レッスンを続けて来て。 | HARUのブログ

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ラッパの事、普段の事、色々。

今のレッスンの進め方はインナーゲームの手法を参考に自らの感じるところと一致した事を軸にしている。
初めて生徒という存在が出来たのは28歳位だったと思う。音楽大学では無いが楽器の実技と勉強とを必要するかなり難関だった。それもレッスンを始めたのは一年前。

そう言えば、その頃から時間に縛られ無いレッスンをして居た。出来るまでが基本。

まあ、これが良いとは言えない部分も多いし、一日に何人も出来無い~こちらの消耗が激しいと言う実質的な問題もある。
本当は一言でイメージを受け渡せる様なレッスンが一番だと思う。ただし、それは受け手の準備~心、知識、技術、そして何より感覚が開いて居ることが前提となってしまうが。。



当時からつい最近までどうすればその人にとって自然な状態になれるか?と云う方法を軸にして居た。

最初の生徒は感覚やイメージがはっきりと有って方法だけが掴めて無かった。だから、僕自身が感じてる奏法の感覚を言葉にしながら吹いてみせて真似して自らのものにするのに時間はかからなかった。音域こそ大きくは伸びなかったもののとても綺麗なサウンドになり見事に合格。
大学入学後も時々アドバイスをして居たのだけど、東京を去ってしまったので縁遠くなってしまった。
彼女とは、偶然、御主人の転勤で今住んでいる所で再会し、短い間だがレッスンを再開していた~家庭の事情とお子さんが出来たことでまた離れてしまったが…

受験の頃は 2~3時間のレッスンの後、外でこっそり僕がさらってるのを聴いて帰るほど気持ちを持った子だった。だからこそ上手く行ったんだろう。


それからは何人もの人に色んなアドバイスを繰り返して来た事になる。

その中で「こういう方法で」「ここを意識して」… 生徒の音と様子を注意深く観察して自らの身体の上に移して感じとり問題点を指摘して修正する。

これで、レッスンの中では上手く行く。

だが、上手く行って次に繋がる人と次に戻ってしまう人に分かれる。


もっと上手く伝える方法は?
ずっと考えて来た。
現在のそれぞれの細かなアプローチはこれまでにも書いて来てるので割愛。

数年前に違う観点からインナーゲームの音楽家版を読んだ。
あ~、そう言うことだよな…。
自分にとってはもうこれだけで必要十分な書だった。もちろん、全ての体現出来て居るとは言え無いがなぜそうなのかは解る。


本の中に「知覚する」と言うことが出て来る。実はここが一番伝えるのが難しいところ。伝わる相手には一瞬でと云うか言葉にする必要も無い。

でも、その知覚になかなか辿り着け無い場合が出て来る。何が違うのか何が起こって居るのかを知覚するのに、目に見えない、視覚で感じ取れ無い事なので、普段の生活の中では使わない精度の聴感覚を開いてもらう必要がある。

聴いてるつもりでもフィルターがかかって居たり、知識や常識が邪魔をしてニュートラルに聴こえて居ない。

ここを指摘するのにはお互いの信頼関係が居ることが有るし、タイミング、言葉の選び方も大事になる。気をつけても誤解を生む場合が有るのが難しい。

知覚することによって何が上手く行って無いか自然と感じ取れ、感じ取ると身体は求める方向に自然と動き出す。
ただし、待って居るメンタリティでは駄目で手に入れたいその音や状態を耳で積極的に求め無いと身体は動いてくれ無い。

そうすると今までに無い感覚と共に響いたサウンドが急に生まれる事が有る。実はそれがその人の本来持って居るサウンドでそこからが本当のスタートになる。


ても、奏法だけに拘ったレッスンてあんまり上手くいか無いし、時に無意味?って思う。音楽する為の手段なんだよね。

本当に音楽的なものを強く持ち合わせていたら奏法なんて考えなくても良いのではないかとも思う。
まあ、出来無いからずっと探求して来たんだけど。

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