■ 何も無いのに湧いてくる

 

いつの間にか、毎週水曜更新になってしまってるこのブログですが。

水曜更新にしよう!と決めたことはないです。

気が付いたらそういうリズムになっていただけです。

 

ほとんどの場合、月曜日に一気に9割ほど書いて、火曜日に仕上げるという流れです。

火曜日に記事を書き終わったら、いつもこう思う。

 

「もうこれ以上何も書くことはない、来週は休もう!」

 

毎週ブログを書き終わるたびに、ほんとに頭がからっぽになる。

「もうネタがないから、このブログ自体をやめよう」

とすら思ってる。

 

にもかかわらず、毎週毎週がっつり書けてるからおかしなもんだと、自分で思います。

 

 人の一歩一歩を定めるのは主である。

 人は自らの道について何を理解していようか。

 

 ――旧約聖書 『箴言』 20章24節

 

私は自分で自分の道がわからない。
1週間後の自分が何を書いていのるかさっぱり見当がつかない。

それでOK。

私は知らなくても、神様はご存知だから。

 

Carpe diem(カルペ・ディエム、今日の花を摘め)

その都度、いちばん心ひかれる選択をすればいいんだなって思います。

 (参考) 今を生きる … メメント・モリ(死を想え)よりも、カルペ・ディエム(今日の花を摘め)

 

実は今週こそは、もうほんとうに何も書きたいことがないから、

「今回はネタがないので休みます」と書き始めました。

 

でも、「ネタがありません」と書き始めると、

ネタがないというテーマについて、いろんなものが出てきました。

毎週そんなもんです。

 

 

【今回のもくじ】

 

・ 何も無いのに湧いてくる

・ アウトプットは排泄行為

・ わからないなら、わからないままでいい

・ 神は完全、人間は不完全

・ 感動した分だけあふれだす

 

 

■ アウトプットは排泄行為

 

発展途上国で医療活動を続けておられる吉岡秀人さんの著書に、

「アウトプットは排泄行為だから気持ちいい」とありました。

 

排泄行為って、お医者さんらしい表現ですね。

実際、自分の内にたまったものは、外に出さないと気持ち悪いのは事実ですね。

私が毎週ブログを書くのも排泄行為なんですね。

 

火曜日 ブログを書きおわってアタマがからっぽになる。

土曜日 うっすら何かが思い浮かんでくる気がする。

日曜日 その何かを言葉に変換する作業が脳内で勝手に始まる。止められない。

月曜日 それで頭がいっぱいになって気持ち悪いから文章にして吐き出す。

火曜日 その文章を第三者にもわかる体裁に整えて完成。→アタマがからっぽになる。

 

私はだいたいこういうサイクルです。

週一の排泄ペースだから、ナマケモノと同じですね。

 (参考) すべてのことには時がある … 神はナマケモノの時間基準を良しとされた

 

 

吉岡秀人さんの言葉をもう少し引用してみます。

 

 感性を研ぎ澄ませて、心の振動に耳を澄ませるといい。

 少しでも心が震えたら動き出す。

 理性を差し挟んではいけない。

 知識も経験も、お金もエネルギーも、ため込むだけでは世界は変わらない。

 いま抱えているすべてを吐き出してこそ、自分を変えることができる。

 「排泄の快感」は、人間の大切な本能である。

 

 ――吉岡秀人 『救う力 人のために、自分のために、いまあなたができること』

 

 

世のために、人のために!

と気張り始めると、かえって便秘になってしまいそうですね。

「イイコトしなくちゃ」という強迫観念で自分がつぶれてしまいそうだ。

 

自分の内に無いものを不自然にひねり出すんじゃなくて、

内にたまって溢れそうだから出さずにはいられない、行動せずにはいられない。

それが自然な排泄。

 

イエスが大声で語った招きの言葉も、

ナチュラルな排泄に通じるものがあると思います。

 

 

 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、

 イエスは立ち上がって大声で言われた

 

 「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、

 その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

 

 イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。

 

 ――新約聖書 『ヨハネによる福音書』 7章37-39節

 

 

イエスは聖霊の働きを自分の内だけにとどめることができなかったから、

大声でアウトプットせずにいられなかったんですね。

聖霊の言葉があふれて流れ出したんですね。

 

旧約聖書の預言者エレミヤも、

世の迫害に遭うのがわかってるのに、

それでも主の言葉をアウトプットせずにはいられない辛さを吐露しています。

 

 

 主の名を口にすまい

 もうその名によって語るまい、と思っても

 主の言葉は、わたしの心の中

 骨の中に閉じ込められて

 火のように燃え上がります。

 押さえつけておこうとして

 わたしは疲れ果てました。

 わたしの負けです。

 

 ――旧約聖書 『エレミヤ書』 20章9節

 

 

イエスは聖霊を「水」にたとえましたが、エレミヤは「火」にたとえてますね。

水があふれる、火のように燃えあがる……とにかく自分ではそれを抑えられない。
 

「わたしの負けです」ってのは、神にサレンダー(降伏)するって意味です。

神への愛を告白する言葉として、これ以上にカッコイイ表現はないなと思います。

 

ちなみに聖書の「風、水、火」はいずれも聖霊のシンボルです。

「土」は人間、霊的に空虚な器のシンボルです。

土でつくられた人間に「神の息」が吹きこまれて初めて霊的な命を得る。

 (参考) 人間の身体は聖霊の宮 … 土の器に命の息を宿す者、神と共にある生き方、人間生活の基礎

 

 

■ わからないなら、わからないままでいい

 

私はブログ更新のための更新はしたくないから、

ネタがないなら無理に書かないと決めてます。

 

てきとうに聖書ネタをひねり出してブログ書くことはできますよ。

でも、そこまでして書く意味がない。

 

それに、無理にひねり出したことを書いてもね、
「無理して書きました」っていう不自然さしか伝わらない気がする。

 

実はこのブログテーマ「神と聖書と日ユ同祖論」は、

私の中では10週打ち切りの予定でした。

日ユ同祖論ネタとからめた聖書記事を

10本ぐらい書ければ上出来ぐらいに思ってた。

それ以上書きようがないとも思ってた。

 

でも今回で神と聖書のテーマ記事は96本目……

当初書くつもりだった日ユ同祖論ネタはほとんど出番がなく。

ぜんぜん私の計画通りになってないですね。

 

 人の心には多くの計らいがある。

 主の御旨のみが実現する。

 

 ――旧約聖書 『箴言』 19章21節

 

 

インシャーアッラー(神の御心のままに)。

たいへん結構なことです。

 
預言者エレミヤも言ってる。
 
 主よ、わたしは知っています。
 人はその道を定めえず
 歩みながら、足取りを確かめることもできません。
 
 ――旧約聖書 『エレミヤ書』 10章23節
 
 
「私はこの道を行く!」
って計画や目標をもってはダメって意味じゃないです。
最初の一歩をふみだすきっかけとして、目標のを持つのは大事なことです。
ただ、自分の目標に執着するのがNGなんです。
 
 
 
Aに向かう道の途中でBに導かれたら、Bに進路変更する。
私はそういうことの繰り返しです。
だから事前の計画、予測というのは、ほとんど役に立たない。
 
私はぜったいAをする!と思ってても、諸事情でおじゃんになることがある。
何も書くことがないと思ってても、ちょっとの刺激でいろんなものが出てくる。
私は自分で自分がどうなるか、わからない。
 
以前は「わからない」という状態が気持ち悪いから、実用ルーン占いをしていましたが、
今は「わからないなら、わからないままでもいいや」と、思えるようになりました。
 
 
■ 神は完全、人間は不完全
 
「一寸先は闇だけど、神様が先導してくれるから特に問題ない」
 
という事実を実感していくうちに、
占い、スピリチュアル事、自己実現メソッドなどは自然と不要になります。
神が占術を禁止してるからやめるんじゃなくて、自然に興味が失せていきます。
 
にもかかわらず、私がいまもルーン占い解説書の販売を続けているのは、
廃版後に中古本が高値で売買されたらムカつくから(笑)……ではなくて。
実用ルーン占いが「シンボル読解」のよき訓練になるからです。
シンボル読解の基本は「自分の頭で考える、霊能力より連想力」です。
マニュアル思考の人(原理主義者)は、実用ルーン占いもシンボル読解もできません。
 
ルーン魔女KAZのホームページでも説明していますが、
実用ルーン占いで鍛えたシンボル読解スキルがあれば、
もはやルーン文字にこだわる必要はない。
自分をとりまくすべての事象をシンボル的に理解できるようになる。
それらを通して神様からの語りかけを聞くことができる。
聖書を神の言葉として消化吸収することも容易になります。
少なくとも私にはそうでした。
 
だから今ルーン占いに興味がある人、すでに実占している人には、
むしろ実用ルーン占いをがっつりやってほしいです。
そして占いの限界の壁に早くぶつかってほしいです。
 
占いをはじめとした人間テクニックの限界は、
使徒パウロが言ってる通りだと思います。
 
 
 預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
 
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう
 
 ――新約聖書 『コリントの信徒への手紙 一』 13章8-10節
 
 
「占いでわかるのは所詮この程度の範囲まで……
 これ以上は神の領域だ、結局すべては神の御心次第なんだ」
 
という事実を全面的に受けいれるしかないところまで来たら、選択肢は二つです。
 
(1) 完全なる神に降参して、占いワールドの外へ出る。
 
(2) 完全なる神に背を向けて、占いワールドの上級国民であり続ける。

 

どちらを選ぶかは、各人の自由意志に委ねられています。

 

魂の満足と平安を得たいなら(1)を。

世間的な成功を得たいなら(2)を。

(↑人気占い師、稼げる占い師になりたい等)

 (参考)ベツレヘムの星事件 … 紀元前(Before Christ)から、神と共にある新時代へ

 

私は(1)神に降参して占いを手放した者として、

占いをやめた後、どんなふうに神と聖書とつきあっていけばいいのかという

生きたサンプル、実際の試行錯誤過程を、このブログで書いています。

それが実用ルーン占いのやり方を発信した私の責務でもあるかなと思ってます。

 

とはいえ、私自身が生き方を模索中、ゴールも何も見えてない状態ですから、

間違ったこともたくさん言ってると思います。

しかし不様な途中過程でも、他者の参考になる部分はあるだろうと思ってます。

 

しかし神様は、私の思惑とはまったく別の意図をお持ちかもしれません。

私にはわかりません。

まあその都度、神様の前で最善だと思う選択をするしかないですね。

お相撲さんと同じです……「一番一番、集中して取るだけです」

すべてはインシャーアッラー(神の御心のままに)。

 

 

 

■ 感動した分だけあふれだす

 

先日、八百屋の店頭で1本100円のサツマイモを物色していた私に、

見知らぬおばちゃんが声をかけてきました。

 

「そのサツマイモなあ、黒いアルミホイルにくるんでトーストしたら、

 20分でほくほくになってめっちゃ美味しいんやで!」

 

 黒いホイル? 銀色のホイルじゃなくて?

 

「銀色ちゃうねん、黒いホイルやねん。

 そこのスーパーで180円で売ってるから使ってみ?

 ずっと品切れやってんけど、こないだ見たら入荷してたわ。

 サツマイモは20分でよう焼けるし、お魚もくるんでグリルで8分で美味しく焼けるわ!」

 

 じゃあ、この大きいサツマイモの場合は、半分か三等分にして黒いホイルにくるむの?

 20分では厳しいような……

 

「いやいや、切らんでええねん。

 黒いホイルやったら大きいイモもそのままでな、10分ごとに裏返すだけでええねん」

 

 わかった、ありがとう。

 黒いホイル試してみるわ。

 

そしておばちゃんは去っていきました。

 

関西のおばちゃんは誰にでも声をかけます。

私は自分から声をかける勇気はないですが、

声をかけられたら、相手と同じテンションで応対することにしてます。

 

私に黒いアルミホイルのすばらしさを熱弁してくれたおばちゃんは、

黒ホイルの便利さに心から感動して、毎日のお料理で活用してるのでしょうね。

「黒ホイルの便利さと感動をみんなに伝えたい!」

という想いがあふれて、サツマイモを物色していた私に声をかけたのでしょう。

 

このおばちゃんの行動こそが、あらゆる伝道の本質だと思います。

まず自分が実際に感動している、感激している、感謝している。

だから心の内から生ける水がどんどこ湧いてきて止まらない。

その感動を他者にも伝えずにはいられない。

 

本人の実感ベースの言葉は、相手の心にもよく響きます。

あのおばちゃんは、私に美味しい焼き芋を食べてほしい一心で、

黒ホイルの使い方を教えてくれたんだと感じました。

商品説明や営業トークではないんです。

 

神の御言葉、イエスキリストの福音を伝えるのも、

黒いアルミホイルの便利さを伝えるのも、

心の原理は同じだと思ってます。

自分の心が震えた分しか伝えられない&相手にも響かないと思います。

 

私は神と聖書の商品説明をしたいわけじゃない。

 

自分のペースで聖書を読んでいくうちに、

生き方、考え方が根本から変わる(間違いに気づく)実感があり、

長年ピンボケしていた神の存在が

日に日にクリアになってきたのが嬉しかった。

 (参考) 神のまにまに … カンナガラ(惟神)とインシャーアッラーの違い。

 

それは占い、スピリチュアリズム、自己啓発メソッド等では不可能なことだと痛感した。

私と同じようなところでいきづまっている人にぜひ知ってほしいと思った。

それで私は自分が実際に痛感した内容を、自分の言葉にしてアウトプットしています。

 

私の聖書解釈は、キリスト業界の模範解釈と異なる部分もたくさんあると思います。

私は正しい聖書解釈を追及していません。

聖書の言葉をとおして神様が私に何を語ってくれているか

私はこの一点にのみ興味がある。

 

私はいま生きておられる主、アルファでありオメガである神ご自身をもっと知りたいです。

私にとって聖書は、神と人が心を通わせるためのツールという位置づけです。

聖書の言葉をとおして神様が私に語ってくれた(と私が信じている)内容を、

私なりに整理しながらこのブログに書いています。

 

とにかく何であれ、私は自分の心で納得したことしか書けないです。

黒いアルミホイルを語ってくれたおばちゃんと同じです。

誰でもそうじゃないかと思います。

 

使徒パウロは、同胞だったユダヤ人から執拗な迫害を受けていました。

それでもパウロがキリスト福音伝道をやめなかったのは、

パウロ自身がイエスに救われた実体験ベースの福音を伝えずにはいられなかったから。

 

 

 もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。

 そうせずにはいられないことだからです。

 福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。

 

 ――新約聖書 『コリントの信徒への手紙 一』 9章16節

 

 

パウロの実感ベースの福音を伝えられるのはパウロだけ。

私の実感ベースの聖書解釈を語れるのは私だけ。

そしてあなたの実感ベースの何かを表現できるのはあなただけです。

健全なやり方でアウトプットしていきましょう。

 

 

今回は何も書くネタがなかったはずのに、

いままででいちばん重要なことを書けた気がします。

アルハムドリッラー(神を称えよ/感謝します)!

 

 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』
 
※イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 
■ 「神と聖書と日ユ同祖論」 記事一覧&リンク →こちら

 

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