前回の続き。
故ジョージ・マルクスさんの講演記録です。
冒頭のイラストはマルクスさんの描いたもの。
20世紀末の世界を取り巻くハイテクやさまざまな話題のカオスが描かれています。
UFOやESP、ETが、クォークやスター・ウォーズ、チェルノブイリ事故と同列に選ばれているのが、マルクスさんらしい。
一番下に、論文のタイトル「未知の未来のための教育」が記されています。
では、講演会の後編をどうぞ。
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アメリカのブッシュ大統領(ひろじ註:当時)が1990年に日本に来たとき、日本の首相がブッシュ氏に「アメリカの高校が良くなれば貿易摩擦は無くなる」といったーーというニュースが、ニューズウィークに出ていました。
実際、日本の高校生はアメリカに比べ、数学では30%先を行っています。
1970年と1983年に国際理科調査が行われ、10歳では日本がトップ、ハンガリーが5位、イギリスは下の方でした。14歳では、ハンガリーがトップ、日本、シンガポール、イギリス、香港、韓国と続きます。
イギリス、香港が上位に上がってきますが、アメリカは全体的に低いのです。
生物分野では、日本は良くありませんが。(ここで、通訳の笠先生から、日本の高校の新指導要領で「探究活動」が入ったのは、英物の実験の遅れが問題になったためだというコメントがありました)
この調査と同時に行われたアンケート「科学は社会にとって有用か?」「科学系の仕事につきたいか?」の結果が手もとにあります。
韓国、ハンガリーはYESが多いのですが、日本は少ない方に入ります。
STRAY CATS(愛知物理サークル・岐阜物理サークルのこと)のみなさんは、科学の面白さを子どもたちに知らせようと工夫されていますが、それが日本全体のものになっていません。
去年、ハンガリーに来たSTRAY CATSのみなさんから、私たちは「日本の受験システムが子どもの<科学嫌い>を作り出している」ということを学びました。
社会と子どもの間に学校があって、その学校が子どもの科学的な興味を破壊することもあります。
「天才に一番近いところにいるのは子どもだ」といったのは、物理学者のランチョスですが、科学を探究する心は、子どもの好奇心と全く同じものなのです。
ハンガリーの科学者たちが(ハンガリーの)文部省から新しいカリキュラムの作成を要請されたとき、科学教育の目標を次のように設定しました。
1.動機:自然は美しい。科学は興味深い人間活動であり、その成果はわれわれすべてに関係を持つ。
2.探究:現実を直視せよ。関係ある変数を選び出せ。予言力のあるモデルをつくり、実験によりテストせよ。モデル音適用限界を知り、より良いモデルを探究せよ。
3.諸原理:小数の真に普遍的な諸原理を学べ。
4.情報:社会的情報源の利用の仕方を学べ。ただし、情報は批判的に扱え。
5.方向性:これまで列挙した方法を用いて、未知の諸問題を探究せよ。
6.世界観:人間は悪意に満ちた宇宙の中のエイリアンではなく、「自然」の子どもであり、「社会」の子どもである。
7.創造性:人間にとって便利となるような形に、そうして、自然の諸法則に逆らうのではなく、それに従うように、きみたちの世界を形成せよ。
私たちは、すべての子どものための教育を考えています。(ハンガリーの)文部大臣たちは「こどもは21世紀の<資源>となる大切な人間たちである」といいますが・・・
ハンガリーにおける新カリキュラムは、力学が33%。ニュートン力学はコンピューターを利用して教えています。電磁気は40%から33%に減らし、情報処理と結びつけて教えています。熱力学は16%から少し増やし、分子運動、無秩序、公害の問題と結びつけて教えます。原子は核を含めて増やしました。半導体、原発、放射能のことも、きちんと教えます。
物理学は、未知の未来を語る重要な学問です。
「進歩を止める薬はない」は、コンピューターをつくったノイマンの言葉ですが。私はこう思います。
「教師は死なず。あなたは、あなたの生徒の中に、生き続ける」
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日本とハンガリーの理科教育の事情は、ちょうど、戦後まもなくの日本の状況が、この頃のハンガリーの状況と考えるとぴったりくると思います。
ハンガリーは東ヨーロッパの国々の中では、もっとも早くソ連の支配から抜け出し、社会主義を捨てて自由経済に移った国です。
西ヨーロッパやアメリカなどと経済的に対抗し、国力を高めるには、物理の力が必要だと考え、全生徒の必修科目としていました。これは、世界大戦に敗北して焼け野原から再出発した頃の日本と同じ発想です。日本でも、長く物理全員必修の時代が続いていました。
ちょうど、ぼくたちがハンガリーに行くちょっと前から、日本でもアメリカなどの選択制がもてはやされるようになり、高校の物理必修が外れています。
このイラストもマルクスさんの手によるものです。
「試験のための教育でよいのか」というテーゼが描かれています。
これは、まさにぼくたちが海外と交流する際に主張した話であり、物理教育の根幹に関わる問題です。
マルクスさんの主張を取り入れる形で、その後、イギリスで「アドバンスド・フィジクス(アドバンス物理)」と呼ばれる教科書が作られました。
最新の技術の紹介も取り入れた、興味深い題材を並べた意欲的な教科書です。ぼくも翻訳されたものを読みましたが、なんと光の量子力学的性質をファインマンの著書のベクトル和による解説で説明しています。
これは・・・意欲だけが先走って、かんじんの生徒の意欲喚起をどう掘り起こすかというノウハウのない教科書でした。
「教えたい」側の熱意ばかりが先走って、「教えられる側」の事情を無視した本でしたね。
(後に聞いた話では、やはり、この教科書はうまく行かなかったようです)
マルクスさんが主張されていたのは、決してそういうことではないと思います。
この講演会や、彼が今まで発表してきた論文を読めば、それがわかります。
講演会の最後の言葉が、彼が教育をどのように捕らえていたかがわかる、象徴的な言葉でしょう。
「教師は死なず。あなたは、あなたの生徒の中に、生き続ける」
物理学で学ぶ内容は、何十年も前とほとんど代わっていません。
それでは、新しい時代の科学技術と食い違ってしまう。新しい時代に生きている子どもたちには、合わない。
子どもの興味関心をどのように物理教育に取り入れていくかが重要なのだーーそれが、マルクスさんの主張だと思います。
ぼくたちの身の回りの様々な科学技術は、今や量子物理学なしには成り立ちません。
さまざまな物性の現象が、量子力学により支配され、その理論によらなければ、なにも作れない・・・そんな時代が、ちょうど昭和20年代あたりから始まっています。
日本が躍進するきっかけになったSONYの「トランジスタラジオ」も、世界初のパーソナルコンピューターも、量子力学のエネルギーバンド理論によって生まれたものです。
そうやって考えると、この百年間でめざましく躍進した物理学の教科書が19世紀とほとんど代わらない内容を教えているのって、へんだなとも思わなくもないのですが・・・
でも・・・
ぼくはこのブログを始めてから、ちょっと発想が代わってきました。
物理学の研究の記録を紐解いていくと、エネルギーという概念ひとつとってもなかなか定まらなかったのだとわかります。
例えば、エネルギーが現在と同様な概念として扱われるようになったのは、トムソンの頃(のちのケルヴィン卿です)です。
今、次の本『いきいき物理マンガで冒険(仮)』の本編の原稿がだいたい終わったところです。
こちらは、『いきいき物理マンガで実験』の姉妹編で、物理学の重要な理論を扱った物語です。ガリレオの時代から、量子力学まで、物理の重要な理論を題材にして、ミオくんと科探隊が活躍する物語を描きました。
その物語を描くに当たって、できるだけ詳しく、科学の歴史や原典(といっても、翻訳されたものですが)を研究しました。
そこでわかったことの一つが、古い時代ほど、研究と教育が一体化していた、ということです。
大学教育がシステマティックになり、映画館や劇場のごとく学生を広い部屋に集めるようになったのは、この百年くらいのことです。
教える、学ぶ、というシステムが、オートメーションの流れ作業のような仕組みになってしまったのは、本当に(人類史的に考えると)ごく最近のことなんですね。
身の回りに未知が溢れている、ということだけ見れば、19世紀の学生も、21世紀の学生も、まったく同じ状況ではないでしょうか。
21世紀の学生にとっての未知が、マルクスさんにいわせれば「ハイテク」に当たるのでしょう。
19世紀にマクスウェルの電磁方程式を、オリバー・ヘヴィサイトが4つの方程式(現在、マクスウェルの電磁方程式として知られているもの)にまとめたとき、当時の物理学者は「これでもう、物理学者の仕事は応用面だけになる」と嘆いたと伝えられています。
21世紀の現代も、量子物理学がある程度完成され、その応用技術がさまざまな製品を生み出しているわけですから、19世紀末の状況に似ていると言えば似ています。
子どもたちのまわりには、つねにその時代の最先端の技術があります。
教える側の理屈ではなく、教わる側の興味を考えれば、題材の選び方も自ずから代わってきます。
マルクスさんがいいたかったことは、こういうことだったのではないでしょうか。
教えたい側で勝手に題材を選ぶのではなく、学生のニーズを無視せずに題材を選ぶことで、意味のある物理教育ができる。
だから、題材はUFOでも幽霊でも超能力でも、なんだっていいのです。
ですよね、マルクスさん。
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