今日は、午前中地鎮祭を奉仕して今帰ったきたところですが、午後2時からまた1件地鎮祭を奉仕いたします。
さて昨日は、朝5時半からの日供祭(にっくさい)を終えてすぐさま作業着に着替えて、山へ山菜採りに出掛けたのですが、途中雨が降り出してびしょ濡れになりながらも、30分ほどでこれだけの紫ワラビを採って参りました。
山の谷底で採った紫ワラビは、太くて柔らかくてとても美味しいんですよね~!。
ついでに、山ウドも少し採ってきました。
左が山ウドの茎の部分で酢味噌合え用、右の若芽は天ぷら用でございみす。
そして、女房に車で送ってもらって、午前10時半頃石川県神社庁に到着しました。
実は、毎年5月10日は県神社庁の神殿例祭なので、神饌(しんせん)として神前へお供えするワラビを山へ採りに行ったのです。
野菜を盛りつけた三方(さんぽう)に、私の採って来たワラビがいっしょに供えられました~。
で、今回の神社庁神殿例祭より、県女子神職会から1名奉仕員として加わることになり、能登・七尾市のS宮司さん(昔のお嬢さん)が奉仕なされました。
これは、女子神職の正装である正服(せいふく)で、頭には雛人形の髪飾りと同様の釵子(さいし)と心葉(こころば)・日陰糸を着け、染色・文様の施された唐衣(からぎぬ)、表着(うわぎ)、単(ひとえ)を重ね着し、神職身分に応じた袴(はかま)を着用します。
宮中の下級女官の衣装である采女装束(うねめしょうぞく)と袿袴(けいこ)を折衷にしたもので、活動的に作法を進めることができます。また、彼女は私と同じ神職身分二級なので、紫色の袴を着用しています。
でもね~、女子神職は昔からみれば数も増えましたが、男性神職の数と比べれば圧倒的に少数で、装束も需要の面からも男性装束と比べると割高で、画像の正装の装束に、帖紙(たとうがみ)や桧扇(ひおうぎ)や浅沓も加えて一式50万円以上はします!。
男性神職と同じように、女性神職にも正装(正服=せいふく)、礼装(斎服=さいふく)、常装(常服・浄衣=じょうえ)という3区分があり、やはり男性の神職と同じように大祭・中祭・小祭に応じてそれぞれの装束を使い分けます。
画像は、ある方のブログから勝手に引用したものですが、左から順に正装である唐衣(からぎぬ)、水干(すいかん)、常装である表衣(うわぎ)、巫女装束ですが、巫女は正式な神職ではなく資格も必要ないため、女子神職のように服制は定められていません。しかし、神職資格を有する巫女さんも増えてきました。
昭和62年に神社本庁によって制定された女子神職の服制に基づくものですが、昭和21年に制定された旧規定では、正装に袿袴(けいこ=切袴と袿〔うちき〕のセット)、礼装に白い袿袴か水干(すいかん)、常装に水干が定められていましたが、袿袴姿は豪華ですが非常に動きにくかったため、昭和62年の新しい規定で改められました。
ただし、旧規定の水干は現在でも使われていて、男性の狩衣(かりぎぬ)のように裾を外に出して着付け、紐を結んで襟をとめるため、狩衣の首にリボンをつけたように見えます。
亡き母も、県内の女子神職の先駆けとして、昭和43年に父が早逝してすぐに資格を取得したのですが、その頃は旧規定にそって水干を着用していました。
画像は、当社権禰宜(ごんねぎ)で嫁のIちゃんの常装装束で、男性神職の常装である狩衣(かりぎぬ)と同じです。
上から時計回りに、額当(ぬかあて)、表着(うわぎ)、朱塗りの中啓(ちゅうけい=末広扇)、浅葱(あさぎ)の袴です。
本当は、女子神職の正装である正服(釵子・唐衣・単など)を買ってやりたいのですが、先述のとおり高くて手が出ません!。(_ _。)
時刻、神社庁の顧問・参与・役員・県下各支部長・協議委員会議長並びに副議長・県女子神職会役員参列のもと、午前11時より神殿例祭が斎行されました。
私も神社庁金沢市支部長として参列させていただきました。
神殿には、天照皇大御神をはじめ県神社庁包括下の全神社(約1900社)の神々をお祀り申し上げております。
奏楽奉仕の伶人(楽人)は礼楽研究会のみなさんで、龍笛(りゅうてき)・篳篥(ひちりき)・笙(しょう)各管それぞれで、県神社庁雅楽講師をつとめておられます。
例祭なので、奉仕神職はすべて正装の正服を着用し奉仕しますす。男子は冠に神職身分に定められた袍(ほう)を着装し、女子神職は前述のとおりで、3名とも神職身分二級です。
画像での作法は伝供(でんく)といって、受け渡しで神饌(しんせん)を献饌(けんせん)・撤饌(てっせん)します。
右が一番上位で陪膳(はいぜん)、左が次位で膳部(ぜんぶ)、真ん中は下位で手長(てなが)という所役です。
陪膳は金沢神社宮司で県神社庁雅楽講師のA氏、膳部は尾山神社権禰宜のM氏、そして手長は先ほど紹介した七尾市・總社宮司のS女史です。
斎主祝詞奏上です。斎主は尾山神社宮司でもあるK県神社庁長様がおつとめになられました。
階位は最高位の浄階で神職身分一級の御装束で、黒袍(輪無唐草紋=わらしからくさもんよう)、紫奴袴(白八藤紋=しろはっとうもん)、冠(繁紋=しげもん)なのですが、さらに最上位に神職身分特級があり、黒袍(くろほう)は変わりませんが、袴のみ紫奴袴(むらさきぬばかま)から白奴袴(白八藤紋)になります。
なお、くわしくは私のブログ・神主の階位と身分についてをご覧ください!。
斎主玉串拝礼です。諸員は坐後列拝(さごれっぱい)します。
祭典が終わると待ちに待った直会(なおらい)です。
私もはじめから吞むつもりで女房に送ってもらったのですが、みなさんほとんど車なので、ノンアルコールビールを飲んでおられました。
徒歩や公共交通利用で、私のように呑む心づもりで来られた方は、画像上位右端の白髪の男性で協議委員会議長のM氏(金沢市・野間神社宮司)と、その隣のメガネをかけた同副議長で河北支部長の金さん(かほく市・賀茂神社宮司)をはじめ5~6名しかいませんでした。
神職として神様のおさがりの御酒を拝戴しないと申しわけないですからね!。
お料理は、金沢大工町の割烹よし村の折詰でした~♪。
私や金さんは、奥能登珠洲の名酒・宗玄(そうげん)の熱燗やビールを交互に蟒蛇(うわばみ)のように呑んでいきました。
時間が経過して、一人二人と去って行かれるのですが、私とNさんと金さんの前には次々と神社庁の職員が集中的に熱燗を運んでおりましたた。
画像は、神社庁珠洲支部支部長代理で参列された同支部副支部長の羽黒神社T宮司さん(哲ちゃん)が撮ったもので、氏の昨日のブログhttp://ameblo.jp/hagurotetsu/にもアップされておりましたが、向こうで頭をかいているのが私です。
で、私の撮った羽黒宮司さんです。
彼も車の運転なので、お酒が大好きなのですが我慢しておられました。
用意した二升の酒(宗玄)も空っぽになって、ようやく腰を上げたのですが、時計を見たら午後2時を回っておりました~。(;^_^A
羽黒宮司さんの車で、まずは私、次いで金さんの順で送っていただいた次第です。m(_ _ )m
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