今週はマルコ11章を読んでいます。ここにはキリストのエルサレム入城と宮清めが描かれています。イエスはエルサレムに入城する際、ロバ(平和の象徴。ゼカリヤ9:9)に乗って入城しました。人々の上着がある者たちはそれをイエスが通る道に敷き、ない者たちはしゅろの葉を切ってきてそれを道に敷きました。だから、イエスがエルサレムに入城した日曜日を「しゅろの日曜日」(Palm Sunday)と呼びます。

 

人々は熱狂的にイエスを迎えました。
そして彼らは口々に叫びました。

「ホサナ!ホサナ!」(9節、ὡσαννά   הוֹשַׁע־נָא  Hosanna : ‘Save, I pray’ どうか、救ってください

 

イエスが入城した門は「黄金門」(神殿に直通の門)で、
現在は(再び)メシアが到来するまで閉じられています。

 

(僕はエルサレムの神殿の跡地に行ったとき、
黄金門の上からイエスが入城したあたりを
写真に撮ろうとしましたが、
ライフルを持った番兵に止めろと言われて
ビビリました。)

 

時はユダヤ教の最大の祭りの「過越祭」(モーセによる出エジプトを記念し、身代わりの子羊を料理して食べる)の最中で、多くのユダヤ人や異邦人の改宗者が神殿を訪れ、礼拝を奉げようとしていました。外国に住む人々は全財産を投げ出し、巡礼に訪れる人々も少なくありませんでした。

 

当時の神殿は宗教的な差別があって、ユダヤ人男性の庭(礼拝所)、ユダヤ人女性の庭、異邦人の庭に分離されていました。しかし、異邦人の庭では両替所や犠牲の動物を売る店が立ち並び、人々が礼拝できる状態ではありませんでした。外国のお金は汚れているとされて、高い手数料で両替がなされ、献金するためにも暴利が取られ、外の動物も汚れているとされて、何倍も高い犠牲の動物が売られていました。これらの商売人たちは貴族であり、政治家である祭司階級(サドカイ派)と裏で結びついていました。

 

(キリストの十字架の死は
宗教的には全人類の救いのため、
罪の身代わりのためですが、

政治的にはサドカイ派による
彼らの暴利を守るための抹殺でした。)

 

命がけで全財産をかけてやってきた巡礼者たちが
礼拝をする場を奪われ、
あくどい商売で暴利をむさぼられる現場を目のあたりにして 義憤に駆られたイエスは両替人たちの台を倒し、 動物を売る者たちの椅子を倒して彼らを追い出して言いました。

 

「『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』(イザヤ56:7 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」(17節)



 

 博物館の神殿の復元模型

 

 現在の黄金門