第2章は読みごたえのあるところである。
中ごろにおいては我流を戒めている。
現代でもそうであるが、自己流の表現にこだわるあまり我流の書が横行し、本来の芸術から本流を逸してきている。
側筆で書かれた汚い線、日本ではこれが芸術だと言わんばかりに頻繁に書かれている。
中国伝統書法では基本は常に「中鋒」であることは先に述べた。(ブログ:中国書法正傳)
「書譜」では我流を次のように戒めている。
好んで偏狭な我流に溺れている人たちは、芸術の普遍性を自らふさいでしまっている。
心と手が一体となった境地というのは、基本は同じでありながら、表現方法が異なっているだけである。
それは、同じ水源から異なった水派の流れるようなもの、1本の樹から多くの枝が分かれ出るようなものである。
同じ基本から個性的作品は生まれてくる。
「書譜」について学習したい人は、二玄社の「中国法書ガイド」をオススメする。
中ごろにおいては我流を戒めている。
現代でもそうであるが、自己流の表現にこだわるあまり我流の書が横行し、本来の芸術から本流を逸してきている。
側筆で書かれた汚い線、日本ではこれが芸術だと言わんばかりに頻繁に書かれている。
中国伝統書法では基本は常に「中鋒」であることは先に述べた。(ブログ:中国書法正傳)
「書譜」では我流を次のように戒めている。
好んで偏狭な我流に溺れている人たちは、芸術の普遍性を自らふさいでしまっている。
心と手が一体となった境地というのは、基本は同じでありながら、表現方法が異なっているだけである。
それは、同じ水源から異なった水派の流れるようなもの、1本の樹から多くの枝が分かれ出るようなものである。
同じ基本から個性的作品は生まれてくる。
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