■上海の森ビル

 現在の時点で上海で一番高いビルは

森ビルの101階建のビルのようです。

ちなみに地下には日本食レストランがあり、

たこ焼きの銀だこやお寿司、ピザ、焼き鳥などが

食べられます。


 お寿司のネタはすべて築地から仕入れており、

10貫で260元位でした。

銀だこは4個で15元位でした。

1元が14~15円位なので、

日本で食べるのとそんなに変わらず、

食べることができ、味も日本で食べるのと

ほとんど変わりませんでした。


 上海は初めてでしたが、

なかなか奥深いところだと感じました。


上海の森ビル↓

http://swfc-shanghai.com/  

■スター・レーン・ヴィンヤード

 先日買ったワインですが、

一ヶ月待てずに飲みました。

あまりのおいしさにびっくりしてしまいました。


 コルクを抜いたときからいい香りがして、

さっそくグラスにそそいで飲みましたが、

やはり、かたいと言うか、もう少し空気が含んだ方が良いのですが、

それでもおいしいのが分かるワインでした。


 それから少し待って、

ゆっくりと飲んでいると、

どんどん味がふくよかになっていくのが分かりました。

まだまだワインは詳しくないのですが、

確実に良いワインだと思える深い味わいでした。


 もう少しワインセラーで寝せてから飲むと

さらにおいしいのではないかと思いました。

そこで、ワインセラーをもうひとつ購入して、

このワインでいっぱいにしておきたい衝動に駆られましたが、

そこはぐっと我慢して、残りの2本を大事に飲もうと心に決めました。



スター・レーン ヴィンヤード・シラー サンタ・イネズ・バレー 2004年
¥3,864
うきうきワインの玉手箱

■和睦

 秀吉は朝鮮出兵をした後もたびたび

和睦をしようと考えていたのではないかと言われています。

和睦をしようとしていた相手は李氏朝鮮、

ではなく明国のようでした。


 ここで動いていたのが加藤清正だったようで、

加藤清正と明の将軍が和睦交渉を行いました。

この二人はそれぞれに独断で和睦交渉をしようと

考えていたようで、

加藤清正は明が日本に対して恐れをなして和睦の使節団を送ってきた、

と言った体裁にして、秀吉が明を許したと言う位置づけを取りたく、

明の将軍はこの戦乱から早く抜け出したかったこともあり、

明の使節団を日本に送り、明の属国として認めることで、

和睦をするような方向で皇帝を説得する、

と言った二枚舌的な和睦案を練っていたようです。


 その後、明の使節団が日本に来るのですが、

このとき、明の使節団が途中の瀬戸内海を渡っているときに

引き返してしまったようです。

理由の一因としては、当時起こった大震災でガレキと化した

そのあたりの風景を見て引き返したのだ、と言う説もあるようです。


 余談ですが、日本では地震が起こる原因について、

日本列島の下にオオナマズがいて、

そのオオナマズが震えたときに地震が起こる、

と古くから言われていたようです。


 このオオナマズがどう言うときに震えるかと言うと、

政治不安が起きたときのようで、

大きな地震が起こると、

それを転機として政権交代が起こると言われており、

事実、歴史上の大地震の後に政権交代が行われている例が

多くあります。


 それはそれとして、

使節団が引き返したあと、

明の将軍は一連の背任行為の責任を取って、

殺されてしまい、

加藤清正は同じく責任を取らされて、

蟄居謹慎処分になりました。


 しかし、加藤清正の謹慎はすぐに解かれ、

さらに秀吉から褒美として領地を与えられています。

この裏には、秀吉が和睦交渉の糸を引いており、

その使者として信頼の厚い加藤清正が選ばれ、

体裁上、明が日本に和睦を求めてきた形にして、

朝鮮から引き上げたいと考えていたのではないかと

言われております。


 そして、その交渉が失敗に終わったので、

加藤清正に形上の処分を下して、

そのかわりに、領地を加増することで、

労をねぎらったのではないかと考えられております。


■加藤清正

 朝鮮出兵の際に先陣争いをしたのが

加藤清正と小西行長だったと言います。


 その中でも加藤清正の働きがすごかったようですが、

この加藤清正は何やら不思議な動きをしています。

どうも、朝鮮に肩入れするようなことを

行っていた節もあるようです。


 秀吉は2度にわたり朝鮮出兵をしているのですが、

最初に朝鮮出兵をした際には朝鮮に旧式の鉄砲しか無く、

秀吉軍が持っていた鉄砲の威力に敗戦一方でした。

しかし、2度目に朝鮮出兵をした際には

すでに朝鮮軍も新型の鉄砲を所有しておりました。


 さらに、日本では半世紀かけて培った鉄砲戦術も活用していたため、

非常に苦戦したようです。

なぜそのようなことが起こったかと言うと、

どうも、日本から朝鮮軍に降伏した武将がおり、

それが、加藤清正軍の武将だったのではないかと言われています。


 この武将はさらに加藤清正の家老級の人物で、

どうも加藤清正の命を受けて降ったのではないかと

言われているようです。


 この武将はその後の朝鮮でとても高待遇を受け、

明治以降の日韓併合の際に、

その末裔がいたことが分かったそうですので、

かなりの高待遇であったと考えられます。


 これらの行動の裏には加藤清正だけではなく、

秀吉の存在も見え隠れする部分があり、

他のエピソードにそれが表れていそうなものがあります。


 そのあたりの話も次の機会にでもと思います。

この話も軽くながす程度に読んでもらえたらと思います。

■景福宮

 韓国のソウルにある宮殿で、

日本の神社に使用されるような赤をした

宮殿でした。


 韓国に旅行に行った際に見てきたのですが、

その時に案内をしてくれた韓国人の友人が、

半分冗談、半分本気で秀吉の朝鮮出兵の際に

ほとんど壊されたんだ、と言っていました。


 実際には、秀吉軍が入る前に群衆によって

放火と略奪の的にされたと言う記録もあるみたいですが、

直接的には誰が、と言うこともさることながら、

秀吉の朝鮮出兵が原因を作ったのは間違いないようです。


 ちなみに、日本の神社とお寺の両方ともに

鳥居がありますが、

この鳥居の赤い色が、神社とお寺で違いがあります。

神社は明るい派手な感じの赤で

お寺は少し暗い目の地味な感じの赤です。


 京都の清水寺にも鳥居があるのですが、

ここは明るい感じの赤(神社の赤)で鳥居が作られていました。


 なんでかと思っていると、清水寺の中には

地主神社と言う神社があり、

この神社の方が、清水寺よりも前の時代に建てられており、

また、格式が高い神社であることから、

鳥居には神社の赤が使用されているとのことでした。


 それはそれとして、

秀吉は朝鮮に出兵していますが、

この行為に対して、秀吉がボケていたとか、

もうろくしていたと言った説もありますが、

そうでもなさそうなエピソードがあるようです。


 それもいろいろな説があるとは思いますが、

次の機会に紹介したいと思います。

■ラム肉

 ラムは子羊の肉のことで、

大人の羊の肉はマトンと言うみたいです。

ラムは生後1年未満、マトンは生後2年以上の

羊肉を言うみたいです。


 1年以上2年未満は日本ではマトンと呼ぶようですが、

他の地域ではホゲットと呼ぶようです。


 北海道や中国ではラム肉をしゃぶしゃぶにして食べるのですが、

本日は、近所のお肉屋さんでラム肉を購入して、

ラムしゃぶを食べました。


 私は結構好きな料理のひとつなのですが、

やはり、クセがあるので、嫌いな人もいるようです。


 ラムと言えばジンギスカンなどもよいですが、

ラムしゃぶもお勧めです。


 ジンギスカンと言えば、

北海道以外ではあまり見ないのですが、

ベル食品の「ジンたれ(成吉思汗たれ)」をつけて食べると、

とてもおいしく召し上がれると思っています。

冷凍スライス特上ラム肉
¥1,000

■カリフォルニアの赤ワイン

 最近ワインセラーに入れておくワインが欲しいと思い、

3本購入しました。

同じカリフォルニアワインのオーパスワンと並んで称されていました。

オーパスワンは2~4万円位するのにたいして、4000円程度と

値段もお手頃だったので購入することにしました。

紹介ページ↓

http://store.shopping.yahoo.co.jp/wineuki/1600001000567.html


 今日届いたので、早速飲もうと思ったのですが、

移動させたワインは一ヶ月くらい休ませるとのことだったので、

とりあえずボトルを拭いてワインセラーに入れました。


 一ヶ月後に飲むのを楽しみにして、

今日は飲むのを断念しました。


■洪武帝

 中国の王朝の一つで、明の初代皇帝です。

中国の歴史の中でも、庶民度No1だと思います。

中国王朝では低い身分から皇帝になった人は

漢の劉邦と明の洪武帝しかいないみたいです。


 劉邦は下級役人でしたが、洪武帝は極貧の農民の出のようで、

明の皇帝になったときに、自分の親を呼び寄せようとして

捜したのですが、あまりにも貧乏であったため、

奴隷として売られてしまい、行方が分からなかったそうです。


 さすがの劉邦でもそこまでではなかったので、

洪武帝が中国の歴史が始まって以来の立志伝だったようです。


 日本でも、立志伝で一番最初に上がる人物が

豊臣秀吉だと思います。

秀吉と洪武帝にはいろいろな共通点があります。

 ・生まれる際に母親が夢に見る

  秀吉は日の光が体に

  洪武帝は仙人に赤い玉を授かる

 ・農民出身

 ・検地をおこなう

農民出身の秀吉が自分の格を上げるために、

当時、強大な国であった明の初代皇帝になぞらえたのが、

出生に関する部分かと思いました。


 他にも、秀吉を猿と呼ぶことに関しても

山王信仰が猿を神使としていることを

モチーフに自身の神格化をしているのかとも

思われます。

■伊賀上野城

 三重県の伊賀市にある城です。

個人的には非常に好きな城で、

堀と石垣の造りがとても壮大で、

さすが藤堂高虎が築城しただけのことはあると

思いました。


 この城は大阪冬の陣の際に、

大阪城の包囲網の一環として築城された城ですが、

途中で嵐が来て城が崩れてしまったため、

建て直していたところ、大阪夏の陣で豊臣氏が滅びてしまったため、

遂に建築されることのなかった城です。


 それを、大正時代位に地元の議員が寄付を集めて

城を建てたものが今のものみたいです。


 城の周りがとても壮大であることも

さることながら、寄付を募った際の出資者がまた、

すごいです。


 城の最上階に行くと、出資した人たちの名前が書かれているのですが、

近衛文麿、細川某、・・・(某ですみません、、)

とあります。


 近衛文麿は細川護煕元首相のおじいさんで、

おそらく細川某は細川元首相のおじいさんだろうと思い、

このあたりからも二人が親密だったのかと想像して、

その時代の風が現代にも流れているのかなどと、

ガラにもなく感慨にふけってしまいました。


 それはさておき、

伊賀市は忍者の里でも有名ですし、

伊賀牛と言うおいしい肉もありますので、

是非一度訪れてみても楽しいのではないかと思いました。

■惣無事令

 秀吉が天下を統一したのはいつなのかと思い、

少し調べていたのですが、

関東惣無事令を出した時点で天下統一とするものと、

北条氏を討伐した時点で天下統一とするものがあるようでした。


 惣無事令とは何かと言うところなのですが、

簡単に言うとすべて無事に過ごすようにとの御触れです。

無事とは何かと考えると、無事の反対を考えると、

無事の反対は有事です。

有事と言う言葉は今でも戦争のことを指して、

有事に備えて石油を備蓄する、などと表現をしたりしています。

つまり、無事は戦争禁止の意味で、

関東のすべての戦争を禁止します。

と言う御触れです。



 この御触れにそむいたのが北条氏で、

その関東惣無事令違反で討伐されたみたいです。

ときの権力者であった秀吉に従わない大名を討伐するための

大義名分を手に入れたかったと言うこともあるのでしょうが、

この時代の人々は戦国の世が長く続いたためか、

非常に平和志向の人が多く出てきた時代のようにも感じます。



 のちに関ヶ原の合戦での吉川広家の行動も、

小早川隆景の平和主義思想を引き継いでいるとも言われています。

その辺の話も、諸説あると思いますが、

またの機会にでもと思います。