先日、玉谷先生のお話を聞かせていただくことができました。
玉谷先生にお会いできたのは何年ぶりになるだろう。
今こうして昔話の活動をしている私ですが、
岸和田に来たばかりの頃、岸和田の歴史なんてなにも知らなかったのです。
お城があることくらいかな。
ちょうど私が岸和田へ来たときにこの本が出たので、
岸和田にはおもしろいお話がいっぱいあるんやなぁーと思っていたくらい。
上の子が小学生になった頃、公園でよく一緒に遊んだお母さんから、一緒にやらない?と誘われた「家庭教育学級あすなろ」。
名前はちょっとお固い感じだけど、お母さんたちが一緒に学べる場。
やりたいテーマを自由に決めて、それを市がサポートしてくれました。
子育てをテーマにしたり、お料理教室をしたり、国際交流をテーマにしたり。
わいわいがやがやみんなで企画して、いろんなお話を聞くことができました。
そんな中で私のその後の生き方に影響したものが、
「岸和田の昔を知ろう」の企画で「玉谷先生と歩く久米田古墳群」の講座と、「親子で語ろう岸和田の昔話」で阿部栄子先生に来ていただいたこと。
久米田古墳群は、私たちの校区にある古墳群で、当時「諸兄塚」と呼ばれていた「貝吹山古墳」「風吹山古墳」「無名塚古墳」そして「女郎塚古墳」「光明塚古墳」など、
ここに書かれているだけでなく、今は住宅になっているところにも名前のない古墳がまだあるらしい、そんな古墳群を先生の話をお聞きしながら歩いたのです。
なにを聞いたのか詳しくは覚えていないのだけど、今も貝吹山古墳の上から先生と一緒に、まわりを見渡した景色がなんだか忘れられず、
そして、この古墳が作られたころ、大和朝廷にも匹敵するような豪族がいて、ここに葬られているのではないか、というお話を聞き、そんなすごい歴史が私の足元にあったのかと驚いたこと。
そこから、岸和田の歴史に興味を持ち始めたのを覚えています。
その後、先生の話を残すための取材に同席させていただけたこともあり、
あのときも、先生の考古学のお話から民俗のお話に至るまでとにかく、網羅されたお話にくらくらして、まだまだ学ばなければならないことが山ほどあって、先生のお話を理解することができなくて、情けなくなったのを覚えています。
あれから10年。
玉谷先生は90歳を越えられましたが、この日もその語りは変わらず、まるで泉が湧くかのごとく、次々と話をされました。
すこしは理解できるかなと思ったけど、やはりとてもとてもノートを取れないくらい。
わからないことが次々と。。。
先生が話されたことで、とても印象に残ったこと。
先生は手作りの地図を前に話をされました。
歩いて歩いて、この地図を作られたと。
くまなく歩き、見てこられたのだと。
そういう地道な努力を重ねてこられたのだと、とても感動しました。
足で歩いて、身体で感じてこられたことが、きっとこの地図の中にこめられていて、先生の記憶に刻まれていったのだろうなと。
私も、ゆっくりでもいいから、足で歩いて、身体で感じていきたいなと、そう思いました。
内容はまた公開されるそうなので、それを楽しみに。。。
その時にはもう少し理解できるように、もうちょっと勉強しておかなくちゃ。。。
とにかく先生にお会いできたことが宝物です。
最高に幸せな時間でした。