスンの後、外でこっそり僕がさらってるのを聴いて帰るほど気持ちを持った子だった。だからこそ上手く行ったんだろう。


それからは何人もの人に色んなアドバイスを繰り返して来た事になる。

その中で「こういう方法で」「ここを意識して」… 生徒の音と様子を注意深く観察して自らの身体の上に移して感じとり問題点を指摘して修正する。

これで、レッスンの中では上手く行く。

だが、上手く行って次に繋がる人と次に戻ってしまう人に分かれる。


もっと上手く伝える方法は?
ずっと考えて来た。
現在のそれぞれの細かなアプローチはこれまでにも書いて来てるので割愛。

数年前に違う観点からインナーゲームの音楽家版を読んだ。
あ~、そう言うことだよな…。
自分にとってはもうこれだけで必要十分な書だった。もちろん、全ての体現出来て居るとは言え無いがなぜそうなのかは解る。


本の中に「知覚する」と言うことが出て来る。実はここが一番伝えるのが難しいところ。伝わる相手には一瞬でと云うか言葉にする必要も無い。

でも、その知覚になかなか辿り着け無い場合が出て来る。何が違うのか何が起こって居るのかを知覚するのに、目に見えない、視覚で感じ取れ無い事なので、普段の生活の中では使わない精度の聴感覚を開いてもらう必要がある。

聴いてるつもりでもフィルターがかかって居たり、知識や常識が邪魔をしてニュートラルに聴こえて居ない。

ここを指摘するのにはお互いの信頼関係が居ることが有るし、タイミング、言葉の選び方も大事になる。気をつけても誤解を生む場合が有るのが難しい。

知覚することによって何が上手く行って無いか自然と感じ取れ、感じ取ると身体は求める方向に自然と動き出す。
ただし、待って居るメンタリティでは駄目で手に入れたいその音や状態を耳で積極的に求め無いと身体は動いてくれ無い。

そうすると今までに無い感覚と共に響いたサウンドが急に生まれる事が有る。実はそれがその人の本来持って居るサウンドでそこからが本当のスタートになる。


ても、奏法だけに拘ったレッスンてあんまり上手くいか無いし、時に無意味?って思う。音楽する為の手段なんだよね。

本当に音楽的なものを強く持ち合わせていたら奏法なんて考えなくても良いのではないかとも思う。
まあ、出来無いからずっと探求して来たんだけど。

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この3年ほど毎年国外に出られるチャンスをもらって居る。
ほんのちょっとしたきっかけと、ちょっとした思い切りから始まった事。

留学をしていない自分としてはつながりも無いし、これ程のチャンスに恵まれる事は極めて稀だと思う。

で、痛感してるのが言葉の大切さ。

判っては居たが、なんと言語力が無いことか…

一昨年は常夏の国に行った時も、バッハの国へ行った時も、流れからけっこう直前に最終決定をしたことも有りなんの言葉の準備もせずに飛んだ。(今年は南国に翌朝には飛んで居ると言う最短記録も更新)
それまでにも何回かお隣の韓国を含めた渡航はして来たが、いつもブロークンな いんぐりっしゅ で済ませてきた。

特に独では本当に会話の外になる事が多く、こいつ嫌な奴と云うか、、人が話しかけてるのにちゃんと応えなくて…って思われたと思う。英語で話してくれてるのに…

いや、言われてることは解っても答えられなかった(笑)3週間半の滞在で最初からとにかく社会のシステムは違うし、それまで英語もそんなに長く使うことも無く、頭が疲れて最後の方はほとんどフリーズ状態で回って無かった(笑)頼みの藁(綱なんて言えない)の英語さえもう浮かばない瞬間が多かったのが事実。

でも、あえてあまり日本人枠にも入らなかった。会話に取り残されても向こう枠に~日本人には挨拶もちゃんとしなかったのでそちらにも「何?あの人」ってなったかも知れない…(笑)
いや、もう気遣いなんてできない位頭が疲れてたし余裕が無かっただけ。汗

それから、少し勉強をと思って昨年から二ヶ国語を自力で始めるもののなかなか…

先ずコンスタントに続か無い…
覚えられ無い…
独語なんてイメージも掴めない。

そして、覚えた事も声に出せ無い~特に独語は全然ダメだった。
昨年の4週間の陸路5000km超移動、コンサート10個&家族旅行付きの滞在から帰って、語学をやろうと思っては居たが帰って一連のコンサートが済んだら少し放電状態になってしまい放置。

今年は時間が有ったにも関わらず…

夏明けにこのiPadを入れてからやっとスイッチが入った。

とりあえず、英語と独語の両方の目を通して覚える為の下準備をすると決めたところまで10日程遅れたが辿り着き、ここから英語は覚える、独語は使いたい文~ちゃんと会話が出来るとはこれっぽっちも思わないが、最低限の意思表示と気持ちや感謝を伝えるできるところまで、基本の文を自らの意思で組み立てられて音を発せられるところまでは行きたい。

二つの言葉を眺めて居るとそれぞれの使い方の違いが面白い~やっと面白いと思えるところまで来た。

とはいえ、固まり始めて居る頭の中をもう一度大きく動かすのは結構な重労働。


ふと気がついたのは、楽器の上達や音楽を理解するのと同じだと言うこと。文法やイメージ、コツを理解しても、それがすっと引き出せて思う様に扱えるには時間がかかるし、何度も失敗したり誤解してた事にも気が付きその度にやり直し、気が付いた時に少し前に進んで居るものだと。

練習、仕事、レッスン、雑用、全てが終わってからを勉強の時間に設定してるので~気になってる事が有ると集中できない… すっかり超夜型になってしまって居るのが反省点。。

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レッスンをする上で一番難しい事に、
自ら"感覚"を開く術を会得してもらう事が有る。

僕は"感覚"は人の中に既に存在していて、「それを如何に引き出して研ぎ澄ますか」がセンスや才能と言われるものの鍵だと思ってる。

イメージの話をしたり、歌ってもらったり、呼吸の話をしたり、様々な手段を使って自らの演奏や音から自らの感覚を開く事を体感してもらうまではそう難しい事では無い。

しかし、レッスン後の練習の中でそれを常に自ら開いてもらい次のレッスンで続きから進む事や、レッスン中でも何かに気を取られて感覚が閉じてしまった時に自ら開いてもらう事がなかなか難しい。
実は感覚が開いているか閉じて居るかを、本当の意味で気がついてもらう事が難しい。。


そんな事を感じながらいつもと違うアプローチをする。自分の感じてる感覚を集中しきっているステージと同じ位のエネルギーで受け手を巻き込んで感覚そのものを直に渡す事。ラッパで無くて声~歌~と表情で自らの感覚の世界に引きずりこんでしまうやり方で。

何をどうするか?と言うことに触れずダイレクトに音、感覚に集中させてしまう様に。


気がついてもらうには、これが一番確実みたい。

結局、感覚が開いて無いとどんな優れたシステムを使おうが根本的には解決しないしマイナスに作用することも多い。
言葉の数が増えてしまい理解が難しくなるし。



次回へのステップとなってくれるとよいのだけど…



でも、この方法こちらがものすごく消耗する…。



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十代の頃に毎日やってたトレーニングをやってみてまたまた単純な事の大切さに改めて気がつく(笑)入試の課題だったティボーさんのエチュード~少し違うアイディアを加味しながら。当時はさらうパターンによって得られる状態(結果)が違う事がなぜ起きるのか解らなかったが、今は理解が出来る。あの頃の方が優れていただろう事もあるし、今理解して居る事が当時の結果の違いを同じに出来る事も面白い。

やっぱり、シンプルで簡単な事に一番大切なヒントが有る。そこが紐解けると、細かい事、一見難易度の高い事も時間をかければ形になってくる。

 

昨日、英語の see, look, watch の違いを譜面を見る時に当てはめたブロクを読んだ。


自分がステージや練習で上手く行く時には譜面を見ることも、自分の音を聴く事や身体の動きを含めて基本は see (hear)で有ることが多い。

時には look(listen)になるがそれだけになって抜け出せ無いと上手くいかない。see と look が共存して居る感じにもなる。

そして、もう一つ外側の自分がそれをwatchして居る。


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レッスンは愛好家の方や子供が殆どなので、基本的に自然に音が響くことを探すことが中心になる。
言葉ではその基本的な事は何のために行うのか、音楽と結びつくように色々と説明するし、曲を課題に出したりエチュードを課題に出すのだけど、なかなかその意味を理解してもらうのが難しい。

少し話は逸れるのだけど、学校などへ教えに行ったり、中高生のレッスンをしても普段の基礎練習が曲を吹くことに生かされて無いことが少なくないし、実際の活動の中で、初心者にバジング、ローグトーン、リップスラーを闇雲にやらせていきなり合奏って事もけっこう有る気がする。

そう言えば昔、ファースト デビジョンと言う本が有って、パート毎に本になってるのだけど短いメロディを皆で合奏出来る様な仕組みだった。今も有るのかな?
いま、基礎合奏のための楽譜はけっこう有るが、今の自分の感じ方だとあの様なメロディを伴う楽譜が実はとても大事だと思う。
基礎練習は個人でやる物で合奏でやるものはその楽団のサウンドを作る助けにするものだと思う。でも、始めたばかりの子供(大人も)で有れば一人では形にならなくても皆で一つのメロディを共有することから始める事が助けになることも少なくないだろう。指導する側がその意味を分かってないといけないが…



楽器を始める時、最初は音を一つ二つ伸ばしたりそれを繋いだりだろう。

でも、吹けるメロディが有ったら、音域や技術的に大きな無理の無い限りどんどんメロディを吹く事が音感を育てるし音や技術を育てると思う。

奏法を頭で理解したら即曲が吹けるか?
奏法や音の並びを完成させてから音楽に入れるか?

僕は否だと思う。


最初に音楽が有ってそのための手段に技術が有る。
そのためにも、出来るだけ早い時期にメロディを通して音楽に触れるのは大切だと思う。和声のパートは本当はその後じゃないかな~。


ただ、基礎をやったから難しいものが吹けると考えるのも危険では有るけど…

(分かった気になってるのが一番怖い。常に自分の音に感覚を向けてないと簡単に裸の王様になってしまう~慣れも有るから本当に感覚をニュートラルに置くのは簡単では無い)


だから、基礎練習で掴んだことを順を追って音楽の中で出来る様にする訓練は大事。これは子供だけで無く大人にも言えることで、難しい事を練習するのも良いけど、シンプルなものを音の響きやフレーズを感じながらやることがとても大事だと思う。難しいものにも必ず芯になるシンプルなラインが有るはずで、そこが見えれば流れやフレーズが生まれ始めて音のパズルになってしまう可能性がずっと低くなる。でも、そのためにはシンプルなメロディがちゃんと響いた音で音楽にならないと無理。
たとえば、高い音が出したいならシンプルなエチュードやメロディをオクターブ上げて(順に移調したり)綺麗な響きで吹いたり、低い音が苦手なら今度はメロディを下げて低音域で良い響きを感じられる様に。
オーケストラをやる人は読み替え練習を兼ねて移調してやればそれも良い練習になる。


そうすると次に何を基礎練習すれば良いかも発見する。

その人の能力に関係無く、自身が上達すれば常にハードルも上がって行くのでゴールに辿り着いた感じはずっと無いんじゃないかな~
もし、完璧!て思ったら自分の耳を疑った方が良いかも(笑)


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勉強しなくてはならないのですが食事後はとにかく眠くて…。いつも仮眠したり、目が覚めるまで違うことしたり。
眠い時にやっても頭に効率良くは入らない。

でも、ブログは書けそうな感じ(笑)

さて、この4日間ほどナチュラルと大きなバロックマウスピースでの音出しからモダンに切り替えてます。しかし、ちょっと吹き方のバランスをナチュラルのヒントから触ったのと、一ヶ月ぶりのモダンマウスピースでの音出しで調子が危うくなってしまいました。

昨夜、閃いて今日修正してなんとか元へ。

大きい口径のフラットリムのマウスピースでの感覚をモダンサイズのモダンリムに持って来る時にほんの少し感覚のズレが有りバランスが取れなくなって居た。

大きな口径では自然な小さな動きと思って居たことが実はモダンサイズでは意外に大きな動きと感じて大丈夫だった。今日は交互に吹いてその辺りの微妙なバランスを確認。

動きを小さくと意識を持つことで結果的にほんの少し窮屈に狭くなるようにバランスを取ろうとして居た。そのおかげでハイトーンや音のコントロールが完全に失速。

ハイトーンは口の中を狭くだから大丈… 僕は違います。身体や喉の全てのバランスが最終的に舌の位置を決めてるだけで、顎の辺りから狭くなったり、顎関節がロックされると自由に行き来も出来無いしハイトーンが終わります。逆にある意味喉から広くなる。今日はバランスが戻り上の方も強さが戻りました。


身体が癖を欲求してたのをスルーしてしまった。癖に感じてることにも実は意味が有ってそこに答えが有ったりもします。
ほんの少しの事が全体のバランスを崩す。
久々にいや~な感触でした。
このことからも一箇所だけ大きく扱って吹き方が良くなることはやっぱり無いよな~と当たり前ながら考えさせられた4日間でした。

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これも体験に基づいた完全な私感。
そして簡潔に話してみようと思う~でも長いです・笑
詳細な事は専門書にお任せして。
興味の有る方がどこから始めるかの手助けになれば。
かえって迷ってしまったらごめんなさいと言う事で・笑
意識的にかなりアバウトな書き方をします。

バロックトランペットと言うのは本来のナチュラルトランペットにヴェントホールと言う1~4個の間の孔を開けた楽器である。「バロックトランペット」は孔を持たない本来の楽器と孔を持つ楽器を分けて呼ぶ為に作くられた言葉。実はモダン楽器に位置する。ナチュラルトランペットに極めて近いサウンドを持つモダン楽器と言う所か?~孔と言うモダンのアイディアを使っているし、マウスパイプにテーパーが付いてたりオーセンティックでは無い。

何故孔を開けたか?
大きく二つ理由がある。

先ずは音程の修正。もしこの点で孔を開けるなら1個で良いだろう。

ナチュラルトランペットはその名前の様に自然倍音しか演奏不可能。
音階が吹ける8倍音から上の音も現代使われる幾つかの調律法からはずれてしまうし、平均率からはほど遠い。修正が比較的楽にきく音と厄介な音が有り、最初はその修正が難しい音である11と13倍音を修正する孔が1個開かれた。


次に丁度オクターブ高い倍音が出る場所(半分程の長さの場所)に、と、そこから半音低い位置に2つ、合計3つの孔が開けられた。音を確実に吹くためのアイディア。これが3孔式のショートバロックトランペットになる。ただし、まだ孔が使えない音が存在して幾つかの音の確実性は4孔に比べて劣る。

さらに確実性が求められて最初の孔の位置を見直しながら全ての音で殆ど孔が使える様に工夫されたのが4孔式のロングバロックトランペット。この楽器は8倍音から上は半音階が孔のおかげで比較的楽に殆ど正確に吹ける。

孔はロータリートランペットの High C キーと同じ理屈。
この辺りの説明も割愛~基本的には孔を開けた場所の長さになったのと同じ効果が有るとだけ説明を入れておきます。

さて、ナチュラルトランペットやバロックトランペットに興味を持たれた方が何から始めるか?

結論は何処からでも良いのでは?となってしまう・笑
ただし、楽しい、若しくは必要な事(演奏活動の上などで)と思えるとこらから始めるのが良いと思う。人によって違う。
ピリオドオケやソロでピッコロの代わりに自由にバロック音楽を吹きたいのか、モダンオケで古典等を中心に使いたいのか、それともオーセンティックなスタイルを極めたいのか。ナチュラルトランペットで楽器の本質を感じ取ると言う選択も有ると思う。


さて、楽器だけでなくマウスピースも違う。(色んな選択肢が有る)

大まかに分けて、

☆モダン楽器のマウスピースを使う人。(レシーバをモダン用にしたりアダプター使用)
1、ピッコロ用で吹く人。
2、普通のラッパサイズの人
☆バロックマウスピースを使う人
3、大きさとリムはモダンで下の部分はバロックマウスピースの人
4、大きさだけモダンサイズでリムとカップ、バックボアはバロックマウスピースの人
5、オーセンティック(バロックマウスピース)な大きさとカップ、ボックボアの人

1から5にかけて音は本来の響きに向かう。豊かになると言って差し支えないと思う。
古楽器のオケで吹くには5から1に向けてより響きが突出しない為に繊細なコントロールが求められてしまう(時にはコントロール出来なくて全体を壊す)ので個人的にハイトーンが出易いからと言う理由で1はお勧めしない。バロックに必要なサウンドのハイトーンは5でも可能。(耐久力は少し大変だが。。。)

リムはバロックマウスピースの基本は平。フラットリム。モダンから比べると真っ平らで鋭角なエッジに感じる(実際は少しカーブが有ったり手が加わっている場合が殆どだがモダンからするとその差は◯と□くらい目で見て明白)
ここに馴れられるかが一つの分かれ道。
実は私自身は長い間3であった。モダンリムのバロックマウスピース。
ただし、これは古楽器オケの中では音のニュアンスやアーテキュレーションでかなり気を遣うし持替えが難しく感じた。あるマウスピースに出会って4に変更。
孔無し状態~ナチュラルトランペット状態では5を使う。

ここで、フラットリムにどうしても馴れなかった自分の事を言うと、きっと本当に良いバランスのフラットリムのマウスピースには出会ってなかったのだと思う。日本国内で数本を試して選べる事は先ず無い。海外や輸入元に注文して送られてくる物を使う事となる。
実はリム形状の感触は形状その物だけで決まる訳では無い。全体のバランスで印象は変わる。多少違和感が有ってもバランスの良い・良いマウスピースならその違和感は短時間で消えるし慣れてしまう。
何時も使っているマウスピースが唇のコンディションで当て難かったりしませんか?でも暫く吹いていいくと違和感が消えたり。そう言う事が起こりうる。
フラットリムは極端に平らなのでコントロ-ルを含めてその辺りの違和感を感じ易いと思う。特に僕の様に歯並びの悪い人には影響が大きいと感じている。
でも、あるマウスピースに出会ってから一日で感触は変わった。

フラットなリムの方が音のニュアンス、アーテキュレーションがコントロ-ルし易やすく、結果的に持替えも楽と言うのが現在の感触。今年の1月2日迄はモダンリムの方が良かったのが不思議。


では、どのシステムの楽器から入ろう?

僕はモダンマウスピースで4孔の楽器が始まりだった。5年程吹いた。
ある時、急にEggerと言うメーカーの楽器が欲しくなった。殆ど衝動的。
そこでシステムを変えた。

自分の好きなサウンドの演奏家の殆どが3孔を使いそのメーカーだったと言う理由が大きい。また、4孔は指孔の位置が遠くて身体の負担が大きかったのも理由の一つ。(現在はその点を考え改良した楽器も有る様だ)
両方吹いた人間からすると、4孔の方が安全・笑 音が外れ難い~孔が多いので当たり前だが。モダンオーケストラの中で使ってみたい方にはその点でこちらの方がお薦めかも知れない。

現在は違うタイプの楽器も増えているのでこれは当時の印象からの私感だが、初めに使っていた楽器よりそのメーカーの3孔の方がナチュラルトランペットに近い音とコントロールだと感じている。そして孔の開き方(位置や影響する倍音等)からバロックでのハイトーンの速い動きはこちらの方が動き易く感じる。指孔の位置も近くて楽。

モダンマウスピースで吹きたい方には4孔をお勧めする。
4孔はイギリスで発達してモダンマウスピースを前提に作ってある楽器も多い様に感じる。これはメーカーに因ってかなり違うので一概には言えないものの、バランスやコントロールがしやすいと感じる。何故か3孔をモダンマウスピースで吹くと良さが出ない気がする。


バロックマウスピース。

普段使って居る内径の辺りのフラットリムで中庸の深さのマウスピースから試すのが良いと思う。どうしても馴れなければリムをモダン形状に。暫くして楽器に慣れたらフラットリムにも慣れるかもしれない。実はモダンマウスピースは個人的にはお勧めしない。音の点から。カップやカップからスロートに入る部分の形状から息のスピードが上がり強い音になってしまう。時には楽器の限界を超える可能性が有るので。特に3孔の楽器には相性が良く無いと思う。

ナチュラルトランペットを吹く場合は第二倍音のヘ音記号のドがちゃんと響くマウスピースを選ぶのが良いと思う。たぶんモダンより一回りか二回り大きな物になる。
内径が18mm前後~20mm。ただし、音が曇る様ならそれはその大きさの口径が未だ巧くコントロール出来る状態では無いと言う事。例えハイトーンが出ても曇っていたらそれは唇で捉えた音で響かず本来のナチュラルトランペットのサウンドを出せてないと思う。大きくても鐘を叩いた様なクリアーで豊かなサウンドがするはず。大きさ、音域をコントロールできる所から始めないと後々上手く行かないと思う。また、舌の位置や息のスピードで音高を変えようとしてもは基本的に徒労に終わる。修正が必要な音に対しては障害になるだけだと思う。


孔が有る楽器でも孔を塞いで練習する事は全てに置いて有益だと思う。
孔を塞いでコントロール出来る力で孔を使っても演奏する。もちろん孔が開いた時はそれを補うエネルギーが必要だが孔に頼り切ってしまうとこの楽器の良さは消えてしまうと思う。


書いてみたけど、これって参考になるのだろうか?笑



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これも自分の体感覚で。
先ずお腹には息は入らない。
いわゆる腹式呼吸には四半世紀以上前に別れを告げた。お腹は大して膨らま無い、どちらかと云うと内側に引き寄せられる。


それまではお腹を膨らませる、お腹には力を入れる、息を下ろす、など様々な事を試したが問題は何も解決しなかった。
でも、時々凄く良い感覚で音が響いて楽に吹ける事が有った。ピッコロなどのハイトーンでは特に支えなんて考えなくて音を感じて感覚だけで吹いている時の方がずっと自由で周りの反応も良かった。

ある時から息を下ろす、お腹に息をでなくて肺に息が自然に~普段の呼吸の延長として入り、どちらかと云うと肺が浮かぶ感覚に切り替えた。
自身の中ではそれまでの感覚とは正反対で下ろす、腹にでは無く、上げる、胸にと変わった。

そして息のスピードは年を追うごとにゆっくりとゆったりと流れる様になった。
もちろん、急には安定しない。呼吸の問題だけで無く他の意識も演奏には影響する。

さて、呼吸を考えると身体の使い方、姿勢に自然と意識が行く。

自身の自然な感じは、思い切ってふらふらしない様に爪先立ちしてバランスを整えて静止、その後ストンとかかとを落とした状態。自分の場合は周りから見ると少し胸を張った様な反った感じに見えるらしいが反る緊張を身体にはかけて居ない。これをもうひとつ緩めてしまうと、だいたい下のドからハイベー辺りまでは吹けるがロートーンを本当に響く音で吹く時、ハイトーンが続くフレーズを吹く時、音域が短時間に切り替わる曲ではアンブシュアに負担がかかり過ぎて上手くいかない。

中学生の時から20代前半まで朝夕に50回づつの腕立て伏せを課してたので、胸の筋肉や背筋がある程度有りそれが少し反って見える姿勢を作るのかもしれ無い。また、小学生の時に1日100回から始めた縄跳びが大学はいる前までに1000回に達してそれも全身の筋肉を作って居たと思う。

ハイトーンなどで使うエネルギーを保つのに背筋とお腹周りの全体のキープする力は役に立つとは思う。ただし、これらは結果的に使われる様になら無いといけない。ただ力を入れても何の役にも立たないどころか身体全体を硬直させてしまい悪影響になる。

鍛えれば上手く行くと言う話では無くて、身体の使い方を知るのに運動は役に立ったと思う。

上に書いた、反って見える状態から力を抜くと背筋がさぼり、肺は下に落ちる。浮かばなくなる。すると負担が一気に唇に来て音の響きも奪う。

全ては音に現れる。

沢山吸い過ぎる必要も無く、常に使い切るエクササイズもあまり賛同は出来無い。音楽的なサウンドを意識して音楽の中で呼吸が自然になる様にすればその人にとって良いバランスは自然に形成される筈だと思う。これはレッスンの中で証明済みで、下手に身体の使い方に触れるよりイメージや音を聴くこと、歌声で歌う事を意識すると身体は良いバランスを作り出して呼吸も自然に大きくなり流れ始める。
見た目は人により変わるだろう。骨格が違うし、筋肉のつき方も違う。ラッパの構える角度が皆違うのと同じだと考える。

呼吸にも時間を感じる事は大事。
特に吸ってから吐く時に時間が止まらずスムーズに流れている様に。息の流れはそのまま音の響きに伝わる。

昔、よく聞いた、例えば八拍間、羊羹の様に真っ直ぐって言うロングトーンは不自然で一理も無いと思う。
前にも書いたけど、西洋音楽において音は減衰するのが基本。そして、音を真っ直ぐ=息を一定にでは無い。
ピアノの音や教会の鐘の音をどう感じるかがとても役に立つと思う。

また、息がたっぷりと流れて居る感覚は大事だが実際には思うほどには息を吐いてい無い。
例えばフルブレスをしてし瞬間的に一番息を使う事は?

溜息。

でもそれでは楽器は吹けないのは明白。
要はブレスコントロールは一度に息が外へ流れない様に息が出て行くのをコントロールしているだけ。その時に息の流れを自然にキープすることが「支え」と呼ばれていることだと思う。
ハイトーンでは少ない息を速く、細い息を速く、圧力のある息を速く、、、実は物理的に速いと言うことは息の量も多いしそんな息では音を長く延ばすこと無理だと思う。時間が存在しなければ有るけど…

息はそんなに沢山速くは使ってない方が楽になる。ハイトーンも。

ただ、ここが大事なところで、音がちゃんと響く身体やアンブシュアのバランスを持って(効率が良い)、上手く息を使えば音が響いて、速い息がたっぷりと流れる様に感じる。
この感じると言うことはとっても大事。しかし、身体やアンブシュアのバランスが出来てなくスムーズに息が流れなくて、唇の振動の効率も悪いところにいくら息を送ろうとしても苦しいだけで、息のロスも多くて結果は芳しくない。
悪循環に陥る事が多いと思う。

全ては出てくるサウンドで判断ができる。
今の自分はそう考える。

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これは理論的な事で無くて自分の経験を。
十代の頃から様々な良いアンブシュアと言われる状態を試して来た。

結論は、ちゃんと唇の心地良い場所にマウスピースが乗っかって、極端に下に下がって居なければ気にする必要は無い。
この時の心地良い場所は良いイメージを伴った自然な呼吸をして居れば身体が自ずと選ぶのも確認済み~慣れとは違うが、これも最初は無理に移動する必要は無いと思う。ケースバイケース。

どんなに良いと言われる事も自らが窮屈に感じる事から答えは導き出せ無くて、音がちゃんと響く状態がその時点での良いアンブシュアだと言う結論。
しかも、必ず時間が流れて息も流れて無いとそれは感じ取れ無いし再現出来無い。鏡を見て呼吸もせずに型造りに時間を費やす事は意味をなさ無いと感じる。少なくとも自分の身体の上では意味を成さなかった。
時間とそれに乗った息、そこから生まれる音、そして何より楽器で歌っているイメージを失ったら全ては機能しない。時間を切り取ってしまったらそこでストップだと思う。


音が動いた時に唇が横に惹かれる様に、巻かれる様に、すぼめられる様に、または、ハードプレス、あらゆる方向に動こうとするかもしれ無いがその時々には必要な動きで有ることが多い。

もちろん、長い目で見れば改善された方が良いことも有るが、それも音と自らの快適な吹き心地を感じていれば自然に良い方向へ向かう。

実際に自らはそうだったし、つい最近まで一番弱いと感じて居た音域も、その身体に任せて音を優先することに対して知識が邪魔して居た事に気がつきその意識を変えるだけで良い方向へ身体が選び始めて居る。
これは40歳前から感じて居た突然来る嫌な不調を和らげる感覚も持ち合わせている。よりニュートラルな状態。

現状は上下の唇は左右にそれぞれ違う方向にずれてるし、全体も少し上よりにずれてる。左右の筋肉も使われ方が違う~歯並びや左右の筋肉の強さの違いなどが原因。
それでも、以前より自由だし、それを故意に直そうとしても無駄だった。この状態でナチュラル用の大きなマウスピースからピッコロの小さな物まで吹ける。

これが自分にとってセンター。

これは毎日少しづつ変化してるかもしれ無い。歯並びだって徐々に変わる。筋肉だって変わる。その時々のバランスを音や吹き心地から感じ取って無いと、加齢による身体の変化についていけなくなるとも思う。
その意味でも見た目の型を最重要視するのは危険かな?と思う。


そして、過度の練習で自らの感覚がよく判らなくなるのは一番やってはならないことだとも思う。




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