宇宙人の痕跡〜大学時代の科学放談より | ひろじの物理ブログ ミオくんとなんでも科学探究隊

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 1996年に邦訳版が出版されたグラハム・ハンコックの『神々の指紋』は、日本でもベストセラーになりました。ざっくりいうと、古代遺跡には起源のわからない謎のもの(オーパーツ)があり、それは過去に宇宙人が地球に訪れたときに作ったものだ、という内容の本です。

 ぼくも気になって、図書館にあった本をぱらぱらと読んでみたのですが、30年くらい前にやはりベストセラーとなったエーリッヒ・フォン・デニケンの『未来の記憶』や『星への帰還』などの本に、内容がそっくりでした。デニケンの『未来の記憶』は邦訳版は1969年の出版です。(原本は1968年出版)

 

 ハンコックの本は、デニケンだけでなく、他の似たような著作からいただいて、再構成しているようで、ぼくの持っているデニケン以外の本も合わせると、『神々の指紋』の内容はほぼ網羅できるという印象でした。がっかりして、詳細に読む気がしなくなりました。

 

 デニケンの本は日本でも人気があって、次々に出版されました。ぼくも、新しいのが出るたびに読んでいました。小さい頃から、この手の話が大好きだったからです。超能力や超常現象、UFOに超古代文明と、謎めいた本を小学生の頃から読みあさったものです。予言者ノストラダムスの話も、それらの本の中に書いてありましたね。

 

 ぼくは今は科学の徒ですが、こういう事情で、この手の話は、そのへんの超常現象マニアの人より詳しいくらいです。

 

 ところで、デニケンさん、本の中で日本の土偶に触れ、これは古代に地球を訪れた宇宙服を着た宇宙人の姿を像にしたものに違いない、と主張。おー、日本の土偶もかあ、と身びいきな喜びを感じた記憶がありますね。

 

 これらの本を読んで、一番、ぼくの印象に残ったのは、どういうわけか、すごく地味な遺跡のことでした。

 

 中南米のあちこちに、大小さまざまな石球がごろごろしている、というお話です。

 

 デニケンさんは、インカやマヤ文明の頃に石を加工して真球を作る機械も技術もあったはずがない、これは宇宙人の科学力で作られたものだ、というんですね。

 

 少年時代のぼくは、デニケンさんのこの主張に降参しました。石を機械なしできれいな球体にする方法を思いつかなかったからです。(主張をうのみに信じた、ということではなく、自分の知識や思考で説明できないという意味で、降参したのです。ぼくは小さな頃から、すごく疑り深い性格でしたから)

 

 どういうわけか、この手の本はある期間ごとに流行するみたいで、デニケンの一連の本がベストセラーになったあと、数年経ってから(1973年)、今度は『ノストラダムスの大予言』が大流行しました。これは日本だけのベストセラーですが。(この話はまた、別の機会に。なお、小松左京のSF小説『日本沈没』がベストセラーになったのもこの年です)

 

 大学の理学部では、同じクラスの面々と昼食時にわけのわからない科学談義(疑似科学も含む)をするのが、日課でした。(相対性理論や環境の話については、以前記事にしましたので、そちらをごらんください)まあ、科学放談、といったところでしょうか。今でも、サークルの人たちと会うたびに科学放談をしていますから、そのルーツは大学時代から、ということになります。

 

 さて、あるとき、ぼくは少年時代に読んだデニケンの本のことを思い出し、メキシコとかあちらの国々に、どうやって作ったかわからない石の球があるらしい(公園などに飾ってあるものもあるそうです)のだけど、と話題を振ってみました。

 

 すると、ある、やたらいろんなことを知っている、3歳ほど年上の同級生(つまり、3浪して入った人です)が、とうとうと語り出しました。

 

A「うーん、それはね、なにも特別な道具とか装置を使わなくても、できると思うよ」

B「えー、そうかあ?」

A「あのさ、昔から、たとえばレンズを磨くのって、手作業なんだよ。ちょっと凹んだ面をもつ砥石でガラスを磨くと、だんだん球面になっていく」

C「そんだけ? 気の長い話だな」

A「だからさ、硬さの違う石をお互いにこすりあわせれば、すごく緩やかだけど、片方が凸面、片方が凹面に削れていくだろ」

D「まあ、そうなるかな。でも、レンズよりもっと気長な話だぞ。小さいのならそれでいいかもしれないけど、ばかでかい石の球もあるんだろ」

A「大きな石でも、この凹面になった石でちょっとずつこすっていけば、面の曲率半径が同じなんだから、だんだん成形されていって、最終的には1つの球になるはずだ。大きい石でも、問題ないよ」

B「まてよ、そんなに気長な話だと、1つの石球つくるのに、一生かかっちゃうんじゃないのか」

D「それは、おれたちと、古代の人間とでは、時間感覚が違うからじゃないかな。現代人は効率よく動く機械を使うから、結構な建造物でも何ヶ月かあれば完成できる。でも、古代にはそんな機械はなかったから、建造物を作るのって、何世代にもわたる作業ってのが、常識だったんじゃないか?」

A「うん、それはあるだろうな。親子だけじゃなくて、一族の仕事だったりするかもしれないだろ。宗教的な意味合いとかあれば、みんなが何世代もかけてやる作業になる。石をこすりあわせてればいつかは球面ができるのは確かなんだから、あとはひたすらやり続けられるかどうかだ。現代人には耐えられなくても、古代人には当たり前のことだったんじゃないかな」

B「なるほど。簡単に宇宙人の科学力とか考えなくても、時間の尺度の違いまで考えれば、古代の技術でじゅうぶん作れる建造物なわけだな」

 

 このときの話は、ぼくにとっては、目からウロコ。

 

 ただ石をすりあわせるだけで球面ができるということにも感心しましたが、それ以上に、みんなで話しているうちに、現代人と古代人では時間の尺度が違うのだ、という発想に至ったのが大きかったですね。

 

 現代人は、何事にもせっかちになりすぎているのかもしれません。

 

 

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