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世界的なワイン評論家である神咲豊多香(かんざきゆたか)の死によって莫大な遺産が残された。
遺言状には神咲豊多香が選んだ12本の偉大なワイン、頂点に立つ「神の雫」と呼ばれた幻のワインを、
1年後の期限までに言い当てることが出来た者に遺産の全てを譲り渡すと記されている。

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ワインは神咲豊多香の詩のような言葉で描き出されている。
そして、それらが何年作のどのワインかを言い当てる。


対決をするのは、実の息子神咲雫(かんざきしずく)と、神咲豊多香がなくなる1週間前に養子縁組をした戸籍上の息子遠峰一青(とおみねいっせい)(ワイン評論家)の2人である。


ワインを知らない人間に、偉大なワインコレクションの遺産を譲り渡すことができなかった神咲豊多香であった。
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「小林秀雄全作品」の中から、今回は第21巻に掲載されている「美を求める心」を取り上げてみたい。昭和32年2月、「美を求めて」に掲載された。

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芸術を志す者にとって、絵や音楽を解るようになるためには、どういう勉強をしたらいいのかを考えることは大切なことである。
小林秀雄は「先ず、何をおいても、見ることです。聴くことです。」と言っている。
しかし、「見たり聴たりすることは考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事なのです。」と、簡単に考えてはいけないことを示唆している。
その努力の結果、普通の人にはほとんど信じられないほどの、微妙な調子を見分けることができるのである。ただぼんやりとしていても、眼に写ったり、耳に聴こえてきたりはしてこないのである。

そして最後に、絵や音楽の美しい姿を感じる能力は誰にでも備わっているが、この能力は養い育てようとしなければ衰弱してしまうことを知っている人は少ないと言っている。
しかし、知識がどんなにあっても、優しい感情を持っていなければ、物事をよく感ずることはできないのだと締めくくっている。
芸術は、正しく、豊かに感ずることを、我々にいつも教えてくれるものなのである。

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数学者の藤原正彦が若き日にアメリカを訪れた。その時の回想録である。

数論日米セミナーで「代数方程式におけるハッセ原理」について講演をしたとき、ミシガン大学のルイス教授の目に止まったのがきっかけだった。

最初はハワイでの思い出、「真珠湾」に行った時のことが書かれている。

次に立ち寄ったのがラスヴェガス。ルーレットの確率はなるほど、よく考えられているものだ。36分の1の確率の場所が掛率36倍となるはずが、0と00を別に設け、確率は38分の1、掛率は36倍となり、少しではあるがディーラーが有利となる。数学者として細かいところをよく見ている。

そしていよいよミシガン大学へ。
なかなか馴染めなかったアメリカでの生活を事細かに書いている。


最後はフロリダでのこと。繊細な心でアメリカ文化をとらえている。実際に教壇に立ち、アメリカの学生と関わることによって、アメリカの教育と日本の教育の違いにも言及している。アメリカでは知識を詰め込むより、自分の意志を論理的に伝える方法や、議論の問題点をどう掘り出しどう展開するかなど、基本的なことに教育の重点を置いている。

他にも面白いエピソードを所々に織り交ぜ、素敵な文章で書かれている。さすが新田次郎と藤原ていの次男である。


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「密教」とはどんな教えなんだろうか。
密教以外の教えを「顕教(けんぎょう)」という。
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「顕教は塵を払い、密教は蔵を開く。」
「顕教」は表面の塵(ちり)を払うのに対して、「密教」は本質に入り込むのである。

密は秘密である。
秘密には2種類ある。
一つは「如来(にょらい)の秘密」であり、もう一つは「衆生(しゅじょう)の秘密」である。

「如来(にょらい)の秘密」とは、教えたくても教えてはいけない秘密のことである。
この秘密を教えることは相手にとって毒になる。
相手の能力を見て、秘密は徐々に明かされるべきである。

「衆生(しゅじょう)の秘密」とは、そこに本当はあるのだけれど、自分の目がかすんでいるために見えない秘密。
つまり受け取る受信器がないため、秘密のようになっている。
大切なことは自分の目を開くことであり、そうすれば本当の姿が見えてくるということである。
「目」というのは親にもらった目ではない。
自分の修行や日常生活の生き様が、ものが見えるか見えないかの分岐点になる。

密教では「衆生(しゅじょう)の秘密」に重きを置いている。
修行をして目を開かせることを主眼とした厳しい教えなのである。
秋の夜長にはハーブティー。
といわけで、今日はペパーミントティーを飲みながら書いている。
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31才で遣唐使として入唐してからのことはよく知られているが、それ以前の12年間のことはあまり知られていない。
もちろん記録には残っていない。
空海さんにとって「闇の時代」と呼ばれている。

推測ではあるが、僧になるための勉強をしていたとされている。
それから中国語の勉強もしていたんだろう。

仏典を勉強して、どうしても理解に苦しむところがあるため、本場の中国に行って勉強したいという気持ちが強くなったんではないだろうか。
性霊集(しょうりょうしゅう)にはこの時の気持ちを表した部分があるそうだ。
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18才で大学を中退した空海は、一人の沙門と出会った。
そして求聞持法(ぐもんじほう)を授けられ仏教に傾いていった。

24才のときに三教指帰(さんごうしいき)を書く。
この元となったのが「聾瞽指帰(ろうこしいき)」である。
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内容は三幕もののドラマである。

まず最初は、儒教の先生について勉強するが満足できないと書いている。
次に道教の先生について勉強するが満足できないと書いている。
最後に仮名乞児(かめいこつじ)先生の仏教に惹かれていくという戯曲風の作品となっている。

これにより空海さんはなぜ自分が仏教を志すようになったのかを説明した。
日本最初の比較思想論と言われている。
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東京から京浜東北線「上野駅」で下車。
「公園口」を出て、上野公園を歩く。
天気はいい。歩いていても気持ちがいい。
公園を抜けるとそこには「東京国立博物館」がある。
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近づくと文化の香りがする。
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「呉昌碩(ごしょうせき)の書・画・印」展が行われている。
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先日は台東区立書道博物館で半分の作品を見学した。
今回は残りの半分をここで見学することにした。
「篆書般若心経」など石鼓文・篆書を主体とした作品が多数展示されている。
本物を見なければ、物を見る目の向上は有り得ない。

先日、おいしい紅茶を手に入れた。
FAUCHONのPear Tea。
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今、それを飲みながら書いている。
洋ナシの香りがたまらない。

今年は、テレビで空海さんの特集を放映したり、東京国立博物館で空海展があったりして、ますます空海さんについて研究しようと思うようになった。
その中で最も印象に残っているのは、空海さんの書「聾瞽指帰(ろうこしいき)」である。
この書の存在はテレビで放映されて初めて知った。
あまり公開したことはないらしく、今回の東京国立博物館で実物を初めて見た。
空海24歳で書かれたらしい。
遣唐使として唐に渡る前にこれだけのものを書いていたというのだから、その才能は推して知るべし。
どうしてもこの書を臨書したいと思っても、かつてこの法帖を見たことがない。
しかし今回それを手に入れた。
というか、知人が持っていたので、少しの間お借りしただけだが。
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昭和56年、日本書道出版が発行した書道古典名筆集。
「聾瞽指帰」は上巻・下巻で構成されているが、この法帖は残念ながら上巻の途中で終わっている。
文字は原寸大で書かれ、空海が若い時の書ということで、力強さと迫力が伝わってくる。

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東京都台東区にある台東区立書道博物館を訪れた。
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場所は山手線「鶯谷(うぐいすだに)駅」北口から徒歩5分のところにある。

この書道博物館は中村不折(なかむらふせつ)(1866~1943)が、その半生40年あまりにわたり独力で集めたコレクションを有する。中村家によって維持・保存されてきたが、平成7年12月、台東区に寄贈された。
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9月13日(火)~11月6日(日)まで「呉昌碩(ごしょうせき)の書・画・印」の展示が行われている。
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呉昌碩(ごしょうせき)(1884~1927)は清時代の末期から中華民国の初期にかけて、書・画・印の分野において才能を発揮した。
日本の文化人との交流が深かったため、現在は日本に多くの作品を見ることができる。
晩年まで石鼓文(せっこぶん)の臨書に励み、重厚な運筆を確立していった。
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第2章後半部分に移ろう。
現代でも「古典臨書(こてんりんしょ)」の必要性を唱える人は多いが、我流でやっている人は少なくない。
そんな時に示唆を与えてくれるのがこの部分ではないか。

我々は古典を臨書するとき、そこから何を学び取るかを意識しなければならない。
奇抜な発想だけを追い求めていると、本質にたどり着くことは難しい。
深遠な妙味を求め、構成よりも運筆の呼吸・リズム・筆鋒などの時代とともに変化しない書の本流を求めなければならない。
古の優れた人の追体験をすることこそが臨書の目的である。

臨書の目的が分からず臨書している人は、きっと臨書が嫌いになってしまうだろう。

そして口先だけの「評論家」になることを戒めている。

芸術論だけを述べる「評論家」になってはいけない。
実践がなくて高い鑑識眼を持つことなどあり得ないからだ。
理論と実践の一致は達人になってこそ得られる境地である。
書の達人たちは真剣な取り組みによって、名品を鑑賞している。

高い鑑識眼は実践によってのみ培われるということである。

写真は書論双書3「書譜」(日本習字普及協会) 2200円
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