■和睦
秀吉は朝鮮出兵をした後もたびたび
和睦をしようと考えていたのではないかと言われています。
和睦をしようとしていた相手は李氏朝鮮、
ではなく明国のようでした。
ここで動いていたのが加藤清正だったようで、
加藤清正と明の将軍が和睦交渉を行いました。
この二人はそれぞれに独断で和睦交渉をしようと
考えていたようで、
加藤清正は明が日本に対して恐れをなして和睦の使節団を送ってきた、
と言った体裁にして、秀吉が明を許したと言う位置づけを取りたく、
明の将軍はこの戦乱から早く抜け出したかったこともあり、
明の使節団を日本に送り、明の属国として認めることで、
和睦をするような方向で皇帝を説得する、
と言った二枚舌的な和睦案を練っていたようです。
その後、明の使節団が日本に来るのですが、
このとき、明の使節団が途中の瀬戸内海を渡っているときに
引き返してしまったようです。
理由の一因としては、当時起こった大震災でガレキと化した
そのあたりの風景を見て引き返したのだ、と言う説もあるようです。
余談ですが、日本では地震が起こる原因について、
日本列島の下にオオナマズがいて、
そのオオナマズが震えたときに地震が起こる、
と古くから言われていたようです。
このオオナマズがどう言うときに震えるかと言うと、
政治不安が起きたときのようで、
大きな地震が起こると、
それを転機として政権交代が起こると言われており、
事実、歴史上の大地震の後に政権交代が行われている例が
多くあります。
それはそれとして、
使節団が引き返したあと、
明の将軍は一連の背任行為の責任を取って、
殺されてしまい、
加藤清正は同じく責任を取らされて、
蟄居謹慎処分になりました。
しかし、加藤清正の謹慎はすぐに解かれ、
さらに秀吉から褒美として領地を与えられています。
この裏には、秀吉が和睦交渉の糸を引いており、
その使者として信頼の厚い加藤清正が選ばれ、
体裁上、明が日本に和睦を求めてきた形にして、
朝鮮から引き上げたいと考えていたのではないかと
言われております。
そして、その交渉が失敗に終わったので、
加藤清正に形上の処分を下して、
そのかわりに、領地を加増することで、
労をねぎらったのではないかと考えられております。