別に単なる強弱では無い。
なんのことかと云うと拍のヒエラルキーの話。
例えば四拍子には偉い順から 1,3,2,4 と大事にされる拍の階級が有る。これはロマン派初期以前の音楽では特に大切で1拍目はその小節の中では基本的には一番偉い。時間も長い、音のエネルギーも強い、存在が強い。
三拍子も1拍目が大事な拍。
まあ、後はそれぞれ調べてもらえれば。
ロマン派中期以降もこの原則は音楽の時間の自然な流れを創り出すのに必須な事だと僕は考えて居る。
例え初心者でも、全ての拍を均一にって機械的なアドバイスはしない。言葉を話す様に。文章~フレーズになる様にと話をする。そしてこの原則を常に求める。
若い頃に師からもっと音を捨てなさい、全ての音が聴こえ過ぎると言われた。
誤解を産まない為に付け加えると全てを均一に演奏出来る技術と感覚は必要で有る。でも、実際の音楽でそれをやってしまうと…。
日本語の説明を当てはめると、強拍は強拍。弱泊は弱泊で有るのが大原則。例え弱泊にクレッシェンドが有ったり、次に繋がる音でも弱拍は弱拍。これが理解出来ないと本当に古典やバロックは本来の形にならない。
本当は単に強弱で無くて時間の揺らぎも有るし表情も有る。
スタッカートの点。
あれは元はあれがついた時はその拍のヒエラルキーを無視して全ての音を均一にはっきりと演奏すると言う意味から始まってる。例えば普通に四分音符が4つ並んでいたら本来は強さや時間の使い方、ニュアンスは全部違う筈で、スタッカートがついた時に同じにするって約束だった。
いまはすこし意味合いが違うけど。
でも、やはりこの強拍、弱拍の感覚は物凄く大事でこれが無いと時間が進まないと感じる。
三拍子。
って何?
て、ドイツの師(勝手に呼ばせて頂く(笑))に訊かれた時に僕は言葉に詰まった。どう扱うかは理解していたが言葉が思い浮かばなかった。三拍子はダンスだよって。あー、そうか。日本人にダンスって血は無いよな…と思った。ダンスをするってTanzenて言葉が有るくらい大切な感覚。
その社会の中で大切な事にはそれを表す言葉が出来るそう。言葉が有ると言うことは大切な事であるということ。
アメリカのあるバストロンボーン奏者はこれをリズムのパルスと呼んで居た。上手い表現だよな。
これらはあくまで西洋音楽の上での話。
演歌なんかは弱泊にこぶしが来たりするもんね。でも、クラシカルなものでそこに歌い回しが入ると実はもうバロックからの大きな音楽の流れから逸脱して居ると思うのは行き過ぎた意見だろうか?
少なくても僕の感覚には無い…
なぜこんな話を書くかと云うと、今日のレッスンで生徒と僕の演奏を録音して両方聴き比べた時に、テンポは同じなのになぜ時間の流れ方が違うのか?って質問が有ったから。
メトロノームの音が鳴る点が大事では無くてその間の時間が大事だし、機械的な時間の流れは不自然。この話をあるドイツ人の指揮者とも盛り上がったっけ。
でも、無秩序に有るわけでは無くて、強拍は強拍。弱泊は弱泊。
まあ、強拍を常に同じ強さってのは有り得ないが。。