羽黒神社宮司のブログ -2ページ目

次世代につなぐ




天保年中、八幡宮御輿新調の折り、大名行列を模して神々を迎えたことに始まり、嘉永年間、藩主前田公能登巡見に際し、再び是を披露したところ、格別の称賛を賜り、以降、秋の祭礼の恒例行事となった正院奴振り。

出発の時刻、どしゃ降りとなりましたが、

この大被害の町並みを、ずぶ濡れで巡幸いたしました。

もちろん、こんな時期に、と、非難はたくさんありましたが、

それでも、次世代を担う子供たちのため。
特に、武漢ウィルス蔓延や、昨年の震災被害もあり、この数年ほとんどお祭りを見ていない子らが多いことを憂い、半ば強引かもしれませんが、
お神輿は出ず、奴振りのみの巡幸となりました。



祭典後、本来なら神職もお神輿とともに巡幸ですが、今回は拝殿で待機。

およそ4時間後、午後6時過ぎ、
町内を、縮小化ではありますが、巡幸した奴振りが、ずふ濡れで戻ってまいりました。
拍手喝采!



町には誰も住んでいないため、人手不足でOBにも声をかけ、結果、10代から60代まで参加の演舞。
親子で参加の方もいます。

「一生忘れられない祭りやった!」
と、複数おっしゃられました。

最後に、本来、能舞台で奉納する八幡太鼓は、能舞台が倒壊したため、拝殿で奉納。

法螺貝は、八幡宮総代会副会長で、正院町雅楽会のY会長、笛のT氏は、私の弟子のKちゃんに習った、つまり孫弟子です。







出しきれるものをすべて出した、そんな感じのお祭りでした。

震災被害に加えて、猛暑、さらに豪雨、

しかし、
いいお祭りでした♪

我が家では、仮設住宅ゆえ、祭りごっつぉ(ご馳走)も出来ないし、

マグカップで茶碗蒸しですけどねー

一杯飲んでたら、またまた電話で、
「はよ来い!笛、おらん!」

またかい・・・(  ̄▽ ̄)

















瓦礫の町の祭り

なにせ、

10日から連日のお祭りと、支部内神職家の葬儀が重なってしまいましたので、まあそれは想像を絶する忙しさでした!

(こんなふうに書くと、喪家のK原宮司がまたまた申し訳なく思うから、あまり書けない)

そりゃ、齋主を引き受けたからには精一杯やります!(といいながら、かなりいっぱいいっぱい)


まずは10日、飯塚乙谷出地区火宮神社の秋祭り。

もうとんでもない炎天下です。

春祭りと同様、拝殿は危険で入れないため、境内で祭典齋行。

本殿裏の、迫っている崖崩れ吹き付け部分もそのままで、雨が降るたび、ヒヤヒヤします。
拝殿に入れないため、直会は中止で、そのまま車で帰り、
一旦、K原家へ挨拶がてら、支部神職と合流し、葬儀の打ち合わせをし、
それから帰宅して、葬儀に必要な祭詞を延々書いていたら、深夜の2時を過ぎていました。

翌朝は、家屋解体前のお祓い奉仕。
最近は、いきなり来週から業者が入るとかで、急な依頼が多いです。

そして、午後からは片姫神社森腰地区の秋祭り。


こちらは、比較的社殿のダメージが少なかったところで、直会も送迎も手配してくださったのですが、急遽お断りし、

そのまま、K原家にて、遷霊祭(御霊を、亡骸から霊璽にお遷りいただく)を奉仕。
そして、帰宅したら残りの祭詞を作成。
神葬祭の祭詞は、故人の経歴やお人柄を申し上げるため、喪主と相談の上、丁寧に作成します。
この日も、寝たのは深夜の2時すぎでした。

そして翌朝、地鎮祭を奉仕。
地震で倒壊したご自宅を取り壊し、新しい家を建てられます。
久しぶりにおめでたいお祭りです。

引き続き、午後から、片姫神社粟津地区の秋祭り。

総代の参列は少ないですが、能登の祭りを調査(?)する大学生が大勢参列されました。

こちらも直会はお神酒はいただかず、顔だしだけで退散。

以降、前々記事のとおり、この日は通夜祭、翌日は葬場祭、火葬祭、帰家祭まで奉仕し、夕方に帰宅。

そして、ようやく迎えた、地元正院地区の祭りです。
御輿渡御は行えませんが、

5基出たキリコのお祓い。

夜はキリコだけで、いまだ瓦礫だらけの町を巡幸。




連日の激務の疲れもあって、この日は祭典を終えたら休もうと思ってたんですけどね、

町内の方から、
「笛持ってはよ来い!」
と電話があり、

友人のK氏撮影。
SNSの投稿には「うれしそうに」とありましたが、そんなことはありません(  ̄▽ ̄)









上手いっ!

それで十分上手いっ!

自信持って吹きましょう!



娘のはとこの中学生。
かわいいでしょ?(^~^)