※※※ このプログの内容は狂人の妄想です。くれぐれも本気にしないように。
登場する人物・団体・神様は想像の産物であり、現実の類似物とは無関係です。
自分が神仏だとか、神仏の遣いだとかリアルに思っている人は「自己愛性人格障害」の可能性があります。専門医を受診しましょう。非常識な行動で社会秩序を乱さないようにしましょう。 ※※※
昔からよく耳にするように、生理中の女性は神社に立ち入らない方が良い。
「血の穢れ(けがれ)」が生じる。
ここで勘違いしてならないのは、「五障(ごしょう)の穢れ」や「生理中の女性は不浄だから」という理由からではない。
もしかすると、「生理中の女性は不浄」と誤解させることで、昔の人は生理中の女性を神社から遠ざけようとしたのかもしれない。
ただ、それだけでは片手落ちである。問題は「血」なのだ。
オオヤマツミ「誤解されては困りますが、生理中だからダメなのではありません。血が体外に流れている状態で神社に行くことがダメなのです。
男性であっても、指を怪我して血を流した状態で神社に立ち入れば危険です。」
以下はオオヤマツミさんから聞いた「血の穢れ」に関する話だ。
■血の穢れ
血液は生命エネルギーの源であり、血液そのものがエネルギー体である。
人の体外に流れ出た血液は、それ自体が思念体として存在する。無論、通常はやがて分解され、土に還る。「恨み」「呪い」などといった特別な要因を加えない限り、微弱な思念が空中に散って終わる。
血液を有害に変える要因の一つが「穢(け)」である。
神社の神域は決して清浄なだけではない。
以前にも記したように、人間が生み出した「禍(か)」が凝っていることもある。人間は穢れており、頻繁に「穢」や「禍」を持ち込む。
神社を訪れた際、作法に乗っ取った方法で、手水場で手や口を清めてから参拝する人も多いだろう。あれは身についている「穢れ」を落としているのだ。
落ちた穢れは直ぐに消えるわけではなく、「穢」として境内に漂っている。
また、神社によっては魑魅魍魎(ちみもうりょう)や祭神自身の「穢」が漂っていることもある。
神様の魂は「和霊(にぎみたま)」と「荒霊(あらみたま)」から成っている文字通り「穏やかな魂」と「荒々しい魂」と考えて良い。
人間には感覚的になかなか解り辛いが、「和霊」と「荒霊」はコインの裏表の様に一つの存在とも言えるし、別々の存在とも言える。
ヒンドゥー神話時代の弁才天は「和霊」だけの存在であるサラスヴァティーと、「荒霊」だけの存在であるパールヴァティーに分かれていた。
伊勢神宮125社の中には、同じ神様の「和霊」を祀る社と「荒霊」を祀る社があったりする。
国津神は荒神(こうじん)なので、元々「荒霊」が強い。国津神も神格が低いと、「妖怪」としか呼べない者もいる。こうなると、ほぼ「荒霊」だけの存在でなる。単純に言うと、「荒霊」が強いと暴れ者になり、妖怪の中には人間を喰うことしか考えていない者もいる。
だからこそ、人は妖怪を怖がり、危機意識を持ってきた。
「水木しげるが妖怪への警戒心を薄れさせた」と、弁才天は常々警告する。
「荒霊」は時として、神本人の手にも負えないことがあることを知ろう。
オオヤマツミさんによると、体外に流れ出た血液のエナジーは「穢」や「荒霊」と結び付きやすいそうだ。
「血」が「穢」によって変化する法則は「量子力学」で説明できるらしいが、普通の人間には難しいからと詳細は教えてもらえなかった。
確かに理解できない自信があるorz
昔(江戸時代くらいか?)、ある女性が経血をダラダラと垂らしながら、ある神社へ入ってきたことがあったらしい。と、祭神の「荒霊」がその血に反応し、「穢れ」を活性化させた。
流れ出た血液の塊が意志を持ち、膨れ上がって女性を襲い、喰ってしまったという。
祭神も自分の「荒霊」が原因となったので責任を感じたらしいが、どうすることもできなかったそうだ。
こうして、妖怪(下級の国津神)が一柱誕生した。
オオヤマツミさんによれば、国津神が八百萬(やおよろず)と言われるほど数が増えた一因が、ここにあるらしい。
イザナミ「『穢れ』は恐ろしいですよ。アタシはそれで一度死んじゃいましたからね。」
イザナミさんは火の神であるカグヅチ神を出産した際に負った火傷で出血し、その穢れで命を失った。
イザナギ神はイザナミさんを生き返らせようと黄泉国(よみのくに)へ下るが、結果的に逃げ帰り、海中で禊(みそぎ)をして黄泉の穢れを落とした。
この穢れから生まれたのが「八十禍津日神(やそまがつひのかみ)」と「大禍津日神(おほまがつひのかみ)」である。
大禍津日神はSaikoubowさんのことだ。
弁才天「黄泉の穢れということもあるけど、イザナギクラスの神に着いた穢れともなると、Saikoubowみたいな禍々(まがまが)しいのが生まれるんだからね。穢れって怖いんだよ。Saikoubowは仏教に帰依して毘沙門天になったからいいけどさ。」
Saikoubowさんは見た目は禍々しくて怖ろし気だが、親しくなると気さくで優しい。気性は荒いが、いろいろなことを教えてくれた。
さて、「血の穢れ」による最近の事件も一つ聞いた。
詳しい内容は伏せるが、1990年代前半に関西で起こった事件である。
7人の高校生が天神を祀った神社を訪れた。
一行の内、3人が別の場所で怪我を負っており、彼らは神社の手水場の水で血を洗い流した。
神域に血を持ち込んだだけでも不用意なのに、本来穢れを落とすための手水自体を血で穢したのだ。もっともやってはならない行為だった。
弁才天「結果として、七人ミサキが起きたんだよ。」
「七人ミサキ」は溺死した者の怨霊が7人組となり、祟りを成すと伝えられる。一人を取り殺すと7人の内の一人が輪から離れることができ、殺された者が代わりに呪縛されるという。
実際には「7人」といキーワードの下で、条件を満たせばどこでも誰にでも起こるシステマティックな心霊現象である。
ネットでは「渋谷七人ミサキ」という都市伝説が知られている。
1990年代後半、援助交際を行なっていた女子高生7人が、中絶したことで「七人ミサキ」となったと言われている。実際に起こったことなのだが、密かに出産した女子高生が我が子を殺害し、遺体をコインロッカーに遺棄したことから始まっている。
女子高生たちの変死が続いたため捜査されたが、迷宮入りしている。
関西の事件も高校生が水死したことを皮切りに、2ヵ月の間に狭い範囲で7人が変死し、こちらも事件として捜査されたが迷宮入りした。
最初の7人の内、何人かは偶然にも回避行動を取ったため、死を免れたそうだ。代わりとして、近くにいた無関係の人間が巻き込まれて死んでいる。
7人が死んだのは、高校生たちが血を洗った神社で月縁日が行われる水曜・木曜に限られていた。
私「バイトの巫女さんも生理中は休みなの?」
弁才天「そうだよ。」
私「神職だって仕事中に怪我することもあるよね。」
弁才天「いくら最近の職員が無知でも、そのくらいは教育されてるはずだよ。」
私「宮大工とか、社殿の修理や建て替えの時には怪我もするよね。」
弁才天「宮大工は専門の組があるから承知してるよ。血が出たら即交代して帰されるよ。」
■寺院と仏
では、お寺はどうなのだろうか?
やはり「血の穢れ」を注意すべきなのか?
「仏」とは仏教に帰依した国津神だが、仏となっているのは国津神の「和魂」だという。
寺には「荒魂」が存在しないので「血の穢れ」は起きないそうだ。
ただし、密教系や修験(しゅげん)系は神仏混交なので、「荒魂」が存在しているので流血厳禁。
最後にオオヤマツミさんに言われた。
オオヤマツミ「誰であっても血を流した状態で神社に行かないように。このことをもっと広めてください。」
でも、私の不人気ブログを読んでいる人が何人いることやら( ̄_ ̄;