森じゅんさんの数の話、今回は前回の続きで、日本での数の数え方のお話です。
和語(大和言葉の方がよいのでしょうか?)と漢語(中国の言葉)がだんだんまざって行く様子が見て取れます。これは、韓国でも似たような状況があったのでしょうね。
日本では自然発生的に感じから平仮名と片仮名が生まれましたが、韓国では国の大事業として、大国中国との軋轢の中、ハングル文字を作りました。どちらも漢語と国語の混じり合いの結果、複雑な言語様式になったのです。
ぼく自身、以前から興味をもっていた内容ですが、小2向けの文章とはいえ、日本における言葉の歴史が垣間見える内容で、非常に興味深く読ませていただきました。
お薦めのお話です。
森じゅんさんは博識です。
日本語の起源にまで遡ることで、数え方のひみつがだんだん明らかになってきます。
ひとつひとつは古語の世界で垣間見ることができることができますが、こうやって「数の呼び方」という観点でまとめて見ると、新しい発見があります。
言葉の成り立ちには、それなりのルールがあるのですね。
おもしろいことに、農耕民族である日本人は、やはり農耕民族である中国人と、同じ10進法の数え方をしていたことがわかります。
狩猟民族の西洋の人が分け前を等分するために12進数を使ったことと比べると興味深いですね。
12進数は扱いが難しいので、今でも10進数を昔から使っていた人たちの方が算数が得意だというのも、納得がいきます。
「よもも」とか「よほ」は、現代語には残っていませんが、古語の知識をこうしてまとめることで、「数の呼び名」がどう変わってきたのかを知ることができます。
ぼくにはとても興味深い内容で、逆に小2のお孫さんにはどこまで理解できたのかと思ってしまいます。しかし、こうした知識を小さな頃に知ることは、長い人生を考えたとき、決してムダではないと思います。
戦前の小学生の文章を見ると、ぼくたちの小学生時代の文章とはまるでレベルが違うのをみて愕然とします。
昔の教育は詰め込み教育でよくないという価値観がありますが、どれだけの知識や教養を知るかということも、大切な要素なんだなあと思います。
戦前の教育は「軍国主義で悪い」という価値観はその通りだと思いますが、じつは、それより以前にはもっと自由な時代もありました。
「過去の教育は詰め込みで悪い」という単純なステロタイプの判断は危険だと思います。
森じゅんさんの「孫と語る数の話」は、そうした教育論の根本に関わることなのかなあ、と思ったりもしています。
「千」や「万」に関する話は、ぼくにとっても新鮮で興味尽きない話です。
【追記】手違いで、p6が抜けていましたので、追加しました。
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