先日、津幡町での所用を済ませてから、20年ぶりにある場所へ行ってみることにしました。

 

その場所へ行くには、JR七尾線の中津幡駅のすぐ近くの…。

 

 

平谷踏切を渡って行くのですが、なぜ踏切の名が「平谷(へいだん)」なのか、のちほど分かります。

 

 

しばらく進むと、県森林公園の案内図があり、森林公園津幡口(右)と南口(左)に道が分かれるのですが、左の南口の方を目指します。

 

 

森林公園の南口に至る坂にさしかかりましたが、その右手に建つ大きな標柱の前で車を止めました。

 

 

「史跡 平知度(たいらの とものり)首塚」とあります。

 

そうなんです。ここが目的地で、寿永(じゅえい)2年の倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)で、平清盛(たいらの きよもり)七男の知度は戦死を遂げたのですが、清盛に連なる平家一門で最初の犠牲者となります。

 

 

その標柱の真後ろには、「平清盛松」が植えられておりました。

 

 

それで、今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は三谷幸喜原作で面白いと、すごい人気なのですが…。

 

 

倶利伽羅の戦いは、木曽義仲(きそ よしなか)の源氏軍と平維盛(たいらの これもり)率いる平家10万騎が戦ったのですが、「鎌倉殿の13人」ではさらっと流しただけでした。

 

 

この戦いでは、義仲軍が牛の角(つの)に松明(たいまつ)を付けて敵陣に突入させるという「火牛の計(かぎゅうのけい)」により、谷底に転落した平家軍は大半を失ったと伝えています。

 

画像は、当県津幡町と富山県小矢部市の県境にある倶利伽羅古戦場の火牛象と合戦絵図ですが、あくまでも火牛の計は伝説です。

 

はじかみ神主のぶろぐ

 

「鎌倉殿の13人」には、朝日将軍と称せられた木曽義仲や巴御前も登場しましたよね~。

 

 

で、この丘の上に平知度(たいらの とものり)の首塚があります。

 

 

丘の右下の制札(せいさつ)には、「平三河守知度倶利伽羅合戦奮戦図(たいらの みかわのかみ とものり くりからかっせんふんせんず)」とあります。

 

 

また、登り口前にも説明板があり、「平三河守知度朝臣首塚(たいらのみかわのかみ とものり あそん くびづか)」との標題とともに、最後の項には「今もこの地を平谷(へいだん)と呼ばれております」と書かれておりました。

 

なので、先ほどの踏切の名が「平谷踏切」なのだと理解しました。

 

 

それでは、この石段を昇って首塚へと進みます。

 

 

平知度の首塚です。

 

20年ぶりに手を合わせました。

 

 

津幡町ホームページの津幡町観光ガイドには…。

 

「津幡町津幡地区の通称・平谷(へいだん)、平知度(たいらの とものり=平清盛の7男)の墓と伝えられている首塚が残っています。」

 

【中 略】

 

「一帯の地名は平谷と呼ばれ、源平の戦いに敗れた平家の落武者が隠れ潜んで生活したところと伝えられています。

『加賀志徴(かがしちょう)』によると、平谷は「平家谷」と記され、集落の入口にある首塚の側には大木の松が生え、「首塚の松」と呼ばれていました。

ここに住み着いた末裔は、平田、平能、平林、平村を名乗り、現在でもこの首塚を大切に守り続けています。」

 

とあります。

 

 

首塚のある丘の上より、県森林公園南口方面を撮りました。

 

 

源平北国合戦に思いをはせて、首塚をあとにした次第です。

 

 
m(。-_-。)m ↓おねがいします! 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 金沢情報へ
にほんブログ村