ヴォイニッチ手稿の謎と二項分布 | ひろじの物理ブログ ミオくんとなんでも科学探究隊

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とっぴ「やほーっ、メリー・クリスマス!」

あかね「なによ、もうクリスマスは過ぎたわよ」

とっぴ「いいじゃん。ミオくんがクリスマス・プレゼントを持ってきてくれたんだから」

ろだん「え、なんだなんだ?」

ミオくん(以下、ミオ)「本物はイギリスのキール大学に保管されている。これはキール大学から出版されたレプリカ」

むんく「THE VOYNICH MANUSCRIPT・・・」

とっぴ「どんな意味?」

むんく「(電子辞書を見ながら)マニュスクリプトは手書きの写本という意味。ヴォイニッチは・・・わからない」

ミオ「ヴォイニッチ手稿と訳されることが多い。1912年にアメリカの古書商ヴォイニッチが、ローマ近郊のイエズス会系大学の図書館で見つけた稀覯本だよ。1470年から1500年の間に作られたものだと推測された。発見されたとき、本の中に手紙がはさまっていた。それによると、神聖ローマ帝国皇帝のルドルフ2世が1586年に購入したらしい」

あかね「ふうーん・・・それで、どうしてこの本がクリスマス・プレゼント? わたしたち、歴史とか地理とかには、あまり興味がないんだけど・・・」

ミオ「まあ、中身を見てごらん」

 

 

とっぴ「うわ、英語ばかり!」

あかね「待って、英語じゃないわ」

むんく「ドイツ語やフランス語でもない」

ろだん「見ろよ書いてある文字。アルファベットじゃないぜ。こんな変な文字、見たことがないな」

ミオ「どこの国の言葉でもない。そもそも言葉なのかどうかさえ、わからない。230ページもあるけど、最初から最後まで、こんな感じ。謎の文字と、謎の絵で作られている」

とっぴ「それ、おもしろい! 暗号ってこと?」

ミオ「暗号かどうかも、あやしい」」

とっぴ「ますます、おもしろい!」

むんく「何がおもしろいのかな・・・暗号だったら、パズルみたいで解いてみようかと思うけど・・・」

とっぴ「だからいいんじゃない! だって、自然の法則だって、どんなルールがあるんだか、そもそもルールがあるんだかどうかだってわからないだろ? これ、最初からパズルだってわかっているものより、おもしろいじゃん!」

ろだん「そういえば、そうかもな」

あかね「ちょっと悔しいけど、久しぶりに、とっぴと意見が一致したわ」

とっぴ「もっと詳しく話してよ、ミオくん!」

 

ミオ「オッケー。じゃ、まず、こっちを」

あかね「古い本ねえ・・・『太古史の謎』アンドルー・トマス著・・・(ぱらぱらとめくって)」

ろだん「なんだか、トンデモ本みたいだな」

ミオ「その本の、ここを読んでみて」

あかね「ボイニック写本・・・あ、これ、ヴォイニッチ手稿のこと?」

ろだん「どれどれ・・・【1912年、ニューヨークの古代遺物収集家ウィルフォード・ボイニックが、ローマに近いある古城で、鍵をかけた箱の中にあるこの書類を発見した】・・・」

あかね「ミオくんの話と微妙に食い違っているわね」

ろだん「トンデモ本にも紹介されているってことは、かなり有名な本なんだな」

あかね「ほら、この本のここに、こんなことが書いてあるわ。『ビリ・レイス(中略)などのふしぎな地図に匹敵するのは、いわゆるボイニック写本である』・・・やっぱり、有名な本なのね」

ミオ「こっちのトマスの本は、古代文明に関する謎本の一種で、デニケンの様々な謎本のシリーズの仲間だね。古代の遺跡を、宇宙人や超古代文明の仕業だと考える本だ」

 

とっぴ「じゃ、ミオくんがさっきいった話はこの本がもと?」

ミオ「さっき紹介したのは、キール大学の研究者ゴードン・ラグの記事の内容。『サイエンティフィック・アメリカン』(日本では『日経サイエンス』)の2004年10月号に掲載されている」

とっぴ「そんな古い雑誌、図書館に行っても読めないんじゃない?」

ミオ「記事をPDFで収録したDVD版『日経サイエンス2000→2004』に収録されているよ」

とっぴ「よし、科探隊の予算で買おう!・・・でも、そっちのレプリカ本は、高そうだなあ」

ミオ「キール大学のウェブサイトで、ヴォイニッチ手稿の全ページの画像を公開しているから、そちらを見てもいいよ。ぼくが持ってきた本は、それを本として復刻したものだと思えばいい。本はウェブの画像より詳細で、今まで何度か出版されてきたヴォイニッチ手稿のレプリカの中では、もっともレベルが高いものだよ」

とっぴ「(レプリカ本をめくりながら)文字も不思議だけど、挿絵も不思議だなあ・・・ほら、こことか」

 

 

とっぴ「この絵、なんだろう・・・真ん中の、太陽かな?」

ミオ「似たような絵があちこちにあって、一説には銀河とも」

あかね「ウソォ・・・」

むんく「もう少し、背景を知りたい」

 

ミオ「不思議な絵と奇妙な文字で構成されたこの本は、挿絵の服飾などの特徴から、1470~1500年に書かれたものだと判断された。どういうわけか、発見された手稿には17世紀の書簡がはさまっていて、それには神聖ローマ帝国皇帝のルドルフ2世がこの手稿を1586年に、当時の金で600ダカット(5万ドル)払って購入したということが書かれていた」

ろだん「都合良くそんな手紙が本にはさまっていたって・・・なんかおかしくないか」

ミオ「(笑って)『サイエンス』の論文でも、それについては疑義を呈していないんだけど」

とっぴ「すごいじゃん、ろだん! 研究者より鋭い!」

ミオ「そのへんの真偽は確かめにくいだろうね。このあとは、きみたちの興味に従って、自然科学的なアプローチに切り替えていこう」

とっぴ「よっ、待ってました!」

ミオ「ただ、その前にもうちょっと、むんくの希望に沿って、この手稿の背景を話しておくよ。その方がいろいろと考える材料が増えるからね」

あかね「わたしもむんくに同感。聞きたいわ」

とっぴ「あれ? 歴史になんか興味ないんじゃなかった?」

あかね「うるさいわね、いちいち!」

ミオ「さっきの『太古史の謎』にも、『日経サイエンス』の記事にも、ペンシルバニア大学の哲学教授ウィリアム・ニューボールドが、1921年に解読に成功したと発表したと書かれている。ニューボールドは奇妙な文字そのものではなく、手稿のあちらこちらに見られる小さな字に着目したんだって」

とっぴ「そんなの、あったっけ!(あわてて、レプリカ本をめくる)」

ミオ「トマスの本では【8つの足をもつ渦巻き】のイラストに【それはペガサス座の中心とアンドロメダ座の帯とカシオペア座の頭が作る三角形の中にある】と書かれていたそうだよ」

 

 

とっぴ「これかな!」

ミオ「たぶんね」

とっぴ「うーん・・・小さい字って、どれかなあ」

ミオ「『日経サイエンス』の記事によれば、ニューボールドが見つけた小さな字(古代ギリシャの略記文字と考えた)は、その後の調査で「インクのひび割れ」と判明した、とあるね」

あかね「ひび割れですってえ!」

ろだん「なんだ、それ」

むんく「人間は、見たいものを見る・・・」

とっぴ「そっか! 隠された文字を探す人には、インクのひび割れも文字に見えちゃうのかな」

あかね「(じっとそのページを見ながら)わたしには、ひび割れもどこにあるか、わからないくらい・・・」

 

とっぴ「絵は? ・・・なんか、不思議というより、なんというか・・・」

あかね「とっぴがよく描く落書きみたい」

ろだん「うん、そうだな」

とっぴ「ちょっと、ちょっと!」

 

 

ろだん「まあ、とっぴはともかくとして・・・正直、へたくそな絵だな。昔の人って、こんなに絵が下手だったのか」

ミオ「少なくとも、絵の方は本職が描いたものじゃなさそうだね。かなり【へたっぴい】な絵だから」

ろだん「この手稿を描いた人が、絵心がなかったってことじゃないか?」

あかね「人物が女の人ばかりというのも、なんかヘンね。それに、デッサン狂ってるし・・・絵を描いたことがない人が、むりやり描いた絵みたい・・・」

とっぴ「昔の絵だから、今みたいにかっこよく描けないんじゃない?」

あかね「逆よ! 昔の絵を見ればわかるけど、昔の画家はデッサン力とかハンパじゃないから、とんでもなく上手いのよ。この絵は、少なくとも画家が描いた絵じゃないわ」

ミオ「トマスの本では、手稿の記録は顕微鏡でないと観察できない葉や根の断面図が描かれていると、研究者のニューボールドが主張していると描かれているけど・・・」

 

 

あかね「(本をめくって)これね・・・これは、女の人の絵よりかなりマシだけど・・・どうかなあ・・・」

 

むんく「この文字の配列が気になる」

ろだん「配列?」

むんく「なんだか、普通の言語に比べて、同じ文字の出る頻度が多いような・・・ほら、この4とpをくっつけたような字・・・ここにも、ここにも、ここにも・・・」

ろだん「そういえば、このページだけでかなりの量あるな」

あかね「暗号の可能性は?」

ミオ「暗号解読好きな人たちや、第二次大戦の終盤、日本海軍の暗号を破った米軍の暗号解読者たちが挑んだけど、解読には失敗した」

とっぴ「でも、誰かが成功するかもしれないよ」

ミオ「むんくのいったことにつながるだろうけど、この謎めいた文字をいったんアルファベットに置き換えて書き直し、その文章を見て検討する方法が試みられたことがある。そしたら、一つの文の中で、重複する単語がいっぱいあることがわかった。【qokedy qokedy dal qokedy qokedy】って例が、『サイエンス』の記事に紹介されているよ」

ろだん「松島や、ああ松島や、松島や・・・みたいにか」

あかね「あれは俳句だから特別でしょ。普通の長い文章でそういうのはないわよ」

とっぴ「むんくがいったように、同じ文字がいっぱい出てくるからそうなるんだね」

ミオ「そう。通常の言語では考えられない特徴だ」

あかね「あ、それね! 言葉としてとらえないで、文字の数とか単語の数とか、自然科学的な立場で研究すれば、本当の言語なのか、言語でないものなのか、区別ができるかもしれないわ」

とっぴ「例えば、サイコロを投げて出た目で文字を選んで並べてつくったら、どんな感じになるのかな」

むんく「二項分布!」

とっぴ「え? 何?」

むんく「正規分布ともいう。人間の意志が入らずに、無作為に起きる現象だと、ある値をピークにした山形の分布をする」

とっぴ「そうなの?」

ミオ「うん。例えば、たくさんの同じ種類の貝を集めて、その大きさの分布を調べると正規分布している。人間の身長や体重の分布もそうだね」(*1)

 

とっぴ「じゃ、この本に出てくる文字の分布を調べたら?」

あかね「うーん、文字の種類がアルファベットくらいあるんだったら、調べること自体がとんでもない量になるし・・・何がどう正規分布するか、見通しをつけないと無理かなあ」

ミオ「『日経サイエンス』の記事の執筆者は、まさにその方法でこの謎本を調べてるよ。文字でなく、単語の長さ、つまり一つの単語が何文字でできているかという調査をしたんだ」

むんく「それ、すごい」

あかね「文字数のカウントだけって、なんだかすごく自然科学的な発想ね」

とっぴ「それで、結果は?」

ミオ「5〜6文字を中心に正規分布していた。文字数の多い単語も少ない単語も、これよりぐっと少なくなる。これは、通常の言語では絶対に見られない特徴だね」

とっぴ「え? どこが?」

ろだん「人間の言葉は、長いのがわんさかあるぜ。短い言葉がどんどんくっついて長い単語になるからな。それに、短い言葉もたくさんある」

ミオ「言語は人間が意思疎通のために作り上げてきたものだから、自然物と違って正規分布はしない。でも、この手稿の【言葉】は正規分布している。それが何を意味するかというと・・・」

とっぴ「本当の言語じゃない」

むんく「それから、言語をなんらかの方法で置き換えた暗号でもない」

あかね「(本をあちこち見ながら)でも、これがむりやり作った偽物なら、230ページも書き上げるの、大変だったはずよ。なぜ、そんなことをしたのかしら」

とっぴ「すごく、ヒマだったんだよ、きっと」

ろだん「皇帝が高額で買ったんだろ。お金目当てじゃないかな。今でも、昔の掘り出し物だとかいって、偽物を売るやつ、いるだろ」

とっぴ「これ、どうやって書いたんだろ。でたらめに文字を選ぶといっても、こんなにたくさんのページ数を埋めるのって、すごく大変だよ。ぼくなら、2〜3ページ書いたら、もうそれ以上書けなくなると思う」

ミオ「本当に使われたかどうかはわからないけど、この本が1580年に皇帝に買われたものだとすると、ちょうどタイミングのいい出来事があったことが記録されているよ」

とっぴ「え、何、何?」

ミオ「1550年に、イタリアの数学者カルダーノが、暗号の作り方を一つ発明している。カルダーノ・グリルと呼ばれる方法で、誰でも簡単に暗号が作れるやり方だよ」

あかね「どんな方法なの」

ミオ「子供向けの暗号作りの本でもよく紹介されている。例えば縦横それぞれ4マス(何マスでもいい)オセロ盤みたいなカードを2枚作る。1枚には伝えたい文章をぴったりの文字数で書く。もう1枚には4マスなら4箇所、マスを切り取って窓を作る。この窓カードを文章カードの上にかぶせて、窓から見えている文字を順番に書いていく。書き終わったら、窓カードを90度回転させ、また同じ事をする。窓カードを1回転させると、もとの文章の文字を入れ替えた別の暗号文ができるというわけさ。もちろん、開ける窓は、90度回転させたときに他の窓が開いた場所に重ならないようにして開けるんだけど」

とっぴ「でも、この本は暗号ですらないんでしょ?」

ミオ「文章カードのかわりに、この謎文字のアルファベットを適当に書いておくんだ。ところどころ空白を入れてね。暗号を作るんじゃないから、窓カードをわざわざ回転させなくても、横にずらすだけでもいい。窓に見える文字を写せば、適当な文字数の単語が機械的に書ける。これなら、考えなくていいから、時間もかからないよ」

 

とっぴ「待てよ? 最初にこの本は、1470年から1500年の間に書かれたものだっていったよね。カルダーノ・グリルは1550年でしょ?」

ミオ「それはね、普通はそう推測されている、という話。実際に詐欺師が骨董の偽物を作るときには、古い時代のものの様式を真似して作る。本の挿絵の様式が1470年から1500年のものといったって、それがこの本が書かれた年代をそのまま反映しているとは限らないよ。『日経サイエンス』の執筆者は1470年から1608年まで範囲を広げてカルダーノ・グリルに辿り着いているんだけど、ひょっとしたらそれよりもっと後に書かれたものかもしれないよ」

あかね「そういう本の真贋を判断するのに、自然科学的な方法が役に立つって、おもしろいわね」

ミオ「『日経サイエンス』の執筆者は、ルドルフ皇帝にこの本を売りつけたエドワード・ケリーという山師が、この本を贋作したんじゃないかといっているね」

とっぴ「インチキ本で大金かあ! 大金はともかく、例え偽物でも、これだけの大作を作るのって、おもしろそうだな」

あかね「とっぴには無理。たとえカルダーノ・グリルがあっても、230ページも手書きで書くなんて根気、ないでしょ?」

 

 

(*1)2005年インドのICPEで、タイのジャンチャイ教授が、寺院の柱門に残る参拝客のこすれ傷も正規分布することを紹介していました。これは、人間の背丈が正規分布することの間接的な証拠になっています。

 

 

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