【今回のもくじ】


・ どうしてナマケモノは動作が遅いのか?
・ 価値観・時間感覚の多様性
・ 「その時」は人それぞれ
・ 人間の時は「GOD only knows 神のみぞ知る」
・ 怠け者の時間尺度(バイオリズム)
・ 「怠け者」の判定基準は?
・ 「怠け者」と言われ続けた結果
・ ナマケモノはエコロジー体質

 


 

■ どうしてナマケモノは動作が遅いのか?

 

NHKラジオ(AM)で、「夏休み子ども科学電話相談」をやっている。

子ども向け番組とはいえ、大人が聞いても十二分におもしろいし、手ごわい(笑)。

 

たまたま聴いた先日の放送では、4歳のお友だちが、こんな質問をした。

 

「ナマケモノは、どうして 『遅い』 のですか? (´・ω・`)」

 

何故ナマケモノの動作はゆっくりなのか。

そう言われれば、何でやろね。

 

動物センセイの回答に、私は目からウロコが落ちた気がした。

 

ナマケモノは、「動作がゆっくり」というよりは、

身体の仕組みそのものが、すべてにおいてゆっくり」なのだそうだ。

 

内臓の働きもゆっくり、食べ物を消化吸収するのもゆっくり。

オシッコとウンコをするのは週に1回だけ!

 

オシッコが週に1回って、これが人間なら間違いなく病気だけれど、

ナマケモノはもともとそういう時間軸で生きているから、それで正常なのね。

 

電話相談の動物センセイが、

「ナマケモノは、怠け者じゃないんだよ。 ヽ(;´Д`)ノ 」

と、何度か念押ししていたのが印象的だった。

 

ナマケモノが「遅い」というのも、人間の時間尺度で測れば遅いってだけなのね。

ナマケモノにはナマケモノの時間尺度がある。

 

もしナマケモノが本当に怠け者なら、とうに絶滅しているはずだ。

ナマケモノは、ナマケモノに与えられている時間尺度を基準に見たならば、

あれでいきいき活発に生きているのだ。

 

 必ずしも速い者が競争に勝つのではなく、

 強い者が戦いに勝つのでもない。

                          

  ――旧約聖書 『伝道の書/コヘレトの言葉』 9章11節

 

■ 価値観・時間感覚の多様性

 

神は全ての生き物をお造りになった。

その生き物固有の時間尺度(バイオリズム)も造った。

神はそれを良しとされた。

 

 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。

 見よ、それは極めて良かった。

                  

 ――旧約聖書 『創世記』 1章31節

 

神は、各生物の時間尺度を統一しなかった。

ある生き物が寝ている時に、別の生き物が元気よく活動する。

ある生き物は数日で寿命をむかえ、ある生き物は百年以上も生きる。

 
同じ人間どうしですら、時間感覚の個体差はけっこう大きい。
朝型の人と、夜型の人がいる。

生まれながらのせっかちさんと、のんびり屋さんがいる。

 

時計で計測できるクロノス時間とは別に、

精神的に知覚するカイロス時間というものもある。

楽しくてあっという間の1時間と、苦しみが永遠に続くかのような1時間がある。

 

 何事にも時があり

 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

 

 生まれる時、死ぬ時

 植える時、植えたものを抜く時

 殺す時、癒す時

 破壊する時、建てる時

 泣く時、笑う時

 嘆く時、踊る時

 石を放つ時、石を集める時

 抱擁の時、抱擁を遠ざける時

 求める時、失う時

 保つ時、手放す時

 裂く時、縫う時

 沈黙する時、語る時

 愛する時、憎む時

 戦いの時、平和の時      

 

 ――『伝道の書/コヘレトの言葉』 3章1-8節

 

ともかく神は、「みんな一緒」「みんな同じ」という同一規格を求めていないことはたしかだ。

神は人間に個性を与えた。

神は価値観の多様性だけでなく、時間感覚の多様性も良しとされている。

人間を同一規格のロボットとしては造らなかった。

 (参考) 「私はロボットではありません」 … 神は人間に個性と自由意志を与えた。

 

神は全体主義がお嫌いだ。

神がバベルの塔を破壊して、人間の言語を混乱(バラル)させたのも、

人間世界が危険な全体主義に傾くのを防ぐためかもしれない。

 

 全地は同じ発音、同じ言葉であった。

 ……彼らはまた言った。

 「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。

 そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」

                             

 ――『創世記』 11章1、4節

 

「全地は同じ発音、同じ言葉」の危険性は、世界史を見ればわかる。

 

強大な支配国が、被支配国の独自言語使用を禁止・廃止する。

一つの言語、一つの文化、一つの思想、一つのやり方、一人の独裁者……

統一の流れに逆らう少数民族などは、逮捕&行方不明になる。

 

神はそのような独裁国家を認めない。

 

 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔を見て、言われた、

 

 「民は一つで、みな同じ言葉である。

 彼らはすでにこの事をしはじめた。

 彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。

 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し(バラル)、

 互に言葉が通じないようにしよう」。

 

 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、

 彼らは町を建てるのをやめた。

 これによってその町はバベルと呼ばれた。    

 

  ――『創世記』 11章5-9節


思想の多様性を認めない、単一の基準しかもたない国家・集団は不健全なのだ。

そうした集団に対して、神はしばらく様子を見、

正しい方向へ舵を切るようにと何度も警告しているはずだが、

それでも聞かない場合は、神が手を下して国を解体することもある。


ソビエト連邦は崩壊した。

大日本帝国の大東亜共栄圏は潰えた。

ヨーロッパ諸国が植民地化した中東・アフリカ諸国は独立した。

(そろそろ中国も危険水域か……?)

 

次のバベルはどこだろう?

国家指導者のポスターの大きさと独裁度は、正比例するという法則がある。

大統領のでっかい肖像看板が町中にかかげられている国は要注意……

 

■ 「その時」は人それぞれ

 

アリとキリギリス物語の原型が旧約聖書にある。

 

 怠け者よ、蟻のところに行って見よ。

 その道を見て、知恵を得よ。

 蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが

 夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。

                          

 ――旧約聖書 『箴言』 6章6-8節

 

教訓としてはわかりやすい内容だと思う。

しかし注意しなければならないのは、

「夏の間」とか「刈入れ時」には個人差があるということ。

 

アリとキリギリス(原文:アリと蝉)で考えるなら、

アリの寿命は2年なのに対し、キリギリス(成虫)の寿命は2か月だそうだ。

蝉(成虫)の寿命は1か月。

キリギリスも蝉も、成虫は越冬できないから、夏の間に餌を集める必要がない。

 

人間どうしで比べた場合も同じだろう。

ある人が収穫期で忙しくしていても、

その隣人は農閑期で、のんびり休むべき時期ということもある。

育てている作物が違うのだ……

人生の時も季節も、けっして「みんな同じ」ではない。

 

■ 人間の時は「GOD only knows 神のみぞ知る」

 

夏休み子ども科学電話相談では、昆虫について、こんなやり取りもあったそうだ。

  ※(暇人速報) 子供「どうして虫の病院はないの?」 →先生の回答が直球すぎる

 

【質問】 動物の病院はあるのに、どうして虫の病院はないのですか?(´・ω・`)

 

【回答】  なんで(病院が)ないのかと言ったら、すぐ死んでしまうから……

      もしも助けられたとしても、そんなに長生きができないのよ。

      (アゲハ蝶の場合)成虫になってからの寿命って2週間くらいっていわれてる。

      ……羽根がぐしゃぐしゃになったやつは、もう元には戻らない

 

すべての生き物に寿命がある。

治るケガもあれば、治らないケガもある。

事故・けが・病気など、個人的な要因で、

生物学的寿命よりも速く去ってゆく個体がある。

 

人間も他の生き物と同じく、寿命には大きな個人差がある。

天災、難病などで、若い命がとられてしまうことを、

古代ユダヤ人はこのように考えていた……

 

 神に従う人は、若死にしても安らかに憩う。
 老年の誉れは長寿にあるのではなく、
年数によって測られるものでもない
 人の思慮深さこそ白髪であり、汚れのない生涯こそ長寿である。

 

 神に喜ばれていた人がいた。
 彼は神から愛され、罪人の中で生活していたとき、天に移された。
 悪が心を変えてしまわぬよう、偽りが魂を惑わさぬよう、彼は天に召された。

 悪の魅力は善を曇らせ、渦巻く欲望は純真な魂をかき乱す。

 

 彼は短い間に完成され、長寿を満たした。
 彼の魂は御心に適ったので、主は急いで彼を悪の中から取り去られた。
 人々はこれを見ても理解せず、心に留めようともしなかった。

                    

 ――旧約聖書外典 『(ソロモンの)知恵の書』 4章7-14節
 

この説が、すべての若死にの原因を説明しているとは思わない。
しかし少なくとも、「家系の因縁、前世のカルマ、天罰」という、
スピリチュアル・ハラスメントな回答よりは、神の御心に近いと思う。
 
God only knows 神のみぞ知る」という英語表現がある。
神のみが知っている = 人間にはわからない。
 
理不尽な不幸にまきこまれてしまったのは何故なのか。
人間にはわからないけれど、神は知っているというところに、救い・希望・慰めがある。
「神に従う人は、若死にしても安らかに憩う。」という慰めをえられる。
 
ここで知ったかぶりをすると、「神にもわからない」とか、
「神とは無関係の因果律」「前世の因縁だから自業自得」などというしかなくなる。
理不尽の谷底に突き落とされた人は、希望も救いもないまま、
谷底に放置されることになってしまう。
 
各人の寿命という、人間には理解しえない事については、
「人間にはわからないが、神はすべてをご存知だ」と素直に認めて、
神の御心として受け入れるのがよいと思う。
どうしたって、人間にわからないことは、わからないのだ……
 
夏休み子ども科学電話相談のセンセイは、知ったかぶりをしない。
質問内容によっては、「わからない」「専門家の間でも意見が分かれている」
と、正直に回答している。
 
「わからない」という回答に、子どもが絶句することもあるけど(笑)
それはそれで素晴らしい回答だと思う。
専門家のセンセイでもわからないことがある!という事実を知るのは、
子どもにはとても良い勉強になるんじゃないかな。
 
わからないことを、正直に「わからない」と認める人は、謙虚な人だ。
知ったかぶりをしない謙虚な人(自分の知識の貧しさを自覚している者)には、
神様がより多くの知恵・知識・アイデアを恵んでくれて、
そういう人に専門分野への道が開かれていくのではないかと思う。
 
■ 怠け者の時間尺度(バイオリズム)

 

神が複数の時間尺度(バイオリズム)を造ったことを知らないで、

自分の時間尺度が唯一の宇宙基準だと思ってしまうと……

つまり、自分の時間感覚を他者に投影していることに気がつかないでいる間は、

当人も周囲の人も、たいへん不幸だと思う。

 

「どうしてそんなに遅いの?」

「どうしてそんなにセカセカしているの?」

こういうすれ違いは、どこででも観察されるよね。

 

 怠け者は言う 「道に獅子が、広場に雄獅子が」と。   ――『箴言』 26章13節

 

外におそろしいライオンがいる、学校や勤務先に無情なライオンがいる。

外出先でひどい事件・事故にまきこまれた経験のある人なら、

ライオンが怖くて家から出られない状態が数年続くこともある。

健康な人には「怠け者」としか見えないのだろうけど。

 

 思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。

 浅はかな者は通り抜けようとして痛い目に遭う。     ――『箴言』 22章3節、27章12節

 

怠け者と非難されることを恐れて、痛い目にあうよりは、

怠け者と非難されてもいいから、危険から身を隠す方がいい。

 

 戸がちょうつがい(蝶番)によって回るように、

 なまけ者はその寝床で寝返りをする。       ――『箴言』 26章14節

 

低血圧の人、朝が苦手な人、心身の不調を抱えている人は、

朝スッキリ起きたくても起きられないで、こういうことになる。

健康な人には「怠け者」としか見えないのだろうけど。

 

 なまけ者は皿に手を入れても、それを口に持っていくことをいとう。  ――『箴言』 26章15節

 

食欲が無い人を、強制的に食卓につかせると、こういうことになる。

「箸がすすまない」という表現があるね。

皿に手をいれて、じいっと食べ物をながめるのが精いっぱいで、

食べ物を口に持っていく気力が出てこないのだ。

健康な人には「怠け者」としか見えないのだろうけど。

 

■ 「怠け者」の判定基準は?

 

「私とあの人は、神から与えられている時間尺度が違う」

ということをお互いに認めるだけで、無用なストレス・トラブルが激減すると思う。

 

私が小学5年の時、担任の先生が言ったことを、今もよく覚えている。

 

何かを比較する時には、

 比較したい事柄以外の条件は同一にしなければならない。

 

たとえば、男性と女性の平均身長を比較するなら、

身長と性別以外の条件は、同一にしなければならない。

同じ人種、同じ年齢、似たような生育環境、似たような食事内容など。

日本の4歳男子と、カナダの20歳女性の平均身長を比較しても、

有意なデータは得られない。

 

へへえ~、ナルホドね!

私はそれを聞いて以来、何かを比較するたびに、

比較の対象、基準、目的」を意識するようになった。

 

 【比較のチェックポイント】

 ・ 何と何を比較しているのか。

 ・ 比較の基準をどこに合せるのか。

 ・ 比較する目的は何なのか。

 

もし誰かを「怠け者」というなら、

「怠け者」と判断した基準はどこにあるのかをハッキリさせないといけない。

 

ほとんどの場合、

「私の感覚からすれば、あの人は怠け者」というだけのことだろう。

自分が基準、自分が世界標準、自分が宇宙の中心というわけだ。

 

他者を怠け者呼ばわりする、その目的は?

「こんなに頑張っている私を褒めてほしい、もっと注目されたい」

というヨコシマな目的で、他者を怠け者あつかいしているってことはないか?

 

神ヤハウェは、旧約聖書では「裁きの神」として顕現することが多いだけに、

物事の判別基準にもたいへんうるさい。

 

 あなたは袋に大小二つの重りをいれておいてはならない。

 あなたの家に大小二つの升を置いてはならない。

 

 あなたが全く正確な重りと正確な升を使うならば、

 あなたの神、主が与えられる土地で長く生きることができるが、

 このようなことをし、不正を行う者をすべて、

 あなたの神、主はいとわれる。         

 

 ――『申命記』 25章13-16節

 

神はいわゆる二重基準、ダブルスタンダードを戒めている。

「自分に甘くて、他人に厳しい」というのがその典型かと思う。

 

自分勝手な理由……誰かを不公正な天秤にかけて「怠け者」と認定しているならば、

いずれ別のところで、自分自身がもちいた不公正な天秤によって身を滅ぼすだろう……

 

 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、

 自分の量る秤(はかり)で量り与えられる。      

                   

 ――新約聖書『マタイ福音書』 7章2節

 

私は「怠け者」と言われることが多かった。
今も言われているかもしれないし、これからも言われるだろう。
 
私はすぐに身体が疲れるから、すぐに休憩する。

睡眠を多く必要とする、体調の回復スピードは遅い。

動物のナマケモノと同じ……もともとすべてにおいて活動力が低いんだろう。

 

私は長時間の仕事(学生時代なら勉強や部活動)ができない。

できないから、できるだけムダを省いて、効率を良くして、短期集中、

時間あたりの作業密度を高める工夫でカバーしてきたつもりだ。

それでも、「何時間休まず働いたか」という尺度でしか評価されない社会では、
「怠け者」でしかないけどね。

 

身体が丈夫な人は、

他者も自分と同じ体力水準で生きていると思いこんでいるから、

私のような者は「怠け者」「健康管理が不適切」としか見えないのだろう。

 

昔は彼らをひどく恨んでいたが、今は恨んでいない。

彼らは、「病は気から」という尺度しか知らないのだから、仕方ない。

私自身も、他ジャンルでは無神経なことをたくさん言ってきただろうしね。

やはり、「自分の秤で量り返される」ということなのだと思う。

 

■ 「怠け者」と言われ続けた結果

 

実は20代で私がスピリチュアル依存になったきっかけは、

「怠け者」から脱出したかったから。

 

私が毎日、体調不良で苦しんで横になり、休憩するたびに、

怠け者、罰当たり、病気になるのは日ごろの行いが悪いせいだ」と言われた。

毎日毎日、「怠け者、罰当たり、あんたは一生そうやって苦しむんや」

と言われてしまう家に生まれてきたのは、

私の過去生のカルマのせいではないかと本気で脅え、

どうにかしてそれを解決したかった。

 

過去生で悪い事をした

 → 今世で身体が弱いという罰を受ける

 → 働けない、収入がない

 → ホームレスになる。それが嫌なら自殺するしかない。

 → 自殺すると、人生のやり直しをさせられる

 → カルマの無限ループ……

 

学生時代からずっと、この恐怖にとらわれていた。

どうにかして助かりたかった。

それには過去生のカルマを解消して、身体を丈夫にするしかないと思った。

 

結論を言うと、スピリチュアルや自己啓発メソッドは何の役にも立たない。

スピリチュアル的にケアをしてくれた人々の心遣いには感謝している。

しかし「私の悩み解決」という点から見れば、カネと時間の無駄でしかなかった。

いまだに、私の体質は何も改善していない。

 

でも、私が最初に神を信じた原点に立ち返ろうと決めたことで、楽になった。

神が私の体質をこういう風につくったのなら、その責任は神にある。

だったら、私の身体の製造者責任は、神にとってもらえばいい。

 

世間の平均的なライフスタイルを実現しなくても、

私に与えられているモノサシを基準にして、怠けずに何かをすれば十分だ。

ナマケモノにはナマケモノにふさわしい道を、神は用意してくれているだろう。

 

私と似たようなことで苦しんでいる人、悩んでいる人がいたら、

シンプルに、万物創造の神を受けいれることをお勧めする。

 

宗教は受けいれなくていい……宗教は金持ちの高尚な道楽、よくて社交クラブだから。

宗教ではなく、神様と一対一のパーソナルな関係をもってほしい。

そして、深刻な悩みも苦情も、人にではなく、神に言うことだ。

 

モーセの出エジプトの時代に、エジプトに住んでいたユダヤ人たちは、

奴隷として重労働をさせられていた。

そして、神ヤハウェに、「助けてください」と日々祈り叫んでいた。

その叫びが神に届き、神はモーセに現れた。

 

モーセはまず、神に命じられたとおり、

全ユダヤ人が1週間程度の休暇をとれるようファラオ(王様)に申し出た。

神をお祀りするために休暇を申し出ただけなのに、

ファラオは怒って、ユダヤ人たちの労役をさらに重くするというブラックな対応をした。

 

 彼(ファラオ)は言った。

 「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ

 だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。

 すぐに行って働け。」

              

 ――旧約聖書 『出エジプト記』 5章17-18節

 

ファラオは奴隷のユダヤ人たちを「怠け者」と呼び、嫌がらせをした。

しかし最終的に、神はエジプトに十の災厄をもたらし、

ファラオはユダヤ人に「ここから出ていけ」と命じる。

そしてユダヤ人たちはモーセに従ってエジプトを脱出する。

それが出エジプト。

 (参考) EXODUS/神との駆け落ち … ブラック組織からの出エジプト

 

古代ユダヤ人のように、何をやっても「怠け者」と言われてしまう人は、

とりあえずそのことで自分を責めてはならない。

それはファラオと同じで、相手の判断が間違っているのだから。

もちろん相手のブラックな期待に応える必要もない。

そんなことで過労で倒れて死ぬのはあまりにも無念だ。

 

本当に自分が怠けているのなら、それはあらためなければならないが。

神によって定められたナマケモノ(笑)ならば、それは改善のしようがない。

 

ナマケモノはナマケモノでしかない。

動物の専門家が、ナマケモノが怠け者じゃないことをよく知っている以上に、

神は一人ひとりの特性をすべて把握しているのだから、

困りごとがあるなら、まず神に相談するのがいいと思う。

 

■ ナマケモノはエコロジー体質

 

夏休み子ども科学電話相談では、

「カタツムリの動きはどうして遅いのか」という質問もあった。

結論はナマケモノと同じ。

「人間の基準からすれば遅く見えるだけ。」

 

動物の動きが遅い、休む、寝るというのは、省エネのためなのだそうだ。

ナマケモノがほとんど動かないのは、エコロジー体質だから。

 

自然界では、必要もないのにガサゴソ動き回るのは、

エネルギーを浪費する愚か者ということになるんだろうな。

ライオンも、食べた物が消化されるまでのんびり横になってる。

本当にお腹が減って狩りをする時にだけ走り回る。

高い身体能力があるからといって、むだに動くことはしない。

 

モーセ十戒で「安息日を聖とせよ」と定めた神は正しい。

週に一日、経済活動を休止するというのは、短期的には損に感じるかもしれないが、

長い目で見れば、もっとも効率が良いやり方なのだと思う。

 

年中無休、24時間営業……をやめる企業がぽつぽつ出てきているのは、良いことだ。

私が小学生の時は、ほとんどのお店に定休日があった気がする。

定休日は何曜日でもかまわないが、

ともかく人間の生体リズムには、週に1度前後の定休日も組み込まれていると思う。

 

神が定めた時間尺度に逆らうよりは、合わせる方が生きやすいはずだ。

各々が自分に合った時間尺度・リズムで生きていれば、

それだけで社会問題の多くが解消するのではないかと思う。

 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』
 
※イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 
■ 「神と聖書と日ユ同祖論」 記事一覧&リンク →こちら
 
 

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