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宮司一人の祭り

4月24日は宮司を兼務いたしております火之宮神社の春祭りでしたが、


火之宮神社は元日の地震被害で倒壊しており、

しかし、昨年5月の地震ですでに倒壊の危険がありましたので、ご神体は一時羽黒神社本殿にお遷ししてあり、

さらに本年元日の地震で、倒壊した羽黒神社社殿から、今は齋館にお遷ししてございます。
この日、羽黒神社齋館にて、火之宮大神の春祭りを齋行いたしましたのですが、

もともと、火之宮神社の氏子はわずか6戸しかなく、
今回、そのすべてのお宅が全壊となり、現在、氏子地内には、誰一人住んでいない状態です。

しかたなく、今回は宮司一人でお祭りを奉仕するしかないのですが、

祭典前に、神様がいらっしゃらない火之宮神社へまいりました。

ここには遅咲きの桜があって、例年、市内の桜はすべて散りゆくなか、この桜を愛でてお祭りを奉仕するのが慣例でした。



時刻、午後2時。
やはり誰も来ませんが、
お供えは自宅から持ち込んだもので、粗末ですが、

氏子の事情でお祭りが出来ない場合、
たとえ宮司一人でも、
極々簡素でも神事は執り行うべきで、

それが氏神さまとの対話であり、
氏子と氏神さまを繋ぐものであると、
常々思っておりますが、

でも、こうなると、

やはり、さみしいですね・・・



満開より今がいい、と思います

つまり、ツツジは花の期間が短いので、

満開になったとたんにシワシワになって散り始めますので、


つぼみが膨らんで、一輪二輪と咲きかけ、あー、もうすぐ満開やなー、っていうころが、一番わくわく感もあっていいかな、と、


最近思うのであります。


実際、昨日から今日の陽気で、ずいぶん咲きましたよね。


朝、ツツジの咲き具合を見てから、この日は保護司会の総務会で、車で30分ほどの能登町柳田へ移動。


山あいは、まだ散りかけの桜があります。


奥能登は、珠洲市、能登町、輪島市、穴水町で、大きな枠組みの保護区になりますが、
元日の地震被害が一番大きかった地区であり、
しばらくは、事業をまともに行えず、縮小傾向になる予定です。
だいたい、私は保護区の副会長、珠洲能登の地区会長ですが、ソイツが仮設住宅住まいですから、まともに出来るわけはないですね。

会議は正午過ぎに終わり、
午後からは、地震被害で全壊指定を受け、解体予定のお宅の、神棚撤去のお祓い。
地震以降、こういうご祈祷が多いですが、

はからずも、平和だった家の歴史を閉じるお祭りです。
老朽化で立て替えの時と違って、なんとも言えず、さみしい神事です。

ここいらは、揺れの被害だけでなく、土砂崩れが多く、

羽黒神社旧鎮座地、羽黒山もこのとおり。

まあしかし、

草木は元気ですね♪

拝殿前に一対植えられていたツツジのもう片方は、倒壊した屋根の下で、日も雨もあたらず、咲くことが叶わないのが残念なかぎり・・・






たかが時計というなかれ

最近発見しましたこの時計、

これは、社殿倒壊前、拝殿に掛かっていたもので、

瓦礫の奥で見つけて、もしや、と思い、電池を入れてみたら、三ヶ月あまり瓦礫の下で濡れなかったのか、動くには動いたのですが、
ところが、時針が外れていて、ブランブランになっていたので、

ガラスを外して、はめこんで直しました!


「寄贈 白山若連中」とあるように、氏子町内の白山町の若い衆の寄贈なのですが、

昭和63年、社殿改築のため、3年間自粛していた秋の祭礼に、久しぶりにキリコ(切籠)を出した年、
思ったより目録が集まり、そのお金で、
神社には時計がない、
と、寄贈されたものです。
出来ることなら直したい、ということで!

午後になっても、ちゃんと動いてます♪

午後からは、神楽鈴の修理。
元日に、浦安の舞を、次女を含め、三人の巫女さんに舞っていただいて、そのまま拝殿に置きっぱなしだったのが、泥まみれのボロボロで発見したのですが、

前日に、ひしゃげた鈴の金具部分をペンチで直し、
持ち手の部分を水性ラッカーで塗り直し。

で、
今日は二度塗り。

若干鮮やか過ぎかもしれませんが、いちおうの体裁は整った感じです。

あとは、巫女舞がいつ復活するのか、

先は長いです。
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