前回の氣比神宮ー 大田神社ー三上山のライン。そして伽耶、百済 | 久米の子の部屋  から二か月近く空いてしまいました。

 

理由は後で書きますが、昨年11月にアップした日置神社(高浜町)ー角刺神社ー熊野那智大社のライン | 久米の子の部屋  の準備をしているときに、「オウ」という読みについて書かれた谷川健一氏の著書も読みたくなり、常世論 : 日本人の魂のゆくえ (平凡社選書 ; 81) - 国立国会図書館デジタルコレクション と出会うことが出来ました。

 

89コマ目から引用します。

(前略)

『日本書紀』に青の皇女の母とされているハエヒメは南方系の人名である。沖縄に有名な君南風(きみはえ)という祝女がいた。また『古事記』の安寧天皇の条にみえるハエイロネ、ハエイロトの二人の姉妹は、反正天皇が育ったという淡路の御井の宮にいたことになっている。 さらに反正帝と青の皇女は血縁である。 

(後略 引用終わり)

 

まず、「沖縄に有名な君南風(きみはえ)という祝女がいた。」ということが気になりました。何故ならば、天魂命が示してくれたライン | 久米の子の部屋  を書くことで、奄美大島には古くより能呂久米という一の巫女があり、俗に之を「カンギャナシ」とも言うことなどを知ったからです。

 

そこで、国立国会図書館デジタルコレクションで「君南風+久米」で検索してみると、次のような内容が多くヒットしました。

君南風(久米島の祝女の頭)

つまり、君南風(きみはえ)は、沖縄というより、久米島の祝女らしいのです。

 

(谷川健一氏はご存じではなかったのだろうか?)と思い国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると、「村落共同体 (叢書わが沖縄 ; 第4巻) 谷川健一 編 木耳社, 1971」が見つかりました。

 

国立国会図書館内限定のため、全 2 件の該当箇所だけしか分かりませんが、それを引用します。

 

66 コマ: 等もまたかくなさん、君南風(久米島の女神官)は既に宮古、八重山に兵を率いて出征したまえば、国も広く添えて御目
140 コマ: ふりやえ(今帰仁)、君南風(久米島)、宮古大阿母(宮古島)、八重山大阿母(石垣島)、伊平屋あむがなし(伊是名島)等々多
(引用終わり)

 

前出の常世論 : 日本人の魂のゆくえ (平凡社選書 ; 81) - 国立国会図書館デジタルコレクション は1983年5月出版です。

ということは、

「『日本書紀』に青の皇女の母とされているハエヒメは南方系の人名である。久米島に有名な君南風(きみはえ)という祝女がいた。また『古事記』の安寧天皇の条にみえるハエイロネ、ハエイロトの二人の姉妹は、反正天皇が育ったという淡路の御井の宮にいたことになっている。 さらに反正帝と青の皇女は血縁である。 」

と書くのが本当なのでは? などと思ってしまい、谷川健一氏の著書においての久米氏の扱いについて知りたくなりました。

 

そこで、また、国立国会図書館デジタルコレクションで簡単に検索したのですが、見つかったのが『青銅の神の足跡』だけでした。こちらも、国立国会図書館内限定となっています。

 

『青銅の神の足跡』のことは、◆ 火吹く人たちの神 ~1 | かむなからのみち ~天地悠久~ から始まる天地悠久様の企画物記事で知ってはいましたが、天地悠久様が「谷川健一氏の燃え盛る『炎』の、わずかな火の粉だけでも受け継ぎたい思い」と記される熱を、遠くから眺めるような感じでした。

 

私の久米の方の先祖は、どうやら江戸時代のはじめのころに鍛冶の仕事を始め、曽祖父の代まで続いていました。

なので、青銅の神について知りたい気持ちはありましたが、久米以外の歴史について深く学ぶ力を私は持っていませんので、『青銅の神の足跡』を手に取ることに迷いがありました。

 

ところが、何度か利用したことがあるネット上の古書店に在庫がありましたので、思い切って購入してみました。

 

久米の氏族について記されているのは、「第四章 江南とのつながりと銅鐸」の中の、 「耳族の二つの系列ー九州系海人族と鍛冶族」の項だけのようです。

 

適切に引用するためには谷川健一氏の意図を正確に読み取る必要がありますので、この章だけでも読み込むことを目指したのですが二か月かけても果たせませんでした。

 

そのため、長文引用だけでなく、文中の「表A 」に該当すると思われる表も、迷いながらも転載することにしました。

(前略)

 このように日本海に面した山陰地方には、耳という名の人物や地名が点々とその痕跡を のこしている。須賀之八耳とその子孫、玖賀耳(陸耳)、若狭耳別。 そしてそれらの人名に緑由のあるミミまたはミを語尾にもつ地名が散在している。 しかし私がもっとも注目するのは耳の名をもつ但馬の豪族であり、それはさきに述べた太耳(前津耳)と呼ばれる人物である。天日槍が太耳の血筋と血縁関係をむすんだのは大きな意味がある。
 前にも述べたように、スサノオの結婚相手の父親、須賀之八耳や、日子坐王の殺した玖賀耳もまた、土着の酋長あるいは豪族であったろう。しかもこれらの人物が鉱山に関与した人物と考えられるのは見逃すことができない。
 もう一人、耳のつく例をあげる。『姓氏録』に久米直の先祖は味耳となっている。この 味耳は大和の来目郷に居住したといわれるが、久米の氏族はもともと球磨、すなわち肥の国に本拠をもつと、喜田貞吉や太田亮によって考えられている。

(中略)

 ミまたはミミのつく系譜をながめてみると、二つの特徴があることに気がつく。一つは、 九州に根拠地をおく海人系であるということである。それを要約して並べてみると、表A のようになる。これに更には久米系(味耳)をも加えることができる。これらを見るとき、 この耳の尊称に一定の意味がこめられていることを否定することはできないだろう。この 耳という呼称をとおして、私たちの眼ははるかな海の彼方へむかう。その先には渺々とした東シナ海の波浪の果に江南の島々や大陸がかすんでみえる。もう一つの特徴は表B のようにそれが銅や鉄などの鍛冶に関与する系譜であるということである。
(後略)

(引用終わり)

 

ハエイロネとハエイロトの姉妹が、久米の氏族と近い関係があったなどと考えるのは、もしかしたら危ういことなのでしょうか。

ハエヒメの息子には来目稚子がいますし、私などは、久米の氏族と近い関係があったのだろうと妄想してしまいます。

まあ、所詮は、不勉強の素人ゆえの妄想にすぎないのですが、オ・ケオとオケとヲケ | 久米の子の部屋  の根拠を得たような気持ちにも少しなっています。