先日、岸和田城天守閣で開催中の「災害とはやり病の歴史」を見てきました。



お城もとってもきれいでした。
災害の歴史ということで、年表にいろいろな病気が流行ったこと。
そして、それが繰り返されてきたことが示されていて、
今私たちが直面しているような体験を、
いや、昔の人のほうが、病気のこと、その原因、予防法などわからないわけだから、とても怖い思いをしていたのだろうなと。
多分、これが私たちがコロナを経験していないときだったら、
ふーん、そうかー、で終わるところも、
大変だったんだなぁ、どうやって人々はその状況を乗り越えたんだろう、
どんな思いだっただろう。。。
って、感情移入して展示を見ることができたのは、
良かったなと思いました。

病気だけでなく自然災害や人災についても展示されていて、
いつも常設展示に展示されている、岸和田城天守閣が雷によって炎上したときの日記が
すごく心に残りました。


11月1日
暁七つ時、雷鳴これ有り。
そのうちひとつ、強く響き渡り落ちたようであった。
しかし、どこに落ちたかがわからず、続けて霰が降り始めた。
しばらくして火事になっているように見えた。
見るとそれが御本丸、御天守であったので、驚き急いで火事装束にてお城へ向かった。
門より入ったところ、もはや天守閣から二重目へも火が回っている様子。
炎が窓窓より出ている。
戸はすでに焼け落ち、窓ももう落ちてしまいそうだ。
黒い煙は一面にあがり、火の光が四方を照らしてまるで昼のようになっている。
麗光院宅の門前、お堀際も熱いほどで、
火の勢いに鷺も驚いて、火に向かって群れ飛んでいくのを見た。

(文政10年 1827年)


古文書を楷書で書き直してくれていたので、なんとなく現代文にしてみました。

火が天守にまわり、すでにそれが二重目にまで広がっている。
戸が焼け落ち、窓が焼け落ちるのも時間の問題。。。
お堀端まで熱く、ただ見守るしかなかったのだろう。
まわりが昼間のように明るくなるほどにお城が燃えている。
その様子を目の当たりにした、この日記を書いた人の思いはどんなものであっただろうか。



このあと天守は再建されることはなかったそうだけど、明治維新のとき、
櫓などが、廃城によって壊されることになったそうです。
家臣たちは、その崩れ落ちる様子を、涙しながら見守ったと。
なにかで聞きました。
時代に逆らうことはできないけれど、自ら廃城しなければならなかったのは、
200年を越える岸和田藩の歴史を思ったとき、
私の想像の至るものではないほどの、
大変な、辛い思いだったのだろうな。。。
と思います。



今、ここにあるお城は、戦争のあと、
市民の寄付によって作られたと聞きました。
やはり、岸和田にはお城や!


岡部の殿様は今はここにはいないけど、
でも岡部の殿様がどんな風にここで暮らしていたのか。
その時代がどんな時代だったのか。


知りたいなと思います。


天守閣での郷土の歴史の展示。
次はなにかな?



楽しみにしています。

ちょっと前なので、まだ紅葉がきれいだな。