高校の「物理B」という科目が2つに分割されてかなり経ちます。
日本では欧米の科学水準に追いつくため、明治以降、自然科学の科目は基本的に必修でした。
欧米ではずいぶん前から自然科学は選択科目になっています。ぼくたちが初めてアメリカのAAPTに招かれてアメリカの全国大会に出席したのは1989年です。
そのとき、アメリカの大学/高校の先生方は「どうやって物理を選択してもらうか」という方策に四苦八苦していました。とにかく物理が楽しいということをアピールするしかない、という状態だったのですが、ちょうど日本で開かれた国際物理教育の会でぼくたちのやっていた実験が彼らの目にとまり、とにかくアメリカの研究会に来てくれという熱いラブコールをもらったのです。
ぼくたちが紹介した日本の科教協のスローガン「すべての国民に科学を」に対し、アメリカの大学・高校の先生方から「こんな考え方はしたことがない」という反応がありました。
ところが、1992年に出向いたハンガリーでは、日本と同様に物理が必修になっていることを知り、なるほどなと思いました。東欧の社会主義政治経済からいち早く抜け出し、自由経済社会になったハンガリーは、西側に追いつくため物理を必修科目にしていたのです。
日本と同様な状況なので、先生方が抱えている問題点も日本とそっくりで、大いに意見交換しました。
その後まもなく、日本でもアメリカに習えとばかり、自然科学が選択制になりました。
そのとき、物理は「物理1」と「物理2」に別れました。その後何度か変更を繰り返し、現在は「物理基礎」「物理」となっています。
運動量と力積は、その過程で基礎科目からはずれました。エネルギーと仕事は基礎科目に残っています。
現代社会の中でエネルギーという言葉が普通に使われるのに対し、運動量は専門家しか使わない概念だから、というのが一番大きな理由だと思われます。
しかし、歴史的には、運動量の方がエネルギーより先に見つかっています。
ニュートンが最初に運動の法則(運動方程式)を立てたとき、すでに運動量という概念を使っています。エネルギーという概念やその数式が決定したのは、かなりあとの話です。興味のある方は、別記事「エネルギーとロマンス」をご覧ください。
さて、前振りが長くなりすぎましたが、いよいよ本格的に運動量と力積に入っていきます。
じつは、この分野、別名は「スポーツ力学」です。スポーツの様々な局面を理論的に解析するのに欠かせない分野だからです。
いつもとろ〜んとした感じで物理の講義を受けている運動部員が、がぜんやる気を見せるのも、この分野の特徴ですね。学んだ理論がそのまま運動に生かせますから。
では、プリントを見てきましょう。
1.と2.は運動量と力積の定義と関係です。
詳しくは描きこみの解説で書きますが、一般受けするエネルギーと仕事は向きのないスカラー量ですので、例えばピッチャーの球をどう打ったらホームランになるかという、向きの関わる問題には答えることができません。
スポーツの話題を扱うときには運動量と力積を使う必要があるのです。
ところで、「仕事」はわかりやすい言葉ですが、「力積」はいかにも不自然な言葉ですね。
これは、力積impulseが「力と時間の積」なので、それをむりやり縮めて作った日本だけの訳語なのです。
直訳するなら「力時積」がよかったのですが、長くなるので縮めたのでしょうね。そのため、一目見て内容がわからない訳語になってしまいました。
こんなわかりにくい言葉を使うなら、impulseの訳語である「衝撃」を使った方がよかったと思うのは、ぼくだけでしょうか・・・
3.は2.で示した「運動量と力積」の関係がベクトルとしての関係であることを示しています。これも、詳しくは描きこみプリントで見ていきましょう。
4.はその具体的な例題です。
5.は数式を使わずに理解する問題。日本の物理の教科書は数学に頼りすぎているところがあり、当然学生もそうなります。自らの言葉で物理現象を捉え、理解し説明する訓練が必要ですね。
では、描きこみを見ていきましょう。
1.は、運動量mvと力積FΔtの紹介です。
天下りですが、イメージを優先しました。
運動量はpを使い、力積はIを使います。IはもちろんImpilseの頭文字です。運動量に記号pを使う理由は知りません。
力積は力と時間の積ですが、時間にtでなくΔtを使うのは、力積が問題になるのが衝突の場合が多く、そのときの接触時間が短いためです。ですから、力積をI=FΔtでなく、I=Ftとしてもかまいません。
衝突の時の力が一定であるとき、その様子をグラフに表すと左のグラフになります。(現実にはこのような衝突はめったにありません)
力積FΔtに相当するのは、力と時間のグラフでは、斜線部の面積に当たります。
これは力が変化する場合にも当てはまり、右図のように複雑な力のグラフの面積を調べれば、衝突のさいの力積がわかります。
格闘技のボクシングや空手などで、ダメージ量を計算するときには、力を計測してこのグラフを描き、面積から力積量を計算します。
しかし、次々に変化する力で衝突を考えるのは非常に複雑なので、平均の力を利用します。
右図で複雑な力のグラフの面積と同じ面積の長方形を描いたときの力の値が平均の力になります。
2.は「運動量と力積の関係」P+I=P’を、運動の法則から導いています。
この関係は「エネルギーと仕事の関係」E+W=E'にそっくりですね。
違いは、「運動量と力積の関係」がベクトルの足し算であるということです。
プリントの例を運動方程式と等加速度運動の式を組み合わせて変形すると、まさにP+I=P’に相当する式が導かれます。また、P=mv、I=FΔtの式も、矛盾無く示すことができます。
3.はP+I=P’の足し算がベクトル合成であることを示す図です。
この後、具体的な例でこのP+I=P’の計算を図にして解いていくのですが、じつは大きな問題があります。
学生はベクトル合成の単純なケース、例えば「ベクトルa+ベクトルbは何?」のような問題の図は描けるのですが、これを少しひねった「ベクトルaに何を足したらベクトルcになるか?」という問題は、びっくりするくらい間違うのです。
運動量と力積の関係をいくら理解しても、それをベクトルとして表現する技術がなければ、具体的な問題を解決できません。
そこで、ベクトル算の基本的な練習を、この「運動量と力積」のプリントに入る前にやることにしています。
そのプリントは、最後に紹介します。
4.(1)は作図によっても求められるし、一直線上の問題なので、向きを正負で表すことでP+I=P’に直接当てはめて計算することもできます。
プリントでは、その両方を紹介しています。
4.(2)は作図によってしか解けません。(座標を使えば、計算によって解くことができますが、高校物理ではほとんど意味がないので、紹介していません)
5.は実験ができます。『いきいき物理わくわく実験』に紹介されている実験ですが、先日、講義での演示実験でとんだ失敗をしました。
スポンジの上にスライドグラスを置き、上から金属球を落とし、割れるか割れないかを試す実験です。スポンジにより衝突時間が長くなるので、スポンジがない場合に比べて割れにくくなるのですが・・・
何年か前の実験装置を取り出して実験してみたら、スポンジが劣化して硬くなっていて、割れないはずの実験が割れてしまいました・・・(汗)
やはり、予備実験は必要ですね・・・
この実験については、別記事「実験・割れないガラス〜衝撃(力積)の秘密」をご覧ください。
5.の問題は、本来の物理の実力を見る問題です。
日本の学生はどんな問題もまず数式を立てて解き始めるのですが、本来の物理は、計算する前に物理現象を理解し、おおざっぱでもよいので、何が起こるのかを予想できなくてはなりません。
普段から物理ノートの「質問リレー」でそういう論理能力や発想力を鍛えてはいるのですが、こういう問題は重要ですね。
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